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荒川区に来た龍麻達は、ゆきみヶ原高校まではすんなりと着くことが出来た。
女子校らしく、校門の前でたむろする、
特に龍麻達男三人に向かって興味と警戒がミックスされた視線が何本も注がれる。
最初は愛想良く手など振っていた京一も、そのうちの幾人かが駆け足で去っていったところで、
ここに来た本来の目的を思い出したようで向き直った。
「美里、弓道場の場所は書いてあんのかよ」
「ちょっと待って、ええと……書いてないわ」
書くも何も、小蒔の地図は大雑把に駅から高校までの道が書いてあるだけで、
それ以上の説明などどこにもない。
それでも葵は親友の名誉の為になんとか手がかりがないかノートの切れ端を見ていたが、
とうとう諦めて京一に紙片を見せた。
四角く囲って「えき」、そこから棒が二本伸び、二度ほど折れ曲がってまた四角い囲みで「がっこー」。
それだけしか書いてないメモを見せられた京一は、思わず紙を破り捨てそうになってしまった。
「なんだこりゃあッ! ッたく、そそっかしい奴だな。どうすんだよ」
「そうね、困ったわね」
あんまり困ったようには見えない葵に、二の句を継ごうとして失敗した京一は、矛先を龍麻に向ける。
「ここでこうしていても埒があかねェし、よし龍麻、中に入って誰かに聞いてみようぜ。
なるべく可愛い子によ」
「お、おい」
葵が止める間もなく、京一は龍麻の腕を引っ張って行ってしまった。
抗いつつ結局彼についていく龍麻に少しむっとした葵だったが、
声をかけるどころか近づいただけで逃げられていく二人を見て溜飲を下げることが出来た。
すごすごと戻ってきた二人に、彼女が微笑を浮かべてねぎらう様が皮肉に見えなかったのは、
日頃の行いの良さがなせる技に他ならない。
「私が聞いてくるわ」
懲りずにまた聞きにいこうとする京一を止める龍麻に笑いかけながら、
葵は役に立たない彼らに代わって場所を聞きに行った。
役に立たない二人と違い、無事弓道場を聞き出した葵は、早速彼らを連れて早足で道場へと向かう。
ここまで来て小蒔の出番はもう終わっていた、などという結果になったら笑いごとでは済まない。
なんとか弓道場まで辿りついた龍麻達は、入り口を探すうち、
道場の外で大きく深呼吸をしている小蒔を見つけた。
道着に弓道袴を着ている彼女は、制服姿とは違って随分凛として見える。
どうやら集中しようとしているみたいだから、
気を散らせないためにそっとしておいた方がいいか──そう目で会話した龍麻と葵と醍醐だったが、
京一はひとりずかずかと彼女のところに行ってしまった。
「何してんだお前、こんなトコで」
「あ……みんな」
せっかくの配慮も台無しになり、仕方なく三人も彼女の許に行く。
しかし、知り合いの顔を見て、小蒔は明らかに安堵したようだった。
「試合はいいのかよ」
「うん、これから。ちょっと外の空気を吸いにきたんだ」
「なんだ、緊張してんのか」
「そッ、そんなコトないよ。ないと……思う」
小蒔はいつもなら反発するであろう京一の台詞にもやや弱気に答えるのが精一杯のようだ。
その表情に相当の緊張を見て取った醍醐は、陳腐ながらも心からの励ましを与えた。
「武道というのは精神的(なスポーツだからな。
試合前から気持ちを乱していたら、本当の力は出せないぞ。自分を信じろ、桜井」
「う、うん、そうだよね、ありがと、醍醐クン」
まだ表情は硬いものの、小蒔はなんとか笑っていた。
京一の無神経とも言える行動が、かえって今の彼女には落ち着きを取り戻させる効果があったようだ。
京一がそこまで計算して行動したかどうかは、怪しいところではあるが、
とにかく、龍麻達がそれぞれの言葉で改めて小蒔を励ましていると、彼女を呼ぶ澄んだ声が聞こえてきた。
「小蒔様──ッ」
「雛乃の声だ」
小蒔がライバルだと言う雛乃の声は、確かに京一の言った通り和風な赴きを感じさせるものだった。
龍麻が抱いたその印象は全く間違っておらず、声にやや遅れて姿を見せた雛乃は、
学生服を着ている所が想像出来ない、それほど和装が似合っている女性だった。
多分解いたら腰まで届くのだろう、豊かで艶やかな黒髪を結いあげ、
その前髪は日本人形のように綺麗に切り揃えられている。
そしていかにも穏やかな眉目はこれも当然漆黒で、
特に瞳は深く静かに輝いており、折り目のついたたおやかさを感じさせるものだった。
小蒔に気付いた彼女は、周りにいる龍麻達に深く一礼してからやって来る。
どこまでも物腰の柔らかい彼女に悪い印象を抱けるはずもなく、
龍麻と京一はつい鼻の下を伸ばしてしまっていた。
「痛ッ……?」
問われれば、絶対伸ばしてなどいない──そう言い張るであろう龍麻の鼻の下は、
誰が見ても伸びきっていたが、突然腰の辺りに痛撃が走って、彼は思わず顔をしかめた。
何事かと見渡しても、何事も起こっていない。
隣には葵しかいないが、彼女が何かしたのだろうか──訊ねようかどうか迷っていると、
近づいて来た雛乃が再び頭を下げ、そのタイミングを失ってしまう龍麻だった。
「こんな所にいらしたのですか、小蒔様。わたくし、探してしまいました」
「こ、小蒔サマ〜!? お前いつからそんなに偉くなったんだよッ」
驚く京一に、小蒔は恥ずかしそうに手を振る。
「雛乃は誰にでもそうなんだよ。止めてって何度も言ってるんだけど、ね、雛乃」
「ふふ、小蒔様は小蒔様ですわ」
上品に口元に手をあてた雛乃の笑顔には、小蒔に対する深い信頼があった。
それを嬉しく思うものの、やはり恥ずかしい小蒔だったが、
三年前に初めて出会ってからずっとこう呼び続けてきた雛乃が今更変えるとも思わない。
軽く髪をかき上げた小蒔は、話題を打ちきって彼女がここに来た理由を訊ねた。
「もう……で、どうしたの? そろそろ?」
「はい、小蒔様の順番が近いので、呼びに参りました」
「うん、すぐ行くよ。じゃーね、みんな」
「それでは、わたくしも失礼させて頂きます。また後ほど、改めてご挨拶に参りますので」
再び応対に困るほど頭を下げて去っていく雛乃の姿勢は、少しも乱れがない。
同性の葵でさえもが感嘆したほどだったから、龍麻達男性陣はもろくも骨抜きにされていたのだった。
木刀に顎を乗せながら、京一がいかにも眼福だった、と言った感じで呟く。
「あれが雛乃ちゃんか……想像どおりの和風美人だったな。な、龍麻」
龍麻も意見そのものには賛成だ。
しかし答えれば心証を悪くする女性がすぐ傍におり、
答えなければやはり心証を悪くする男性がすぐ傍にいる。
困った挙句龍麻は、一番波風が立たなそうな答え方をするのだった。
「あぁ……そうだな」
「緋勇くんは、ああいう子が好みなの?」
「いや、好みって訳じゃ……」
それでもやはり風は起こり、波も立つ。
早速しどろもどろになる龍麻に、葵がさらにたたみかけた。
「そうよね、男の人っておしとやかな女性が好みって人が多いものね」
「だから……」
妙に絡んでくる葵に、龍麻はなんと言えば良いものか判断に困る。
二人を眺めやった京一は、醍醐の巨大な背中を押して道場内へと向かわせた。
彼らの不器用さは、からかう気にもなれないほど微笑ましいものだったのだ。
「行こうぜ、醍醐」
「う、うむ」
しかしさりげなく、というには醍醐の巨体は無理があり、
姿を消した二人にすぐに気付いた龍麻と葵も道場内に入る。
道場は既に独特の緊迫感が入り口から吹き出すほど満ちており、
龍麻達は足音を立てないよう注意して隅っこに座った。
「小蒔はどこかしら」
「そうだな……お、いたぞ」
京一が指差した先、ちょうど向こう正面に小蒔は座っていた。
表情に先ほど見られた不安や緊張の色は無く、研ぎ澄まされた針のような集中が一身に漲っている。
事実、真正面に座っていた龍麻達は間違いなく視界に入ったはずであったが、目もくれなかった。
前の射手が競技を終わり、小蒔が立ちあがる。
音もなく所定の位置に構え、遥か先にある的を見据える。
弦が大きく引き絞られた。
固唾を呑んで龍麻達が見守る中、小蒔は番(えたまま微動だにしない。
やがて──右手が微かに動くと、大きな、乾いた音が道場に響き渡った。
「小蒔、凄かったわね」
「あぁ、あんな小さな的の真ん中に良く当てられるもんだ」
先に校門まで戻った龍麻達は、揃って初めて見た弓道の試合の興奮を語っていた。
三十メートル近い距離の向こうにある、わずか五十センチにも満たない的に当てる様は、
武道を修めている龍麻達でも圧倒されずにはいられなかった。
特に醍醐は嬉しそうであり、その奥ゆかしい喜びようは龍麻達に好意的な眼差しを向けさせる。
「そろそろ出てきてもいい頃だとは思うが」
何やら怪しい視線を六本ほど感じた醍醐は、それらから逃れようと校門の奥を覗う。
すると、ちょうど小蒔が小走りでやって来るのが見えた。
「おっまたせッ」
「おめでとう、小蒔」
「うん、ありがと、葵」
最初に葵に向かって礼を言った小蒔は、次に醍醐に、身体ごと向き直る。
その顔がわずかに赤らんでいるように見えたのは、彼女が走ってきたからでも、
秋の短い日が傾きかけているからでもないようだった。
「エヘヘ、きっと醍醐クンのお守りのおかげだよ」
「いや、桜井の実力の結果さ。日ごろ、怠らず精進した結果だ」
「そう言われるとちょっと照れちゃうね。ありがと、醍醐クン」
「うッ、うむ」
重々しく頷く醍醐に、京一が気付かれないよう小さく肩をすくめる。
それに龍麻が肘打ちをくれようとした時、儚げな女性の声が小蒔を呼んだ。
「小蒔様」
龍麻達が振り向くと、先ほど軽く挨拶を交わした、
今はゆきみヶ原の制服に着替えている、織部雛乃がそこにいた。
初めて見た時は制服姿など想像できなかった龍麻だが、いざこうして見てみると、
セーラー服も実に良く似合っている。
思わずまた鼻の下を伸ばしかけた龍麻は、
隣で先に伸びきっている京一のだらしない顔を見て、慌てて表情を引き締めた。
それを目だけで追っていた葵は、何も言わずに雛乃に視線を戻した。
「もう、様はやめてよ」
「ふふ、そうは参りません。小蒔様は、わたくしの大切な人ですもの」
友人達の前で呼ばれて心底恥ずかしそうにする小蒔だったが、雛乃は意に介した風もなく笑う。
案外彼女は、芯の強いところがあるのかもしれなかった。
「こちらが、小蒔様がいつも話してくださる御学友の皆様ですの?」
「うん、同じクラスの葵に、醍醐クン。それからこっちがひー……緋勇クン」
「初めまして、皆様。織部( 雛乃(と申します。今後とも、よろしくお願いいたします」
簡単にとは言え既に一度挨拶を済ませているのに、雛乃はまた深々と頭を下げる。
龍麻もそれに倣ってお辞儀すると、隣の京一が憮然として呟いた。
「あのー、桜井さん……誰か忘れてないでしょうか」
「ん? あ、そっか。雛乃、こっちが、いちおう(友達の京一ねッ」
「俺はいちおうかッ!」
堪えきれず笑い出す小蒔の隣で雛乃も笑う。
口元を手で覆った控えめな笑い方だったが、楽しそうなのは良く伝わってきた。
「そういえば雛乃、雪乃はどうしたの」
「はい、そろそろ来る頃だと思います」
小蒔の質問に笑いを収めた雛乃が答える。
初めて耳にした名前に、京一は小蒔の袖を引っ張って尋ねた。
「おい小蒔、雪乃って誰だよ」
「雪乃はね、雛乃の双子のお姉ちゃんなんだ。性格は雛乃と正反対だけど。
薙刀部の部長で、師範代の腕を持ってるから、京一なんてナマスにされちゃうかもね」
「どんな女だそりゃ……」
「こんな女だよ」
いかにも不機嫌そうな声に京一が振り向くと、
そこには声の持ち主にふさわしい、険しい顔をした女生徒が立っていた。
後頭部で結った、雛乃のそれに較べて少し赤みがかった明るい色の髪が唯一女性らしさを感じさせた他は、
細く急角度にそびえた眉、挑戦的な輝きに満ちている瞳、
微妙に不機嫌そうに湾曲している唇と、造作のほぼ全てが男らしさ、
というよりまだ二次性徴の表れていない少年のような趣だった。
特にいかにも女性らしい、というあやふやな言葉で表すことを唯一許されたような雛乃の隣に立つと、
その違いは際立つ。
しかしまた、隣に立つことで彼女達は、確かに双子であることを見る者に信じさせるのだった。
彼女が雛乃の双子の姉、雪乃なのは間違いなかった。
(おい、なんだか凄ェのが出てきたぞ)
返事に困ることを京一が囁き、龍麻は途方に暮れる。
しかも京一の耳打ちは声が大きく、
明らかに褒めてはいないその台詞もはっきりと本人に聞こえてしまっていた。
しかし雪乃はそれを聞いて新たに気分を害することもなく、
鼻を鳴らしただけであっさりと龍麻と京一を無視する。
ひどく挑発的な態度も、活力にあふれた彼女が行うと、小気味が良いくらいだった。
「これが小蒔(の知り合いかよ」
「そうだよ。同級生の葵と醍醐クンと京一。あと、緋勇クン」
「ふーん、魔人学園の生徒か。ま、小蒔の友達なら俺にも友達だ、よろしくな」
手を差し出しこそしなかったものの、それまでの態度とは打って変わった、
さっぱりとした笑顔を向ける雪乃に、龍麻は雛乃と同様、悪い印象を抱けなかった。
手短な紹介を一同が終えると、雛乃が育ちの良い笑顔を向ける。
「あの、皆様。よろしければ、これから神社(の方へ遊びにいらっしゃいませんか」
こんな笑顔で誘われて断れる訳もなく、京一が一同を代表して一もニも無く頷く。
すると雪乃が、とんでもないことを言い出した、というように雛乃を見た。
「お、おいッ、雛」
「小さな神社なのですが、古い歴史を持っております。ぜひ、いらしてください」
「待てって雛ッ。こっちの葵って娘(だけならともかく──
こんなむさくるしい野郎共を家に呼ぶなんてとんでもねェッ!!」
ひとまとめにしてむさくるしい、と言われた龍麻と京一は、自分だけはそうでないと信じ、
彼女がそう言った原因であろう男を凝視する。
「なッ、なんだお前らその目は」
「まぁ、女にやるのがお守りだからな」
「あぁ、しょうがねぇけどよ」
無理やり話題を脱線させてそこに持っていった龍麻と京一は、
葵と雛乃には上品に無視され、小蒔と雪乃には思いっきり白目で見られるという散々な目にあった。
自業自得もいいところだから、身を縮めて大人しく黙るしかない。
頼りにならない男共に任せておけず、小蒔は微妙に意見の異なっている姉妹に確認した。
「雛乃、ホントに行ってもいいの」
「ええ、色々お話いたしたいこともございますし」
妹に勝手に話をまとめられてしまって微妙な表情をしていた雪乃は、
やがて鼻を鳴らして先に行ってしまった。
どうやら彼女は姉ではあるが、妹である雛乃には弱いらしい。
姉に代わって穏やかに微笑む雛乃に改めて促されて、
龍麻達は織部神社にお邪魔することにした。
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