<<話選択へ
<<前のページへ

(6/6ページ)

「阿漕? そりゃ図々しいとかあつかましいって意味だよ」
 龍麻に問われた桔梗は酒を注ぎながら答えた。
彼女は言葉の意味だけを訊ねようとした龍麻を逃さず、
九角も巻きこんで二日連続での酒宴としたのだ。
「ああ、そういう意味か」
 龍麻は上機嫌だった。
少しの間、というのがどれくらい辛抱しなければいけないのか、
憂いていたのだが、雹は思いのほか早く許してくれたようだ。
「昨日泣いてた烏がもう笑ってるよ。若いっていうのはいいねえ」
 桔梗の皮肉も意に介さず、龍麻は盃を呷る。
「浮かれるのはまだ早いのではないか」
「それはそうだけど、でも、光明が見えただけでもありがたいことだから」
 百三十年後の世から現れた、妙に親しみを覚える男に九角は頷いたが、
鬼道衆の頭領として釘を刺すのも忘れなかった。
「だが、これでお前は二日続けて務めを果たさないことになる。
この村に居続けたいのなら、仕事はしてもらわないとな」
「それは反省してる」
 頭を下げた龍麻に、九角は薄く笑った。
「まあ、俺も酒を呑む口実ができてありがたいがな」
「駄目ですよ、天戒様。そんなことを言ったらこの子がつけあがります」
「大丈夫さ。なあ」
 鷹揚なところを見せる九角に、龍麻は神妙に頷いたものだった。
 翌日と翌々日は、龍麻は鬼哭村の一員として務めを果たした。
子供達に勉強を教え、雹に挨拶をし、澳継と一戦交えてから江戸の街に赴く。
阿漕なところを発揮して雹に約束を取りつけるのも忘れず、
澳継にも事情を説明して三度目の了解を取った。
 そして、雹の屋敷に行く日の朝。
子供達の相手をした後、龍麻は一度寝泊まりしている九角の屋敷に戻った。
これは、子供達がついてこないようにという策略である。
少し時間を置き、子供達が親元に帰ったのを確かめてから、意気揚々と龍麻は出かけた。
「雹、居るか?」
「居るに決まっておろう」
 返事があったので、龍麻は中へと入った。
 客間に雹が座っている。
ガンリュウは後ろに控え、足を崩して座っている雹は、龍麻を見ても何も言わなかった。
「ええと、昨日浅草に行ったときに買ってきたんだ。切山椒っていうお菓子」
 持ってきた包みを差しだした龍麻は、立ちあがろうとする雹を制した。
「ああ、お茶は持ってくるから座ってていいよ」
 二ヶ月以上江戸に暮らしていれば、ある程度は生活にも慣れる。
この時代では朝に一日分の茶を沸かしておくことも知っていたから、龍麻は気軽に台所に立った。
「……」
 お茶とお菓子を前に、二人は黙りこくる。
龍麻はちらりと雹の顔をうかがってみたが、感情らしきものは浮かんでいない。
「どう……かな、これ」
「そなたはどうなのじゃ」
「美味しい……と思う」
「うむ、妾も同じじゃ」
 ようやく会話らしきものを成立させた二人は、小さく笑いあった。
「浅草の賑わいはどうじゃった」
「凄かったよ。澳継と一回はぐれちまってね、『目印が動き回るんじゃねぇ、
ぼさっと突っ立ってりゃいいんだ』とか目茶苦茶言われたよ」
 すかさず澳継を蹴っ飛ばして喧嘩寸前までいき、
危うく見せ物になりそうだったという逸話は語らずに、龍麻は浅草の感想を述べた。
「ああそうだ、からくり人形の見世物があったな。ガンリュウほど精巧じゃなかったけど」
「ほう。じゃが、からくり人形にも見事な出来映えのものがあると聞いておる。
弓曳き童子というそうじゃが、一度見てみたいものよの」
「どこに行けば見られるのか、知っているのか?」
「いや。田中久重という御仁が作られたということしか知らぬ」
 弓曳き童子がある場所が判れば、連れていってやることもできただろう。
龍麻は落胆したが、からくり人形の話題に雹は気を良くしたようだった。
「妾も作ってみたいものよ」
「作れないのか?」
「材料が手に入らぬ。それに特別な歯車やばねは高価ゆえ、道楽で作るのは憚られるのじゃ」
 金銭の話を持ちだされると龍麻にはどうしようもない。
自身でさえかつては時諏佐百合の、現在は九角天戒の好意に甘えている身分なのだ。
嵐王の作りだす道具のように、鬼道衆の役に立つならともかく、
雹を慰めるためのからくり人形を作る費用は、さすがに用立ててはもらえないだろう。
「ところでな」
 話題を変えた雹に、龍麻は耳をそばだてた。
「先日はよくもたばかってくれたの」
「たばかる?」
「童達をガンリュウに乗せた件じゃ!」
 雹の顔が赤いのは、怒っているからだろうか。
だが、染まりきらない白い頬は、龍麻の目を惹いてやまなかった。
「子供達は喜んでいただろ?」
「危ないではないか。怪我をしたらどうするつもりだったのじゃ」
「雹が操るんだから、怪我なんてしないだろ」
「うぬ……! そ、それにじゃ、いきなり妾を……妾を、抱きおって……」
「怪我なんてさせないよ」
「そうではない!」
 ついに雹が声を荒げる。
龍麻が黙ると、雹は肩をいからせて龍麻を睨みつけた。
「そなたは……そなたという者は……!」
 それきり言葉が続かない雹に、龍麻は静かに語りかけた。
「確かに、調子に乗りすぎたかもしれない。気分を悪くしたなら謝る。
でも、俺はいいかげんな気持ちじゃない。それだけはわかってくれ」
 反撃が返ってくるだろうと龍麻は身構える。
だが、雹の反応は予想外のものだった。
凍てつくような言葉の代わりに、目尻からひとしずくの涙を伝わせたのだ。
それは、触ればむしろ温かかっただろう。
けれども、拭われることなく顎の下端まで流れた水滴は、龍麻の心を氷点下まで冷やした。
「……妾にはわからぬ。そなたのような軽佻浮薄な態度を、どうやって信じれば良いのじゃ」
「軽いのが嫌なら改めるよ。だから頼む、嫌いにはならないでくれ」
 前回の二の舞だけは避けたいと、龍麻は必死に頭を下げた。
百三十年待つなどと大言壮語しておいて、実際には彼女の心が少し開かれただけで浮かれ、
ずかずかと踏みこんだ自分を深く恥じた。
「ごめん、今日は帰るよ」
 ようやく龍麻は、桔梗が言った意味を理解した。
間を置くべきは雹ではなく自分だった。
 しばらくは雹に会わない方がいい。
急速に重くなった足を無理に動かし、龍麻は立ちあがった。
「待つのじゃ」
 振り向いてしまうと未練が生じる。
小さく首を振り、龍麻は土間へと下りかけた。
「待てと言うておるに。どうしてそなたはそう極端なのじゃ」
 ため息混じりの声に、龍麻の足が止まる。
振り返るか否か、悩んだ末に理性を裏切って身体を動かすと、
雹は龍麻が見たことのない表情をしていた。
「……嫌うてなどおらぬ」
 呼びとめておいて、龍麻の視線を避けるようにうつむいた雹は、
龍麻が自分の心臓の音で聞き逃してしまいそうな小声で囁いた。
「え? ……でも」
「信じてはおらぬ。じゃが、嫌うてもおらぬ。そなたはどちらかでないと気が済まぬのかえ?」
「そ、そんなことは」
 ない、と龍麻が激しく頭を振ると、なぜか雹は声を尖らせた。
「ならば少しは度量のあるところを見せてみよ。
今のそなたは軽挙妄動に過ぎるように見えてならぬのじゃ」
「……わかった」
 頷いた龍麻は、それでも今日は帰った方がよさそうだと思い、帰ろうとした。
すると雹がいくぶん和らいだ口調で、顔をそむけつつ言った。
「そなたが買うてきてくれた菓子じゃ、食べていくが良い。妾一人では食べきれぬ」
 胸にこみあげる熱いものをこらえながら、龍麻は再び座った。
 残りの切山椒は、ひどく甘い味がした。



<<話選択へ
<<前のページへ