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 ふむ、と尚雲が呟きともつかぬため息をついた直後、龍麻が叫んだ。
「そうだ、摩尼だ!」
 いきなり立ちあがった龍麻に、三人はあっけにとられていた。
龍麻は構わず立ったまま、彼らに閃きを説明した。
「俺が持ってた宝珠があっただろ、あれだよ! あれを使えばいいんだ!」
「何言ってやがるのかさっぱりわかんねェ」
「うむ、落ちついて説明してくれぬか」
 京梧と醍醐は首をひねり、尚雲は面白そうに龍麻を見ている。
少し冷静さを取り戻した龍麻は、座り直して考えを語った。
「摩尼には陰氣が封じこめられていて、外法によってその陰氣が雹を甦らせた。
で、雹が言うにはその摩尼を使って東京を護らせていた。
じゃあ陽の氣を摩尼に封じても護れるんじゃないか?」
 龍麻の提案に、三人は半信半疑の態度を崩そうとしない。
それも半信ならばよいほうで、京梧に至ってはいかにもうさんくさそうに鼻を鳴らしたものだった。
「陽の氣を封じるって、誰がそんなことできるんだよ」
「俺がやる」
 ここで尚雲が興味を持ったようで、口を挟んできた。
「そんなことが可能なのか?」
「わからない――けど、できると思う」
「俄には信じがたいが、仮にできたとして、摩尼をどこに封じればいいのか知っているのか」
 醍醐の質問は、それまで自信満々だった龍麻をたちまちしおれさせた。
「……いや……それは……」
「なんだよ、ふりだしに戻っちまったじゃねェか」
 小馬鹿にしたような京梧の嘆きにも、龍麻は言い返せない。
妙案だと思ったのだが、八方ふさがりとなってしまった。
 他に案も思い浮かばず、四人は難しい顔をしたまま考えこむ。
日光が奥まで射しこまない暗い堂の中では、考えまで暗澹としていった。
 龍閃組と鬼道衆の人間が円陣を組んで悩んでいるという珍しい光景は、
三十分ほども続いたが、それに終止符を打ったのは、彼らの中の一人ではなかった。
龍麻が背にしている堂の入り戸が、唐突に開け放たれたのだ。
射しこむ陽光に四人が一斉に目を細めると、光の向こうに一人の女性が立っていた。
「なんだい、いい若い者が昼日中から雁首揃えて唸ってさ」
 威勢の良い声と共に入ってきたのは、時諏佐百合だった。
龍閃組に関わる立場の女性で、龍閃組が根城にしているこの寺に来るのは
何らおかしなことではないが、彼女に対していささか気まずい人間が一人いる。
縁があればきちんと謝りたいと思っていたし、彼女はここに住んでいるわけでなく、
決して忍びこむ意図があったわけでもないが、形として彼女を背中で迎える格好になった龍麻は、
気まずさを最大限に膨らませることとなってしまった。
「おや? あんたは……」
 百合もすぐに龍麻に気がついたようで、もともと気の強そうな目が、
束の間殺気に近いほどの光を宿す。
「こいつ、女の尻を追いかけて逃げだしたんだってよ」
 龍麻はどう事情を説明しようかと悩む間も与えられず、
最悪の印象を京梧に与えられてしまった。
殴りかかろうと腰を浮かせたところで、醍醐が口を添える。
「それで昨日、京梧と内藤新宿で出くわしたそうなのですが、その後にあれを見たと」
「何だって!? 詳しく聞かせてみな」
 一層目を険しくした百合は、男達の円陣に割って入った。
龍麻も持ちあげた尻を床に落として彼女に説明した。
九角と醍醐に続いて三度目となるので、スムーズに要点を伝えることができた。
彼女たちの方でも調査を始めていたというので、
百合はさほど驚きもせずに話を聞いていたが、犯人が持ち去った頭部を使って邪妖を召喚
しようとしていると聞くと目の色を変えた。
「そんなこと……絶対に許すわけにはいかないよ」
 だけどどうすればいいか解らないんです、
と彼女が帰ってきたときの状況まで話が追いついたところで、龍麻は力なく呟いた。
百合は事態の重大さに龍麻を咎めるのを後回しにしたようだが、
それを喜ぶこともできない。
 百合も四人の男達と同様、黙りこくるかと思われたが、
彼女は落ちついた口調で一つの提案をした。
「それなら、爺さんに聞いてみたらどうだい?」
「誰だよ爺さんって」
 気のない口ぶりの京梧に直接答えず、百合はこの場でもっとも大きな男を見た。
「雄慶は知ってるだろう、円空和尚のことさ」
「円空先生が江戸にいらっしゃるのですか!?」
「あぁ、将軍様の御病気に際して江戸城に入っていたけれど、今は出られたのさ」
 どうやら醍醐の知り合いは中々の大物らしい。
そう龍麻が感心していると、京梧が勢いよく刀を掴んで立ちあがった。
「よッしゃッ、早速行ってみようぜ。で、どこに居るんだよその坊主は」
「円空先生は高野山の阿闍梨でいらっしゃる御方だぞ、失礼な口の利き方は許さん」
「あーッ、わかったよ、うるせェな」
 たしなめながらも醍醐も立ちあがる。
 続いて龍麻も立とうとした時だった。
堂の外から異様な声が聞こえてきた。
「ソウハサセヌ」
 京梧と龍麻に緊張が走る。
きちきち、という音が混ざった不愉快な声は、忘れようとしても忘れられるものではなかった。
「気をつけろ、昨日の奴だッ!」
 扉の横の壁に貼りついた龍麻は、慎重に気配をうかがう。
龍麻を除く三人が、それぞれ戦闘準備を整えたのを確かめると、一気に戸を開け放った。
京梧が飛びだし、龍麻、尚雲、醍醐の順に続く。
得物を構えた各々が四方を見渡し、敵の姿を探した。
「どこだッ、出てきやがれッ!」
 京梧の叫びが青空に吸いこまれていく。
甦る昨夜の恐怖をねじ伏せながら、龍麻も葉一枚の動きに至るまで見逃すまいと目を凝らした。
「くそッ、どうなってやがる」
 焦れた京梧が舌打ちする。
その瞬間、本堂内から百合の悲鳴が響いた。
「百合ちゃんッ!」
「しまった、囮かッ!」
 虚を突かれた四人は慌てて戻る。
そこで彼らが目にしたのは、信じられない光景だった。
 人が、石になっていく。
質素ではあるが上質な着物は、すでに帯の下まで無機質な灰色に変じていた。
石化は今も進行していて、百合の気丈な顔が恐怖に歪んでいる。
「野郎ッ、どこに居やがるッ!!」
 京梧が激昂する。
すでに気配は何処にもなく、敵は目的を正確に果たして逃げ去ったのだろう。
それぞれ腕に覚えのある武芸者だというのに、
あろうことか本拠地に敵の侵入を許し、指導者が襲われたのだ。
龍麻達の憤怒は頂点に達したが、どうすることもできない完全な敗北だった。
「あ……あんた達」
 胸元まで石と化した百合の、か細い声が四人を呼ぶ。
「円空先生は……高輪の高野寺にいらっしゃる……
先生に、会って……江戸を……護るんだよ……!」
「百合ちゃんッ!」
 京梧の叫びが届く寸前、百合の全ては石と化した。
勝気な瞳からも美しい唇からも、等しく生気は失われていた。
 四人の男達は呆然と立ちつくす。
その中で京梧が、まるで龍麻が首謀者だとでもいうように怒鳴り声を上げた。
「おい緋勇、何とかできねェのかよッ!!」
 人が石になるという現象を、龍麻は経験している。
江戸時代に来る数ヶ月前、高校生が石になるという事件が発生し、
龍麻の友人である桜井小蒔が被害に遭ったのだ。
ただし、知っているからといって解決できるわけではない。
己の無力さに歯ぎしりしつつ、龍麻は京梧の意に添えない答えを返した。
「……無理だ。石化の術はかけた本人しか解けない。
そいつに解かせるか、そいつを倒すかしないと」
 小蒔の石像を目の当たりにしたときほどではないにせよ、
それに近い衝撃と悲しみを龍麻は抱いていた。
その感情はごく自然に、百合を救うための戦いを龍麻に決意させた。
「上等じゃねェか……あんの野郎、ぶッた斬ってやらァ!」
「だが、どうやって奴の居場所を突きとめる?」
 醍醐の指摘に京梧が唸る。
敵は四人もの武芸者を出し抜く神出鬼没ぶりなのだ。
居場所を見つけるのは容易なことではない。
 醍醐が腕を組んで言った。
「円空先生にお会いするしかないだろうな。その上で緋勇が言っていた、
摩尼を使って奴等の企みを阻止する方策をとる。
そうすれば、奴等も俺達を狙って姿を見せるだろう」
「よし、それじゃ醍醐はその円空先生を見つけて、できればここに連れてきてくれ」
 頷き、指示を出す龍麻に、京梧が訊ねた。
「お前はどうするんだよ」
「百合さんの傍に誰か居ないとまずいだろ」
「ふむ……」
 醍醐は提案にあまり乗り気ではなさそうだ。
何がまずいのか考えた龍麻は、自分に原因があることに気づいた。
「じゃあ、京梧も残れよ」
「あん?」
 龍麻は今鬼道衆に属しているのだから、龍閃組の本拠地に一人で置いておくのは不用意に過ぎる。
そう醍醐は考えたのだろう。
ならば京梧と居れば良いはずで、加えて先ほどの敵が再び襲来した時、
正直言って一人では手に余る。
 今度も醍醐は少し思案したが、やがて決断した。
「解った、円空先生は俺が連れてくる。二人はここで時諏佐先生を護ってくれ」
「ああ。そういうことだから尚雲、頼まれてくれないか。
鬼哭村に戻って摩尼を持ってきて欲しいんだ」
 龍麻の言葉に、今度は京梧が噛みついた。
「鬼道衆を引き連れて来るんじゃねェだろうな」
 はっきり疑念を口にした京梧に、場に緊張が走る。
生じかけた一触即発の空気を、だが尚雲は悠然とかわした。
「そんなことはしない。鬼道衆として俺と緋勇以外に協力できるかどうかは約束できないが、
この件に関しては俺も最後まで見届けさせてもらう」
「保証はあるのかよ」
「してやられたという悔しさ、では納得がいかないかな」
 尚雲と京梧は直接刃を交えたこともある武芸者同士だ。
その心情の一片を汲んだのか、京梧は矛を収めた。
「まあいい、それじゃ、俺は待たせてもらうぜ」
「二人とも、よろしく頼む」
 醍醐は重々しく、尚雲は黙然と頷いてそれぞれ寺を出て行った。
 竜泉寺に残った京梧と龍麻は、むろん親しく話をする気にもなれず、
百合の石像がある本堂内で、距離を置いて座っていた。
 本当は龍麻は醍醐についていくか、自分で摩尼を取りに行きたかった。
身体を動かしていないと敗北感に全身を蝕まれそうだったのだ。
せめて摩尼があれば、氣を注入する作業に没頭できる。
だがそれがどれほどの負担になるのかも判らぬ今、無駄に体力を消耗するわけにはいかなかった。
 あぐらを掻いて座る龍麻は、京梧をちらりと見る。
片膝を立てて微動だにしない剣士の心境は、おそらく同じだろう。
一度は斬りかかった分、彼の方が痛恨の思いは強いかもしれない。
待つ、という辛い時間を受けいれたのも、責任を感じてのことなのかもしれなかった。
「おい」
 その京梧が、問いかける。
「お前はあんな野郎と戦ったことがあるのか」
「あそこまで強そうなのは、ない」
 再び沈黙が支配する。
次に京梧が口を開いたのは、堂に射しこむ光が色を変えはじめてからだった。
「誰よりも強くなりてェ――そう思って江戸に出てきたってのによ」
 風が古戸を鳴らす。
低められた京梧の声は、だが戸が鳴る音を圧して龍麻に響いた。
「手前ェが鬼道衆に付くッてんならそれでも構わねェ。
だがよ、あの野郎を叩ッ斬るまでは俺に力を貸せ」
「――ああ」
 この時龍麻の脳裏には、鬼道衆と龍閃組を和解させようだとかいう考えがあったわけではない。
ただ世話になった百合を救い、雹が生きるこの時代を護りたいという想いだけだった。
強く、揺るぎないその想いを込めて、龍麻は強く頷いたのだった。



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