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円空を呼びに行った醍醐と、摩尼を取りに鬼哭村に行った尚雲が戻ってきたのは、
ほぼ同時刻だった。
日は沈み、寒さが一段と増した頃になって、先に戻ってきたのは尚雲だ。
鬼哭村と竜泉寺を二往復するのは、この時代の人間といえども大変だろうが、
尚雲の顔に疲れは微塵も浮かんでいなかった。
「これでいいかな」
「ああ、ありがとう」
尚雲からデイパックを受けとった龍麻は、中に摩尼が入っているのを確かめる。
龍麻をこの時代へと運んだ宝珠は、変わらぬ蒼い色をしていた。
「本当に上手くいくのかよ」
京梧の疑念は龍麻も共有するところだった。
氣の扱い方を学んだ龍麻ではあるが、こんな使い方は習っていない。
それに氣を扱えるといっても熟練の腕とは言いがたく、
能力不足で失敗する可能性も大いにあるのだ。
「なんとかやってみるよ」
それでも龍麻はそう口にした。
駄目で元々、とは思わない。
必ず成功させるという気持ちを持たなければ、とうてい成し遂げられないだろうから。
龍麻は尚雲の方を向いた。
「それで、九角は?」
「話はした。が、鬼道衆として動くことはないという返事だった」
龍麻の予想通りだった。
江戸幕府の滅亡を願う鬼道衆にとって、江戸の街を護るのは彼らを利するのと
イコールではないにしても、近いものがあるはずだ。
今回の件に関しても、江戸城下に邪妖とやらが現れれば幕府の威厳は失墜すると
考えて、むしろ召喚を手助けしても不思議ではないのだ。
尚雲を龍麻の許に帰し、摩尼も持たせているだけでも、大いに譲歩してくれたと考えるべきだった。
「どうだかな。一応は信じてやるが、反故にしたときゃア化け物より先にお前らを斬るぜ」
京梧に龍麻が答えようとしたとき、外に複数の足音が聞こえた。
刀に手をかける京梧を制して龍麻一人が表に出る。
昼間の失敗を教訓としての行動だが、警戒はすぐに解けた。
足音の主は醍醐と、円空を乗せた駕籠舁だったのだ。
「おかえり、醍醐」
「うむ、そちらは大事なかったか」
「ああ」
ここで醍醐は駕籠の方を向いた。
おりしも円空が駕籠から出てきたところだった。
醍醐が丁重に迎える小柄な老人に威厳のようなものは感じられない。
しかし彼こそは権術謀数に依らず将軍の相談役に任じられた高僧であり、
江戸を脅かそうとする人知を越えた輩に対応すべく龍閃組を結成させた人物なのだ。
「先生、この男が緋勇です」
頷いた円空は、龍麻の前に立った。
「儂の名前は円空。若い者の面倒を見たりしておるが、何、ただの爺じゃよ」
「緋勇龍麻です。えっと……醍醐や百合さんにはお世話になってます」
うんうん、と首を振り、円空は本堂を指し示した。
「話は本堂に入ってしようではないか。老体にこの寒さは堪えるでの」
先頭に立つ円空に続いて、龍麻達は本堂に入った。
本堂には石と化した百合がいる。
傍に寄った円空は、変わり果てた彼女の姿に頭を垂れた。
「こんな目に遭わせてしもうてすまんの」
孫娘ほどに歳の離れた女性に謝る円空に、龍麻は驚いた。
江戸城に入れるほど身分が高いらしいが、偉ぶったところがこの老人には全くない。
俗世から離れた高僧というものはそういうものかもしれないとしても、
ごく自然な好感を龍麻は抱いた。
龍麻と醍醐、それに京梧と尚雲の四人に円空を加えた彼らは、車座に座る。
茶を取りに行こうとする醍醐を制して、円空はすぐに本題に入った。
「雄慶に話は聞いたが、江戸を護る結界についてじゃな」
「はい」
意気込む龍麻を円空は値踏みするように見やった。
「ふむ……見たところお主は儂や雄慶と同業というわけではなさそうじゃが、
何故そのようなことを知っておるのかな」
「それは……」
龍麻は言いよどむ。
龍麻の抱える事情をこの老人が納得してくれなかった場合、
このあとの計画も了承してもらえない可能性を慮ったのだ。
しかし、口ごもる若者を見て老人は破顔した。
「まあ良いじゃろう、今は危急の秋(じゃからな。江戸には数多の結界が施されておる。
その中でも邪妖や物の怪に対するものは、目黒の瀧泉寺。青山の教学院。
目白の金乗院。下駒込の南谷寺。本所表町の最勝寺。これら五つの寺に天海僧正殿は
江戸を守護する結界としての役目を与え、秘法を施したのじゃ」
円空は一切のもったいをつけずに核心を述べた。
それはこの件が極めて重大であり、人の頭部を用いて行う外法が嘘ではなく、
実行されようとしていることを意味する。
「ということは、その寺に摩尼を置けば」
「摩尼にお主の言ったとおりの効果があるのならば、結界の効力は強まるじゃろうな。
どれ、お主の持っている摩尼を見せてくれんか」
龍麻が摩尼を渡すと、円空は目を細めて観察した。
「なるほど……まんざら嘘というわけでもなさそうじゃな。
じゃが、この摩尼に氣を満たすとなると、相当の量が必要になりそうじゃが」
「それは承知の上です」
氣は無限に湧きでるエネルギーではなく、人体に七つあるチャクラに、
生命力を循環させることによって生みだす力だ。
使えば運動するのと同じように疲弊し、しかも消耗の度合いはより激しい。
外法によって甦った雹を考えると、摩尼一つについて人間一人分以上の氣は必要と思われ、
それを五つとなれば龍麻一人では危険だ。
だが龍麻には秘策があった。
「摩尼に氣を込めるのは、龍穴の中でやろうと思うのですが」
「ほう、そこまで知っておるのか」
龍穴とは地球という巨大な生命のエネルギー、龍脈が地上に噴出する場所だ。
龍穴がある場所には草木が茂り、街を作れば繁栄が約束されるという。
龍麻は真神學園旧校舎に繋がっている龍穴で、その効用を身をもって感じていたのみならず、
時を超えるという副作用まで受けたのだ。
氣が満ちているあの穴の内部ならば、いくらかは負担も和らぐと考えたのは自然なことだった。
「よかろう、あと四つの摩尼は儂が急いで用意させよう。お主は早速その摩尼に氣を注入してくれ」
「はい」
すべきことが定まった龍麻は決意をみなぎらせて頷いた。
一方でまだ目の前に敵がいない京梧は、退屈そうにこそしないものの、
やや苛立った様子で円空に問うた。
「俺達は何をすりゃいい」
「お主達には儀式の場所を探してもらう」
「あん? あてずっぽうで探せってのかよ」
それができれば苦労はしない、と顔に出す若侍に、老僧は髭をしごいた。
「いや、その外法を行うには人間の頭の他に、あと二つ用意が必要なはずじゃ」
「二つ?」
「うむ。一つは満月じゃ」
「満月ってェと……次はいつだよ」
「五日後だ」
指を二本折って数えるのをやめた京梧に答えたのは醍醐だ。
古来、教典と共に最先端である中国の学問を取り入れる僧は知識に長じる者が多い。
醍醐は師である円空から見ると未だ精進の足りぬ身ではあるが、
それでも暦程度なら市井の人々よりも詳しかった。
「なんだよ、すぐじゃねェか。間に合うのかよ」
「頑張るよ」
「頑張るッたってよ……」
摩尼に氣を注ぐ件については龍麻の双肩にかかっている。
それは解っているのだが、つい不安を口にしてしまう京梧だった。
腕を組んだ京梧に代わって、龍麻が訊ねる。
「それで、もう一つというのは」
「鬼道門じゃ」
「鬼道門?」
「うむ。現世には幽世との境目が近い場所がある。
うっかり越えてしまうと神隠しとなってしまうのじゃが、そういった場所を鬼道門と言うのじゃ」
古来から妖が現れると伝えられる場所には、鬼道門がある可能性が高いという。
円空が把握しているだけでも、江戸に三ヶ所はあるという話だった。
「そんな物騒なモン、壊しちまえばいいじゃねェか」
「目に見えるものではないからの。見つけるのも容易ではないのじゃよ」
「じゃあ、どうやって探すんだよ」
声を荒げる京梧に、円空は悪戯小僧のような笑顔を一瞬だけ閃かせた。
気づいたのは龍麻だけのようで、思わず円空を見直すと、老人は一転、
年齢相応のしかつめらしい表情になった。
「おおよその見当はついておる」
「あん?」
ここで円空は弟子に問いかけた。
「養向の松を知っておるか、雄慶」
「確か小岩の善養寺にある」
「うむ。あれは寺の創建よりも前に植えられたものじゃがの、
縁起には記されておらぬ役割があるのじゃ」
「――まさか」
「この松を以てこの地の邪を封じる。かの寺の住職のみが知る口伝じゃ」
「おい、どういうことだ」
せっかちな京梧が口を挟む。
醍醐は腕を組み、右手で顎を撫でながら言った。
「あの松の周辺に鬼道門がある。円空先生はそう仰っておられるのだ」
「なんだよ、それならさっさと行こうぜ」
すでに夜にもかかわらず、今にも探しに行こうとする京梧を、円空が穏やかに制した。
「まあ待つのじゃ。おおよその見当はついたと言ってもじゃな、
あの辺りは湿地じゃから中々に探すのも大変じゃ。
それに鬼道門があるのは、おそらく地上ではない」
「じゃあどこだってんだよ」
京梧は考える気など全くないらしい。
醍醐が苦虫を噛みつぶした顔を彼に向け、円空の代わりに答えた。
「地下……ですか?」
「儂はそう考えておる」
「地下だァ? 土竜(じゃあるまいし、んなもん、どうやって探せっていうんだよ」
「彼奴らはもう儀式の準備を始めておるじゃろう。
ならば邪妖の気配も立ちのぼっておるはずじゃ。雄慶、お主なら辿れるじゃろうて」
龍麻は摩尼に氣を注入し、醍醐と京梧は鬼道門の場所を突きとめる。
そして円空はあと四つの摩尼を用意するという役割がそれぞれ定まった。
尚雲は龍穴に篭る龍麻に食事を運んだり雑事を受け持つということになったのだが、
武芸百般に通ずる彼はおそらくもっとも退屈な役目にも、嫌な素振りさえ見せずに引き受けた。
「よし……いいか手前ェら、ぬかるんじゃねェぞ」
気合いの入った京梧の檄に全員が応じ、明日の朝に備えて早く寝むことにしたのだった。
「それじゃァ行ってくるぜ」
「後は頼んだぞ」
翌朝、京梧と醍醐は小岩へと旅立っていった。
円空はすでに摩尼を用意すべく発っている。
二人を見送った龍麻も、摩尼を携えて龍穴へと向かった。
龍穴に行くのはこの穴から出てきて以来で、この数ヶ月の間にずいぶんと色々な出来事があった。
だが、それらを懐かしんでいる暇はない。
次の満月が訪れるまでに、五つの摩尼に氣を注入し、しかるべき場所に安置せねばならないのだ。
龍穴の入り口から、陽の射さない辺りまで入った龍麻は、地面に座った。
両足の甲を反対の足の上に乗せる、結跏趺坐という座り方だ。
腹の前で掌を上にして手を組み、摩尼を抱える。
龍麻が準備を終えると、一メートルほど離れた場所に尚雲が座った。
同じ結跏趺坐で、手も腹の前で組み、摩尼だけがない。
何の真似か、と龍麻が目で問うと、尚雲は首から上だけで笑った。
「このところ勤行を怠けていたからな。良い機会だから瞑想させてもらうよ」
今ひとつ緊張感が足りないと龍麻は思ったが、実際のところ摩尼に氣を込めるのは
龍麻にしかできないのだから、彼が何をしようと関係ない。
薄く目を閉じ、龍麻は氣の注入を始めた。
深く息を吸い、吐く。
一動作ごとに長くなっていく呼吸は、龍麻の心から雑念を消していった。
意識が希薄になっていくにつれ、辺りに満ちる豊潤な氣を龍麻は知覚する。
それは龍氣と呼ばれる、地球という巨大な生命が持つエネルギーだ。
龍氣を知覚した龍麻は、今度は己の体内にある、チャクラという氣の集積所を意識した。
地面に接している基底(から、頭頂(へと至る七つのチャクラ。
それらの存在を識り、回すことができるようになったとき、
龍麻は氣を自在に操れるようになった。
それは龍麻が持つ宿命が動きだす合図でもあり、
氣の扱い方を教えてくれた人物に命ぜられるままに東京の真神學園に転校した龍麻は、
以来普通の高校生とは無縁の生活を送るようになった。
その中でも最大のものが、敵であった水角との邂逅であり、
雹という彼女の名を知り、全てを知った一夜だった。
仲間達にも話してはいないあの日から三日、龍麻はさらに大きな、
常識とはかけ離れた体験をした。
百三十年の時を超え、幕末期の江戸にタイムスリップしたのだ。
我が身に降りかかった超常を、本当の――龍麻にとっては月夜の朧と消えた雹も、
本当ではあった――雹に会うための奇跡だと信じた龍麻は雹を捜し、そして出会った。
チャクラのおかげで奇跡を果たせたのだから、チャクラを用いて奇跡を還す。
この世界に神と呼ばれる存在がいるのかどうか、龍麻には判らないが、
この危難に際して逃げようとは露ほども思わなかったし、江戸を救うことはすなわち
百三十年後の東京を救うことだと信じてもいた。
己を無に近づけ、辺りに満ちる氣を取りこみ、摩尼に流しこむ器たるを専念する。
結跏趺坐で儀式を行う龍麻は、摩尼の冷たさもいつしか薄れ、
氣を取りこむよう呪(いが施された宝珠と感覚を一にしていた。
やがて摩尼は薄く光り始め、辺りからは一切の気配が消え去った。
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