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ひんやりとした風を感じて龍麻が目覚めたのは、暮れ六つを過ぎた頃だった。
「おッ、目が覚めたか」
最初に目に入ったのが出かけたはずの十郎太であったため、
龍麻は夢でも見ているのかと思い、自分の頬をつねった。
当然の痛みが幾らか思考をはっきりさせ、龍麻はつい数時間前に知り合ったばかりの男に訊いた。
「あんた……摩尼はどうした?」
「もう行ってきたぜ。五カ所とも、ちゃんとな」
それは良かった、と頷きかけて、龍麻は一気に覚醒した。
「おい、それじゃ今何時なんだ!?」
跳ね起き、十郎太の胸ぐらを掴む。
疾さ自慢の十郎太が、龍麻の速度にはまったく対応できなかった。
「あッ、ああ、さっき暮れ六つの鐘が鳴ったところだ」
激しい剣幕の龍麻を諫めるように、座っていた円空が状況を説明した。
「十郎太は見事に務めを果たしてくれたのじゃ。
摩尼も力を発揮して、江戸の街は邪妖封じの結界に包まれておる」
「それじゃ」
「うむ。彼奴らの企みは阻止できるじゃろう。あとはお主達が」
「あいつを倒して百合さんにかけられた術を解けばいいんですね」
「そうじゃ。厳しい戦いになるじゃろうが、どうかあの娘を救ってくれ」
力強く龍麻が頷いた途端、腹の虫がこれ以上はないくらい盛大に鳴った。
赤面する龍麻に円空は破顔する。
「まだしばらく時間はあるはずじゃ。握り飯を用意しておいたでの、食べてから行くが良い」
タイミング良く大きな盆を持った尚雲と、澳継に京梧が入ってきた。
「間に合ったみてェだな」
「京梧こそ、鬼道門は見つかったのかよ」
「おう、今は醍醐が見張ってるぜ」
葦に囲まれた判りにくいところに入り口があるので、案内役として京梧が戻ったのだという。
「まあ食えよ。聞けば二回もぶっ倒れたそうじゃねェか。
これからやンのは戦だからな、だらしのねェとこ見せんじゃねェぞ」
偉そうに言う京梧だが、握り飯は彼が作ったのではないだろうとは容易に推察できた。
ただしここでそれを指摘しても意味などないので、
龍麻は黙って握り飯が積まれた盆の前に陣取った。
京梧、尚雲、澳継、それに十郎太と円空も車座になり、蝋燭の下、餓鬼のように食べ始める。
五十個ほどもあった握り飯がみるみる減っていくのを、
微笑ましげに見ていた円空が、若者達の暴食が一段落したのを見計らって口を開いた。
「さて、彼奴等の儀式じゃが、おそらくは月が最も高い位置に上ったときに始められるじゃろう」
その前に戦いを挑むのが望ましいと言われ、龍麻達は気を引き締めて頷いた。
「摩尼の結界が防いでくれるとは思うが、こればかりはなんとも言えぬ」
「心配すんなって。きっちり片をつけてやらァ」
腹が膨れて上機嫌の京梧が見得を切る。
その隣に座る十郎太が、龍麻の袖を引いた。
「なあ、あんた、前は見なかった顔だが名は何と言うんだ?」
「ああ、緋勇龍麻っていうんだ、よろしく」
今度は龍麻の方から手を差しだした。
驚いた顔をした十郎太は、轟雷の勢いで手を握ってきた。
「わかってるじゃないか、あんたッ!! 俺の胸ぐらを掴んだときも疾かったし、
只者じゃないなあんたッ!!」
「おう、なんたってこいつは百三十年後の未来から来たって野郎だからな」
「未来?」
京梧の説明に、事情を知らない十郎太と円空が揃って龍麻を見た。
「本当か、お主」
「ええ、まあ」
今は懐中電灯や服を持っていないので信じてもらう方法がなく、
龍麻はこの話題をやり過ごそうとあいまいに頷いた。
「なるほど、未来か……それで龍穴や摩尼を知っておったのか」
円空が重々しく頷く。
荒唐無稽な話もあっさり信じたようで、龍麻としてはかえって不安になった。
「信じていただけるのですか? 俺は京梧や百合さんに世話になったのに、
宗旨替えをして鬼道衆に属するような奴ですが」
「そうじゃな」
老人は人懐っこく笑った。
「話の真偽はともかくとして、お主が悪人ではないというのはわかる。
それに、百合を助けようと倒れるまで身を投げだしておるのじゃ、
信じてやらねば信義が立たぬというものじゃろうて」
円空の懐の広さに龍麻は感激し、頭を下げた。
「それにしても、お主の話には興味がある。詳しく聞きたいからの、
必ず生きて還ってくるのじゃぞ」
「はい」
励ましに頷いた龍麻に、十郎太が口を挟んできた。
「なあ、あんた。あんたの未来では、飛脚はどうなってるんだ」
「飛脚?」
唐突に飛んだ話題に、龍麻は面食らった。
だが、十郎太はいたく真面目に問いかけてくる。
「ああ。俺は飛脚なんだが、西洋じゃ遠く離れた場所にも声が届く、
てれほんとかいうのが流行ってるそうじゃねえか。それにたくさんの人を乗せて、
人よりもずっと速く走るろこもうちぶ(なんてのもあるって聞くぜ。
いずれ手紙は廃れて、俺達ぁお役御免になっちまうのか?」
龍麻は即答できなかった。
龍麻の時代にもちろん飛脚はいない。
それも龍麻の時代に近い頃になくなったのではなく、
十郎太がいる現在から十年ほどで郵便制度が整い、
さらには二十五年ほど後には新橋から神戸までの鉄道が開通することで、
人力による配達は減っていくこととなるのだ。
「手紙はなくならないし、手紙を配達する人は居る。
あんたの言ったとおり、届けて欲しい気持ちはいつの時代の人間でも変わらないからな」
それでも、龍麻はそう答えた。
筆無精であり、手紙など年賀状以外に書くこともないが、
十郎太の真摯な想いを踏みにじることはできなかったのだ。
「そうか……そうだよなッ! 安心したぜ、これでますます飛脚の仕事に精を出せるってもんだッ!」
「けッ、呑気なもんだぜ、あの野郎をぶッ倒さねェと明日のお天道様も拝めねェってのによ」
「それもそうだな。よし、俺もあんたらについていくぜ」
即断した十郎太に、泡を食ったのは龍麻だった。
「無茶だ、あんたは足が速いかもしれないが、戦うことはできないんだろう?」
「何言ってやがる、俺は龍閃組の一員として鬼道衆とも渡り合ってきたんだぜ。
百合さんにも世話になってるんだ、このままにはしておけねえよ」
むむ、と唸った龍麻の脳裏にひとつ閃いたものがあった。
「わかった、それならひとつ頼まれて欲しいことがあるんだ」
「おう、なんでも任せておきな」
龍麻は円空の方を向き、彼にも頼み事をした。
「おい、そろそろ出発しようぜ」
痺れを切らした京梧が促す。
龍麻は頷き、立ちあがった。
十郎太を加えた一行も、各々準備を整える。
「頼んだぞ、お主等」
円空に見送られ、龍麻達は小岩へと決戦に赴くのだった。
煌々と照らす月灯りの下、龍麻達は往く。
満ちる月は雅な乳白色だが、江戸の命運を背負った四人の若者は空を見上げる余裕もなく、
黙して歩いていた。
「おい、十郎太の野郎はどこに行きやがった」
「俺が別行動を頼んだんだよ」
それ以上を語らない龍麻に、京梧はうさんくさげな顔をしたが、問い詰めてはこなかった。
代わりに尚雲が口を開く。
「俺はその敵というのを聞いただけなんだが、そんなに強いのか」
「ああ……強いな。得体の知れない術を使って、攻撃にも防御にも隙がない」
「ふむ……それなら、誰が相手をする? その他にも何人かは居るだろうが」
「京梧と尚雲があたってくれないか。俺と澳継、それに醍醐は周りの連中を倒す。
できるだけ早く倒して、援護するから」
「承知した。だが、油断はしないほうがいい。敵も手練れを揃えている可能性が高い」
「ああ」
龍麻は自分が難敵と当たるのを避けたのではない。
あの敵に対して最も猛っているのは京梧であり、まず彼を当てるとすると、
共に戦うのは得物を持つ尚雲が最適だと考えたのだ。
龍麻の意図を汲みとったか否か、不分明な態度で京梧は言った。
「まァ、あの野郎さえ殺(れば済む話だ、四も五も言らねェ、叩ッ斬ッてやらァ」
血気に逸った京梧だけでは危険だが、尚雲ならばサポートもしてくれるだろう。
その辺りの判断は、東京での戦いで経験を積んでいる龍麻だった。
内藤新宿から小岩までは歩いて数時間の距離があるが、休んでいる暇はなく、
また、興奮からか、誰も疲れを感じず、一気に歩き通した。
小岩に到着した龍麻達は、京梧の案内に従って醍醐と合流を果たした。
「寒い中大変だったな」
「なに、心頭滅却すれば火もまた涼しというだろう。もっとも、俺は今熱く燃えているがな。
緋勇の方も、摩尼に氣を込めるのは上手くいったのか」
「ああ、なんとか。皆が手伝ってくれて、寺に安置するのも済んだ。
円空先生の話ではちゃんと効力を発揮しているそうだ」
「そうか。それなら後顧の憂いなく戦えるというわけだな」
僧らしくない武闘派な台詞に、苦笑を閃かせた龍麻だが、すぐに態度を引き締めた。
「よし、早速鬼道門に行こう」
今度は醍醐が先に立って一同を鬼道門へと導いた。
葦原の中に、直径二メートルほど、そこだけ葦が生えていない場所がある。
外からはほぼ見えず、葦原をかき分けてみても、知っていなければまず気づきえない、
巧妙に隠されたところに地下への入り口はあった。
龍麻は穴を覗いてみたが、月灯り程度では覗えないほど暗い。
意を決して龍麻は、穴の中へと入った。
狭い入り口から数分歩いたところで、急に道が広がる。
川が近いせいか湿り気を帯びている洞穴は、少しずつ下っていた。
音を出さないように注意しながら、一行は奥へと進む。
さらに十数分歩いたところで、龍麻は立ち止まった。
低い、不気味な音律を伴った唱文が奥から聞こえてくる。
それは聞き覚えのある不愉快な、音と声の中間のようなもので、いよいよ敵を見つけたようだった。
龍麻はすり足で前進し、岩陰から覗いた。
岩陰の向こうは二十メートル四方はありそうな広い空間になっており、
その中央付近に祭壇が組まれている。
祭壇の前方の床には切り取られた頭部が九つ、格子状に置かれ、
床に描かれた巨大な図形を挟んだ先には、不快な声の主である、
龍麻達を襲い、百合を石化させた男がいた。
その周りには数人、男の一味と思われる、全員同じ装束に身を包んだ人間がいる。
はっきりとは数えられないが、龍麻達と同数か、
上回っていたとしても一人二人といったところのようだ。
京梧や尚雲に比する実力の持ち主がそうそう居るとも思えず、先手を取れば勝機は充分にある。
しかし問題は、ここから先は姿を隠す場所もなく、機先を制するのは困難ということだ。
龍麻は悩んだが、他に作戦はない。
一気に躍りでて、その勢いで圧倒するしかないと決めた。
「よし、準備はいいか」
囁き、全員が頷いたのを見て、龍麻は先陣を切って突入した。
「なッ、何者だッ!!」
侵入者があるとは思っていなかったのだろう、油断していた敵の一人に肉迫し、拳を撃ちこむ。
男は刀を下げていたが、それを抜く暇も与えられずに昏倒した。
すぐに龍麻は二人目に挑みかかる。
この時敵は体勢を立て直しており、続いて広間に乱入した京梧達と激しい戦いが始まった。
刀が打ち交される金属音と、肉体がぶつかりあう音とがそこかしこで響く。
それらの一つ一つには生死が賭けられていて、ひときわ大きな音が鳴ったとき、
確実に生者が一人減っているのだ。
二十世紀に生きる龍麻は、特に人殺しは避けたいと思っている。
だが、真剣を抜いて襲いかかってくる敵に手加減をする余裕などない。
水平に薙いでくる剣撃を手甲で受けとめると同時に半歩踏みこみ、
相手の胸に掌底を当て、練った氣を徹す。
「ぐゥォッ!!」
男は悲鳴と共に吹き飛び、動かなくなる。
所有者の元を離れた刀が、地面を斬らされて放つ不本意な抗議の音は、
しかし誰にも聞かれていなかった。
男を倒した龍麻は狂犬のように新たな敵を探し、跳んでいたからだ。
広間の一角に束の間生じた奇妙な無音の空間は、余韻に浸る間もなく
すぐに他の場所から別の音が侵略してきて、喧噪を分かち合うこととなった。
風祭澳継も龍麻に引けを取らぬ武勇を存分に発揮していた。
龍麻との比較では氣の扱いにおいて経験差があるため劣勢の澳継だが、
対人戦闘においては逆に彼の方が経験豊かだ。
加えて江戸という時代に生き、鬼道衆という暗躍する組織に属する澳継は、
拳で他者の命を奪った回数も一度ではなく、刀を持った相手にも臆することがなかった。
広い空間を存分に利用した動きで敵に狙いを定めさせず、
焦った敵が袈裟斬りを仕掛けてきたところで躱し、懐に飛びこむ動作と一体の攻撃を繰りだす。
「がはァッ……!」
顎から脳天へと突き抜ける拳を受けた敵は、顎を砕かれ、さらに強烈な氣をも脳に受け、
空中に浮いている間にすでに絶命していた。
「ヘッ、俺と張り合おうなんて十年早いぜ」
鬼道衆として龍閃組と共闘することにわだかまりを覚えていた澳継も、
ひとたび戦いとなれば迷いはない。
鍛えた拳を奮い、眼前の敵を殲滅する、それのみを目的として暴風の如く戦うのだった。
京梧に尚雲、それに醍醐もそれぞれの持てる力を駆使して難敵と戦っている。
敵との実力差は明らかではあったが、圧倒するとまではいかず、
倒すまでにはそれなりの時間を要していた。
龍麻達が手こずっている間も、祭壇の前では詠唱が止まない。
百合を石化させた、部下には黒縄王と呼ばれている男は、
周りの死闘も目に入らぬ様子の、人間とは思えぬほどの剛胆さで儀式を続けていたのだ。
龍麻達がさらに二人の敵を倒し、ようやく京梧と尚雲に余裕ができる。
しかし、二人が黒縄王の前に立ったとき、すでに儀式は終わろうとしていた。
黒縄王がおもむろに両手を頭上にあげる。
空を受けとめるようにも、地から何かを引きずりだそうとするようにも見えるその動作は、
まさしく現界と異界の門を開き、異界に住む魔物を呼び寄せる禁忌の業だった。
黒縄王の周囲で空気が急速に濁り、邪妖の気配が満ちる。
濁った空気が震え、攪拌されてさらに澱み、凝集した禍々しさは、
戦いのさなかに龍麻達も思わず振り向いたほどだ。
だが、置かれた生首の内側に生じた変化は、それ以上進行しなかった。
何かが戸口から出てこようとしている、そんな振動は、十数秒ほど続き、やがて収まる。
それは龍麻達の計画が成功した証であり、黒縄王の企みが破綻した合図だった。
「ナンダト!?」
黒縄王は初めて狼狽した声を漏らす。
召喚の儀式は終わり、人間などでは立ち向かうこともできない存在が鬼道門から出現するはずだった。
だが、門は開かず、何も現われはしない。
前兆は生じ、門の向こう側までは来ていたはずの存在は、
門を開けることが叶わず還っていったようだった。
「どうやら摩尼が効いたみてェだな。あとは手前ェを叩ッ斬ッて百合ちゃんを元に戻しゃ、
万事めでたしってわけだ。覚悟しやがれッ!!」
叫ぶ京梧の方を、黒縄王はようやく見た。
黒い頭巾に顔を覆うこれも黒い札を額に貼りつけ、
札には得体の知れない呪文が朱文字で書かれている。
そのいでたちの異様さは京梧をたじろがせ、彼ほどの剣士が斬りかかる好機を逸してしまった。
札のために黒縄王の表情は知れない。
だが、怒っているのは明白であり、発せられたあの不快な、
歯の奥を擦りあわせたような声はそれを裏づけていた。
「ユルサヌ……キサマラ……!!」
「そりゃあこっちの台詞だ、行くぜッ!!」
京梧の上段を躱した黒縄王は、体勢が崩れた京梧に追撃はかけず、距離を取る。
そして手で複雑な印を描き、何かを呟いた。
「ミナゴロシニシテクレル……!!」
黒縄王の姿が闇に同化していく。
見えなくなった黒縄王は、さらに後方に退がり、より長い呪文の詠唱に入ろうとした。
この呪文によって放たれる不可視の球体は、触れた物の生命力を奪い去る致死の威力を秘めている。
月と星辰の合する時は去り、次の召喚は永き刻を待たねばならない。
この場にいる全ての人間に死をもたらさなければ、黒縄王の怒りは晴らせるものではなかった。
「そこかッ!」
だが、鋭い剣士の突きが黒縄王の詠唱を妨げる。
当てずっぽうに仕掛けてきたのだと思ったが、避けたところに今度は別の人間が槍を突いてきた。
これも黒縄王は躱したが、呪文を唱える余裕はない。
たかが人間と侮っていた黒縄王は、動揺を隠せなかった。
「へへッ、手前ェの手妻のタネも割れてみりゃア大したこたァねェな」
「タネ……ダト……!?」
憤怒した黒縄王は、京梧の姿が見えることに気がついた。
輪郭程度ではあるが、光の入らない洞窟内で見えるわけがない。
黒縄王は驚き、周りを見渡す。
すると洞窟の各所には、いつのまにか提灯が置かれていた。
「緋勇の野郎、せこい仕掛けを打ちやがると思ったもんだがよ、こんなに効果があるとはな」
川岸で黒縄王と対決した日から、龍麻は考えていた。
あの敵が完全に肉体を消失させられるのなら、全く勝ち目はない。
だがそうでないのなら、限りなく姿を闇に溶けこませられても、
物理的には存在しているのなら、何か見破る方法があるはずだと。
そして思いついたのが、光源を増やすという極めて単純な方法だった。
方法自体は早くに考えたものの、戦闘中に提灯を配置することなどできるわけがなく、
俊敏な澳継に頼んだとしても断られるのは分かりきっているので、一度は忘れていた。
それを思いだしたのは十郎太という仲間を得たときで、
刀を持たず、氣も操れない彼をどうにかして戦闘から遠ざけようという苦肉の策だった。
同行したがる彼に、道中買えるだけの提灯を調達してきてもらい、
戦闘が始まった後、敵も味方も意識が逸れているうちに配置してもらったのだ。
シンプルな作戦だが蓋を開けてみれば見事に的中し、
黒縄王の呪文は強力で、提灯の下で輪郭が見える程度の京梧達に較べれば、
何かがいるかもしれない、程度でしかない。
だが、月が出ていない夜でも気配で黒縄王の居場所を探り当てた京梧ならばそれで充分で、
さらに尚雲が一呼吸遅れて動くことで移動する黒縄王を逃さない。
他の簡単な呪文を詠唱する余裕すら失せ、今や黒縄王は避ける一方だった。
京梧と尚雲の攻撃を避け続け、いささかも速度は衰えないのは凄まじい戦闘能力と言えたが、
それも他の敵を片づけた龍麻や澳継が加勢に入ることで確実に追い詰められていた。
「観念しやがれッ!」
ついに京梧の剣撃が黒縄王を捉える。
致命傷とはならなかったが、黒縄王は敗北を悟らざるを得なかった。
世界を破滅に導く、手始めとなる江戸の壊滅。
その任を果たすこともできず、ただの人間に敗れようとしている。
だが、敗れるとしてもこのままでは済まさない。
せめてこの場にいる人間は全滅させなければ。
京梧、尚雲、龍麻、澳継と連続で撃ちこまれる攻撃を捌きながら、黒縄王は準備を整える。
とどめを刺そうと寄ってくる人間達を引きつけ、その瞬間を待った。
「てりゃあッ!!!」
脳天から垂直に振りおろされた京梧の轟剣が、黒縄王を両断する。
同時に、側面から尚雲の槍と澳継の拳が黒縄王の分かれた身体を貫いた。
誰もが殺した、と確信し、極小の時間、緊張が緩む。
その刹那の刻に、異様な何かが黒縄王の分かれた身体から発せられた。
密着に近い間合いに居た三人は、回避もできず直撃を被るしかない。
三人に黒縄王の身を呈した最後の呪いが浴びせられる。
その寸前、龍麻が跳びだした。
黒縄王の身体にタックルし、彼の死体ごと地面に倒れる。
どう、という音が、京梧達が黒縄王の最期を告げる音だった。
「この野郎……最後に奥の手を隠してやがったのか」
深い息を吐き、京梧は額の冷や汗を拭う。
死と引き替えに使う術があるとは、敵ながら恐ろしい執念で、
龍麻がいなければ確実に喰らっていた。
これで龍麻に救われたのは二度目で、いささか気恥ずかしげに声をかけた。
「また助けられちまったみてェだな。蕎麦くれェは奢らせてもらうぜ」
龍麻の返事はない。
まだ黒縄王の死体に被さったままの龍麻に、京梧は不審を抱いた。
「おい、何してやがる、起きやがれ」
身体を揺さぶるが、反応がない。
尚雲達も駆け寄り、龍麻を助け起こした。
薄暗い洞窟の中で判然としないが、四肢はだらりと垂れさがり、うめき声すら聞こえてはこない。
生気が失われているのは一目瞭然だった。
「しっかりしろ、緋勇ッ!」
醍醐が龍麻を担ぎあげ、一行は急いで竜泉寺に戻る。
勝利の余韻など既になく、冷たい風と青白い月が彼らの背中を嬲るばかりだった。
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