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二人だけで帰るのは、もう特別なことではなかった。
手を繋ぐのも、少しだけ普通になりつつあった。
けれどこの日の龍麻は、どこか落ち着かない様子で握った手にやたらと視線を走らせながら、
学校を出てからまだ一言も発しないでいた。
そういえば、休み時間も京一や醍醐クンと一緒にいなかったし、なんかおかしいな。
挙動不審な龍麻の態度と、何よりも掌に感じる多量の汗に、
龍麻が何か隠しごとをしていると考えた小蒔は、
それでも慎重に、不機嫌さを出さないように口を開いた。
「ひーちゃん……なんか、言いたいことある?」
「え? 別に……無いけど」
そう答えた龍麻の全身が、それが嘘であると言っていた。
いくら付き合っているといっても、隠しごとのひとつやふたつはあるだろうけれど、
こうもあからさまにしらばっくれられては面白いはずもない。
今日はこの後新宿をぶらつくつもりだったが、これではそんな気になれなかった。
「んー……ごめん、やっぱ今日は帰るね」
「待てよ」
踵を返し、大股で一歩踏み出したところで、手首を掴まれた。
反射的に振り払おうとして、その強さに驚く。
「何?」
無意識の苛立ちに意識して棘を生やし、軽く睨みつけたものの、
そこにあった驚くほど思いつめた顔に、手首の痛みも忘れて龍麻の言葉を待った。
龍麻は言葉を選ぶ、というよりも、言うことは決まっているのに勇気が出ない、
といった感じで何度も左の掌を開閉させていたが、
やがて、しゃがれた声が初秋の風に乗って漂ってきた。
「今日さ、家……誰もいないんだ」
「今日……って、ひーちゃん一人暮ら」
「だからさ、だから…………家……来ないか」
散々もったいぶって何を言い出すのか、と思った小蒔だったが、
大きくも力強くも無い龍麻の声が、何故か胸に直接響いてきた。
「家なら別に今日でなくても……。…………!」
真っ向から見つめる龍麻に妙な気恥ずかしさを覚え、
気持ちが未整理のまま返事をしかけて、不意に口をつぐむ。
龍麻の言いたいことがわかったのだ。
「…………駄目か?」
少しだけ早口で、でもどこか怯えたような口調。
弟が、ボクのケーキ食べちゃった時にこんな感じだったかな。
そう考えて、小蒔はつい笑ってしまった。
その笑いに自分の気持ちを後押ししてもらって、龍麻の視線を受け止める。
「……うん。いいよ」
急だ、とは思ったが、驚きはそれほど無かったから、そう答えるのは小蒔にとって自然だった。
そうなるコトをまるっきり考えていない訳ではなかったから、覚悟、
と言ったら大げさだけど、そんなようなものも出来ていたし、
ただ、もうちょっと時と場所と雰囲気ってやつを考えて欲しかったけれど。
「あ、そ、そっか。それじゃ」
「…………うん、ひーちゃんち、行こう」
小蒔の返事にあからさまな安堵を浮かべて歩き始めた龍麻は相変わらず無言だったが、
小蒔はもう気にならなかった。
固く、強く握ってくれる手から、はっきりと気持ちが伝わっていたから。

龍麻の家が見えるまでは、緊張を隠しきれない龍麻を観察する余裕さえあった小蒔も、
部屋に一歩踏み入れた瞬間、心臓がどんな運動をした時よりも激しく動き始めた。
もう何度も来ている場所なのに、まるで別世界のように見え、足元がおぼつかなくなる。
こんなにドキドキするのって、生まれて初めてかな。
自分に冷静さが残っているのを確かめるつもりでそんなことを考えてみても、まるで無駄だった。
助けを求めるように先にあがった龍麻を見ると、ぎくしゃくとした動きで腰を下ろしたところだった。
何の儀式か、大きく一度息を吐き出した後、いきなり小蒔の方を向く。
「あっ、あのっ」
「なっ……なに?」
「い、いや……なんでもない」
言うならはっきり言ってよね。
いかにも中途半端なところで黙ってしまった龍麻に、小蒔は心の中で毒づいた。
おかげでボクもなんにも言えなくなっちゃったじゃない。
……ボクは何を言うつもりだったんだろう?
どうでもいいコト? よくないコト? あれれ??
その考え自体がどうでもいいことなのにも気付かず、眉を寄せ、
真剣に考え込んでしまった小蒔を、龍麻は不安気に眺める。
その視線に気付いた小蒔は立ちっぱなしなことに気づき、とりあえず腰を下ろした。
普通に座ったつもりなのに、三半規管がおかしくなっているのか、
それとも足が言うことを聞かないのか、ジェットコースターで急降下した時みたいに感じてしまう。
狭い部屋の中で、微妙な距離をおいて二人は座った。
座ってから小蒔は失敗に気付いたが、今更近づくのも恥ずかしく、
龍麻が抱き寄せてくれるのを待つ。
しかし、龍麻はさっきので勇気を使い果たしてしまったのか、近寄ろうともしてこない。
それを意気地が無い、とは思わなかったが、このままではらちがあかない。
といっても何と口火を切ったら良いか、龍麻と同じように悩んだ挙句、
口にしたのはまるっきり考えてもいない言葉だった。
「シャ、シャワー……借りてもいい?」
「!! あ、あぁ……うん。使い方、わかるよな」
「うん……平気」
バスルームの扉を閉めた途端、小蒔は再び急降下を味わった。
いきなりシャワー借りるなんて、ボク何考えてるんだろう!
エッチなやつって思われちゃったかな。
ゲンメツとか、しちゃったかな。
扉に背中を預けてずるずると座りこみ、両手で顔を覆う。
恥ずかしさに顔から火が出るって、こういうコトなんだ。
小蒔はしばらくの間身じろぎもしなかったが、
そのままうずくまっていても仕方ないので、意を決して制服を脱ぎ、浴室に飛びこんだ。

居間にいる龍麻の五感は、あるひとつの音に支配されていた。
薄い壁の向こうから漂う水音。
自分の家で小蒔がシャワーを浴びている。
その情景を思い浮かべようとして、いかにも失礼な気がして慌てて打ち消す。
思いっきり頭を振って煩悩を追い出していると、浴室の扉から小蒔が顔を覗かせた。
上気した頬よりも、水分を含んでわずかに重たげな髪よりも、
剥き出しになっている肩に最初に目がいってしまい、
小蒔が今裸なのを改めて実感して、否が応にも興奮が高まる。
「上がるね」
小蒔はそう言ったものの、なかなか浴室から出てこようとしない。
不審に思った龍麻が扉に近寄ると、絶妙のタイミングで飛び出してきた。



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