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 空が、吼えていた。
地よりほとばしる力は高みへと昇り、天と覇権を賭けて争うかのようにたけっていた。
数時間前はあれほど大きかった月も、これから地上で起こる惨劇を知ってか、雲を呼び姿を隠している。
それが天が与えた慈悲なのか、それともよりむごい仕打ちのなせる業なのかは、人々に知る由もなかった。
 この星で最も大きな生命──地球。
その地球の生命力とも言える、地中に何本か走っている、龍脈と呼ばれる力は、
大地を活性化させ、生きとし生けるもの全てに恩恵を与える大いなる力だった。
人の手にはあまりにも大き過ぎる力を、人は古来より敬み、畏れてきた。
龍脈が地中から噴出する場所である、龍穴と呼ばれる氣の集結点がある地をみやこに定め、
龍脈がもたらす生命の繁栄を享受しながらも、その力を我が物にしようとはしなかった。
稀にそのような野心を抱いた者が現れても、地球そのものの力など人の扱いきれるものではなく、
彼らは愚かさの代償として生命を支払う結果となり、
後の人々はその警鐘を心に刻みつけることとなるだけだった。
 しかし、ここに野心と能力を兼ね備えた者が現れる。
柳生宗祟やぎゅうむねたかという名の男は、どのような方法によってか百年を優に越える刻を生き、
その間に龍脈の存在を知り、掌握すれば地球の支配者ともなり得る力を我が物にしようと画策した。
柳生がいつ頃に龍脈の存在を知ったのかは定かではないが、
十数年前には中国で活性化を始めた龍脈を、唯一龍脈の大いなる『力』を受け容れることの出来る、
『黄龍の器』という存在をも、外法と呼ばれるわざで創りだして求めたという。
 成し遂げられるかに思われた野望は、だが、
龍脈を護る者──客家はっかと呼ばれる少数民族の者達と、
海を越え柳生を追ってきた数人の日本人によって、寸前で阻まれた。
緋勇弦麻という名の男が、己の命と引き換えに不死とも言われた柳生を、
霊力の強い三山国王の岩戸に封印したのだ。
さしもの魔人も封印を破ることは叶わず、やがて龍脈は沈静化し、脅威は去った。
 だが十数年後、星辰の巡りによって封印の弱まった岩戸を、柳生は破る。
食料も、水さえもない霊廟の中でどうやって生き長らえてきたのか、
十数年前と変わらぬ姿で地上に姿を現した魔人は、
手にした剣の一振りで異変を察知して見回りに来た客家の人間を全滅させたのだ。
更に村に赴き、そこにいる人間達も皆殺しにした柳生は、
既にこの地の龍脈は沈静化していることを知ると、
次に活性化するであろう龍脈を求め、海を渡った。
柳生が目指したのは日本──彼が生まれた地。
龍脈が活性期に入るのは一九九九年、その数年前に日本に渡った柳生は、
龍脈の『力』を手中に収め、野望を叶える為の方策を着々と整えた。
 『黄龍の器』とするにふさわしい素質を持った人間を探し、外法によって人工の『器』と化す。
旧日本軍が研究していた、『龍命の塔』と呼ばれる、
龍脈の氣を大きく増幅させる装置を探し、起動の為に必要な鍵を探す。
それらの調査を進めながら、東京に騒乱を起こし、
強い氣を持つ者達にそれを使わせることによって龍脈をより活性化させることも忘れなかった。
 そして一九九九年──刻は満ちる。
既に全ての準備を終えていた柳生は、日付が変わり、年が変わるとすぐに行動に入った。
靖国神社と織部神社を襲い、龍命の塔起動に必要な鍵を強奪すると、
間を置かずそれらを用いたのだ。
 柳生宗祟が起動させた、真神学園と天龍院高校の地下より現れた二本の龍命の塔は、
地中に蓄えられた龍脈の力を吸い上げ、増幅させる。
人が手にしてはならぬ『力』を、人ならざる者──『器』に与えるために。
一旦起動した塔は龍脈の氣を吸い上げ終えるまでは活動を停めず、
噴出した龍脈の氣は『器』が受け容れるまで止むことはない。
ここまでは全て柳生の思惑通りであり、彼の野望……
『力』持つ者のみが存在を許される修羅の世を創る初めの一歩となる、
大いなる破壊はもう不可避となっていた。
これを防ぐには、柳生を斃し、龍脈の氣を鎮めなければならない。
そしてそれが出来るのは、本物の『黄龍の器』たる緋勇龍麻、ただ一人だった。
 感覚の強い者なら視ることができるほどの氣の奔流が、東京を覆っていた。
空には稲光にも似た白い氣の帯が疾り、『器』を捜し求めて猛り狂っている。
夜空に突如として出現した水墨画は、ほとんどの人間には視えないものであったが、
彼らにも何か異常な気配が東京を覆っていることは解った。
賢明な者は門戸を閉ざしてテレビやラジオに状況を求め、中には避難の用意を行った者もいる。
だが彼らを臆病に過ぎると嘲笑することなど出来ないということは、
災禍の中心にいた者達は皆その身を以って知っていた。
 大空を荒れ狂う氣の奔流の余波は地上にも及び、
帯が掠めたビルからコンクリートが剥がれ、地上に落下する。
不幸な人々や車がそれらの直撃を受け、また路上に落ちた塊を避け損なった車が事故を起こす。
元日の夜ということで、その前の日よりは人の出は少なかったが、
それでも数十人が一瞬で命を失い、その十数倍の人々が怪我を負った。
世界でも有数の都市であったはずの東京は、
わずかな時間で怒号と悲鳴が渦巻く混沌と化している。
そこに拍車をかけるように大停電が起こり、東京は未曾有の混乱に陥っていた。
文明と繁栄の象徴が、古来より存する大いなる力の前になすすべなく破壊されていく。
警察や消防、それに自衛隊など、あらゆる組織が混乱を収束させようと努めたが、
それらの、有事に対応できるよう準備を整えている組織ですら、
混乱の原因すらはっきりと特定することができない有様だった。
 運良く難を逃れた人々は、新年の華やかな雰囲気も消し飛んでしまった街の片隅で不安に肩を寄せ合う。
東京は、どうなってしまうのか──
おののく人々の囁きは昏い雲となって、街を包みはじめていた。

 東京の各処で発生しているそれらの惨状を、龍麻達は直接は見ていなかった。
龍麻達が今いる寛永寺周辺には高層ビル群はなく、
車や人の量も少ないために損害も抑えられているからだ。
だが空にたちこめる異様な気配と、東京を埋め尽くす阿鼻叫喚は、見ずとも何が起こっているのか判る。
「行こう」
 立ち止まり、混迷を深める東京をしばし振り返って見ていた若者達は、
彼らの中心的存在である緋勇龍麻の声に頷いた。
確かに、ここで後ろを顧みていても事態は進展しない。
龍麻達は唯一この混乱を収めることのできる者として、
これを引き起こした元凶、柳生宗祟を斃すためにこの寛永寺に来たのだ。
 新宿からここまで運んでくれた絵莉と別れ、龍麻達は寺の入り口へと急ぐ。
「こりゃ早くなんとかしねェと、柳生をたおしても東京まちが壊れちまうな」
 揺れと轟音に負けじと、京一が声を張り上げた。
京一の言う通りで、龍麻達の目的は柳生を斃すことではなく、東京を護ることだ。
もちろんそのためには立ちはだかるであろう柳生は排除せねばならないだろうが、
柳生を斃してもこの状態が長く続いて東京が破壊されてしまっては意味がないのだ。
これ以上被害が広がる前に柳生と、彼が施した外法によって人為的に『器』とされた者を斃す。
 この春からずっと一緒にやってきた五人に、美里家の養女であるマリィを加えた六人は、
それぞれの顔に決意を秘めて走った。
「あれ、誰かいるよ」
 門まで来たところで、先頭を走る小蒔が前方の人影に気づいて急停止した。
敵か、との疑念が浮かんだが、人影のうち、最も背の高い人物が気さくに手を挙げた。
片言の日本語は人懐っこく、龍麻の良く知っている声だった。
「久しぶりネ、ヒユー」
「アラン……お前か」
 人影を見た瞬間、龍麻は彼らではないかと思っていた。
彼らに今日のことは何も話していないが、以前、九角天童と闘った時にも彼らは同じように来てくれた。
龍麻が『黄龍の器』であるように、『四神』の宿星を持つ彼らは、
その超常的な『力』によって今日この時、この場に馳せ参じてくれたのだ。
おそらくは、『黄龍の器』を護るために。
 両親と生まれ故郷を滅ぼした「盲目者」を追って日本に来た、アラン蔵人くろうど
氣を弾丸に変え、霊銃から放つ『力』を持つ彼は、
女性と見れば声をかけるラテン気質の塊のような男だが、
平和を乱す者を憎む気持ちは誰よりも強い。
「Yes.地球が、悲鳴を上げている……ボクも闘うよ」
 アランのあまりに真剣な面持ちに、わずかながら龍麻は気圧される。
これまで彼を少し誤解していた気がして気恥ずかしく思っていると、唐突に彼の表情が変わった。
「Oh,マリィ、ゴブサタデース!」
 アランは葵の傍にいたマリィに向かって、
彼自身はきっと朗らかだと信じているに違いない笑みを浮かべている。
だがアランの笑顔を向けられたマリィはすっかり怯えてしまい、
葵の服をしっかりと掴んで背後に隠れてしまった。
彼女の胸の前で、飼い猫のメフィストが威嚇するように低く鳴く。
「……」
 笑顔を凍りつかせるアランと、それよりももっと凍りつく仲間達に、
龍麻は今のやり取りを見なかったことにして、やはり来てくれた如月翡翠きさらぎひすいに声をかけた。
「僕の定めは東京を護ることだからね。こんな状況を放っておくわけにはいかない」
 徳川家を守護する隠密、飛水ひすい家の血筋に連なる如月は、
徳川の支配が失われた今でも東京を護るという使命を忠実に守っている。
その血筋ゆえにはじめは共に闘うことを拒んだ如月であったが、
今はそのわだかまりもなく、彼の忍びとしての身体能力と、
飛水家の者として与えられた水を操る『力』は、幾度も龍麻達を助けてくれていた。
 穏やかな細面に四百年の決意をたたえる如月に、龍麻は大きく頷いて謝辞を表した。
 この二人は予想のついた龍麻だったが、如月の隣にいる、
夜目にも目立つ金髪を逆立てた後輩の存在は全く予想していなかった。
「雨紋! どうしてここに」
 ロックバンド「CROW」のギタリストにして槍術の使い手でもある雨紋雷人うもんらいとは、
驚く龍麻ににやりと口を曲げた。
やや挑発的とも言える態度が、妙に良く似合っている。
「変な揺れが来たと思ったら空がヤバいことになってるだろ。
急に氣は増えやがるし、どう考えてもおかしいと思って如月サンに電話したんだよ。
そしたら寛永寺ここに行くって言うからよ」
 如月は江戸を人知れず護る飛水の家系として、今回の危険は熟知しているはずだ。
その彼が呼んだということは、雨紋の実力を認めているということだろう。
むろん龍麻も雨紋の槍術と、雷にも似た氣を操る実力は高く評価している。
「こんな楽しそうなパーティーにオレ様を置いてくなんざ、ひでェじゃねェか」
 雨紋はこの異変に際しても全く臆した様子はない。
胆が座っているのか敵を軽んじているのか、いかにもらしい・・・言い方で闘おうとする雨紋に、
龍麻は苦笑いするしかなかった。
「緋勇様」
 控えめな、しかしその中にもつよい芯を感じさせる声で呼ばれた龍麻は苦笑を収めた。
地位も権力もない若造にすぎない龍麻に、こんな風にをつけて呼んでくれるのは、
日本中でも多分彼女──織部雛乃しかいないだろう。
彼女が龍麻に対してだけでなく、全ての人に敬称をつける丁寧な物腰の佳人であるのが、
龍麻にはいささか残念な種明かしだ。
 織部神社の巫女である、雪乃と雛乃の双子姉妹。
彼女の祖父は二日前に柳生に襲われている。
老神主は一命は取りとめたものの、高齢であるために安静が必要であり、
彼女達も年始で神社の娘としての務めを果たさなければならないので、
龍麻は彼女達には助けを求めなかったのだ。
 なのになぜ、彼女達はここにいるのか。
漠然とながら予感があった如月やアランと異なり、
ほとんど居てはいけないと言ってもよい彼女達がここにいることに、龍麻は驚かずにいられなかった。
「雪乃に雛乃さん……おじいさんは?」
「はい、岩山先生にお任せしてあります」
 雛乃に続いて既に薙刀を取り出している雪乃が、腰に手を当てて言った。
「まだ話はあんまり出来ないんだけどよ、寛永寺ここに行けって。
親父は止めたけどよ、そういうワケにもいかねェだろ」
 仁王立ちしている彼女はなんとも勇ましく、強い氣を全身から放っている。
東京に打ちこまれたくさび……そう自らを任ずる彼女達は、
龍麻が思っている以上に自分達の役目を重んじているようだった。
先の九角との闘いにも、彼女達は力を奮ってくれている。
実力は折り紙つきであり、心強い仲間が増えたと言えそうだった。
「そうか……ありがとう、頼むよ」
「はい、わたくし達はそのために参ったのですから」
「ヘッ、任せとけッて。何が出てきても叩き斬ってやるぜッ」
 力強く請合う雪乃と、確乎かっこたる決意を瞳に浮かべる雛乃に、龍麻は大きく頷きかえした。
 龍麻を待っていた者は、他にもいた。
「遅いですよ、緋勇さん」
「御門に村雨……来てくれたのか」
 東日本の陰陽師を束ねる、当代きっての陰陽術師である御門晴明みかどはるあきと、
『運』を力として持つ村雨祇孔しこう
そして御門の使役する式神である、天后芙蓉てんこうふようもいる。
彼らの力は大いなる助けとなってくれるはずで、龍麻は心から感謝して彼らを迎えた。
 しかし、親しげに近寄る龍麻を、御門はすげなくあしらう。
こいつはこういう奴だと、短い付き合いでも把握している龍麻だが、
こんな時にまでその態度はないだろうと思い鼻白む。
すると御門は、取り出した扇子を広げて言った。
「昼間は芙蓉が世話になったそうで、礼を言いますよ」
「げッ……!」
 御門の使いで調べ物をしていた、という芙蓉を、偶然出会った亜里沙と舞子に、
半ば強引に引き渡してしまったことを、今更龍麻は思い出した。
あの時は「御門には俺から言っておく」などと偉そうに言ったものの、
その後お参りに行ったり、マリアに旧校舎に呼び出されたりですっかり忘れていたのだ。
「芙蓉は夜になるまで戻ってきませんでしたよ。おかげで調べ物がすっかり滞ってしまいました」
 丁寧な口調で怒る御門と、口にこそ出しはしないが恨めしげにこちらを見ている芙蓉に、
龍麻は闘ってもいないのに背筋に冷たい汗をかいてしまった。
今更謝ったところで許してもらえるとは思えないが、とにかく弁明を、言うだけ言おうとする。
すると、御門の隣に立つ、既に笑っている村雨が口を挟んできた。
「聞いたぜ、カラオケに行かせたんだってな?
そんな面白ェ展開コトになってんなら俺も行けば良かったぜ」
 芙蓉が睨みつけるが、構わず村雨は笑い転げている。
遠慮を知らない笑い声に、事情を知らない京一や他の仲間達までもが興味を示しはじめ、
ますます御門と芙蓉の視線が痛い。
話題をどうしても変える必要に迫られ、龍麻は視線を転じた。



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