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「……おい」
誰もいない方を見たつもりだったのに、
お揃いのダウンジャケットを着た一組の男女がこちらに向かってやって来ていて、
龍麻は思わず声を上げてしまった。
驚く龍麻に仲間達もつられて振りかえり、負けず劣らず目を丸くした。
「京一先輩、皆さんッ!」
「諸羽! さやかちゃんまで」
霧島諸羽と舞園さやかは龍麻の後輩にあたる。
といっても学校は違うし、特に諸羽は龍麻よりも京一の方を師と仰いでいる、
小蒔などは少し将来を心配しているニ学年下の高校生だ。
さやかは高校生ながらアイドルとしても活躍しており、
龍麻と京一は彼女のCDと写真集を持っているほどのファンだ。
そして、さやかは歌声に癒しの、諸羽は剣(に『力』を持つ、
人ならざる『力』を持つ者同士でもある。
当然、ここに彼らが現れたのも偶然ではないのだろう。
「二人とも、どうしてここが判ったの?」
「さやかちゃんがこっちの方だって案内してくれたんです」
諸羽の説明に、さやかはうっすらと誇らしげな表情を浮かべていた。
初顔合わせとなる御門達にさやかを紹介する龍麻の横で、京一が諸羽に耳打ちする。
「なんでさやかちゃんを連れてきたんだよ」
「僕も危ないからって止めたんですけど、どうしても聞いてくれなくて」
情けなさそうに告白する諸羽に、京一が無言で頭を振ったのは、彼の前途を案じたのかもしれない。
舞園さやかは人気急上昇中のアイドルであるが、京一や龍麻を魅了してやまない眉目には、
実は強い芯を感じさせるものが一本通っている。
ごくたまに──例えば、写真集などで──窺(い知ることができるその表情は、
彼女の魅力を高める一因となっているものの、こうして目の当りにすると少し驚かされてしまうのだった。
「ま、来ちまったモンはしょうがねェな。いいな諸羽、しっかり護ってやれよ」
「は……はいッ」
激励され、師匠の百倍ほども素直な諸羽は緊張を漲(らせて頷いた。
この門の先には死闘──文字通り、東京の存亡をかけた命懸けの闘いが待っているのだ。
諸羽の緊張が伝わったのか、他の仲間も会話を止め、門を見た。
門は閉じられてはいなかったが、寺院内は暗く、ここから中を窺うことはできない。
しかし柳生が何の備えもしていないとは考えられず、
この門をくぐった瞬間から一切の気を緩めることはできそうになかった。
雨紋、如月、アラン、雪乃、雛乃、諸羽、さやか、村雨、御門、芙蓉。
倍以上に増えた仲間達を、頼もしく見渡した龍麻は、
いよいよ柳生との決着をつけるべく寛永寺に乗りこもうとした。
「待った待った、おいてかんといてやッ!!」
しかし、せっかく高まった緊張を台無しにしてしまう、
場違いなほど陽気な関西弁が龍麻の足を止めた。
仲間の非難めいた眼差しを受ける理不尽さに耐えつつ、龍麻は振りかえる。
龍麻に知り合いは多いが、その中で関西弁を話す友人は一人しかいない。
しかもそれが、生粋の関西弁ではない、少し訛りのあるものとくれば、容易に人物は特定できた。
「劉か」
龍麻の呼びかけに、劉弦月(は気さくに手をあげた。
デートの待ち合わせに遅れたことを謝るかのような軽い態度に、
仲間の幾人かの氣が曇るのを、龍麻は鋭敏さを増した感覚で感じ取っていた。
龍麻と縁(深いこの男は、中国からはるばる海を越えて柳生を討つために日本にやってきた。
故郷と家族を滅ぼした柳生への怨みは、飄々(とした関西弁からは想像もつかないほど深い。
だから劉が来るのは当然であり、
たとえこんな時でも場の雰囲気を読まない関西弁に不満を抱いたとしても、
来ること自体に対しては龍麻は何も言わなかった。
ただ、彼の隣にいる小柄な少女を見た時はさすがになんと言って良いかわからなかった。
「裏密さん!?」
同じ学校の、隣のクラスの生徒である裏密ミサ。
オカルト方面に極めて造詣が深い彼女は、独力で柳生が寛永寺にいることを突きとめ、
研究対象(を観察するためにやってきたのだ。
昼間に真神学園で会ってその旨を聞いていた龍麻と葵と小蒔はやっぱり、と思っただけだったが、
彼女の登場が全く突然に見えたであろう京一と醍醐は心底薄気味悪そうにしている。
「やっぱり知り合いやったんか。そこで一緒になったんやけどな、
こっちの方に歩いていきよるんで止めようとしたんや。
やのに人の言うこと全く聞かへんし、なんや良う見たら美里はんらと同じ制服着とるしな、
もしかしたらあんたらの知り合いかと思うたんやけど」
「う〜ふ〜ふ〜ふ〜ふ〜」
まくしたてる劉をよそに、ミサは不気味に笑うだけだ。
その笑いがどことなく、本当に(嬉しそうに聞こえたのは、きっと龍麻の気のせいに違いなかった。
彼女は自分達のように『力』は持たないが、
もしかしたらそれをも上回るかもしれない謎の力を身につけている。
頼りになるのは間違いなかったし、帰れと言ったところで不気味な笑いと共に拒絶されるだけだろう。
どうやってここを探し当てたのか、まだ気味悪がっている京一に、
せり上がってきた笑いを奥歯で噛み殺して龍麻はミサに頷いた。
「ほな皆揃ったことやし、改めて行きまひょか」
軽く言い放った劉が、背中の刀を抜いた。
深い黒の中に浮かび上がった銀色の刃が、一瞬、龍麻達の顔を照らす。
誰一人、失わない──
強い決意を秘め、龍麻は柳生の待ちうける門をくぐった。
門の内側は、不気味なほど静まり返っていた。
気配がないわけではない。
恐らく柳生の発するものだろう、陰の氣は進むのを阻むほど強く、
その他にも複数の陰氣が数え切れないほど存在している。
しかし、それらのどれもは、息遣いひとつすら音を立てていなかった。
陰氣の圧力に抗って、一歩進んだ龍麻は異変に気付いた。
マリアと闘った時は、煌々(と照らしている月のおかげで夜にも関わらず影が見えるほどだった。
それが、寛永寺の中は数メートル先さえ見えないほど暗い。
満ちる陰氣が、朧な月の灯りさえ遮っていたのだ。
京一と醍醐と、三人で横一線に並んだ龍麻は、
いつどこから襲われても対処できるよう慎重に歩を進める。
女性達を囲むように男性陣が続き、決戦の場へと足を踏み入れた。
仲間達の中では最も陽気であろう劉とアランからも、息遣い以外のものは聞こえてこない。
前方に意識を集中させていた龍麻の忍耐力は、さほど試されることがなかった。
「……!!」
徐々に慣れてきた眼が、何かを捉える。
地上に近い位置におびただしい数あった黒い塊は、倒れている人間だった。
初詣に来たのだろう、振袖姿の女性が多く見受けられる。
だが、数十人ほどはいるだろう倒れている彼らからは、ひとりとして生気は感じられなかった。
立ち止まった龍麻に、異常を察知した仲間達も目を凝らす。
すぐに龍麻が見たものと同じものを見た彼らは、惨状を知って等しく息を呑んだ。
「あかん……外法にやられとる」
劉の低い声が、皆の意識を引き戻す。
出来の悪い映画のような光景は、作り事よりもはるかにおぞましい現実だった。
「って、ことは……」
「せや……あの人らを元に戻す方法は、もうあらへん」
「そんな……!」
息を呑む小蒔に被せるように、御門が更に残酷な事実を告げた。
「それどころかこれだけの濃い陰氣の中では、彼らは相当に手ごわくなると言えるでしょう」
彼らに罪はまったくなく、ただ寛永寺に参拝に来ただけで巻きこまれたにすぎない。
それだけに彼らを倒さなければならないというのは、とほうもなく辛いことだった。
「柳生の野郎……ッ、どこだッ」
京一が声を荒げ、奥に進む。
龍麻も、これが罠である可能性を知りつつも、
無辜(の人々を犠牲にする柳生に怒りがこみ上げてどうしようもなく、
ほとんど我を忘れて京一に続いた。
「待て、緋勇、京一ッ」
醍醐の制止を背後に聞き、龍麻は駆ける。
目指す敵は隠れもせず、本堂の前に立っていた。
薄暗い紅の学生服に、死と陰(を色濃くまとい、嘲るような笑みを口許に張りつかせて。
「来たか」
地の底から出ずるような声で、柳生は龍麻達を迎えた。
一言発しただけで、彼の身体にまとわりつく陰氣が、陽炎のようにゆらめく。
百五十年という人を超えた刻を生き、そのほとんどを己の、陰(の欲望を叶えんと費やしてきた魔人。
かつて龍麻の父によって封じられ、今また宿星の導きによって甦った柳生は、
居並ぶ若者達の中の、特に因縁の深い一人に視線を据えた。
「傷は癒えたようだな。……そうでなくては、急所を外した甲斐がないというものよ」
「……どういう意味だ」
「解らぬか。弦麻の息子よ、貴様は今日殺される為に生かされていたのだ。
修羅の世の始まりの日に、贄(となる為にな」
傲慢極まりない柳生の言に、彼の強さを直接見ていない者達は色めき立った。
しかし彼になす術なく斬られた龍麻と、それを止めることも出来なかった京一達は、
同じ轍は二度と踏まないという決意を、ただ両の拳に込めて武器を構えなおした。
それを見ても柳生は動じる色も見せない。
顔に刻まれた刀傷を歪ませ、いずれも異能の『力』を携えた若者達を、鋭い眼光で威圧する。
「ふん……雑魚共が、群れれば勝てるとでも思ったか」
「仲間がいないお前にはわかんねェだろうよ」
「笑わせるわ。修羅に仲間なぞ不要、強い者のみが生きる世界こそ我が理想よ」
京一を笑殺してのけた柳生は、刀の束に手をかけた。
呼応して周りの闇から、幾つもの気配が形を取り始める。
「前は弦麻に邪魔されたが、今度はそうはいかん。
俺の野望の礎となって死ねたことを黄泉路の果てで喜ぶがいいわ」
犠牲者の氣を食らった、鬼達が目醒める。
密度の濃い陰の氣が満ちる空間を、切り取って形にしたように、
あちこちから巨大な人形(が蠢きはじめた。
「皆……鬼共は頼む」
散開し、手近な鬼と闘う構えを取る仲間達に指示を出した龍麻は、自分は柳生と対峙しようとした。
当然と言うべきか仲間達の反応は芳しくなく、彼らを代表して京一が軽い口調で諌めた。
「おいおい、素手じゃ無理だろ、いくらなんでも」
「頼む」
龍麻の態度は頑なで、いかなる説得をも拒む冷たさがあった。
説得に時を費やせる状況でもなく、京一は本意ではないと龍麻に見せつけるように肩をすくめた。
「ちッ、しょうがねェな」
あっさりと意見を変えた京一に、彼と龍麻の紐帯の強さを知らない仲間達は、
二人が最初から示し合わせていたのではないかと疑ったほどだった。
「おい、京一」
「任せとけ、絶対龍麻をやらせはしねェよ。なァ、劉」
「当ッたり前や」
背中から青龍刀を抜き放った劉が龍麻の左に並ぶ。
そして右には京一が。
「お前ら、雑魚は任せたぜ」
言い捨てて突進する三人を、それ以上止める余裕は醍醐にはなかった。
鬼の群れが大挙して襲いかかってきたからだ。
醍醐を含めた若者達は、それぞれの武器を構え、何人かずつに分かれて鬼と対する。
東京の命運を賭けた闘いが、遂に幕を開けた。
龍麻が近づいても、柳生は束に手をかけたまま動かない。
氣を練りながら仇敵に肉迫した龍麻が、後二歩で間合いに入るという時、
凄まじい殺気が前方から、颶(風のように吹き抜けた。
それが致死の刃を纏った陰氣であることを全身で察知した龍麻は、
前方へ進む力を無理やり真横へと変化させた。
意識は対応できても、肉体はそうはいかず、急な負担を強いられた身体は横転してしまう。
勢いに逆らわず龍麻は二度体を回転させ、三回転目で一気に跳ね起きた。
「柳生……ッ」
斬撃を躱(し、懐に飛びこむ。
身体を両断しようと振り下ろされた剛剣に空気のみを断たせ、一気に間を詰めた龍麻は、
一瞬も立ち止まることなく拳を放った。
柳生の胸を狙って繰り出された、充分に氣を練り、速度も申し分ない一撃だったが、
固めた拳は身体に触れる寸前、金属を撃ったような鈍痛と共に弾きかえされた。
「……ッ」
「その程度の氣で俺に勝てると思ったか」
驚く龍麻に柳生の嘲笑が降り注ぐ。
柳生は氣を用いて、己の身体を瞬時に鋼に変えたのだ。
龍麻も同じことは一応出来るが、直接的な打撃を防ぐのがせいぜいで、
氣を用いた攻撃をこうも完全に止めることは出来ない。
以前に鬼剄を使う八剣右近という男と闘った時にも、龍麻は軽減するのがやっとで、
葵の癒しの『力』がなければ立てないほどだったのだ。
しかし柳生は、不可視の鎧を着こんでいるかのように、
龍麻の拳を身体に触れさせることさえ許さなかった。
今更ながらに龍麻は技量の差を痛感させられる。
柳生の、氣による防御を打ち砕くには、これを上回る氣を練りあげるか、
柳生が疲弊して氣が練れなくなるのを待つしかない。
掌を押し当てれば氣の鎧に妨げられることなく、直接氣を徹(すことが出来るが、
無手の龍麻にとって拳ひとつ分のリーチは大きく、また、
撓(めた氣を放つ際にどうしても一瞬の溜めが必要であり、
卓絶した剣士である柳生との闘いでその隙が与えられるとは期待出来なかった。
龍麻が学んだ古武術は、あらゆる状況に対応することを想定して編み出された、実戦に即した武術だ。
想定された状況の中には相手が武器を持っている場合も当然含まれており、
もし龍麻がこの古武術を極めていれば柳生とも互角以上に闘えたかもしれない。
しかし龍麻は学び始めてまだ日が浅く、氣の操り方と、
それを用いた技をわずかに形だけ修めたに過ぎない。
一方柳生は百年を優に越える時を生きる文字通りの修羅であり、更に氣の熟練においても龍麻に優る。
『黄龍の器』として龍麻が選ばれた者であったとしても、一対一の闘いでは柳生に及ばない。
それは当事者達が最も早く認識していたが、
誰の目にも明らかとなるのに、さほどの時間はかからなかった。
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