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「どうした、弦麻はもっと強かったぞ」
 軽口すら叩く余裕を見せ、柳生は刀を振るう。
一方の龍麻は躱すのが精一杯でどうしても懐に入れず、その焦りにますます動きを縛られてしまう。
父親の名を出すという単純な挑発にも理性を失い、冷静さを欠いた拳を放つ。
むろんそれらが当たることはなく、逆に柳生の剣撃は少しずつ龍麻の胴体へと迫っていった。
「く……ッ」
 陰氣を宿した黒い刃を寸前で躱す。
速度も狙いも完璧な斬撃は、当たったが最後、身体を一瞬の停滞もなく両断してしまうことだろう。
鋼の形をした死を間近に捉え、ともすれば萎縮しそうになる心を奮い立たせ、龍麻は闘い続けた。
柳生に剣を振らせまいと間合いを取らせず、手数を増やした拳を放つ。
作戦は効を奏し、刀を振れない柳生は防戦一方に追い込まれたかと見えたが、
それはあくまでも一時的なものに過ぎなかった。
龍麻の攻勢が長くは続かないと見て取った柳生は、無理をせず力を蓄え、
動きが鈍ったと見るや反撃に転じてきたのだ。
「……!!」
 技と技の間の、一秒にも満たない隙に、死が通り過ぎる。
狙いを定めたかどうかも怪しい斬撃は、赫い陰氣の残像を残して龍麻の腕のわずか数センチ先を疾った。
闘いの狂熱すら醒ますほどの凍てつく刃は、意思とは無関係に恐怖を生み、龍麻の動きを封じる。
まずい──
思った時には既に、新たな陰氣が近づいてきていた。
 柳生の凶刃が己の肉を断つ極小の時間、死の間際に薄く引き延ばされた時の狭間に、
龍麻は葵への謝罪を済ませようとしていた。
自分が力及ばないために、父の仇も取れず、葵や東京を護ることもできない。
あの雪の降った日、未来を──明日を共に生きようと誓ったのに、
約束を破ってしまうことになる。
 ごめん、葵。
心の中で謝った龍麻は、せめて仲間達が柳生を斃してくれるよう願い、覚悟を決めた。
 だが、宿命はまだ斃れることを許さなかった。
半ばは脳裏に甦っていた、肉を斬られる痛みは、鋭い音響と共に弾きかえされていたのだ。
「京一!」
柳生こいつに恨みがあんのはお前だけじゃねェんだ」
 龍麻と柳生の間に、身体ごと割って入った京一が、己の剣を以って凶刃を防いでいた。
十字に交錯した真剣と木剣は、一歩も相譲らず競り合う。
新たな敵手の出現にも、だが、柳生は眉の一筋すら動かさなかった。
「木剣で向かってくるとは……剣ごと頭蓋を叩き割ってくれる」
 冷笑した柳生は剣を振るう。
無造作に振り下ろされた太刀は、うなりすらあげずに京一の頭部を正確に狙った。
凡人では斬られたことにさえ気付かないであろう、宣告通りに骨をも断つ強烈な斬撃だった。
だが京一は、見事にこれを受けとめていた。
柳生の剣速は尋常ではなく、受けとめた刃の切っ先はほとんど髪に触れんばかりの位置だったが、
そこからは一ミリたりとも刃が動くことはなかった。
「ぬうッ……!」
「ヘッ、生憎だな、俺は一度真剣とってんだ」
 軽口を叩く忌々しい剣士を、柳生は力ずくで斬り捨てるべく力を込めようとする。
しかし膂力りょりょくにおいても京一に勝るであろう魔人は、不意に一歩飛び退った。
京一の眼前、柳生が立っていた場所の空気が、凄まじい勢いで分断される。
「今度はわいが相手や。柳生宗祟……客家のもんを代表して、仇討ちさせてもらうで」
 青竜刀の柄を両手で握った劉は、厚い刃身を渾身の力で柳生に叩きつけていた。
日本刀に較べれば格段に重い青竜刀を軽々と操り、致命の一撃を与えんと左右に振るう。
蒼白い氣を刃に宿した刀は、金剛石ダイヤモンドでさえ両断する切れ味だったろう。
しかし柳生は平然とこれを受けとめ、弾きかえした。
淡白い輝きが両者の間に散り、澄んだ響きを残して消えていく。
「客家に生き残りがまだいたか。だがすぐに貴様も常世とこよに送ってくれる」
 柳生は強引につばで押しかえし、体勢を崩した劉にすかさず斬りこむ。
青龍刀の扱いにも熟練している劉はこれを受けるが、
柳生の太刀は信じられない速度で再び迫り、すぐに劣勢に追いこまれてしまった。
「くッ……!」
「劉ッ!!」
 押される劉に、加勢に入ろうと龍麻は隙をうかがう。
しかし二人の熟練した剣士の間に割って入ることは無手の龍麻には難しい。
そうしているうちに劉の体勢が崩れ、柳生に絶好の機会を与えてしまった。
「劉!!」
 目の前で、仲間が死ぬ。
決して甦らせてはならなかった、記憶の底に封じこめたはずの光景が、龍麻の眼前に現れた。
 自分の力が足りないばかりに死なせてしまった比良坂紗夜。
彼女の墓に、もう彼女のような人間は出さないと誓ったのに、
また俺は同じ過ちを繰り返そうとしている。
 激しい絶望と憤怒に駆られた龍麻だったが、悪夢は現実とならなかった。
「まだやッ!!」
 劉が叫んだ途端、凄まじい氣が彼の身体からほとばしった。
龍麻はむろん、柳生ですらもたじろがせるほどの、それは陰氣だった。
「ぬぅ……ッ」
 劉は力任せに青竜刀を振るう。
別人のように荒く、増した疾さの代償として無駄の増えた軌跡が、縦横に流れた。
空間を塗りつぶしていくかという勢いの輝きは、龍麻が以前まえに池袋で見た時よりも濃い。
 劉は己が理性の縁のぎりぎりまで削り、氣としているのだ。
それは呼吸とチャクラを通すことによって生成される氣よりも、
遥かに多量の氣を劉に与える一方で、ひとつ間違えれば理性を侵食され、
狂人に成り果ててしまう危険な術だ。
 それを劉は使った。
柳生を斃す為に、客家の仇を取る為に、そして龍麻を救う為に。
 重い青竜刀を小枝のように振るい、劉ははげしい攻勢に出た。
たった一つ残された客家の証である青竜刀を以って、この世の全てを破壊せんと企む魔人を斃す。
その為になら狂おうが構わない。
渾身の力を薄赤く輝きが滲む刃に込めて、劉は重い斬撃を撃ちこみ続けた。
「少しは出来るようだが……まだ未熟」
 だが、それでも柳生を捉えることは出来ない。
重く、疾い太刀筋は到底凡人には見切れない、どれもが必殺の一撃であったが、
それを柳生は易々と躱し、また防ぐ。
見兼ねた京一が加勢に入っても、巧みな位置取りで挟み撃ちを避け、
更には反撃に転じる柳生は、確かに稀代の剣士であった。
……闘いの行方は、まだようとして知れない。

 飛来する、丸太ほどもある鬼の拳を身を沈めて躱し、立ち上がる余勢を駆って薙刀を振り上げる。
鬼を見るのは初めてではない雪乃は、
古来より恐怖の象徴とされてきた異形の姿を見ても怯むことはなかった。
ポニーテールを軽やかに揺らして大きく鬼の周りを動き、隙あらば氣を宿した刃で斬りつける。
薙刀の間合いを活かした巧みな攻撃は、少しずつではあっても確実に鬼に傷を強いた。
「せりゃあッ!!」
 激しいときの声は、荒ぶる性を持つ雪乃そのものだ。
魔を断ち、邪を祓う薙刀は、鮮やかな朱の残像を陰氣漂う空間に無尽に描いた。
「やっ!」
 姉が開いた傷に、妹が矢を射こむ。
一つの魂を分け合った双子のみがなしえる、阿吽あうんをも上回る完全に一致した呼吸で、
織部の姉妹は鬼を退けた。
「雛っ」
「はい、姉様」
 たったそれだけの会話で意思の疎通を果たした二人は、新たな鬼を斃す為移動する。
その姿には既に、百戦錬磨の風格が漂っていた。
 稲光にも似た閃光が疾る。
氣を穂先に宿した槍は、硬い鬼の皮膚を易々と貫いた。
素早い動きで何箇所も孔を穿ち、鬼の動きを止めた雨紋は、愛用する武器を腰に溜める。
「せやぁッ!!」
 裂帛れっぱくの気合と共に繰り出された槍は、鬼の巨躯の中心を正確に貫き徹した。
口許に薄い笑みを残し、余裕の表情で鬼を斃した雨紋は、新たな敵を求めて四方を見渡す。
 やがて彼の目が捉えたのは、一人で鬼と闘う男の姿だった。
闘う、というより翻弄している、と言った方が正しいほど、
その男は鬼の攻撃をかすりもさせないで躱している。
そして苛立った鬼が振りの大きな一撃を繰り出してくると、
すかさず手近にあった木を利用して鬼の遥か頭上を飛び、手にした武器を脳天めがけて投じた。
 苦無という名のその武器は、頭頂から眉間にかけて三発、正確に直線状に刺さり、鬼を絶命させる。
倒れこむ鬼の、埃すら避けて着地した男に、雨紋は短く口笛を吹いて賞賛した。
「さすが如月サンッ、忍者は一味違うな」
 雨紋は本心から、江戸から伝わる飛水流という流派の忍術を受け継ぐ一族の末裔である
如月翡翠を誉めたのだが、誉められた相手は音もなく早足で近づいてきた。
「雨紋君、あまり僕が忍者だということを人前で言わないでくれないか」
「なんでだよ、別にいいじゃねェか。本物の忍者なんて知ったら皆ビックリするぜ」
「とにかく」
 強い調子でたしなめられ、渋々黙るしかない雨紋だった。
 葵を護るように立った小蒔は、遠間から矢を射掛ける。
鋭い弓勢で放たれた矢は、やじりに炎の氣を宿し、鬼の身体に次々と刺さっていった。
しかし距離があるからか、鬼に突きたてられた矢はいずれも致命傷にはなっていないようで、
古来よりの恐怖の象徴は咆哮をあげる。
「この……っ」
 苛立った小蒔は前進し、より近くから矢を射掛けようとした。
次の一矢で仕留めるために集中していた小蒔は、
横合いから彼女を狙う別の鬼の存在に全く気づいていない。
「小蒔っ」
 親友を狙う、闇にうごめく存在に気づいた葵は注意を喚起し、すぐに彼女を護る『力』を念じ始めた。
しかし氣が満ちるよりも早く、陰氣の塊が小蒔を襲う。
「しまったッ!!」
 闇に紛れていたとはいえ、こんなにも近くにいたなんて。
小蒔は慌てて距離を取り、矢をつがえようとするが、
鬼は既に丸太のような腕を振り上げており、どうしても間に合いそうにない。
あまりに間近に差し迫った危険に、かえって恐怖が麻痺してしまい、
小蒔は逃げることも忘れてぼんやりと鬼を見ていた。
醍醐クン、ごめん、ボク、もうダメかも──
なぜか浮かんだ醍醐への謝罪。
そしてもっと不思議なことに、口には出していないはずなのに、醍醐が何か言ったような気がする。
しかし、何を言ったかまでは聞き取れない。
聴覚は確かに捉えたけれど、そこから脳に伝わるまでに何かトラブルが生じたらしく、
理解ができなかったのだ。
ホントに、ごめんね──
霞がかった頭で、小蒔はとにかくもう一度醍醐に謝ろうとする。
 急に、鬼の巨体が揺らいだ。
醍醐をも遥かに上回る、今まさに小蒔を叩き潰そうとしていた悪しき怨念の塊は、
バナナの皮を踏んずけて滑ったように、大きくよろめいた。
「……!?」
 ボク、もうやられて、おかしくなっちゃってるのかもしれない──
何が起こっているのか全くわからず、小蒔はそんな風に考えた。
きっと死ぬ寸前って平衡感覚が狂っちゃうんだ、だから鬼があんな傾いて──
「大丈夫かッ!!」
 急に呼びかける声が近くから聞こえて、
全くとりとめのないことを考えていた小蒔はすっかり驚いてしまった。
醍醐ではない、でも同じくらい力強い声。
小蒔の目の前に、白い空手着を着た大きな男が二人、鬼との間に立ちはだかっていた。
「えッ、あれ……? 紫暮……クン……?」
 男達の正体に気付いた後も、小蒔はまだ自分が幻覚を見ているのではないかと思った。
全く同じ背格好をした人間が二人いることにではなく、
彼らがこの場にいること自体がおかしなことだったからだ。
 小蒔に背を向けたまま、紫暮が叫ぶ。
「しっかりしろッ! どこかやられたのか!?」
「ううん……どこも痛くない……けど、あれ、どうして……?」
 たぶん今はそんなことを聞いている場合ではないのだけれど、小蒔はどうしても訊ねずにいられなかった。
「お前らと同じだ、これだけの大きな氣……只事じゃないと思ってな。
途中で電車が止まって苦労したが、なんとか間に合ったようだな」
 二人の紫暮はどちらが喋っているのか、小蒔には判らなかった。
 弓を下ろし、ぼうっと立ちつくしている彼女の所に醍醐が走ってくる。
「大丈夫か、桜井」
「あ、うん、平気」
 巨漢の声に落ちつきを取り戻した小蒔は、改めて状況を判断する。
近くにいる鬼はニ体。
「あっちは足止めしておくからさ、先に紫暮クンの方を」
「うむ……わかった」
 小蒔が恐慌をきたしていないのを確かめた醍醐は、
彼女の判断が間違っていないことを理解し、まず一体を斃してしまうことにした。
 彼女を案じて駆け寄ってきた醍醐に一瞥をくれた紫暮は、鬼の懐に飛び込みつつ指示を出す。
「醍醐、力を貸せッ! 一気にやるぞッ!」
「おうッ」
 三人・・は鬼を囲み、乱打を浴びせる。
太鼓を打ち鳴らしたような鈍い音が、途切れることなく響いた。
闘いはすぐに一方的なものになり、醍醐と紫暮は思うがままに拳と蹴りを撃ちこんだ。
 正拳が人中を貫く。
大きさは違えど、人型の生物であるならば同じ部位にある急所を、
幼い頃より何万回と繰りかえしてきた突きは正確に撃った。
「グゴアァッッ!!」
 鬼が巨体を苦悶にのたうちまわらせる。
巨大な身体はただ暴れるだけでも強力な攻撃となり、
地面を踏み鳴らす足に踏み潰されればただでは済まないだろう。
 目を細めた紫暮は一歩退がった。
十八歳という年齢の半分以上を武道に捧げてきた、
猪突という言葉の愚かさを誰よりも知っている古強者ふるつわものは、
丹田に力を溜めると、うなりを上げて振り下ろされた拳を紙一重で躱し、左右に同時に・・・・・・跳んだ。
 ニ重存在ドッペルゲンガーという特異な『力』を持つ紫暮は、
己の写し身とも言える氣の塊を自在に動かすことが出来るのだ。
 純粋な鍛錬の成果ではないから、この『力』を極めようというつもりはない。
だが、やはり強さを求める紫暮にとって、
どのような形であっても己の限界の強さを見てみたいという欲求があるのも確かなのだ。
試合などではこんな『力』は使えないが、鬼が相手ならば遠慮は必要ない。
今日を最後と定め、紫暮は己に宿った異能の『力』を存分に奮った。
 鏡に映したように同じ動きで散開した二人の紫暮は、鬼の真横に位置取った。
激昂している鬼が、傷を負わせた相手を探している。
だが、一体しかいないはずの敵が、左右両側にいることに驚いたのだろう、一瞬動きが停滞した。
妙に人間じみた動作で左右に首を振り、どちらが傷を負わせた相手なのか見極めようとしている。
その隙に溜めを作った紫暮は、全体重を乗せた蹴りを鬼の腹に放った。
「ガハァッ!!」
 左右から同時に腹を蹴られ、正面からは重い醍醐の正拳を受けた鬼は、
断末魔の咆哮を一度放ち、びくりと身を震わせる。
醍醐と、今は一人に戻った紫暮が離れると、支えを失った鬼は闇へと還っていった。
 勝負に勝った二人は、ねぎらいの言葉をかけるでも、一瞬たりとも休もうともせず、
小蒔が足止めをしている鬼を打ち倒すべく移動する。
だがその顔には共通した、いかにも武道家らしい笑みが浮かんでいるのだった。



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