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 サーブルを構えた諸羽は、冷静に距離を取る。
人に似た、人ならざる存在──鬼を見るのは初めてだったが、恐れはなかった。
地を揺るがす鬼の拳を俊敏な動きで避け、氣を宿した切っ先を突き立てる。
西洋剣術を学んでいる諸羽は、それに加え、師匠である京一に習った技を用い、
鬼の身体の各処に次々と傷を増やしていった。
一つ一つのダメージは小さいが、重ねていけば必ず斃せる──
諸羽はそう確信し、攻撃の手を休めない。
それは戦法としては正しかったが、この場合は敵との力に差がありすぎた。
「はッ!!」
 飛来する拳を避け、サーブルを鬼の胸板に突きたてる。
だが鬼の筋力は想像以上にあり、剣は貫くことも、抜くことも出来なくなってしまった。
「ぐごぉォァァッッ!!」
 雄叫びをあげた鬼が、動揺する諸羽の身体を掴む。
片手でも楽に掴める巨大な手を用い、両手で諸羽を担ぎ上げた鬼は、
力任せに地面に叩きつけようとした。
三メートルほどの高さとはいえ、腕が大木ほどもある鬼の力で叩きつけられては無事では済まない。
「く……ッ、この……ッ」
 諸羽はなんとか逃れようとするが、指一本でさえ細身の諸羽の胴回りと変わらない鬼の手は、
万力のように締め上げ、全く脱け出せなかった。
「霧島くんッ!!」
 さやかの悲痛な叫びが闇に溶ける。
助けを求めて周りを見回したが、誰も皆手一杯で、諸羽を助けてくれそうな者はおらず、
絶望に侵食されたさやかは、たまらず顔を覆ってしまった。
 その為にさやかは見ていない。
か弱き少女の助けを求める声に応えた正義の戦士が、颯爽と現れ諸羽を救った所を。
「ビッグバン! アターック!!」
 唱和と共に爆発が起こる。
敵も味方も一瞬我を忘れるような、やたらと派手な爆発だったが、
とにかく爆発の後に鬼の姿は消滅していた。
 支えを失った諸羽の身体が落下する。
再びあがりかけたさやかの悲鳴を止めたのは、諸羽を力強く受けとめる、
真っ赤なコスチュームに身を包んだ何者かの姿だった。
「未来ある少年よ、怪我はないか?」
「は……はい、ありがとうございます」
 命を救ってもらった諸羽が、彼らしくもなくどもってしまったのは、
つい今しがたまで生命の危機に瀕していたからではない。
全身赤いスーツを着て、頭部にはヘルメットを被った、
子供の頃にテレビで観た、何かのヒーローそのままの格好の男に圧倒されていたのだ。
謹厳実直を地でいく諸羽だが、これには何と言って良いか解らない。
それでもとっさに礼を言えたのはやはり諸羽だからで、
もしこれが京一だったりしたら、遠慮なく奇態な格好を笑い飛ばしていたに違いないだろう。
「良かったァ、前口上言ってる暇なかったから威力が落ちてたらどうしようって思ったんだけど、
大丈夫だったみたいね」
「ああ、特訓の成果はバッチリあったみたいだなッ!!」
 黒とピンクのスーツを着た男女が口々に叫ぶと、
諸羽を立たせた赤いスーツの男も、彼らに合流して何やら喜んでいる。
突如現れたやたらと派手、というより奇抜ないでたちの三人組は、
あっという間に注目を集めていた。
それは恐らく、彼らにとって望む展開だったことだろう。
 学帽を被りなおした村雨が、近くにいた小蒔に訊ねる。
「おい、なんだあいつら」
「……えーとね、コスモレンジャーって言ってひーちゃんの友達」
 ボク達の、とは言えなかった小蒔だった。
 そう、彼らこそは練馬区が誇る正義の味方、コスモレンジャー。
普段は善良な高校生として大宇宙高校に通う彼らは、
街に悪が現れると紅井猛はコスモレッド、黒崎隼人はコスモブラック、
本郷桃香はコスモピンクに変身して闘うのだ。
主に練馬区の平和を護る為に日々活躍していた彼らだったが、
今日は遂にスケールアップして、世界の平和を護る為にやって来たのだ。
「と、言う訳でよろしくな、アンタ達ッ!!」
「あぁ、俺達が来たからにはもう安心してくれッ」
「世界の平和はコスモレンジャーにお任せよッ!!」
 戦闘の最中に長々と述べた彼らは、早速闘い始める。
それを見ても、すっかり毒気を抜かれた他の連中はしばらく動かなかった。
「……ま、俺達は俺達でやるとするか」
「そうですね、それが良いと思いますよ」
 もう一度学帽を直す村雨に、御門が同調する。
この世にも珍しい光景を、たまたま横で見ていた小蒔は、後々までこれを語り草にするのだった。

 今、龍麻の眼前には二体の鬼がいる。
味方の人数は鬼の数を上回ってはいるが、
その中には葵やさやかなど戦闘には向いていない人員も含まれており、
余裕をもって対処出来るわけではない。
そして鬼にも幾らかの知能はあるのか、京一と劉に目を付けた彼らは、
巧みに龍麻と京一達を分断し、挟み撃ちにしてきたのだ。
一対一ならまだしも、二匹同時に相手取るのはどう見ても分が悪い。
しかし京一と劉は柳生と闘っており、助けを求めることは出来そうになかった。
 柳生と闘えない苛立ちを抑え、まずこのニ匹を殲滅せんと龍麻は氣を練る。
一秒でも早くこのニ体を屠り、柳生の許に戻らなくては──
意識の底に、本人も気づかない焦りが生じていた。
龍麻の心に急速に根を張った、慢心とも言える心のぶれは、
少しずつ肉体のコントロールを妨げていった。
柳生本人と闘っていれば危機に直結する精神の乱れにはすぐに気づいただろうが、
皮肉にも春から多くの闘いを経験した龍麻にとって、鬼は一体なら既に脅威とはなくなっていた為、
致命的なものとなるまで知り得なかったのだ。
「ち……ッ」
 この一撃で鬼を斃せなかったことに、失望と怒りの舌打ちが漏れる。
充分に氣は練れていたはずなのに、また時間を浪費してしまう。
これでは、京一か劉に柳生を斃されてしまう。
仲間達に賢しげに言ったことも忘れ、龍麻は父の仇を取りたいという怨に憑かれていた。
それが柳生がこの場に満ちさせた陰氣の影響によるものだったとしても、
迫り来る死の恐怖からの反動に起因するものだったとしても、龍麻はその負の感情を拒まなかったのだ。
柳生は、この手で息の根を止める──
はげしすぎる怒りの念が練氣を妨げていると知らぬまま、
背後から繰り出された鬼の拳を避け、反撃に転じようと振り向く。
 その瞬間龍麻は、自分の頭が地面に叩きつけられるのを感じた。
 視覚が、大きく揺れる。
その後に聴覚が乱れ、微かな金属音が頭の中を乱反射した。
痛覚はなぜかなく、思考だけが巡る。
鬼にやられたのだ、ということは理解するまでもなかった。
問題は肉体が動くのか、まだ闘えるのかという点につきる。
途切れかける意識をかき集め、指先に力を集中させると、わずかながら動いた。
動ける──
しかし、一旦は抱いた希望を、龍麻はすぐに捨てた。
陰氣が迫っている。
鬼が止めを刺そうとしているのだろう。
圧倒的な殺気が迫ってくるが、全身を動かすにはまだ至らない。
どうやらこのまま、叩き潰されてしまうようだ──
 既に今日二度目となる生命の危険を、龍麻は冷静に受け容れていた。
二度も命拾い出来るほど、世の中は甘くない。
それも自分の焦り、あるいは奢りが原因となるものであっては、
『黄龍の器』の宿星とやらも愛想を尽かすに違いない。
逃れることを諦めた龍麻は、ややなげやりにそんなことを考えていた。
 だが、もたらされるべき痛みはいつまで待っても訪れない。
理不尽な怒りを抱いた龍麻が重たい頭を上げると、目の前には、黒い学生服に包まれた細い足があった。
「大丈夫かい」
 低く、小憎らしいほど冷静な声が、ずきずき痛む頭に障り、
龍麻は甘い誘惑を振り払って立ち上がった。
「壬生……か……」
「ああ。少し休んでいるといい。こいつらは僕が片付ける」
 苦闘を見ていないかのように、こともなげに宣告した壬生紅葉は、
止める余力すらない龍麻の眼前から突然姿を消した。
 一瞬遅れて、闇が龍麻を覆う。
反射的に空を見上げた龍麻の眼に、軽やかに跳躍している壬生が映った。
「……!」
 超人的な、飛翔と言っても差し支えないほどの跳舞を見せた壬生は、
そこから身体をひねり、鬼の側頭部に痛烈な蹴りを叩きこんだ。
それも、蹴った鬼の頭を支点にして身体を反転させ、同じ場所にもう一度蹴りを見舞う。
重力のくびきを解き放ったとしか見えない壬生の動きに、
龍麻は痛みも忘れて魅入られていた。
 サービス精神旺盛なピエロのように、壬生が観客の眼前に着地した時、既に鬼は斃されている。
一切の反撃を許さずに獲物を仕留めた、ピエロなどより遥かに危険な狩人は、
一瞬、身体を沈みこませただけで、再び龍麻の視界から姿を消した。
今度は反対側の空に躍る、鏡に映したように同じ高さ、同じ体勢で跳んだ細身の身体は、
鮮やかに鬼の側頭部に蹴りを見舞い、そのまま鬼を飛び越えた。
何者に攻撃されているかすら判らないのだろう、
鬼はやたらと腕を振り回し、怒りの叫びを空に放っている。
「龍麻っ」
 龍麻の身体に活力が戻ってくる。
葵が癒しの『力』を使ってくれたのだ。
頭を振って残っていた嫌な感覚を追い出し、葵に笑ってみせる。
安堵する葵を視界の端に見て、龍麻は壬生に加勢した。
 空中で身体をひねり、体操選手のように美しく回転する。
だが似ているのはそこまでで、丸めた身体を一転、鋭いもりと化した壬生は、
その先端となる右足のつま先を、疾さについていけず、がら空きの鬼の背中めがけて突きたてた。
 ほぼ同時に、龍麻も攻撃を放っている。
柳生に較べれば止まって見える鬼の腕を余裕を持って躱し、正面に立つ。
流れこむ暖かな氣は既に充分すぎるほど身体を癒してくれ、練氣に支障はない。
右手を軽く鬼の胸の中央に当てた龍麻は、甲に左手を重ね、支えとする。
地面を撃ち抜くかの勢いで蹴りつけ、得た反動を右手に与えると、一気にたわめた力を開放した。
 二頭の龍が交錯する。
天を翔けようとする龍と、地を平らげんとする龍は、鬼の巨体の中で衝突し、覇権を争った。
二つの大きな荒ぶる力は瞬時に鬼の氣を食い尽くし、なお足りぬとお互いの尾に噛みつく。
「ウゴオォォァァッッ!!!!」
 体内で二頭の龍に暴れられてはひとたまりもなく、鬼は煩悶の叫びを天に放ち、闇へと還った。
「助かった」
「何、礼なんていいさ」
 命を救われた礼を、短い語句に強く込めて言った龍麻に対する壬生の返事は、
実にそっけないものだった。
今は死闘の最中なのだからそれが当然としても、感謝の気持ちが伝わっていないような気がして、
少しむきになって龍麻は壬生の横顔に視線を走らせた。
 こいつは、ラーメンで機嫌を取れるだろうか──
京一ならば間違いなく取れるだろうが、こいつは感謝を形として受け取るタイプだろうか、
と命の謝礼にしては恐ろしく安っぽいものを差し出そうかと龍麻が思案にくれていると、
壬生の方が先に口を開いた。
「君に、もっと早く出会っていれば良かったよ」
「え?」
 一体この、法に裁かれない悪を討つ為とはいえ人を殺すことをためらわない、
社会の闇に生きる暗殺者は唐突に何を言い出すのだろうかと、
たった今まで常世とこよの縁を覗いていたことも忘れ、龍麻は耳をすませた。
「君達はこんな奴らと春から闘っていたんだろう? ……少し、妬けるよ」
 そう、声を置き残した壬生は、技をふるえる新たな場所を見つけて翔んでいた。
「……」
 口を開き、閉じ、また開きかけた龍麻は、結局何も言うことなく闘いに意識を戻したのだった。

 たもとから札を取り出した御門は、それを左手に構え、右手で印を切り始めた。
呪言を唱えながら、前方に五芒星を描く。
咆哮を上げて威嚇する鬼にも全く落ち着き払っており、動作に焦る様子はない。
動かない獲物めがけて地を割るほどの一撃が、
ひとつが人間の頭部ほどもある両の拳から繰り出される。
単純にして豪快な攻撃は、しかし永遠に御門はおろか、地面を叩くことすら叶わなかった。
 天頂から始まった五芒星が、天頂へと還ってくる。
古より伝わる神秘の図形を描いた御門は、悠然とした動きで札を放った。
目に見えぬ何者かが運んでいるかのように空中を漂った札は、
まさに振り下ろされた鬼の拳に触れる。
その途端、鬼の巨躯は霧消し、後には一片の埃すら残っていなかった。
「……フッ」
 この程度の鬼など何匹集まったとて屠るのはたやすい。
しかし、せっかく彼ら・・も集まったのだから、少しは活躍する場面が欲しいだろう。
故に御門は自分めがけて襲ってくる鬼だけを斃し、後は彼らに任せることにした。
 自分のノルマは果たしたとばかりに半歩退がった御門は、ふと、斜め前方にいる少女に目を留める。
確か緋勇が裏密ミサと呼んでいた彼女は、居並ぶ者達の中では最も近い・・と思われたが、
その資質は測れず、得体が知れない、というのが彼女に対する御門の評価だった。
 その裏密ミサが今、鬼と正対している。
緋勇の友人達の中でもひときわ小柄な彼女は、鬼の拳が掠っただけでも吹き飛ばされてしまうに違いない。
彼女の実力を確かめてみたいと思った御門は、しばらく様子を見ることにする。
だが、ミサが動く気配はない。
鬼を眼前にして怯えたわけではないようだが、
案外恐怖のあまりすくみあがってしまっているのかもしれない。
わずらわしく思いつつも、彼女を助けるために御門は印を結ぼうとした。
「えい〜」
 しかし、御門が鬼を退ける破邪の術を用いようとした時、
なんとも気の抜けたかけ声が彼女から発せられた。
動作を妨げられ、一瞬御門の気が逸れる。
次に御門が彼女を見たときには、もう鬼の姿は跡形もなかった。
「……」
 彼女が呪文のようなものを唱えた形跡はなく、
陰陽道以外にもいくつかの法術の知識を持つ御門だが、何が行われたのか全く判らなかった。
第八十八代御門家当主として、滅多なことでは動じない御門も、
これには驚き──他者に問われたら驚いたなどとは絶対に認めないが──思わず懐の扇子に手を伸ばした。
彼の感情を、彼に代わって表現する扇子は二山ほど開かれたところで閉じられる。
するとミサが、ゆっくりと頭だけを振り向かせた。
「見〜た〜な〜」
 彼女は前を向いていて判らないはずなのに、なぜ見ていることが判ったのだろう。
他人に教えを請うのは嫌なのだが、小柄な少女の有する力に戦慄を禁じえない御門は、
膝を屈して訊ねることにした。
「今……貴女は一体何をしたのです」
 問いに対するミサの反応は、御門の想像を絶するものだった。
全く目の見えない、何がしかのまじないが施されているとしか思えない眼鏡をかけた顔の、
下から半分だけを、にたりと笑う形に動かしたのだ。
「うふふふふ〜、ひ〜み〜つ〜」
それは未熟な陰陽師が創り出した式神に無理やり笑わせたよりも、もっと笑顔らしくない笑顔だった。
陰陽という、現代の秩序から大きく逸脱したのりを修めている御門は、
善悪にそれほど拘りはないが、その御門ですら邪悪と感じてしまう笑み。
これに比べれば悪鬼や物の怪の類など天使に見える、悪を結晶化したような笑みだった。
 光の加減でそう見えたのだろう、と思うことにした御門は、光などどこにもないことに気づく。
「……」
 あえて追求しないことにして、御門は手にした扇子を大きく開げた。



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