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 東京の運命を賭けた闘いが始まって、半刻が過ぎようとしていた。
ほとんどの鬼は斃され、立っているのは龍麻達と柳生の他は、一体の鬼を残すばかりになっていた。
「Fire!」
「Shoot!」
 その一体もマリィとアランによって斃される。
マリィによって生み出された炎が、アランの風を纏った銃弾によって神火と化し、邪を滅する。
高いコンビネーションを発揮した二人だが、仲が良いのかというとそうでもないらしく、
氣の弾丸を発射する、霊銃を下ろしたアランがマリィに笑顔を向けると、
何もない所に炎を生じさせる『力』を持つマリィは、
彼女の飼い猫であるメフィストを胸に抱きしめ、義姉である葵のところに走っていってしまう。
 がっくりと肩を落としたアランだが、その光景は闘いを終えた皆に見られており、
いくつかの失笑が漏れ聞こえてくると、一層意気消沈してしまった。
「あーあー、アランクン、ちょっとかわいそうかも」
「あんな見るからに軽薄そうな奴、別にかわいそうでも何でもねェだろ。
万が一雛乃に近寄ったりしたら鬼と同じように叩き斬ってやる」
 鼻息も荒く宣告する雪乃に苦笑しつつ小蒔は弓を下ろした。
どうやら誰も大きな怪我はしていないようで、残るは柳生のみだ。
弓の出番はたぶんないだろうから、と一息つこうとした時、急に肌に寒気を感じた。
「な……何コレ?」
 周りの闇から、幾つもの気配が形を取り始める。
それは十数分前に見たものと、全く同じ光景だった。
小蒔と同じく警戒を緩めていた仲間達も、慌てて武器を構えなおす。
それにしても、斃したはずの鬼達がなぜ──
一同が等しく思い浮かべた疑問に答えたのは、
おそらくこの場では最もこういう現象に詳しい陰陽師だった。
「成程……そういう訳ですか」
「どういうこと?」
「今この場所には膨大な氣が集まっています。
つまり柳生は、幾らでも鬼を生み出すことができるというわけです」
「そんな……!」
 悲鳴をあげかける小蒔を、雪乃がなだめるように肩に手を乗せた。
「そんな心配しなくたって、雑魚はどれだけいたって雑魚だろ?」
「ええ。ですが私達の体力は無尽蔵というわけにはいきません。それこそが柳生の狙いでしょう」
 それに、斃しても復活するとなれば、心理的にも負担が大きい。
終わりが見えないということは、それだけで不安を育み、恐怖を募らせていくのだ。
 では、闘いを終わらせるには──
「結局柳生を斃すしかねェ……ってことか」
 村雨のぼやきに、御門は静かに頷いた。
結局ここに来た目的を果たすことが、混沌を掃う唯一の方策なのだ。
「だとよ、緋勇さんッ、京一ッ」
 槍を構えなおした雨紋が叫ぶ。
声に疲れはまだ微塵も感じられず、二度や三度なら鬼達が復活しても軽々と打ち倒してしまえるだろう。
他の仲間も龍麻が柳生を斃してくれることを信じ、
それまでは何度でも鬼を退けてみせようと氣をみなぎらせた。
 形を取り戻した鬼達に、再び雨紋達は緊張を高める。
だがそれは、突如現れた女性によってもろくも打ち砕かれてしまった。
「み〜んな〜ッ、が〜んば〜って〜ッ!!」
 甘ったるく間延びした、なんとも気迫を削ぐ声。
あまりにも場違いな嬌声に、一般人が迷いこんだのかと思った彼らだったが、そうではなかった。
一度聞いたら決して忘れない声を、もちろん覚えている小蒔が、
夜目にも鮮やかなピンク色の看護婦の制服を着た女性と、
その隣にいる気の強そうな女性に驚いて近づいた。
「高見沢さんに、藤咲さん……どうしてここに?」
「麗司が目を覚ましたんだ」
 気の強そうな女性、藤咲亜里沙はわずかに目を伏せて言った。
 かつて『力』を手にし、歪んだ方向に用いてしまった嵯峨野麗司。
葵を精神世界に閉じ込めようとした彼は、龍麻達に敗れ、自分一人の殻に閉じこもってしまった。
意識を閉ざした麗司は現実世界においては昏睡し、
桜ヶ丘中央病院でいつ目覚めるとも知れないまま眠り続けていたのだ。
その彼が、目覚めたと言う。
「ボクの代わりに緋勇君の闘いを見届けて欲しい」
 半年以上眠り続けていた麗司は、突然の回復に驚き、喜ぶ亜里沙に答えるよりも、
自分の置かれた状況を確認するよりも先に、そう言った。
どうして龍麻が闘っていることを知っているのか、亜里沙が訊ねても、
麗司は答えずただ首を振り、重ねて寛永寺に行くよう亜里沙に求めた。
 麗司の状態に不安は感じられなかったこと、
山のような巨体を持つ、麗司が世話になっていた病院の院長もそうしろと言ったことと合わせ、
何よりこれまでに──麗司が入院するより前にもなかった、強い口調で頼まれた亜里沙は、
戸惑いつつも指示に従い、やはり院長が連れていけと言った、
桜ヶ丘中央病院の看護婦見習である高見沢舞子と共に寛永寺に向かうことにしたのだった。
「どこか〜、痛いところはありませんか〜?」
「う……うん、大丈夫」
 一同を代表しての小蒔の答えに、舞子は随分と落胆したようだった。
唇を尖らせ、不満顔で皆を見渡す。
だが本当に治療が必要な人間はいないと知ると、一転、笑顔で大きく手を振った。
「それじゃあ〜ッ、怪我したらすぐ治してあげるから〜ッ、頑張ってね〜ッ!」
 すっかり肩の力が抜けてしまった小蒔達は、なるべく怪我はしないようにしよう、
とそれぞれ心に誓いつつ散開した。

 雨紋の声は龍麻達に届いていたが、彼らの期待に応えることは難しいと言わざるを得なかった。
無手である龍麻を除いた京一と劉の間断ない攻撃も、柳生を斬ることは叶わず、
逆に柳生の斬撃を二人は徐々に避けられなくなっていた。
 柳生の剣を受けるには力と氣の双方を必要とする。
そのため疲労の蓄積は通常の何倍も早く、遂にそれが目に見える形となって二人に現れ始めたのだ。
「く……ッ」
「京一はんッ!」
 受けきれず、木刀が流れる。
劉が加勢し、押しかえしたが、剣勢を完全に殺すことは出来ず、凶剣は京一の右腕を捉えた。
「京一ッ!!」
 青ざめた叫びが届いた直後、京一の手から木刀が落ちる。
致命傷ではないようだが、顔は苦悶に歪んでおり、
利き腕をやられてしまっては闘い続けるのは無理だろう。
そして柳生はこの機を逃さず攻勢に出ており、
二人がかりでどうにか対等だった柳生に一人で抗戦出来るはずもなく、
たちまち劉は防戦一方に追いこまれていた。
このままでは柳生の剣が劉をも捉えるのは時間の問題だろう。
 爆発的に増えた怒りの陰氣を、練ろうともせず龍麻は突進しようとした。
攻撃が通用するかどうかなど一瞬で消し飛び、京一をやられた赫怒かくどに衝かれ、
柳生を討つ、ただそれだけの怨に肉体を操らせて闘おうとした。
「緋勇」
 その肩を、いつのまにか近づいてきていた壬生に掴まれる。
中断させられた激情はそのまま味方であるはずの彼へと向けられ、
龍麻は強い憎しみを込めて壬生を睨みつけた。
 壬生は龍麻の、鬼ですらたじろがせるであろう眼光にも、表面的には顔色一つ変えない。
噴き上がる陰氣に全身をわななかせている龍麻の肩を、渾身の力で押さえつけ、静かに指摘した。
「その氣では勝てない……陰氣に陰氣では通用しない。
僕が時間を稼ぐから、その間に氣を練るんだ」
 壬生の言葉は、悔しいが理に叶っていることを認めざるを得なかった。
それでも体内を荒れ狂う邪龍を鎮めるのに、幾拍かの呼吸を要する。
そうしている間にも劉は押され、いつ劉が京一と同じように斬られてしまうか気が気ではない。
「時間を稼ぐって、出来るのか」
「そうだね、一分……そのくらいなら保ちこたえられると思う」
 その間に柳生を斃せるだけの氣をまとめ、練りあげなければならない。
普段ならば容易に出来ることも、柳生を目の前にして行うことはかなりの困難となるだろう。
しかし、出来なければ皆が死ぬ。
龍麻に迷いはなかった。
「解った……頼む」
 龍麻が作戦を承諾すると同時に、壬生は翔んでいた。
既に限界が訪れていた劉を押し退けるようにして柳生の前に立った壬生は、強烈な攻勢をかける。
防御をほとんど考えていない、攻撃に重点を置いた閃光のような蹴りは、
さすがの柳生も反撃することは出来ず、防戦に徹している。
おそらくは先ほどの龍麻と同じように、長くは続かないと踏んでのことだろう。
 確かに壬生は後のことは考えていない。
自分に与えられた役割、龍麻が氣を練る時間を稼ぐことだけに徹しているのだ。
かつて壬生と闘ったことのある龍麻だが、今の彼の動きはその数段上を行っている。
あの時ですら壬生の蹴りは一歩間違えれば入院を余儀なくされるであろう、凄絶なものだった。
それが今目の前で放たれているものは、真剣に匹敵するほどの切れ味を有した、
およそ人の放てる技ではなく、劉が見せた、己が理性を削り取った代償としての動きに近いものだった。
劉がそうであったように、壬生もまた、龍麻を信じ、龍麻を護る為に己が身を捧げているのだ。
それに龍麻は応えなければならなかった。
 逸る心を抑え、氣を練る。
己の体内に流れる氣を、呼吸によってまとめていく。
溜めた氣はチャクラ──基底ムーラダーラから頭頂サハスラーラまでの、
体内にある氣の集結点とも言える部位を通し、より純粋な『力』へと高めていく。
そうして練り上げた氣を、攻撃、あるいは防御に使うのが、氣を操るということだ。
龍麻は父親から素質を受け継ぎ、師から指導を受けることによって、その術を身につけていた。
 だが今、それでは足りないことを龍麻は痛感していた。
江戸の世から生きる魔人は剣術だけでなく氣を操る才能においても優れており、
氣による攻撃を完全に跳ね返してしまう。
これを破るには、氣の練度を高めるか、氣の総量を増すしかない。
自分になら、それが出来るはず──『黄龍の器』である自分になら。
 龍麻はこの場に満ちる陰の氣、そして、『器』として扱えるであろう龍脈の氣を意識した。
「……っ」
 途端に膨大な氣が流れこんできた。
緋勇龍麻という『器』を支配しようと猛る氣を、龍麻は制御する。
増幅され、衝き動かされそうになる怒りの心を抑え、波一つない水面みなもの平静を保つ。
穏やかな呼吸を繰り返し、瀑布ばくふと化した氣を纏めていく龍麻に、
やがて身体を内側から光らせるかのような膨大な氣が満ちた。
淡い金色の輝きは龍麻の身体を覆い尽くし、闇にあってあまねくものを照らす光となった。
 横顔を照らす光に気付いた壬生は、最後の力を振り絞り、
神速の蹴りを柳生に放つと、素早く後退した。
柳生の方を向いたままバックステップしたが、足に体重を支える力が残っておらず、片膝をついてしまう。
それは致命的な隙であり、柳生が見逃すはずはない。
 しかし必殺の刃が壬生めがけて振り下ろされることはなかった。
柳生もまた、龍麻の異変に気づいたのだ。
「小賢しいわ……万策尽きた絶望の果てに死ぬがいい」
 これを止めれば『黄龍の器』共に方策はなくなる。
その後はこの場にいる者全てを屠り、その血を以って創世の祝福とするのだ。
柳生は絶対の自信を持って太刀を垂直に立て、襲いくる氣を防ぎ止めようと試みた。
 身体が軽い──否、重さが感じられない。
手足の動きから呼吸に至るまで、全ての感覚が失せている。
それは全身の隅々にまで満ちた氣が五感を消失させているからなのだと、龍麻は朧に理解していた。
自分と世界が一つになったような感覚は、決して不快ではない。
考える必要もない今の状態で、このままたゆたっていたいとさえ思ってしまうほどだ。
しかし、龍麻には為すべきことがあった。
大切なものを護り、大切な人を護る──その為に、龍麻はここにいるのだ。
 意識を集め、目的を達する為の氣を両の掌に凝集させる。
掌に重さと熱さが宿る。
膨大な氣を双つの手に束ねた龍麻は、それぞれを基底ムーラダーラ頭頂サハスラーラの前にかざすと、
前方に広げた掌から氣を解放した。
 一瞬の空白を置いて、氣の帯がはしる。
東京の上空を切り裂いていた白い光にも似たそれは、
密度と指向性において比類なく、龍麻の前方にいる柳生めがけて一直線に闇を貫いた。
「ぬう……ッ」
 龍麻の掌から放たれた氣の波濤はとうは、太刀の前で分かたれていく。
全身を軽々と呑みこもうかという圧倒的な氣にも、江戸の世から生きる魔人は抗していた。
己の狂気を宿した剣で、黄龍の『力』を防ぎ止めているのだ。
金色の氣は絶えることなく奔出しているが、それらが柳生の身体に届くこともない。
このまま、ほどなくすれば氣は途絶える。
その時こそ百数十年の長きに渡って抱いてきた野望が成就するのだ。
柳生は口許に薄い笑みを浮かべ、既にこの攻撃を受けきったと確信した。
 突然、小さな金属音が響いた。
小さなその音は、しかし、柳生の耳にはっきりと聞こえる。
どこから、何の音なのか──湧いた疑問には、すぐに答えが得られた。
目の前にかざした、数多の血をすすらせ、陰氣を注いできた剣。
柳生と共に永い時を生き、修羅の世を斬り開いていくであろう太刀が、切っ先の近くから折れたのだ。
生じた綻びはすぐに決壊し、氣を受けとめきれなくなる。
「……ッッ!!!!」
 膨大な氣が柳生を包んだ。
剣を失ってなお、柳生は抗しようとしたが、黄龍の氣はそれをゆるさなかった。
 柳生をかたどる陰氣が蝕まれていく。
 闘いは、終わりを告げていた。



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