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「……それだけの力を持ちながら、修羅の王となるを欲せざるか」
 黄龍の氣を全身に受けた柳生は、刀を支えにしてようやく立っている有様だった。
圧倒的だった陰氣は薄れ、例え血塗られたものであったとしても
覇者の風格を漂わせていた姿も、今は見る影もない。
もう決着がついたのは明らかだったが、龍麻達は油断なく柳生を囲む。
 満身創痍の柳生は龍麻のみを見据え、口許を歪ませた。
「だが……もう遅い。貴様等の氣によって我が『器』、渦王須カオスは最後の仕上げを終える。
この地に満ちた氣は全て『器』たる奴が食らうのだ」
「なん……だと?」
「奴は『力』の使い方を知らぬ、容器にすぎん……
だが、この世界に破壊と混沌をもたらすには充分だろうよ」
 柳生は闘いを始める前に既に、彼の用意した『器』に氣を受け容れさせる儀式を終えていたのだ。
無論負けることなど考えていなかっただろうが、万が一負けたとしても大いなる破壊は起こる。
人を憎み、世を憎む柳生にとっては、どちらに転んでも彼の望んだ結果となるのだ。
「貴様等が修羅の世でどう足掻くか、一足先に常世から見せてもらうとする……ぞ……」
 刀から手が滑り落ち、柳生は地面に伏す。
百数十年を生きた魔人の最期だった。
「……」
「おい、龍麻」
 京一に促され、龍麻は頷いた。
今は感傷に浸っている時ではなく、渦王須とやらを見つけ、東京の破壊を防がなければならない。
渦王須はどこに──周りを見渡す龍麻の目に、寛永寺の本堂が映った。
『器』は間違いなくあそこにいる。
自分と同種の気配、大きな氣の溜まりがあそこから感じられる。
確信した龍麻は、本堂へと足を向けた。
 薄暗い本堂の中には、予想通り男が一人いた。
「これが……渦王須……」
 椅子に座っている、柳生とは色違いの同じ制服を着ている少年は、正面を向いたまま目を閉じていた。
若干生気に乏しさを感じさせる以外は、何か変哲があるようには見えない。
「おい……生きてるのか?」
「さあ」
 京一の問いに首を振った龍麻は、確かめようと一歩踏み出した。
死んでいるのならば、渦王須には悪いがこれ以上状況が悪化する恐れがなくなる。
生きていれば色々と面倒なことになるが、
それでも龍麻達は柳生に利用されただけである渦王須に対しては憎しみを抱いてはおらず、
助けられるものならば助けてやりたいという思いもあった。
しかし。
「……!」
 まるで──いや、明らかに渦王須は龍麻に反応して目を開いた。
立ち上がった渦王須からは、殺気は感じられなかったが、
狂気に取り憑かれた魔人、柳生宗祟と闘う時でさえ抱かなかった怖れを、龍麻達は等しく抱いた。
渦王須の放つ、柳生すら上回る莫大な氣もそうだが、
眼だけを開き、一切の感情をうかがわせない顔は死人のものだったのだ。
ぼんやりと焦点の定まっていない、それでいて全てを見ているような眼。
 人間の形はしているものの、全く別種の存在。
龍麻達はこの、どのようにして柳生に選ばれたかは判らない少年を、
既に助けることは出来ないと悟らざるをえなかった。
 立ち上がった渦王須は居並ぶ龍麻達の誰一人にも関心を示さず、一歩を踏み出す。
やはりその動きからは、ロボットのように意思が感じられない。
「おい」
 戸惑った京一の囁きに、龍麻は軽く頷いた。
渦王須に罪はない。
しかし彼が『器』となるべく外法を施されてしまった以上、彼を斃さなければこの混乱は収まらないだろう。
せめて苦しまないようにと、龍麻は氣を練り、一撃で渦王須を眠りにつかせてやろうとした。
 その時、渦王須が口を開いた。
「ぉぉぉぉォォッッッ……!!」
 音律を伴わない、低い、地の底が鳴動したような声は、
およそ人の発することの出来るものではなかった。
顔だけを動かした渦王須は変わらず焦点の定まらぬ眼で龍麻を見据える。
 見ているかどうかは判らない、とは言っても、
目を合わせてしまったが為に、龍麻は攻撃をためらった。
その間隙に、渦王須の氣が急速に高まっていく。
「やべェ下がれッ!!」
 京一が言うまでもなく、本堂の中にいた仲間達は一斉に逃げ出した。
膨れ上がる氣を『力』持つ者達は敏感に感じとり、
それが自分達を遥かに上回る強大なものであると全ての感覚が警告を発したのだ。
 龍麻達が慌しく動いても、渦王須は表面的には何も反応しなかった。
ただ開け放たれた扉と、その先を見ているだけだ。
おかげで全員が無事に逃げ出すことが出来たが、それは起こる破滅の前の、
ほんの少しの静寂にすぎなかった。
 龍麻と共に本堂の最も奥にいた京一は、本堂から出るのは一番最後となる。
そのはずだった。
「龍麻ッ!!」
 当然隣にいるはずの男の姿が見えないことに京一が気づいたのは、本堂から光が弾けた直後だった。
薄暗かったこれまでから急激に視界が白み、一時的に視力が奪われてしまう。
加えて本堂から尋常ならざる圧力を感じ、京一は龍麻を救いに向かうどころか、
その場から下がらないようにするのが精一杯で、何が起こったのかさえ確かめられなかった。
「くそ……ッ」
 光量の多さに痛むまぶたを強引に開け、京一は本堂を見る。
 数秒前まであったはずの建物は消滅し、白い壁が天に向けてそそり立っていた。
「なッ、なんだこりゃ……っ」
 壁ではなく、柱だった。
直径にして五メートルは優に越える巨大な柱が、京一達の眼前に出現していた。
空高くへと続いている白い光は、どこまで伸びているか判らない。
近くにいるだけで吹き飛ばされそうな強大な『力』は、
この柱が自分達が用いるものとは比較にならない膨大な氣の奔流であると若者達に知らしめていた。
 それが意味するところは、ひとつ。
この地に蓄えられ、龍命の塔によって増幅された龍脈が、
それを受け取るにふさわしい者に向けて流れこんでいるのだ。
──黄龍の、器の許に。
 現出した幻想的な光景を、京一達は畏敬の念すら抱いてただ眺めていた。
「渦王須が……やったってのか?」
「恐らく、緋勇さんと渦王須……二つの『器』が極めて近くに揃った為、
龍命の塔によって増幅された氣が反応したのでしょう」
「……! そうだ、龍麻は」
 京一の問いに、御門は前方を指し示した。
 光柱の前に龍麻はいた。
安堵した京一は、すぐに龍麻の許に近寄ろうとしたが、強い圧力を感じ、足を進めることは出来ない。
「くッ……進めねェッ。おい龍麻、無事かッ!」
 焦りと苛立ちを隠そうともせず叫ぶと、どうにか龍麻からの返事はあった。
「凄いな……これが龍脈の『力』なのか」
「龍麻……?」
「柳生が……欲しがったわけだ」
 龍麻の声には、何かの不安を予感させる成分が多量に含まれていた。
この一年の付き合いでそれを敏感に感じ取った京一は、
とにかく龍麻の処に行かなければ、と焦りを募らせる。
龍麻はそんな焦慮を知って知らずか、後ろを振り返ろうともしなかった。
「こんな『力』……人が扱えない『力』は、封印しないといけない」
「……」
 仲間達の視線を背中に感じ、龍麻はわずかに身じろぎした。
「御門……渦王須の氣は感じられるか?」
「いえ……どうやら彼の身体はこれだけの『力』を受け容れるには不足だったようです。
今は彼の氣を全く感じません」
「……だよな」
「おい、何ブツブツ言ってやがんだッ。一旦こっちに来いよ」
 友人の声を遠くに聞きながら、龍麻は目を閉じ、黙想した。
自我を奪われ、ただ『器』としての能力をのみ高められた渦王須でさえ、
大地に眠る氣をその身に宿すことは出来ず、それどころか肉体を消滅させられてしまったのだ。
龍麻が同じことを行っても、氣を御しきる可能性は低いと言わざるを得ない。
しかしこのまま放っておけば、行き場を失くした氣は荒れ狂い、
東京に更なる破壊と混乱をもたらすだろう。
 ならば、やるしかない。
それが自分にしか出来ないことならば、逃げない。
龍麻はこの東京まちを、そこに住む仲間を、そして葵を護るために、一歩を踏み出した。
「おい、龍麻」
 京一の声は、仲間達の不安を代弁していた。
それが龍麻には解る。
解るから、振り向かなかった。
軽く片手を挙げ、別れを告げたのではない、と拳を固め、力を込める。
白い光の柱に入る寸前、龍麻は道標にするべき女性ひとの顔を脳裏に刻みつけた。
彼女が何か叫んだような気がする。
しかし、それをあえて確かめず、龍麻は『器』として務めを果たそうと前に進んだ。
 あまりにもあっけなく光の中に消えた龍麻に、彼の名前を叫ぶことが出来たのは葵と京一、
ただ二人だった。
「龍麻ッ……龍麻ァッッ!!」
 数瞬刻を奪われていた京一は、既に背中すら見えない友に向かって怒声を叩きつけた。
生死を共にしてきた仲間ではなかったのか。
友と呼べる関係ではなかったのか。
最後の最後で裏切られた気分だった。
どうしても憤激を収めることができない京一は、直接それをぶつけねばならないと踏み出す。
 それを厳しく諌めたのは、龍麻がしようとしていることを最も良く理解している御門だった。
「待ちなさい。緋勇さんが止めたのを忘れたのですか。
かの『力』は選ばれし者だけが手にすることの出来る力……
選ばれざる者が触れればただでは済まないでしょう」
 御門の説明は、おそらく本当なのだろう。
『黄龍の器』である龍麻は、『器』ゆえに龍脈の『力』を受けとめられるかもしれない。
しかし『器』ではない自分達は、あの膨大な『力』を身に受け入れることが出来るとは到底思えなかった。
柳生宗祟が起動させた龍命の塔によって増幅された大いなる氣は、
先人達が畏れたように決して人が手にして良い力ではないのだ。
巨大な円柱となって降り注ぐ氣は、絶望に近い畏怖を見るものに与え、
御しようとする矮小な者共を嘲笑うようにその圧倒的な力を誇示していた。
「うるせェッ!!」
 立ちすくむ、それ以外に何も出来ない悔しさに、京一は叫んだ。
しかし、むなしく氣の柱に吸いこまれていく声は、己の無力さを一層痛感させるだけだった。
 御門家八十八代目当主として東日本の陰陽師を束ねるという要職にある御門も、
京一の無礼な言葉にも怒りはしなかった。
ただ眼を細め、龍麻が消えた先を凝視している。
 龍麻がこれだけの氣を抑えこめる可能性は、おそらくない。
『器』としての覚醒の儀式がどのようなものか御門は知らないが、
龍麻は明らかにそれを行ってはおらず、今は無謀に突進しているだけの状態なのだ。
準備を怠る愚か者になど、御門は同情しない。
分をわきまえない痴れ者にも、御門は関心を持たない。
しかし御門は、本心から龍麻の無事を願い、彼のために何もしてやれない己の無力さを悔やんでいた。
宿星の動きを視て、凶星がこんの方角に入る時期も、龍が目醒める刻も詠めていたというのに、
それを何も生かせなければ、市井しせいの占い師と同じではないか。
光の柱を見つめ、御門は唇の端を噛んだ。
「目の前で龍麻が苦しんでるのに放っとけるかよッ!!」
 一方、御門よりも遥かに直情的である男は、己の激情を形にせずにいられなかった。
命を預けた存在ものである木刀を捨て、前に進む。
 その隣に、競うように劉が並んだ。
「せや、アニキのためならわいは命だって賭ける、そう決めたんやッ!!」
 しかし大地から噴き上げ、龍麻めがけてまさしく龍の胴の如く流れこむ氣は、
京一と劉に近づかせることを許さない。
どれほど鍛錬に励み、氣を操る修行をしたとしても、選ばれし者でない二人は、
龍麻の手助けをしてやることさえ出来ないのだ。
「くッ……畜生ッッ!!」
 京一と劉は憤怒の叫びを天に放つ。
それだけが、今の彼らに許された行為だった。
 空を白ませるほどの氣が、龍麻の一身めがけて注がれるのを、薄い唇を引き結んで見ていた如月は、
何事か、小さく頷くと、やはり状況を見ているしかない仲間の一人に向かった。
「醍醐君」
 醍醐は呼びかけられた如月に、全てを承知して頷いた。
そして如月と共に、この状況を打破出来るかもしれない仲間をかえりみる。
「うむ。アラン……それにマリィ、以前まえのことを覚えているか。
等々力渓谷で闘った時のことを」
「もちろんデース」
「うん……マリィも覚えてる」
 宿星を持つ者達は視線を交わしあった。
以前九角天童という鬼と闘った時。
一人天童に挑み、倒された龍麻に、四人は等しくある想いに目醒めたのだ。
 龍麻を護りたい。
黄龍を守護し、四方せかいを守護したい──
彼らの裡に宿る『四神』に彼らは目醒め、導きのままに龍麻を護った。
 今、それと同じ昂揚が彼らの中にある。
青龍、朱雀、白虎、玄武。
彼らは黄龍を守護するために在るのであり、その為にこの地に呼ばれた。
それを知った彼らに、迷う理由はなかった。
「行こう……緋勇君のところに」
「ああ」
「OK.」
「マリィ、お兄ちゃんを護る……いい? メフィ」
「ニャア」
 四人と一匹の猫は、歩き出す。
前方には龍麻を呑みこみ、劉と京一を阻んだ氣の柱がある。
氣を高めた四人は、歩みを止めず柱に触れた。
圧倒的な質感を伴って見えた、瀑布ばくふに近い氣の壁は、抵抗もなくあっさりと通過出来た。
拍子抜けしかけた彼らだったが、龍麻を護るべく練った氣はすぐに何かに飲みこまれていき、
代わりにその何倍もの氣が身体に流れこんでくる。
龍麻ほどではないが常人は遥かに凌駕する彼らの氣の器としての資質が、
渦王須と龍麻という二つの『器』をもってしてもまだ余りある氣に目を付けられたのだ。
「く……ッ」
 想像以上の氣に、叫ぶことすらできない四人は、それでもなお必死に龍麻を助けようと堪えた。
肉体的には何の痛みもない。
だが彼らの裡では、氣が精神を侵食し、自我を奪おうと荒れ狂っているのだ。
自己を保っていないと、無限に広がっていってしまう。
恐ろしく、そして途方もなく心地良い感覚に、四人はおののき、必死で抗った。



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