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解放感を両腕に込めて、小蒔は大きく伸びをした。
もともとテストが好きではないし、
友人達がこの時期だけは妙によそよそしくなってしまうから、その解放感は人一倍大きなものだ。
数日後の結果を思えばあまり手放しで喜ぶ訳にもいかないのではあるが、
とにかく大事なのは今、と小柄な身体のいっぱいに力をたわめ、肩に溜まった凝りを解き放った。
その拍子にあくびまで出てしまい、それを見た友人達が笑う。
照れながら、更に小さいあくびを重ねようとする小蒔の前に、
友人達の視線を遮るように一人の女性が立った。
顔よりも先に腰まで届く美しい黒髪が目に入り、小蒔は慌ててあくびを飲みこむ。
なんとなくそうさせる雰囲気が、目の前に立っている葵からは感じられたのだ。
気のせいか、とも思うのだが、表情は穏やかで、物腰にもいつもと変わったところはないのに、
彼女には友人達をも遠慮させるものがあるらしく、よそよそしさすら感じさせて顔をそむけてしまう。
一人取り残されて、別にやましいことはないのに、妙に緊張する小蒔を、黒い瞳が見据えた。
日本人は皆目の色は黒なのだけれど、その中でも特に黒い瞳。
それは全校生徒が憧れる、小蒔の自慢の瞳だった。
「どうだった?」
「うーん……まぁまぁかな」
出来た、とはおせじにも言えず、ダメだった、と言うと葵が悲しむ。
だから小蒔の返事は結果に関わらず、あらかじめ定まっていたものだった。
それを予期していたのか、そう、と簡単に頷いた葵は話題を変える。
「ね、小蒔……帰り、私の家に寄らない?」
それは、何の変哲もない誘いのはずだった。
テストが終わり、解放感に浸る高校生が友人を家に呼ぶなど、
探す必要もないほど良くあることで、小蒔自身が前にもそうして葵の家に泊まったことがあるくらいだ。
なのに小蒔は、彼女の問いに穏やかならざるものを感じていた。
そう感じたのは、きっと、葵の目のせいだ。
穏やかな、しかし底知れぬ深さを秘めた情念がなみなみとたたえられた黒い輝き。
二年前からずっと見続けているその色は、最近わずかに彩りを変えていた。
小蒔だけが知り得る、小蒔だけが見ることの出来る色彩。
危険な、けれどとても美しい色に、小蒔は惹かれずにはいられない。
「え? ……うん、それじゃ、お邪魔するね」
その輝きを得て立ちあがる小蒔の胸中には、自身も気付かない期待がうねり始めていた。

ティーカップにスプーンが当たる音が、静かに鳴る。
家に戻る途中も寡黙だった葵は、部屋に入ってからは紅茶を供したきり一言も口を聞いていない。
しかし、この小さな音が止んでしまったら、
何かを言わなければならないという強迫観念に捕らわれていたのは、むしろ客人のほうだった。
「……」
手のリズムを乱さないよう注意しながら、小蒔はそっと向かいに座っている親友の顔を覗う。
同じくしなやかな指に飽きることなく円を描かせている葵は、
琥珀色の液体の表面を見つめたまま小蒔の視線にも気付かない。
ただその顔は、学校で見た時よりも更に一定の方向に表情を強めていた。
その正体を、小蒔は知っている。
知っているのに口に出せないでいるのは、それではあまりにも──
だが、落ちかかった長い黒髪と伏せられた睫毛は、小蒔を少しずつその方向に引き寄せていた。
小さな透明のテーブルの下に透けて見える、きちんと揃えられた膝頭。
黒いストッキングが包むそこから目を上向けると、白いスカートが映る。
何の変哲も無いはずの光景が、小蒔の口を開かせた。
「葵、さ」
驚かせないように気を付けたつもりだったが、葵は弾かれたように顔を上げた。
卵型の頭に配置された目鼻は、それぞれの形だけでなく、
その位置も絶妙のバランスを保って置かれている。
春の陽光のような笑顔は真神だけでなく、他校の生徒からも告白を受けることがあるそうで、
真正面から見ていると、それも当然だと小蒔には思えるのだった。
その彼女が、さほど男性に興味のない小蒔の目から見ても
格好良いと思える男子生徒からの申し込みをことごとく断る理由。
それは、今ここに小蒔がここにいる理由と同じだった。
「ボクを家に呼んだ理由……だけど」
葵の整った顔が鮮やかな驚きにかたどられる。
ふり・・では無いと判ってはいても、わざとらしくも感じられるその仕種に、
小蒔の胸の奥にごく小さいものではあったが、揺らめくものが宿った。
「り、理由なんてそんな大したものじゃないの。ほら、テストも」
「うそ」
口早にまくしたてる葵を遮る。
声を喉に引っかからせた、ひきつった葵の顔に小蒔が覚えたのは、快感。
本当は自分よりもずっとエッチなのに、絶対に自分からは言おうとしない、優等生ぶった態度。
葵が好きなのに変わりはなくても、それを打ち崩せるのは愉しかった。
「葵さ、ボクと……したくて家に呼んだでしょ」
「そんな……事……」
まだとぼける葵にたたみかける。
「隠してもダメだよ。葵のコトならなんでもわかるんだから」
しかし、その何気ない一言が親友をどれほど変えたか、本人でさえ知る由もなかった。
喘ぐように唇を開いた葵は、彼女らしくなく視線をさ迷わせる。
柔らかそうな下唇を強く噛み、何かに堪えるような顔をした後に発せられた声は、
抑制しようとして失敗したもののように小蒔には感じられた。
「私……」
「なに?」
「私……ええ、小蒔、と……」
思ってもみなかった返事が返ってきて、小蒔は軽く息を呑んだ。
空耳かと思って葵を見たが、自分の一言によって一線を越えた親友は、
誘うような目つきでこちらを黙然と見ている。
その中に更に無限の階調をたゆたえ、淡くゆらめいている漆黒の瞳と、
濡れたような紅色の唇が、白い顔にあって誘蛾灯のように鮮やかに浮かんでいた。
その、息を呑むほど美しい表情に小蒔は圧倒される。
こんな顔をして迫られたら、男の子だろうと女の子だろうと夢中になってしまうに違いない。
そう思いながら、早くなる鼓動を糧にして、葵に近づく。
葵は自分が近づくにつれて目を閉じていく。
もしボクが止まったら、葵も目を閉じるの止めるのかな──
愚にもつかないことを考えつつ、小蒔は葵の肩に手を伸ばした。
制服に触れただけで快感が走る。
いやらしい気分になっているのは、葵だけではなかったのだ。
それが後から、つまり葵がそんな気分になっているのを知ったから自分もなったのだとしても、
テストが終わった直後の、それも昼日中から肌に触れるなんて──
とても、ドキドキすることだった。
唇を閉じ合わせ、もう待っている葵に、小蒔は静かにキスをした。
触れ合った唇は、やがて目に見えないほどゆっくりと結びつきを強めていく。
少しずつ広がっていく柔らかさはどちらが求めたものなのか、小蒔には判らない。
ただ、腕に触れる葵の掌と、漂ってくる髪の香りは、とても心地良いものだった。
「お願い……小蒔。服を……脱がせて」
「うん……いいよ」
四肢の力を抜き、人形さながらに身を委ねる葵に跨る。
少し前までは、考えもしなかった光景。
全校生徒の憧れである葵が、ボクに、ボクだけにして欲しがってることがある──
人形の服を脱がせるように、丁寧に葵の制服を脱がせた小蒔は、
漆黒の艶を放っている髪をそっと梳き分けた。
「ん……」
心地よさそうな声。
目を閉じ、触れるのを待っている葵に、小蒔は触れる。
白い額に。
細い眉に。
鼻に。
頬に。
陶器を思わせる滑らかな肌は、期待からか、ほのかに温かかった。
小蒔が壊れ物を扱うように触れていると、不意に抱きすくめられる。
思いのほか強い力に、小蒔は訊ねずにいられなかった。
「あお……い?」
「我慢……出来なかったの。テスト中、ずっと……小蒔にこうやって……
して欲しいって……考えて……勉強も、手につかなくて」
目を閉じ、唄うように告白した親友に、小蒔は驚きを隠せなかった。
勉強中にそういう気分になることはある。
あるけれど、小蒔の場合はあまり真剣に勉強をする訳ではなかったし、
あまり集中出来ない家庭の環境では、そんな気分になる隙もなかったのだ。
それに、彼女が自分のことを好きだと告白し、倒錯の交わりを受け入れてからも、
葵は一人でエッチなことをしたりはしないと半ば本気で思っていたのだ。
しかし、今葵は、はっきりと劣情を訴えかけている。
クラスだけでなく学校中から頼られる存在である彼女が、うっとりとしがみついている。
ひそやかな興奮に心がさざめくのを感じた小蒔は、唇をそっと舐めて訊ねた。

「葵は……ボクとどんな風にするって考えてたの」
小蒔の声が、下腹の一点に染みこんでいく。
その問いを待ち望んでいた葵は、
疼き──小蒔に対してならはっきりとそう言えるものを感じながら、
親友の、想い焦がれるひとの顔を見つめる。
細くすっきりとした顎に、良く動き、とりどりの表情を見せる口。
そして猫のようにくるくると良く動く目を、今は一箇所に据える小蒔に、唇は自然と開く。
下着が熱く潤っていくのを感じながら、葵はいかに自分が淫らであったかを訥々とつとつと語りだした。
「最初に……キス……キスを……」
「どんなキス?」
「何回も……唇の端から何回も、柔らかくて、素敵な……キスなの」
長い睫毛を伏せ、目を閉じる──閉じたふりをして、小蒔を誘う。
しかし小蒔は見抜いているのか、求めていることをしてはくれない。
ただ頬に両手を添え、そっと撫でる──それは、ある意味でより残酷な行為だった。
繊細な感覚を少しでも多く拾おうと、毛穴が開く。
皮膚の下を流れる血脈が量を増し、過敏なまでの反応を見せるようになっても、
小蒔の指はごくわずかな感触しか与えてくれない。
葵は顎を軽く上向け、更にねだるような視線を作った。
「お願い……小蒔」
頬を滑り下りてきた小蒔の指が、下唇に触れる。
少しだけ下に引っ張り、めくりながら横に。
小蒔がどんな意図をもってそうしているのかは判らないが、
粘膜の部分を滑っていく細い指に、葵は心を委ねた。
闇雲に咥え、吸い上げたくなるのを我慢していると、指は頬の内側や上顎をも擦っていく。
閉じることの許されない口の端からは、醜く唾液が伝いだした。
「あ……か……」
意味を成さない、呼吸に混じった声が、ひどくだらしない。
到底自分の発したものとは信じられない葵は、だが、その音色にすら興奮してしまっていた。
人差し指を根元まで濡れ光らせた小蒔が、ゆっくりとそれを口に含む。
小さくすぼまる彼女の唇を見ただけで、葵は下着に新たな染みを作ってしまうのだった。
「葵が考えてたよりも、ずっといやらしいことしてあげる」
小蒔の宣告は、葵にとって望みうる最高のものだった。
テストの期間中ずっと、否、寝ている時以外常に。
自分の想いが受け入れられた日から、例えそれが完全に望んだ形ではなかったとしても、
葵は小蒔への感情を抑える努力を止め、代わりに身を焦がさんばかりの情に日々身体を浸していた。
本当なら勉強すら捨て、小蒔と共に居たい。
しかし小蒔が優等生としての自分に憧れを持っていることも知っており、
その虚像を壊してしまう訳にはいかなかった。
だから一応の建て前が得られる今日まで待ったのだ。
ここで小蒔に拒まれてしまったら、狂ってしまうかもしれなかった。
既に理性の歯車を失い始めていることにも気付いていない葵は、
小蒔の言葉を絶対のものとして従う、と自らに課す。
そこに、悦びすら見出して。



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