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時間も十二時を過ぎ、散々に遊んだ龍麻達はプールを出ることにした。
さっさと着替えた龍麻達は、入り口で葵達を待つ。
心地よい疲労に大きくのびをしながら、京一が太陽を見上げた。
「う〜ん、今日は久しぶりにのんびり遊んだ気がするぜ」
「あぁ……後味の悪い事件が続いていたからな」
続いて、いた──醍醐は過去形を使ったが、龍麻にとって、それは過去ではなかった。
龍麻の表情でそれに気付いた京一が、友人の鈍さに舌打ちを堪える。
すると丁度良いタイミングで葵達が出てきてくれた。
「おっ、美里と小蒔が出てきたぜ」
「ごめんなさい、髪を乾かすのに時間がかかっちゃって」
「別にいいさ。その髪にゃ熱烈なファンがいるこったしな、大事にした方がいいぜ」
「ファン?」
葵に頷いた京一は、聞き咎めた龍麻が更に訊ねる前に話題を打ち切った。
「こっちの話さ。それよか、散々遊んだら腹が減ったな」
「うん、ボクもう三回もお腹の虫鳴ったよ」
「それじゃ、新宿で何か食って行くか」
「さんせーい!」
大きく一歩を踏み出した小蒔の足が、空中で止まった。
彼女だけでない、龍麻達も一様に顔をしかめ、鼻を抑えている。
「なに……この臭い」
「うっ、こりゃ……生臭いを通り越して、腐ってるような……」
「プールから……してる?」
何か食べた直後だったなら、大変なことになっていたかもしれない。
それほど強烈で、胃液を逆流させるような臭いだった。
ほとんどむせそうになっている龍麻の耳に、今度は悲鳴が飛びこんでくる。
「嫌ァ、化け物!」
「化け物!?」
ただならぬ叫び声に、龍麻達は顔を見合わせた。
声の方向は自分達がつい今しがたまでいたプールの方からしており、
化け物と言われても俄には信じられなかった。
「とにかく、行ってみようぜ」
鼻を抑えながらも、京一はプールに再び入場しようとする。
悲鳴が女性のものだったからではないだろうが、京一の行動は賞賛されるべきものだった。
しかし、それを制止する声がある。
「駄目だ、行ってはいけないッ!」
研ぎ澄ました針のように鋭い声に、思わず京一も立ち止まってしまった。
誰が水を差したのかと見渡す京一の前に、声の主が現れる。
「やァ。こんな所で会うなんて奇遇だね」
先の鋭さとは一転して穏やかな挨拶をしたのは、自分達と同じ歳頃に見える男だった。
「お前は……」
「フッ……」
「誰だっけ?」
思わず拍手したくなるくらい見事な京一のボケだった。
そしてツッコミの方はと言えば、これも見事にがっくりと足を滑らせている。
周到に打ち合わせていたのかと思うほど、呼吸の合った漫才だった。
「ふッ……ふふふッ……」
漫才は予定に入っていなかったのか、男はひきつった笑いを肩に浮かべている。
こいつは何をしに出て来たんだろう、そう思って改めて男を見た龍麻は、
その顔に見覚えがあることに気付いた。
「ええと、確か、骨董屋の──」
「如月だ」
そう、彼は、以前広告費の打ち合わせに真神学園に来た時に会った、如月( 翡翠(だった。
北区にある如月骨董品店の店主であり、小蒔が弓の修理を頼んでいる相手でもある。
その彼とこんな所で出会うのは確かに奇遇だったが、今はそれどころではなかった。
「そうだ、如月っつったっけ。でも悪いけどよ、今ちょっと取りこんでんだ。また今度な」
漫才を演(らされた恨みでもないだろうが、如月は再び険しく京一を止める。
「待ちたまえ、水の中では、人間は到底奴ら(に及ばない。
今プールに入っても、君達も餌食になるだけだ。……それに、どうせ今から行っても間に合わない」
最後の部分はごく小さな囁きで、大きくなる騒ぎの声にかき消されてはっきりとは聞き取れなかった。
「……え?」
「また何人か攫(われた……どうやら、増上寺も奴らの手に落ちたようだ」
「また……って」
思わせぶりなことを言う如月に、龍麻達の疑問の視線が集中するが、
如月は龍麻達を通すまいと立ちはだかったまま、直接の答えにはなっていない事を言った。
「縁(とは、不思議なものだ」
「……」
「この東京(には、異形の氣を持った者達が集う。
奴らの目的は増上寺の地下に眠る『門』を開けることだ。君達も──」
言いさした如月は、一度口を閉じる。
「いや、君達は(一刻も早くここを離れて、今起こったことは忘れてしまうことだ。
いずれ──全て解決する」
「なんだよ、いきなり出てきて勝手なこと言いやがって。
てめェが出てこなけりゃ助けられたかも知れねェだろうが」
かなり気分を害しているらしい京一が言葉を荒げても、如月は動じなかった。
静かに首を振り、細面ながらも強い力に満ちた眼光で龍麻達を見渡す。
そこには確かに修羅場を潜(った者だけが持てる威があった。
「僕はそうは思わない」
「なんだとッ!」
「助けに行った所で犠牲者が増えるだけだ、とさっきも言った」
あまりに自信たっぷりに言う如月に、もはや時期を失したとみた醍醐は、
肩の力を抜き、太い腕を組んだ
「……あんたは、どうしてそんなに落ちついていられるんだ?」
「うん。それに、化け物のコト、奴ら(って言ったよね。何か知ってるの?」
鋭い小蒔の指摘に、如月は一瞬緊張を和らげ、何かを言いかける形に口を開いた。
ただ、それもすぐに閉ざし、また事務的な口調に戻る。
龍麻の目には、如月が極力関わりを避けるようにしていると映った。
それが間違いでないことは、続く彼の言葉で解った。
「話してもいいが、君達は決して信じないだろう。
僕は──ただ義務を果たそうとしているだけだ。だからこの一件に他人を巻きこみたくない」
「義務だかなんだか知らねェけどよ、てめェ一人で解決出来る問題なのかよ。
無理して死んじまったらどうしようもねぇだろうが」
京一は言ったが、それはとげとげしいものではなく、ふてくされた子供のような言い方だった。
そのせいか、如月の、言葉通り他者を拒絶するような雰囲気が幾分薄れ、柔和な表情が垣間見えた。
「緋勇君……君も、そう思うのか?」
「俺は、お前の義務がどんなのかは判らない。言うとおり、化け物に歯が立たないかも知れない。
でも……一人じゃ駄目でも、何人かなら出来ることもある。
だから、協力出来るのなら、させて欲しいし、してもらいたい」
「誰かにそう言われるのは、ずいぶん久しぶりな気がするな。
ありがとう──しかし、この東京を護るのが僕達一族の定めであり、僕の選んだ道だ」
あくまでも頑なな如月に、龍麻も呆れざるを得なかった。
もっとも自分達の『力』のことを知らない彼からすれば、
単にお調子者の高校生が怪事件に首を突っ込もうとしているだけにしか見えないのだろうが。
とにかく、甲高いサイレンの音が聞こえてきたことで、
襲われた人を助けることも、この場で話を続けることも諦めなければならなかった。
「警察が来たか。……僕はこれで失礼するよ。ここであったことは忘れるんだ。
それが、君達にとっても最善の方法だ」
「行っちゃった……」
足早に立ち去った如月をなんとなく見送っていた小蒔は、
仲間達が向きを変えて逃げ出す準備をしていることに気付かない。
「おい小蒔、俺達もぼーっとしてねぇでズラかるぜ。事情聴取でもされたらうっとうしいからな」
「えッ、あ、ちょっと!」
既に何歩かを進み、走り出す寸前の京一に言われ、小蒔は慌てて仲間の後を追うのだった。
パトカーの音が聞こえなくなった辺りで、ようやく龍麻達は走るのを止めた。
そこは計らずも、不気味な会話を交わした、水岐と出会った場所だった。
プールでせっかく流した汗も再び滲み出し、京一は不快そうに額を拭う。
「はぁッ、はぁッ……ッたく、プールの後に全力疾走なんてするモンじゃねぇぜ」
「ねぇ……ボク達、港区(じゃまだなんにもしてないのに逃げる必要あったの?」
「これからするかもしれねェだろ。そうなった時に初めてと二回目じゃ警察の態度が全然違うんだよ」
「京一、ヘンなことに詳しいね」
「うるせェな」
褒めているとはとても思えない小蒔を軽く睨んだ京一は、
腕を組んでこの男らしくない、考える表情をした。
「……にしてもだ。プールに化け物、そして人が攫われる……
あの如月って奴も含めて、港区で何が起こってやがるんだ」
葵も指を形のよい顎に当て、考え深げに口を開いたが、
こちらはさまになっていると思うのは龍麻のひいき目なのだろうか。
「如月くん……事件の真相を知っているような口ぶりだったわね。
あの人も──私達と同じ『力』を……持っているのかしら」
龍麻達の周りで春から続けて起こっている事件は、いずれも『力』と関係したものだった。
今回の事件も断片的な情報しか得ていないものの、
それに関わろうとする如月が『力』を持っている、という可能性を疑うのは当然と言えた。
「そうだな……ちっと調べてみるか」
「あぁ……だがどうやって」
言わずもがなの疑問を呈する醍醐に、京一は軽く口の端を吊り上げた。
軽く人を食ったような表情が、この男には良く似合う。
「一人いんだろ、こういうのにうってつけの奴が」
解るか、と目で問い掛けた京一に、龍麻は思い当たる人物の名を挙げた。
「遠野さんか……あんまり巻きこみたくはないけど」
「そうも言ってらんねェだろ。情報集めに関しちゃ俺達じゃどうにもならねぇ」
確かに京一の言う通りだった。
それに放って置いても嗅覚の鋭い彼女のことだ、独自に事件を嗅ぎつけるかも知れず、
そうなったら独走してしまうかもしれない。
ならば先に手綱を持って、あまり無茶をしないようにさせればいい。
そう考える龍麻は、案外策士なのかもしれなかった。
もちろんそんな考えは顔に出さず、龍麻は小蒔に言伝(てを頼む。
「桜井さん、遠野さんに話しておいてもらえるかな」
「うん。んじゃ、帰ったら電話しとくよ。
それにしても京一さ、なんだかんだ言ってアン子のこと評価してるんだね」
おかしそうに髪を揺らす小蒔に、京一は軽く肩をすくめた。
「けッ。結論は出たんだ、さっさと新宿戻ってラーメン食おうぜ。いい加減腹減った」
こうして龍麻達は事件の調査を真神学園きっての専門家に任せることにし、
いつものラーメン屋へと向かったのだった。
杏子が血相を変えてC組の教室に飛びこんできたのは、
龍麻達がプールに行ってから数日後のことだった。
早朝の、まだ生徒も少なく澄んだ教室内の空気を、かき乱しつつ突入してくる。
「ちょっと聞いてよッ! 手がかりを掴んだのよッ!」
「手がかりって……なんだっけ?」
きょとんとした顔の小蒔に、杏子は首を絞めんばかりの勢いで詰め寄った。
「さーくーらーいーちゃんッ!! 頼んだのは桜井ちゃんでしょッ! 港区の事件の手がかりよッ!!」
「あ……何か判ったの?」
朝から元気の良い杏子に、
自分の机で半分眠っていた龍麻も眠気を覚まされて彼女達のところに近づいた。
ちょうど醍醐も登校して来て、これで杏子を入れて四人が揃ったことになる。
「へへッ、皆来たわね。手がかり、聞きたい?」
「もったいぶらないで教えてよ」
すると杏子は、小蒔に向かって手を差し出した。
その掌には何も乗っていない。
「じゃ、ハイ」
「何、この手」
「決まってんでしょ、情報代よ。いくらトモダチでも無償(では教えられないわ」
「情報代ーッ!?」
声をそろえる三人に、杏子は全く怯むことなく主張した。
「そ。全てはこの、今日発売の真神新聞に載ってるわ。どう? 一部たったの五百円!」
「ごひゃく……!」
再び声をそろえる三人。
五百円と言えば、トッピングも大盛りも出来ないが、ラーメン一杯なら食べられる値段だ。
情報よりは食べ物にお金をかけたい健全な高校生としては、少し高すぎる。
「遠野……お前、俺達から金を取るつもりか?」
「取材にだってお金かかるのよ」
「それにしたって……」
最初に情報をあげたのは自分達なのに、と釈然としない小蒔は口を尖らせる。
龍麻も同感だったが、このままでは話が進まない。
「いいよ、買うよ」
「さッすが、緋勇君は話せるわね! はい、確かに受け取ったわ」
龍麻が硬貨を出すが早いか、杏子はそれをひったくり、代わりに新聞を手に乗せた。
その素早さは、人間から魂を差し出させる契約を取りつけた悪魔さながらだった。
「ひーちゃん……ボクが言うのもなんだけど、止めたほうがいいよ。せめてもう少し値切った方が」
「全くだ、緋勇……お前は少し人が良すぎるかもしれんな」
ひとつめの契約を済ませた悪魔は、嘆く醍醐と小蒔に対して更なる商談を迫る。
「はいはい、ごちゃごちゃ言ってないで、あんた達も買ってくれるのよね?」
「い? いやァ、ボクはひーちゃんに見せてもらおうかな……って」
「うむ、俺も同じことを考えていたんだが」
「なんですってェ」
人間の悪知恵にしてやられた下級悪魔の形相でいきり立つ杏子の背後に、
聖者のように穏やかな表情をした少女が現れた。
「みんな、おはよう。どうしたの?」
「あ、葵おはよ。今ね、アン子が新聞買わないかってしつこくて」
小蒔が泣きつくと、聖者は迷える子羊に福音をもたらした。
「あら、真神新聞なら、私さっき買ったわよ」
明かされた驚愕の事実に一同は色めきたった。
小蒔などは払う気もなかったくせに、形相を変えて杏子に詰め寄る。
「アン子! さてはボク達全員に買わせようとしてたんだねッ!」
「へへへ……」
「ッたく……油断も隙もないね」
(もう、美里ちゃん来るの早すぎよ)
「何か言った」
じろりと睨む小蒔に大げさに手を振った杏子は、
恐らくこれから学校中で営業活動を開始するつもりだったのだろう、大量に束ねられた新聞を投げ出した。
「いいえ、言ってませんッ。あーあ、ほんッとにアンタ達が相手だと商売にならないわ」
「友達相手に商売する方がどうかしてんだよ!」
「あ、京一」
杏子の背後にはいつの間に登校したのか、京一が立っていた。
「そんでなんだよ、俺にも見せろよ」
「はいはい、もう勝手にして」
結局二人からしか情報料を巻き上げられなかった杏子は、投げやりに全員に配った。
そこには、『港区で多発する連続失踪事件』『水辺の怪異』『水中に潜む者の影』
とセンセーショナルな見出しが踊っている。
それは小蒔が電話で話した情報をもとに、杏子が記事にしたものであったが、
その中に見覚えのない事件があった。
「……あれ? なに、この『青山霊園に怪物』って」
「説明するわ。皆に聞いた港区の事件(を追ってみると、いくつか気になる話が出てきたの」
鞄から愛用の手帳を取り出した杏子は、
指を舐めてめくるという古風な仕種をしながら目指すページを探す。
「まず──事件は大きく二つに分けられるわ。
ひとつはアンタ達が教えてくれた、プールでの失踪事件。
もう一回初めから話すとね、二週間くらい前から港区のプールで行方不明になる人が出始めたんだけど、
必ずと言っていいほど、失踪してから数日後、
フラフラと彷徨(っているのを発見されているのよ」
「発見……って、どこで?」
杏子は訊ねた小蒔の方を見もしないで続けた。
「それは後で話すわ。で、保護された人なんだけどね、失踪してからの記憶が全くないらしいの」
「ってことは……その時の手がかりとかも」
「ええ、誰一人、本当に何にも覚えていないらしいの。まるで、誰かに洗脳されたように」
元より、プールで人がいなくなるという異常な事件なので、警察の捜査も難航しているのだという。
足取りを追う事も出来ず、見つけた行方不明者も記憶がないとくれば、それも当然の話だろう。
わずかな間をおいた杏子は、龍麻が持っている新聞を顎で示した。
小蒔達は結局、龍麻の持っている新聞に群がっている。
後で桜井ちゃん達が持っていった分は忘れずに回収して他の人に売りつけなきゃ
──とはおくびにも出さず、昨日徹夜で書いた記事を説明する杏子だった。
「今のが一つ目ね。で、二つ目は、そこに書いてあるように、青山霊園で目撃されている化け物の噂」
「それって、今回の事件とどんな関係があるのさ」
今度は杏子は無視をせず、会心の表情を小蒔に向けた。
「へへへッ。さっき後回しにした、失踪した人がどこで発見されたか……」
「まさか」
「そう。失踪した人は、その全てが青山霊園の周辺に集中しているの」
「どういうこと……?」
意外、というよりも唐突すぎる接点に、事態を把握するのは困難だった。
困惑した顔をお互いに向ける龍麻達に、杏子は更に取材の成果を披露する。
「化け物の目撃時間が、失踪者が出始めた頃と一致するのも、この二つの事件の関連を裏付けているわ」
「プールの怪物と青山霊園の怪物は、同じかも知れないってことか」
「そうね、状況から言ってほぼ間違いないわね。青山霊園で目撃した人の話では、
体型は人間に近いけど、魚と蛙を足したような不気味な怪物だったそうよ。
頭部は魚そのもの。大きく飛び出した眼球に、くすんだ灰緑色の光る皮膚。
長い手には水掻き。それが、静まり返った夜の墓地を、ピョンピョン跳ねてるんだって」
何故かひどく具体的な描写をして、一行に想像する時間を与えた杏子は、
龍麻達の顔がしかめ面に変わるのを、顔の表には出さずに楽しんでいた。
何といっても記者の醍醐味は、真実を探求し、自分の記事で読者を虜にすることなのだ。
豊かな文章力を養うための鍛錬は、いつどんな時でも怠ってはならないのだ。
「この事件が何を意味するのかは判らないけど、
アンタ達の言ってた鬼道衆ってのが関わってる可能性もあるわね」
鬼道衆、という言葉に一同の顔色が変わる。
それは、望みもしない『力』を与えられた彼らに、明確にたちはだかってきた『敵』であった。
その真の目的は解らないが、いずれ必ず自分達の前に現れるだろう。
それは、龍麻にとって望むことでもあった。
「それはまだ何ともいえん──が、鬼道衆(が裏で糸を引いているとすると厄介だな」
「まァ、鬼道衆(とはいずれ決着をつけなきゃならねェがな」
醍醐に向かって拳を打ち合わせた京一は、同意を求めるように龍麻を見る。
それに対して龍麻は、ごく短く答えただけだった。
「──ああ」
わずか二語の言葉には、教室中を静まりかえらせる力があった。
あるいはそれは、たまたま会話が途切れただけなのかも知れない。
しかし、龍麻の声が届いた京一達は、背筋がぞくりとするのを感じていた。
この、四月から新たな友として加わった男は、
時折底の見えない亀裂(のような、深い情を覗かせることがある。
それは彼らをたまらなく惹きつける反面、そこに潜む闇を感じ、怖れさせもするのだった。
京一は特にその一人であったが、この時はなだめるように軽く彼の二の腕を叩いた。
「お前の気持ちは判ってるつもりだ──けどよ、俺は正直言って楽しみでもある。
あんな奴ら相手なら、思う存分腕を振るえるからな」
率直過ぎる京一に対し、醍醐は幾分慎重に事件と関わる決心を告げる。
「……俺達は、目の前で見てしまったからな。放っておくと言うわけにもいかんだろう」
「そうね。如月くんの忠告は無視することになってしまうけど、
私達の『力』で人が救えるのなら──」
「そうそう、その如月くんなんだけど」
葵の言葉に、杏子は思い出したように手帳をめくった。
短い日数で、頼んだことのみならず、そんな情報(にまで食指を伸ばしている杏子に、
京一が呆れ混じりに呟いた。
「なんだアン子、そんなんも調べたのか?」
「まぁね。スポンサーなんだから、あたしにも無関係って訳じゃないし。
……でも、なんっか怪しいのよね」
「怪しい?」
「少し調べてみたんだけど、なんかこう……隠された何かがあるような感じなのよね。
今すぐにって訳にはいかないけど、もう少し追ってみるわ」
確かに、同年代にしては妙に大人びた──悪く言えば、老成している──
如月のことは、龍麻も興味があった。
本人を介さず知りたがる、というのはあまり良いことではないかもしれないが、
龍麻はこの件に関しては杏子の活躍を期待することにした。
「ま、そっちは危険もねぇから大丈夫だろ。んじゃ、俺達はもう一度港区に行ってみるとすっか」
京一がそう結論づけたところで朝の予鈴が鳴り、杏子は慌てて自分の教室に戻っていき、
龍麻達も席に戻ることにした。
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