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しかし、苦戦を予想していた龍麻の勘は外れ、闘いは簡単に決着が着いた。
深きものどもは見た目通り、陸上ではあまり機敏には動けないようだったが、
それ以上に奇妙に鈍かったのだ。
まるで龍麻達に触れることをためらってでもいるかのようで、
どうしようもない悪臭にさえ耐えることが出来れば、ものの数分とかからずに退けることが出来た。
その原因は、ミサが龍麻達に渡した小さな五芒星が刻まれた石にあった。
落書きのような星が描かれた石は、超自然的な力で龍麻達を闇の眷属から護っていたのだ。
底知れぬミサの知識だったが、彼女はそれを誇るでもなく、
ただ怪しげな微笑を浮かべて龍麻が倒した深きものを観察しているだけだった。
「この化け物が……」
辺りに半魚人の骸が散乱しているが、その中に水岐のものはない。
形勢不利と見て取り、いちはやく行方をくらませたようだった。
「水岐の野郎……逃げやがったか」
悪臭に顔をしかめながら、京一が毒づく。
元から生臭い臭いを漂わせていた半魚人は、生命活動を止めたことで腐臭をも放ちはじめていたのだ。
一秒でも早くこの場から離れたいところだったが、逃げ出した水岐を放っておくわけにもいかなかった。
その水岐の声が、下水道内にこだまする。
「フフフ……君達の『力』、面白い。それに、五芒星形の印を持っているとはね」
「水岐、どこにいやがるッ!」
「まもなくこの世界は変わる……深き海の底から甦る破壊の神と、
僕が手に入れたこの『力』によってね。それに僕の下僕はそいつらだけじゃない。
鬼達も、僕に力を貸すと言っている」
「鬼……だと」
京一達の気付かないところで、龍麻の形相が変わる。
鬼──鬼道衆。
比良坂紗夜の兄を利用して自分達を襲わせ、
そして彼女の死に深く関わっている敵の名を、龍麻は忘れるはずがなかった。
鬼道衆を倒し、必ず彼女の讐(を取る。
仲間達にも言っていない、自分一人の誓いだった。
ひとりでに膨れ上がろうとする氣を懸命に抑える龍麻の耳に、どこか酔っているような水岐の声が響く。
「まもなくある場所の地下に眠る『門』が開く。破壊の神が目覚める刻も近い。
そうすれば、僕は新しい世界の王になれるのさ」
「詩人が王とはね。随分俗物的だな」
「……フフフ、待っているよ。君達が僕の元に辿り着くのをね」
龍麻の痛烈な皮肉が堪えたのか、わずかに声を乱して、水岐は消え去った。
その残響が完全に静まり、気配が完全になくなったのを確かめてから、
龍麻は仲間の方を振り向いた。
「逃げたか……」
「よし、追うぞッ」
「追うぞったって……どうやって?」
小蒔の疑問はもっともで、東京の地下に網の目状に張り巡らされている下水道をあてずっぽうに探しても、
水岐や深きものどもを見つけられるはずもない。
するとミサが、懐から何かを取り出しながら言った。
「ミサちゃんに、おまかせ〜」
「おまかせ……ってよ」
何を言い出すのか、と言いたげな京一を無視して、ミサは取り出したものを下水に投げ入れる。
固唾を飲んで見守る一行が見たのは、やがて浮かび上がってきた何かだった。
何か、と言っても、それは不自然に浮かび上がったことを除けばどう見てもゴミにしか見えない。
しかしミサは真剣な表情でゴミに向かって手をかざし、ひとつ頷いて龍麻に告げた。
「青山霊園?」
「うん〜、水占いではそう出てるわ〜、信じるかどうかは緋勇くんの自由だけど〜」
全く意味不明な水占いとやらであったが、既に龍麻はミサの知識に一目置いていたし、
青山霊園というのは杏子のもたらした情報とも一致していた。
だから、龍麻の返事は多少ひねくれていても素早かった。
「でも、自信あるんでしょ?」
「うふふふふ〜、緋勇くんったら〜、うふふふふ〜」
ミサと会話を成立させている龍麻を見た京一が首を振ったのは、
充満する悪臭のせいだけではなかったかもしれない。
「よし、とにかく一旦上に戻ろうぜ」
龍麻達が地上に戻ると、辺りはもう薄暗く、お互いの顔もかろうじて見える程度だった。
遅くなればなるだけ龍麻達にとって不利になるのだから、
すぐにも青山霊園に行きたいところであったが、
これから更に行動するとなると、気がかりがひとつある。
ちらりと目配せしあった龍麻と醍醐は、醍醐がその役目を引き受けることで合意した。
「美里に桜井、ちょっといいか」
「なに?」
「もう、日も暮れるな」
「そうだね。でも、暗くなってもちょっと蒸すよね」
「暗くなれば、いろいろと女には物騒になる」
「うんうん。最近は特にいろいろあったからねぇ」
「……」
先手を取って軽やかに受け流す小蒔に、
元々話術が巧みとは言えない醍醐はすぐに言葉を詰まらせてしまう。
すると小蒔は、その隙を逃さず反撃に転じた。
「醍醐クン。まさか、ボク達に帰れとは言わないよねぇ?」
「……」
「醍醐くん。ここで私たちだけ帰るなんて出来ないわ、お願い。緋勇くんも」
下水道にさえ同行した彼女達なのだ、夜になったくらいで帰るとも思えなかった。
ただ、明らかにこの先は危険の度合いが違う──そう考えた醍醐は一応の説得を試みようとしたのだが、
小蒔のみならず、葵にまで懇願されては断りきれるものではなかった。
「いいよ、行こう……皆で」
もとより龍麻は、校門で訊ねた京一と同じく、二人が帰るなどと思っていなかった。
ただ、その意思を確かめたかっただけなのだ。
醍醐も小さく首を振っただけで異議を唱えなかったのは、恐らく彼にも返事は解っていたのだろう。
しかし大きな身体の割に心配性なこの男は、当の本人でさえ失念していた細かい問題を指摘した。
「ところで、二人とも家の方はどうするんだ?」
「あ、そっか……うーん……そうだ、どうせ明日は学校も休みだし、
葵はボクの家に泊まることにしときなよ。
ボクはアン子の家に泊まるってことにしとくから。
事件に関わることだし、アン子も協力してくれると思うんだ」
「そうね、小蒔の家には前にも泊まったことがあるし、大丈夫だと思うわ。
……それじゃ、ちょっと電話してくるわね。……うまく、嘘……つけるかしら」
「ボクも電話に出てあげるから大丈夫だよ」
公衆電話を探しに行った二人の姿は、すぐに夕闇に紛れて見えなくなる。
その方向を見ていた醍醐が、言うともなしに呟いた。
「……少し、罪悪感を覚えるな」
「親に嘘をついてまでってコトか? ま、いいんじゃねぇの。
性質(の悪い嘘じゃねぇし、あいつらが行きてぇってんだからよ。な、龍麻」
「ああ」
京一の台詞は突き放しているようでもあり、本人達の意思を尊重しているようでもあった。
頷いた龍麻は、この場に一人残っている女性に声をかける。
「……裏密さんは? 電話しなくて大丈夫なの?」
「うふふふふ〜、もう連絡は済んでるから大丈夫〜」
「そ、そう」
愛想笑いで答えた龍麻に、京一が囁きかける。
(おい、いつのまに連絡したんだよ)
(それよかどうやって連絡したんだろう)
「な〜に〜?」
「いッ、いや、なんでもないよ。連絡したならいいんだ」
他意はない、と両手と首を龍麻は忙しく振る。
すると、彼を背後から呼ぶ声があった。
「なんだあンたら、こんなとこで何してんだ?」
「雨紋!」
龍麻に近づいてきたのは、薄闇にもその金髪が目立つ、雨紋( 雷人(だった。
以前龍麻達が渋谷の街に起きた異変の解決に関わった時に知り合い、
共に闘った渋谷区神代(高校の二年生だ。
渋谷の件が解決して以来連絡は取っていなかったが、
龍麻だけは彼に招待されて二度ほどライブを観に行ったことがあった。
チケットを貰ったから行く、程度の認識で出かけた龍麻は、
そこで初めて彼の所属する「CROW」というバンドが中々人気があることや、
ライブハウスの熱気とその後に訪れた強烈な耳鳴りなど、多くのことを知ったのだった。
「お前こそなんでこんな所にいるんだよ」
「オレ様は帰るところだ」
何が入っているのか見当もつかない薄っぺらい学生鞄を見せた雨紋は、
龍麻達を見渡してうさんくさそうな顔をした。
「あンたらがツルんでるってことは……事件か?」
「いや、まぁ……そうだ雨紋、お前も来てくれないかな」
龍麻の唐突な誘いに、雨紋は随分と驚いたようだった。
「あン? ……大ごとなのか?」
「多分」
「そうか……あンたらには借りもあるしな、よし、なんだか知らねェが付き合ってやるぜ」
渋谷の事件に関わった龍麻が多分、と言ったことに、雨紋は興味を惹かれたようだった。
どうやら彼も根っからこの手の事が好きな性格のようで、
詳細を聞かないまま同行を決めた雨紋に、京一と醍醐はつい苦笑いを交わす。
そこに、裏工作を済ませた小蒔達が戻ってきた。
「お待たせ、バッチリアリバイ作ってきた……あれ? 雨紋クンじゃない?」
「なんだ、アンタらもいたのか。こりゃますます厄介事みてぇだな」
呆れたように言いながらも、その厄介事を期待しているのがありありと窺(える雨紋の口調だった。
「よし、それじゃ青山霊園に行くとしようか」
「青山霊園? ンな辛気臭いとこに何があンだ?」
「歩きながら説明するよ」
総勢七人になった一行は、ミサが水占いで視、そして杏子の情報にもあった青山霊園へと歩き出した。
その道すがら、龍麻は雨紋に事情を話す。
自身が異能の『力』を宿している雨紋も、半人半魚の化け物が人を攫う、
という話を聞いた時は、うさんくさそうな目で龍麻を見たものだった。
「なるほどな……オレ様もプールで行方不明の話は聞いたことがあるな。
でもよ、半魚人の化け物なんて、なんかの見間違いじゃねェのか?」
「俺達もさっき見るまでは信じてなかったよ」
「……ま、あンたらなら半魚人でも宇宙人でも連れてきそうだけどな」
案外あっさりと事情を諒解した雨紋に、龍麻は苦笑いするしかなかった。
大小様々の墓が立ち並び、昼間でも東京とは思えない不気味な雰囲気を漂わせる青山霊園は、
夜ともなるとその不気味さを一層増し、生者の闊歩(を拒むようであった。
うっそうと茂る木にビルは隠され、鴉の鳴き声が寂しさを際立たせる。
あまり目立たないように霊園の中央を走る車道は避け、一本中の道を歩いている龍麻達は、
なおさらそんな気分になっていた。
「うわ〜、やっぱり夜の墓場って不気味だね」
小蒔の声は言うほど気味悪がってはいないが、
集団の中央をキープしている醍醐は、何やら挙動が怪しい。
「きッ、気のせいか、さっきより少し寒くなってないか……?」
「そりゃ気のせいだろ」
無情に突き放す京一にも、醍醐は気分を悪くするどころではなく、
些細な物音にも過剰に反応するありさまだった。
一行の中で最も大柄な男がびくびくとするものだから、
始めは面白がっていた小蒔なども、次第にうっとうしさが募ってきたらしく、
すたすたと先に行ってしまっている。
その小蒔が、龍麻から数歩離れたところでいきなり立ち止まった。
重く、鈍いものが動く音を、はっきりと彼女の耳は捉えたのだ。
「今、聞こえた?」
「ああ……近いな」
木刀を軽く握り直した京一が、小蒔の横に並ぶ。
油断なく辺りを見渡し、音の源を探した。
やがて求めるものを見つけ出し、龍麻に顎で指し示す。
「見ろ、あの墓……動いてるぞ」
「なッ、なにッ!」
「醍醐クン、声大きいよ」
「す、すまん」
慌てて口をつぐんだ醍醐が見たものは、つい数時間前に下水道の中で戦った深きものどもだった。
三体の異形の化け物は、龍麻達に気付くこともなく墓の中へと入っていく。
そしてまた聞こえる重く鈍い音は、墓石が動いているのだろう。
龍麻達はしばらく待ち、他にかの忌まわしい眷属が現れないことを確かめてから墓石に近づいた。
「さっきの化物(がここにいるってことは、間違いなさそうだな」
龍麻と京一と醍醐は力を合わせて墓石を押す。
死者の霊が眠っているのなら土下座して謝らねばならない行為であったが、
遺骨が埋まっているはずの場所にあったのは、暗闇へと伸びる階段だった。
懐中電灯をかざしてみても、光は階段しか照らさない。
かなり深く、長い通路であると思われた。
「なるほどな……ここから地下に繋がっているってワケか」
「よし……行ってみよう」
ここまで来てためらう理由はない。
階段は狭く、二人並んでは歩けそうになかったので、
まず京一、醍醐が入り、女性三人、雨紋、龍麻の順で入ることにする。
頷きあい、いざ京一が一歩を踏み入れようとすると、それを留める声があった。
「君達」
「お前……如月」
姿はおぼろにしか見えないが、聞き覚えがあるその声は、如月翡翠のものだった。
プールの時と同じ、神出鬼没と言うしかない登場で、
既に懐中電灯の光がなければ辺りは闇としか認識できない。
しかし、殿(を務め、
敵だけでなく一般人にも見つからないよう警戒していた龍麻でさえ、
彼の気配が全く判らなかったのだ。
どんな武術を修めているかは判らないが、只ならぬ技量の持ち主といえた。
「君達は、僕の忠告を無視するつもりなのか」
数日ぶりに会った如月の声に、久闊(を叙する響きはない。
自分の警告を無視されたとあってはそれも当然といえるだろうが、
龍麻もここで引き下がる訳にはいかなかった。
「なあ如月」
しかし、如月は龍麻の台詞を先回りして封じてしまう。
「悪いが僕は君達と手を組むつもりはない」
ぴしゃりと言いきる如月に、またも邪魔をされた格好になった京一がうんざりしたように言った。
「まだンなこと言ってんのかよ。じゃ、お前はなんでこんなトコにいるんだ」
「君達に話す必要はない。僕は今から地下に降りる。それだけだ」
「地下? それじゃ俺達と同じじゃねぇか」
同じ、という京一の台詞に、殊更如月は反応を示したようだった。
闇の中で、わずかに嘆息したのが龍麻には感じられる。
「……何度も言うが、君達はこの件から手を引くべきだ。
君達の未熟な『力』では、あまりに危険過ぎる」
「……俺達のことを知っているのか」
確かに龍麻がこれまで闘ってきた相手は異能の『力』を持っているとはいえ、皆人間だった。
だからといって頭ごなしに未熟と言われては面白いわけもないのだが、龍麻は辛抱強く答えた。
そんな龍麻に如月はやや語調を和らげ、なだめるように話す。
「……これは、僕が決着をつけねばならない事件だ。
僕の中に流れる、飛水(の血が命じるんだよ。
主の眠りを、この地の清流を汚す者を倒せ……とね」
「飛水……? 如月、お前」
「飛水家は、別名飛水(家とも言って、江戸時代、
徳川幕府の隠密として江戸を護ってきた忍びの家系だ」
「忍びぃ!? そりゃまた、随分と時代錯誤な……」
思わず大声をあげた京一はその代償として思い切り小蒔に肘で突かれたが、
龍麻も内心では同じ感想を抱いていた。
自分達の『力』も、東京の地下を闊歩する半人半魚の化け物もおよそ常識とはかけ離れているが、
忍者というのもそれと同じくらいには非常識なはずだ。
しかし如月は、いたって真面目に続ける。
「僕は飛水の末裔として、徳川家の眠りとこの東京を、護る義務がある。
この事件の首謀者は、明らかに徳川の眠りを犯そうとしている。
これを解決するのは僕の使命であり、他の人間を巻きこむ訳にはいかない」
徳川、という、これもまた教科書でしか名を知らない名前を、如月は当然のように出す。
少なくとも今の時代に仕える対象としての徳川家はないはずであるが、
如月の血筋は、主筋がなくなっても江戸を護ると言う命を忠実に護っているようだった。
いかに古臭いしきたりであろうと、それは他人が口を出す筋合いのものではない。
しかし、彼にも使命があるように、龍麻達にもまた引き返せない理由がある。
「聞いてくれ、如月。俺達だって遊びでこんなことをしている訳じゃない。
まだはっきりと正体を掴めてはいないが、鬼道衆という奴らが、この東京で何かをしようと企んでいる」
「鬼道衆?」
初めて如月は興味を示したようだった。
「ああ。そして今回の事件も、その鬼道衆が関係している可能性が高い」
「僕達の敵は、共通しているかもしれないということか」
顎を指でつまむという、やや古めかしい仕種で考え込んだ如月は、
ついに、決して進んでではなかったものの、龍麻達と同行することを承諾した。
「やむを得ない……か。これ以上無駄な犠牲者を出す訳にはいかない。
……共に行くとしよう」
「よろしくな、如月」
「言っておくが、僕は君達と親しくするつもりはない。
この件も、あくまでも僕と君達の進む道がたまたま同じとなっただけだ」
「……」
あくまでも、他人──そう言明する如月に、龍麻は鼻白む。
和みかけた空気がまた冷たいものに変わりかけたが、
そのようなことを気にしている時でも場所でもなかった。
「ま、そろそろ行こうぜ。誰かに見つかりでもしたら面倒くせェことになるからな」
「そうだな、行こう」
京一にとりなされ、諸々の感情をその一言に圧縮した龍麻は、
改めて地下への探索行を開始することにした。
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