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「緋勇サンっ、スペースを作ってくれッ!」
頷いた龍麻は醍醐と背中合わせになり、深きものの肩を狙って氣を放つ。
もともと足が短い深きものは、容易にバランスを崩しよたよたと倒れた。
反対側では醍醐が力任せに蹴りを見舞い、二体まとめて吹き飛ばしている。
そこに出来た空間に、大見得を切るように雨紋が踊りこんだ。
「せいッ!」
一瞬も止まることのない動きで槍を振るう。
黄の残像が線を描き、鮮烈な軌跡をこの場にいるもの全ての網膜に焼き付ける。
雨紋は己が手の一部のように操る槍の先端から雷の氣を疾らせ、
近寄って来る深きものの腹に容赦のない斬撃を叩きこんだ。
しかし、深きものどもは意外に耐久力があるのか、
斬られて吹き飛んでも再び起きあがり、襲いかかってくる。
辟易しながらももう一度槍を振るおうとした雨紋の目の前で、
いきなり深きものが真横に吹き飛んでいった。
頭から落ちた化け物はべしゃり、という嫌な音を立て、それきり動かなくなる。
驚いた雨紋が化け物が吹き飛んだのとは反対の方向に目を向けると、
まだ彼が名前しか知らない、裏密ミサという真神の女生徒が両手で三角形を模ったポーズをとっていた。
「もっと〜、氣を練らないと駄目だよ〜。槍の先に集める感じで〜」
「お、おう」
全く瞳が見えない底の厚い眼鏡をかけ、
口だけを笑わせているミサは不気味さを抱かずにはいられない風貌だったが、
離れた場所から武器も使わず一撃でこの化け物を倒した彼女の実力は雨紋を圧倒していた。
改めて槍を握り直した雨紋は、言われた通り、練った氣を穂先の一点に集めようと意識する。
春に突然宿った『力』を、意識して操ろうとしたことはなかった。
槍術に自信があったからでもあるが、これまではそこまでの必要もなかったのだ。
しかし、今対峙している、ここが東京の地下だと忘れさせるような異形の怪物には、
ほとんど通用していない。
倒さなければ、やられる──その危機感は、
雨紋の集中を途切れさせることはなく、逆に極限まで研ぎ澄ました。
新たな敵が近づいてきていたが、まだ動かない。
「おい、雨紋!」
危機を呼びかける龍麻の叫びも無視し、氣を撓(める。
動きを止めた雨紋に対し、ためらう理由などない深きものが、
その大口で獲物を呑みこもうと一気に跳躍した。
瞬間。
みっともなく口を開けて飛びかかった深きものは、顎から脳天までを貫かれていた。
断末魔の悲鳴を上げることさえ許されず息絶えた怪物は、
雨紋が槍を引きぬくと、どさりと落ちて大きく一度痙攣し、動かなくなった。
氣を放出したことによるわずかな虚脱感と、それ以上に大きな満足感が雨紋の裡を疾る。
これまで漫然と振るっていた『力』が全身を流れているのを、今ははっきりと感じることが出来た。
血液の循環と共に新たな氣が生まれ、狂おしいほどの活力を与える。
一度要領を掴んでしまえば、あとは面白いように不可視の力を制御出来た。
会心の笑みを浮かべて倒した化け物を見下ろした雨紋は、そのきっかけを与えてくれたミサに、
素早く視線を滑らせて目だけで礼を言うと、新たな敵に向かっていった。
混戦から巧みに距離を取った水角が、龍麻を狙って苦無を放つ。
正確に龍麻の頭部をめがけて放たれた苦無は、しかしその寸前、
突然勢いを減じて地面へと落ちた。
「お前の相手は、僕だ」
声の主が言い終える前に、新たな苦無が水角の手から投げられる。
状況判断といい反応速度といい、常人が到底反応出来る疾さではなかった。
事実龍麻への一投目を防ぎとめた声の主も、自分を狙った二投目にはただ立ち尽くしているだけだ。
しかし、眉間をめがけて投擲された苦無は、またしても突然落ちた。
場違いな程澄んだ音を立てた苦無には、多量の水分がついている。
玄武を奉る飛水の血筋を引く如月が、その力を以って水を操り、弾き落としたのだ。
「鬼道衆とやら……飛水の一族として、江戸の平穏を妨げるものを許す訳にはいかない。
引導を渡してやる……覚悟しろ」
「飛水の末裔め……幾百年の刻を経て、なお我らの邪魔をするか。
引導を渡すのはこちらの方よッ!」
憎々しげに呻いた水角は、標的を如月に変えて襲いかかった。
現代の東京で、江戸を転覆させようとする者と、徳川を護る定めを持つ者が相撃つ。
話だけ聞けば滑稽であったが、当人達は真剣であり、そこには命を賭した闘いがあった。
悪い足場をものともせず、常人ならざる体術で岩場を駆け上り、空中で短刀を撃ち交わす。
交差する瞬間に三合交えた刀もお互いの身体にかすり傷さえつけることは出来ず、
サーカスのように合した二つの影は一度別れた。
着地し、ひねりを加えてもう一度飛ぼうとした如月は、
足先が地面を捉える寸前何かを察知し、向きを変えず、力も溜めず、
水面に置いた紙を踏むが如き軽やかさで小さなステップを踏む。
果たして、水角から放たれた苦無が着地する間さえ与えず如月を襲ったが、
足を縫いつけようと撃たれた苦無はその目的を果たせず、己のみを地面に束縛した。
「甘いッ!」
しかし、苦無が地面に刺さった時にはもう新たな跳躍をしていた如月が、
飛び越した水角を宙で振り向きざまに放った、
水角のものとは少し形の異なる苦無もまた、標的に命中することはなく、地面に空しく刺さる。
余裕をもってこれを躱し、その勢いを利用して宙へ飛んだ水角が、
極少の動作で新たな苦無を取り出し、投げようとしたその時。
突然、背中に小さな衝撃が加えられた。
如月が天井の岩盤に含まれた水分を操り、囮に使ったのだ。
普段ならば取るに足らないほどの小さな衝撃は、一瞬を削り取る死闘において致命傷となりうる。
何分の一秒かの間、水角は如月を見失う。
その間隙に水角の背後を取った飛水の忍びは、
敵の落下する勢いに自らの体重を加え、頭から地面に叩きつけた。
さしもの忍びも、両手を極(められては脱出する術なく激突する。
「こ……このような処で、このような処でェェッ!! こ、九角さまァ──ッ」
鬼の面から血を流し、まさしく鬼神を思わせながら、
水角はなお手を伸ばして立ちあがろうとしたが、もうその力は残されていなかった。
宙を掴んだ手は、そこで勢いを失って落ちる。
刀を構え、とどめを刺すつもりであった如月は、
敵手が屍と化したのを確かめ、ゆっくりと構えを解いた。
「邪妖……滅殺」
片手で印を結ぶ彼の瞳に、後悔は浮かんでいない。
それが一族の定めであり、彼の持つ宿命であったから。
龍麻達を援護しようと踵を返そうとした如月は、
うつ伏せに倒れている水角の身体に異変が生じているのに気付き、足を止めた。
確かに息の根を止めた水角が、突然まばゆい光を放ち始めたのだ。
「これは、一体……?」
それは先ほど水岐が悪しき力によって怪物に変えられた時の光にも似ており、
深きものどもを殲滅(させた龍麻達も近寄ってくる。
「どうした、如月」
「いや、僕にもわからない」
水角の身体を見えなくするほどの輝きは、しかしすぐに小さくなっていき、
収まった後に彼女の姿はなく、小さな珠が転がっていた。
顔を見合わせ、代表となった龍麻が近寄って覗きこんでみる。
特に害はないように思われ、充分に注意しながら手に取ってみても、
珠は何の変化ももたらさず、ただ鈍い輝きを放つのみだった。
皆に見えるように差し出した珠を、小蒔が鼻がつきそうなほど近くから観察する。
「なんだろう、これ……模様があるね。龍みたいに見えるけど」
「持ってってみようぜ。何かの役に立つかも知れねぇ」
頷いた龍麻は珠をしまい、仲間達の無事を確かめた。
どうやら全員大した怪我もないようで、『門』とやらを開くのを阻止することも出来たようだった。
「瘴気が薄れていく……どうやら間に合ったようだな」
「ああ……良かった」
呟く如月に龍麻が笑いかけると、如月は口許だけでそれに応えた。
相変わらず距離を置こうとしているのだろうか、と思った龍麻だが、
どうやらそうではなく、単にこれがいつもの彼の笑い方らしかった。
それならもう少し態度を表に出してくれても、と思い、
でも忍者だからしょうがないか、と思い直す。
すると、その如月がひどく真剣な顔をしていた。
「どうした? 何かあったのか?」
「ん?」
「さっきからおかしな顔をしているが……どこかぶつけたのか?」
どうやら考えていたことが全て顔に出てしまっていたらしい。
「ああ、いや……大したことじゃない」
まさかその原因を言う訳にもいかず、適当にごまかそうとする龍麻だったが、
小蒔や醍醐までもが心配そうにこちらを見はじめてしまった。
「ひーちゃん大丈夫? 早く戻ってお医者さん行った方が良くない?」
「そうだな、頭は大事に至らんとも限らんからな。
この時間で緊急に看て貰える所となると……桜ヶ丘中央病院(しかないか」
「いや、本当に大丈夫だって」
身の危険を感じた龍麻は大慌てでなんでもないことを強調した。
その話題から逃れるように周りを見渡し、一人の姿が見えないことに気付く。
「あれ? 美里さんは?」
「そういえば……、あ、あそこだ」
小蒔が指さした先に、葵は跪(いていた。
その膝の上には、人間の姿に戻った水岐の姿があった。
もう害はない……それどころか、全身には痣(があり、顔からは血の気が全く失せていて、
一目見れば彼が生命の危機に瀕していると見て取れた。
人間に戻ることはない、というミサの言葉を信じて闘いはしたが、
いざこうして自分達が与えた傷の跡を見せられると、
なんとも言えない後味の悪さが口の中に広がり、
彼女に罪はないと知りつつ、龍麻は非難がましくミサを見てしまった。
龍麻の強い視線にも、機嫌を損ねることも、言い訳をすることもないミサだったが、
その表情の重さに気付いた龍麻は、視線を水岐に戻した。
葵の掌が、淡く光っている。
それはこれまで幾度となく助けられた、癒しの光だった。
しかし光は水岐の身体を照らしをしても、痣を消し去り、顔色を元に戻すことはない。
何かが、葵の『力』を阻んでいるのだった。
「この人の身体には〜、もう氣がほとんど残ってないわ〜」
ミサの言葉の意味にいち早く気付いたのは、葵の膝の上で死に瀕している水岐当人だった。
再び手をかざそうとする葵を押し留め、小さく笑う。
それはかつて見た皮肉を口の端に浮かべたものではなく、赤ん坊のような邪気のないものだった。
「君とは……どこかで会った気がする……」
水岐は呟いたものの、それ以上葵に関心を払うことはなく、目を閉じる。
黙然とたたずむ龍麻達の耳に、小さな声が漂ってきた。
「かくて、今……かくて、いま、長き葬列、楽声(も読経(も無く──
静かに我が魂の奥を過ぎ、希望、打ち砕かれて忍び泣く。
心無き圧制者の苦悩──うなだれし我が頭上に、黒き旗深々と打ち込み……たる……」
声はそこで途切れ、それきり何も聞こえてこない。
それが意味するものの重さに、一行は闘いの興奮も醒め、粛然と水岐の冥福を祈った。
息苦しい沈黙に呑みこまれた一行であったが、俄(に鳴動が聞こえてくる。
足元だけでなく、洞窟全体が揺れ始めていた。
「むッ……まずいな、崩れるぞ」
「げッ、とっとと逃げようぜ」
京一が叫んでも、葵は動こうとしない。
水岐の骸をかき抱く彼女には、声さえ届いていないようだった。
「わたし達の『力』は──何のためにあるの?」
慟哭が空気を震わせる。
魂を削りとっているかのような、哀しい叫びだった。
「この街を──誰かを護るためじゃないの?
それなのに……それなのに、誰一人救うことが出来ない。
もう、いやなの──誰かが死ぬのを見るのは」
葵を金色の光が包むのを、龍麻達は声もなく見ていた。
淡い輝きは吹雪のように広がり、彼女を、洞窟を満たす。
それは水岐や水角から放たれたものとは全く異なる、慈愛に満ちた光だった。
「振動が……」
あり得ないことだった。
しかし他にどう説明のしようもなく、葵が生み出した氣の光が、
揺れを止めていたと考えるしかなかった。
金色の輝きを纏う葵は、龍麻達に等しくあるものを想起させた。
聖母。
全てを愛し、慈しむ絶対的な母親。
龍麻や小蒔は言うに及ばず、
宗教などと言うものにほとんど関心を抱かない京一や醍醐でさえ、
一筋の涙を頬に伝わせる葵を見て、そう思わずにはいられなかった。
もしこの場に自分以外いなかったら、額づいてしまっていたかもしれない。
それほど荘厳な姿だった。
畏(れ、立ち尽くす龍麻達の前で、光は薄れていく。
それに伴って葵の姿も聖母から元の高校生に戻っていったが、
しばらくは誰も声をかけることも出来なかった。
全身の力が虚脱してしまったかのようだったが、再び揺れ始めた足元が一行を現実に引き戻した。
「美里さん、行こう。ここはもう保たない」
ようやくそれだけを口にした龍麻に、葵は水岐の骸を横たえ、立ちあがる。
これ以上犠牲者を出さないこと──それが、自分達の『力』の意味だと、あの輝きが教えてくれたのだ。
この東京(に眠る想い。
平和を、安らぎを求める意思。
この洞窟に在る、かつてこの街で暮らした人々の魂(が、伝えていた。
『力』持つ者よ、護ってくれ──と。
階段を上りきった後も、鳴動は続いていた。
墓石を戻した龍麻は、入り口に完全に蓋をする寸前、階段が崩れ落ちていくのを目にする。
「崩れちゃったね」
「ああ……真実は土の中となってしまったな」
小蒔と醍醐の会話を聞き流しながら、龍麻は葵を暗闇に透かしていた。
もう辺りは完全に夜で、気取られないだろうと思ってのことだったが、
急に葵がこちらを向いたような気がした。
それが気のせいでなかったことは、すぐに判った。
「緋勇くん」
「何?」
「……ううん、なんでもないの」
明らかに彼女は何かを言おうとしていた。
何と言おうとしたのか知りたかったけれども、忖度(すべきではないこともまた知っていた。
だから、万感の意を込めて小さく頷いた。
葵から返事は無かった──彼女が小蒔に呼ばれ、そちらに答えてしまったからだ。
少しだけ残念な気持ちを抱いた、そんな龍麻の許に、埃まみれの龍麻とは対称的に、
塵一つ身体につけていない如月が近寄って来た。
「緋勇君。もし良かったら僕にも、鬼道衆からこの地を護る手伝いをさせてくれないか?」
「一体どういう風の吹き回し──ぐッ」
「もちろんだよ。よろしく、如月」
一言多い友人のわき腹にしたたかなひじ打ちをくれた龍麻は、
新たな仲間となった男に向けて手を差し出した。
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