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鬼 道 ２へ>>
薄闇に、男女が居た。
一組ではない。
一人の男に、複数の女が侍っていた。
いずれも類稀な美女は全員が男に心酔しているようで、
身体を擦りつけて機嫌をとろうとしていた。
男はそれが生来の態度であるかのように女達を傅かせ、
生っている果実をもぎとるように乳房を掴み、腰を抱き寄せる。
寵を与えられなかった他の女は悔しげな嬌声を漏らし、負けじと肢体を絡みつかせ、
熱い吐息を投げかけて男を誘惑しようとした。
それに応えるように男は一人の女の尻に手を添え、膝に座らせる。
幼い顔立ちからは想像も出来ない淫猥な腰づかいで男を誘惑したその女は、
乗って来ない男に業を煮やしたように男の股間に手を伸ばし、牡を貪ろうとした。
「御屋形様ッ！！」
女が牡を隠す野暮な衣服に手をかけたまさにその時、突然襖が開け放たれた。
無論ひとりでに開いたのではない。
両側に開かれた襖の中央に、男が畏まっていた。
射しこむ光に驚いた女達の悲鳴が闖入者を責めたが、
古風な忍者装束を着たその男は慣れているのか、頭を垂れたまま微動だにしなかった。
光が部屋を照らしだし、中にいた女と男の姿が浮かび上がる。
男は、ふてぶてしい笑みを浮かべて座っていた。
学生服を着てはいるが、髪を後頭部で結い、眼帯をした姿は威風堂々たるものだ。
骨太の線に力強い眉目が載った顔立ちと共に、世が世なら一国の主をも思わせる風体だった。
昨今ではあまり見られない、男の全身から発散される強烈な牡性に、
女達はいずれも蕩けきった顔をしている。
彼女達は男と同じく制服を着てはいるものの、スカートの裾はだらしなくはだけ、
太腿も扇情的に開いており、そこから立ちこめていた息の詰まるような牝の芳香が、
開け放たれた襖から零れだしていた。
「なんでェ、騒々しい」
御屋形様、と呼ばれた部屋の中にいた男は、不機嫌そうに言葉を放った。
女達の非難の声にも動じることのなかった作務衣の男は、初めて恐縮したように身をすくめる。
「申し上げます。鬼道門の封印は邪魔が入り解く事叶わず、
すッ、水角様も討ち死にされた御様子で──」
「なんだと？ ……もう一度言ってみろ」
女の乳房を揉みしだきながら報告を聞いていた男は、驚いたように身を起こした。
膝に跨っていた女が滑り落ちたが、心配しようともしない。
落ちた女も抗議の声をあげることもせず、
それどころかたった今まで淫蕩に戯れていた男に恐怖を感じ、距離を置き始めていた。
「きッ、鬼道門の解封の儀は失敗に──」
「珠はどうした」
男の声が険しさを増し、装束の男はますます身を縮めた。
「そッ、それが、水角様を斃した輩に奪われ……目下、人を出して捜させております」
「そうか……水角の奴め、せっかく俺が封印を解いてやったってェのによ。で、斃したやつは見たのか」
「はッ、それが……まだ年若い輩で、年の頃は十七、八かと」
「若ェな」
呟いた男は顎に手を当て何事か考えたが、すぐに離し、不気味なほど陽気な声で配下を呼び寄せた。
「あァ、ちょっとこっちへ来な」
部下の男は危険を覚えずにはいられなかったが、主君の命令は絶対であり、
震える膝を叱咤して歩み寄った。
刹那、鋭い音が疾る。
一瞬遅れて、膝立ちで近づいていた男の胸から血が噴き出した。
座っていた男が、女を抱きかかえたまま刀を抜き放ち、一刀の許に部下を斬り捨てたのだ。
斬られた男は死期に及んでさえ忠義の証として仰向けに倒れ、主を血で汚すまいとしているようだった。
男が自らの血の池に沈んだ頃、女達の正真正銘の悲鳴が響き渡り、たちまち部屋は地獄絵図と化した。
「長い黄泉路の旅だ、水角もひとりじゃ寂しかろうよ。供をしてやんな」
物言わぬ屍と成り果てた部下には目もくれず、刀を鞘に収めた男は空に向かって呼びかけた。
「ふむ……炎角、雷角、岩角ッ」
「ここに」
姿も無く、ただ声だけが応じる。
応じた声は間違いなく部屋の中から発せられたものであったが、
死した男が開けた襖によって陽光が射しこみ、隅々までを照らし出している部屋の中には
御屋形様と呼ばれた男と女達、そして屍の他には誰もいなかった。
刀を鞘に収めた男は、静かに命ずる。
「お前達は引き続き例の物を捜せ」
「御意。我等、必ずや御屋形様の御役に立って御覧にいれます」
「うむ。あれが俺の手に入らなければ、所詮──全ては世迷い言だ」
気配が消え、静寂が訪れる。
新たな部下が同胞の死体を片付けるのを見ながら、男は再び口を開いた。
「それから……風角はいるか」
「御屋形様の御側に」
やはり姿は無い。
しかも声は先ほどの三人に較べ、更にどこから聞こえてくるのか判らない、奇妙な響きを帯びていた。
男は前方を見据えたまま、風角と呼んだ部下に訊ねる。
「準備は進んでいるだろうな」
「委細滞り無く。最後の贄と、月の満ちるのを待つばかりでございます」
「そうか……上出来だ」
「ははッ、ありがたぎ御言葉。この風角、老いた我が身果つるまで御屋形様の御為となりましょう」
「世辞はいい。抜かるんじゃねェぞ」
「ははッ、では」
気配が消える。
死体を片付け終えた部下に顎で退出するよう命じた男は、しばし目を閉じた。
「俺は高みの見物と洒落込むか。くくく……面白くなって来やがった」
独り嗤った男は、怯えて声も出ない女の腰を抱き寄せ、強引に跨らせる。
襖が閉められ、再び薄暗くなった部屋には、男の嗤い声と血臭だけが漂っていた。
通勤ラッシュも一段落し、やや落ち着きを取り戻している時間の新宿駅。
それでも人の多さはかなりのもので、しかも皆早送りされているフィルムのように急いでいる。
その中を、龍麻は焦る必要の全くない、夏休み中の高校生という特権を見せつけるように歩いていた。
おのぼりさんよろしく辺りをのんびりと見回し、待ち合わせている相手を見つけ出す。
柱の一本にもたれ、ぼんやりと遠くを見ていたようだったその相手は、龍麻に気付くと大きく手を振った。
「あッ──！ ひーちゃんこっち！！」
龍麻を待っていたのは、桜井小蒔だった。
白い無地のシャツに以前プールに行った時とは異なるショートパンツを履いている彼女は、
基本的にこの手の動きやすい服装が好きなようであった。
それとももしかしたら、自分の健康的な脚線美を充分に心得ていて、
それを積極的に見せているのかも知れない──少なくとも龍麻にはそう見え、
目のやり場に困りながら挨拶を交わした。
「おはよう。早いね、まだ十五分以上前だよ」
「そうだっけ。ん？ それじゃひーちゃんはなんで居るの？」
自分のことを棚に上げて訊ねる小蒔に、龍麻は二言目でいきなりしどろもどろになってしまう。
要領良くとぼけられないのが、彼の仲間達にとっては格好の遊び道具であることを、
他のことには大体頭が回る龍麻は気付いていない。
「なッ、なんでって……天気もいいし、ほら、たまには朝の空気を吸うのもいいかなって」
「それ本気で言ってる？」
「本気だよ」
「ふーん。ガッカリだよ」
「何が」
「こっちの話。──あ、葵来た。さッすが、五分前に来るなんて」
つまらなそうに会話を打ちきった小蒔に、龍麻は今のは何が悪かったのだろうかと自問する。
そのうち葵がやって来たので、龍麻も一生答えが出そうにない問題を考えるのを止めて彼女に挨拶した。
「おはよう、美里さん」
「おはよう、小蒔。緋勇くんも」
「んじゃ、揃ったことだし早速買い物行こっか」
今日の人数はこれだけだった。
いつもならいるはずの京一と醍醐はおらず、歩きにくさを感じてしまう。
それほど、五人は一緒にいることが自然になっていた。
しかし龍麻にしてみれば女性二人と一緒に遊べるというのは望外のことでもあり、
彼らがいないことをそれほど残念に思う訳ではなかった。
クリーム色を基調とした柔らかなデザインのブラウスとスカートの葵に
ちらりと視線を走らせた龍麻が訊ねたのは、何故か小蒔に対してだった。
「今日は何買うの？」
「大したものじゃないんだけどね。ボクは弟の誕生日プレゼントで、葵は……確か、日記帳だっけ」
「ええ。でも、私はただ小蒔の買い物のついでにって思っただけで」
「いいからいいから。今日はひーちゃんもいるんだしさ、荷物全部持って貰えるよ。ね、ひーちゃん」
「え？ う、うん」
龍麻は自分が呼び出された理由をある程度知ったような気がしたが、
それでも一向に構わなかった。
大半をぐうたら、その合間にちょっとだけ勉強、
などという面白みも何もないスケジュールから解放されるのであるからして。
「あ、そうだ、先に言っとかなきゃいけないんだけど、ボク達午後から学校に行かなきゃならないんだ」
「学校？ どうして？」
思わず龍麻は時計を見ていた。
午後からということは、あと長くても三時間ほどしか彼女達とはいられないということだ。
昨日の夜はあまり寝つけないほど楽しみだった龍麻としては、相当に残念な話だった。
「ボクは部活。もうじき最後の練習試合があるからね。葵は……生徒会だっけ」
「ええ。どうしても片付けなければいけないことがあって」
肩をがっくりと落として落胆する龍麻に、小蒔は笑いを堪えつつ、葵はすまなそうな顔で説明する。
納得しなければならない──そう頭では理解していても、
今日くらいは休んだっていいんじゃないか、とつい思ってしまう龍麻だった。
もちろん冗談でもそんなことは言えない。
責任感が服を着ているような葵にそんなことを言うのは、
せっかくここのところいい感じである彼女との仲を、自分からナイフで切断するようなものだからだ。
しかもせっかく良い雰囲気になりかけたところで夏休みに入ってしまい、
龍麻は電話をかける勇気すらないくせに、彼女を狙う男が現れたらどうしよう、
はたまた彼女に好きな男が出来てしまったらどうしよう、
などと一日一回は無駄に思い悩んでいるざまだ。
だから昨日の夜小蒔から電話がかかってきた時、
龍麻は喜びのあまりテーブルの角に小指をぶつけ悶絶したのであり、
口が裂けても葵の機嫌を損ねるようなことは言ってはならないのであった。
目指すデパートに行くには新宿駅の中を突っ切った方が早い、
と先頭に立って案内する小蒔に龍麻と葵はついていく。
何をそんなに急ぐのか、小蒔は妙に早足で、龍麻と葵は人ごみを上手にすりぬけていく彼女に、
ともすれば置いていかれそうになるほどだった。
だから目指すデパートの入り口まで来てようやく小蒔に追いついた二人は、
既にして疲れ気味になってしまっていた。
「どうしたの？」
「なんでもない」
まさか歩いただけで疲れたとも言えず、龍麻は首を振ってデパートの中に入って行った。
上から順番に見ていこう、ということになって、エスカレーターを上る。
デパートはまだ開店直後とあって、さすがに人は少ない。
おまけに階を上がる度に店員に挨拶されて、なんとも気恥ずかしい気持ちに龍麻達はさせられてしまった。
そのせいで三人ともなんとなく無言だったが、三階から四階へ上がる途中、葵が口を開く。
「小蒔の弟さんって、来年中学生になるのよね」
「それは上から二番目。今度誕生日なのは一番下のヤツなんだ。来年小学校に上がるの」
小蒔のまだ他にも兄弟がいそうな口ぶりに、龍麻は好奇心を刺激されて訊ねた。
「桜井さん家って……何人姉弟なの？」
「あ、ひーちゃんは知らなかったっけ。ボクが一番上で、下に五人いるんだ」
「五人！」
予想を上回る人数に龍麻は絶句してしまった。
兄弟はおらず、しかも今は一人暮しのため、学校以外はほとんど一人で居る龍麻は、
彼女の両親もいれれば八人、
祖父や祖母でもいれば十人にもなろうかという大家族の生活ぶりは全く想像出来なかった。
しかも長女が小蒔とくれば、その賑やかさは一体どれほどのものか。
食事時などは、さぞ激しい戦いが日々行われているのだろう。
ないものねだりに近い感情で小蒔の家族を羨ましがった龍麻だが、
それはさておき、気になるのはもう一人の家族構成だ。
さてどう突破口を開いたものかと思案していると、小蒔が先回りして教えてくれた。
「葵ん家は一人なんだよね。ひーちゃん家と同じで」
「そう……」
呟きは、二人分だった。
効率良く情報を提供した小蒔は、会心の笑みを浮かべる。
してやられた二人は、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
この歳になっておもちゃ売り場に来るのはさすがに恥ずかしい。
そう思わないでもない龍麻だったが、小蒔はそうでもないらしく、売り場を見渡す目は楽しそうに輝いていた。
まさかさっき歩くのが速かったのは、早くここに来たかったからではないのか。
龍麻の邪推は、実はそれほど外れている訳でもなかった。
「んっと、おもちゃ売り場はここだね。何にしようかな」
「候補はあるの？」
「うん、テレビでやってるロボットか、このラジコンか……あ、ゲームもいいよね。
ひーちゃんならどれがいい？」
多分同じ男だから、ということで小蒔は訊いたのだろう。
しかしロボットの出ているテレビとやらも、
ラジコンも全く遊んだことのない龍麻はゲームくらいしか勧められなかった。
「ゲーム……かなぁ。大勢で遊んだら楽しそうなのは」
「そうだね。ゲームなら皆で遊べるし、いいかも。んじゃ買ってくるからちょっと待ってて」
小蒔はあっさりと同意し、支払いをするべくレジに向かった。
あまり真剣に選んだようには見えない彼女に、思わず龍麻は呟いていた。
「いいのかなぁ」
「ふふっ、小蒔もゲームが好きみたいだから、案外最初からそうするつもりだったんじゃないかしら」
「それならいいけど」
少し安心した龍麻は、気が緩んだのか、自分でも全く考えていなかった質問を葵にした。
「美里さんは子供の頃ってどんな遊びしたの？」
「え？」
突然訊かれて葵は驚いているようだった。
場つなぎ的なつもりで聞いただけの龍麻は、彼女の焦りようがおかしくもあり、
まずいことを聞いてしまったのかと心配にもなる。
黙ってしまった葵に、強く訊くわけにもいかず、気まずい沈黙が流れた。
そこにレジを済ませた小蒔が戻ってくる。
「お待たせ」
「さ、行きましょう、小蒔」
小蒔の腕を取った葵は、訳もわからない彼女を半ば引きずられるようにしてさっさと階下へ向かう。
一人残された龍麻は、何が彼女の機嫌を損ねたのかさっぱり判らず、ほとんど半泣きで後を追うのだった。
エスカレーターを下りながら、小蒔が龍麻に耳打ちする。
「ね、どうしたの葵。ひーちゃん何言ったのさ」
「いや……桜井さんがレジに行ってる間にさ、子供の頃何して遊んだのかって聞いたら急に」
「ホントにそれだけ？ 確かにヘンだね」
すがりつくような気持ちで葵の豹変の原因を求めた龍麻だったが、
さしもの親友も思い当たる節はないようだった。
葵は前を向いたまま、こちらを振り向こうともしない。
こうなったら土下座でもなんでもして謝るしかないか──
そんな悲壮な覚悟すら固めつつあった龍麻をよそに、小蒔は首を捻る。
どうも怒ってるワケじゃないみたいだし、小さい頃──葵が──遊んだ──
二人の大切な友人の為に、真剣に記憶を呼び起こしていた小蒔は、やがて小さく掌を打った。
「そういえば」
そのまま小さく笑い出す。
それは葵と龍麻、両方にに対して向けられた笑いだった。
その笑いを収めたのは、滑稽なほど真剣な龍麻の視線に気付いたからだ。
「何かわかったの」
もちろん小蒔は龍麻を応援していたし、彼が助けを求めるなら可能な限り手伝ってやるつもりだったが、
今回に関しては同時に葵を裏切ることにもなりかねないため、少し慎重に口を開いた。
「うん、大丈夫だよ、葵は怒ってるワケじゃないから」
しかしすぐに茶目っ気たっぷりに瞳を輝かせ、さも重大な秘密を知っているかのようにもったいぶる。
実際、龍麻にとって葵のことならなんでも重大な秘密には違いないのだが。
「でも……知りたい？」
それはもちろんのことで、頷く龍麻に小蒔は口を寄せる。
一言一句聞き漏らすまいと息まで止める龍麻だったが、聞こえたのは小蒔の声ではなく、
龍麻が関心を寄せる本人の声だった。
「こーまーき」
「は、はいッ」
エスカレーターの二段ほど下にいて、会話に全く気付いていないと思われた葵が突然振り向いたのだ。
それは大胆不敵な小蒔をたちまち直立不動にさせてしまうほど、にこやかな微笑みだった。
「言ったら駄目よ？」
「わ、わかったよ」
まず小蒔を仕留めた葵は、続けて龍麻に狙いを定める。
「緋勇くんも」
「ご、ごめんッ」
同じく龍麻も気をつけをし、素早く頭を下げた。
二人を平伏させた葵は、笑みを絶やさぬまま到着したエスカレーターを降り、文具売り場へと向かう。
「おっかなかった……」
異口同音に呟いた龍麻と小蒔は、葵を怒らせるのだけは止めよう、と固く心に誓ったのだった。
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