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全く前を見ずに店を出た京一は、道の真ん中まで進んだ辺りでいきなり目の前が真っ暗になった。
何者かがぶつかってきたのだ。
油断していたのとぶつかった相手が結構な勢いで走っていたので、
格好悪く弾き飛ばされてしまい、ちょうど京一に続いて店を出てきた龍麻は、
思わぬパスを受けとらされて驚いてしまった。
「っ痛ェ……前見て歩きやがれ!」
自分のことを棚に上げて怒鳴りつける京一だったが、ぶつかった相手は京一を見ていなかった。
「あッ、ひーちゃん達! 助かった……」
京一がぶつかったのは、奇しくも桜井小蒔だった。
見ればやや遅れて葵も走ってきており、その顔には小蒔と同様、わずかな怯えが浮かんでいる。
あからさまな安堵の表情を浮かべる小蒔に、龍麻に支えられたまま京一が訊ねた。
「なんだ、どうした。まさか……鬼道衆か!?」
「違う、そうじゃない、けど、もっと、性質が悪い、かも」
「なんだそりゃ」
全速力で走ってきたのか、まだ息を切らせたまま小蒔は手を振って否定する。
首を傾げざるを得ない返事に、顔を見合わせる龍麻達だった。
すると絵莉が、何かに気付いたのか、額に手をかざして向こうを見やる。
「誰か来るわね」
「うぇ……」
心底辟易したように呟いて、小蒔はよろよろと歩く。
半人半魚の異形である深きものどもにさえ臆することがなかった彼女が、
一歩でも遠ざかろうとする存在とはどんなやつなのだろうかと、
龍麻はこちらに向かって来る人影を見た。
満面の笑みを湛えて走ってくる男を視界に捉えた時、
一瞬だけだが問答無用で殴り飛ばしてやろうかと思ってしまったほどだった。
それほど男にはいかがわしさが充満していたのだ。
その印象は男が一歩近づいて来るごとに夕立の前の雲のように立ちこめていき、
遂に自分の前に立った時、霧消するどころか雷を伴った雨となったのだった。
「HAHAHAHAッ! 待ってくださ〜いッ、Myスウィートハニー!!」
これほどうさんくさい言語があっただろうか。
男の口から発せられたイメージ通りの軽薄な言葉は、
日本語と英語、双方に対する侮辱と言って良かった。
あまりの怪しさは印象をぐるりと一周してしまい、京一もすっかり毒気を抜かれてしまったようだった。
「なんだこいつ……お前らの知り合いか?」
「ンな訳ないだろッ! 勝手についてきたんだよッ!」
口を尖らせる小蒔の態度からも、どれだけ憤慨しているかが解る。
更に小蒔だけでなく、葵までもがほとほと困ったような顔をしていて、
それだけで龍麻はこの外人が嫌いになった。
「学校に向かって歩いている途中、急にこの人が話しかけてきて……」
「ただのナンパだと思ったから無視してたんだけどさ、葵を見た途端……」
事情を呑みこんだ龍麻は、やはり問答無用で殴っておけば良かったと後悔した。
何事にも勢いというものはあり、この、
葵をナンパするという大それた真似をしでかした男が走ってくる時なら出来たことも、
偽りとは言え落ち着きを持ってしまった今この場ではもう難しい。
仕方なく龍麻は充分に警戒をしながら、うさんくさい笑みを浮かべたままの男を観察した。
背は自分と同じ、一八〇センチを少し超えるくらいか。
しかし胸板が厚いせいか、全体的には一回りほど大きく見える。
更に──認めたくはなかったが、足の長さが決定的に違っていた。
彼を嫌いになる要素がまた一つ増えた龍麻は、
激発しないよう自分に言い聞かせながら視線を上へと移動させる。
Tシャツの、なんとも怪しい太陽のプリントが、小馬鹿にしたようにこちらを見ていた。
「Oh!! ナンデ、ソンナトコニカクレ〜ルデスカ」
「ひーちゃん、葵を護ってあげてよね」
言われるまでもなく、龍麻は一歩進み出て映画の主人公よろしく葵を庇(う。
少し大胆か、とも思った行動も、少なくとも仲間達は誰も冷やかしたりはしなかった。
更に葵が背中を、恐らく無意識だろうがそっと掴み、龍麻の主人公気分はいやがうえにも高まるのだった。
「Oh、NO!! ユー達は誰デースか? どーしてボクとハニーの邪魔するデースか?」
「なにがハニーだ、このクソッたれ!! とっとと去りやがれ、さもねェと」
余程癇(に触っているのか、交渉は京一が自発的に引き受けている。
だから龍麻は無言を保ったが、内心は京一とほとんど変わらなかった。
ただし氣は練り始め、いつでも手痛い教訓を与えてやれるようには身構える。
「そんなコワーイ顔しないでくださーいネ。ボクの名前、アラン蔵人(いいマース。
聖(アナスタシア学園高校の三年生ネ」
聞いてもいないのに勝手に名乗ったアランという外人は、いかにも不思議そうに龍麻達を見た。
「ユー達はボクのスウィートハートと一体どういう関係デースか?」
まずスウィートハートってのを止めやがれ──そう言ってやりたかったが、
葵の前であまり品の無いところを見せたくはない。
それに本物の外人と話すのは初めてで、英語が通じるかどうか不安もあったのだ。
目の前の男は日本語が随分と達者なようではあったが。
「俺達は高校の同級生で、その──フレンドだ。これ以上彼女達につきまとうのは、止めてもらおうか」
無意味に格好をつける龍麻に代わって醍醐が警告を発すると、アランは大げさに両手を広げてみせた。
「Oh、JESUS(!! ボクはただ、彼女と話がしたかっただけデース。
迷惑かけるつもりなかったーネ」
敵意が無いことを示したいのだろうが、胸の太陽が腹立たしい形に口を広げた、
としか龍麻には映らなかった。
だから、より完全にアランと葵の間に立ち塞がり、
この外人の目にわずかたりとも葵を触れさせないようにする。
少しでも変な素振りを見せたら、今度こそ遠慮無く怒りの鉄拳を食らわせてやるつもりだった。
「そんなこと言ったって、あんな風に追いかけてきたら誰だって逃げ出すよ」
「No、それは誤解デース。レディたち逃げるから、ボク、追いかけた。
見失いたくなかったデース。やっと会えた、ボクの理想のヒト!
お願いデース、名前、教えてくださーいネッ、プリーズ!」
プリーズ、と言う部分はほとんど雄叫びになっている。
葵が怯えているのが背中を掴む手から伝わってきて、
もうこいつは万死に値すると腹わたを煮え繰りかえらせる龍麻だった。
「美里……葵……といいます……」
更に葵は名前までもをこのいまいましい外人に告げてしまい、
夏の暑さとも相俟って龍麻はほとんど沸騰しそうになっていた。
「Cooooolッ!! アオーイ!! 名前までBeautifulネッ!!」
そんな龍麻などどこ吹く風で、アランは両手を握り合わせ、肩をくねらせる。
ビューティフルなのは同意だったが、もう龍麻の思考は、
この軽薄の塊としか思えない男をどうやって追い払うか、にしか注がれていない。
闘犬のように身構える龍麻に同情の目を向けて、小蒔は軽く首を振った。
「教えることないのに……葵はお人好しだなぁ」
「だって……なんだか可哀想だもの……」
一方すっかり上機嫌のアランは、事の成り行きを傍観していた京一と醍醐に向き直る。
「アオーイ。ボク、ちゃんと覚えマシータ。ついでにユー達の名前も教えてくださーいネ」
「俺達はついでか……日本語の勉強が足りんな」
「足りないのは勉強じゃなくて、頭の中身だろ。いいかボケ外人、一度しか言わねェからな。
俺の名は蓬莱寺京一。ほうらいじ、きょういちだ」
なんだかんだ言っても名前を教えている、ある意味葵以上にお人好しな京一だったが、
彼の好意は全く報われなかった。
「……アホーダ、キョーチ?」
「京一だ、キョ・ウ・イ・チ!! 名前だけ覚えろ!!」
「Oh、キョーチね。アイシー」
「このクソッたれがァッ!!」
「ノー、クソったれ違う。ボク、アランネ」
「ッの野郎……!!」
駆け出しの漫才コンビのようなやり取りに、龍麻に続いて京一までもが怒りで沸騰しかけている。
どちらか片方だけならともかく、二人同時に激発されては止めきれないので、
醍醐は自分達の方からアランの前を去ることにした。
「きりがないな。いいから行こう」
「全くだ、こんなボケ外人相手にしててもしょうがねぇ」
しかし、彼の為を思って立ち去ることにしたというのに、アランはなおしつこくまとわりついてくる。
「No、ボクガイジン違うネ」
「何言ってやがる、金髪に割れた顎とくりゃ、どっから見ても外人だろうがッ!!」
「ボクは混血(ネ。半分はメキシコ。でも、もう半分はニホンの血流れてるネ」
「その割にはヘンな日本語……」
京一とアランの全く噛み合わない会話にうっかり口を挟んでしまった小蒔に、
すかさずアランが身を乗り出した。
「Oh、そういえばユーの名前を聞いてないデース」
「え!? いいよ、ボクは」
「プリーズ!!!!」
「わ、わかったよッ、小蒔だよ、桜井小蒔」
怒号に近い雄叫びに、小蒔の肩がびくりと震える。
それを見た醍醐の肩まで微かに震え、いよいよ真神最強の三人の噴火の刻が近づいたようだった。
もちろんそんな事など露知らないアランは、更に絵莉にまで名を訊ねている。
「コマーキ! Cute(な名前ネ。後ろのレディはなんていいマースか?」
「あら、わたしも? わたしは天野絵莉よ」
「エリー。Wonderful(ネ」
「女の名前だけはちゃんと覚えやがるんだな」
皮肉たっぷりの京一の台詞も、アランは全く聞いていなかった。
小蒔や絵莉に対する時とは明らかに異なるおざなりな態度で、龍麻と醍醐にも話しかけてくる。
「あとは……ユーとユーね」
自分よりも龍麻の暴走を止める為に怒りを抑えなければならない苦労人の元番長は、
アランの質問に答える気があるかどうか、一応現番長を見てみた。
への字に張りついたまま動こうとしない口に、ため息をついて彼の分も自己紹介する。
「俺が醍醐で……こいつが緋勇だ」
「ダイゴに、ヒユー……覚えマシータ。これでボクたちミンナFriends(、仲良ーしネ」
フレンズとは、敵という意味もあるのか──
英語が苦手な醍醐は半ば真剣にそう考えつつ、投げやりに京一に言った。
「だ、そうだ、京一」
「だとよ、良かったな、龍麻」
いつもと同じ程度の冗談にも、龍麻は本気で腹を立てていた。
それを感じ取った京一は小さく肩をすくめてみせたが、
龍麻の怒りはまだ頂点に達してはいなかったのだ。
彼の二段階目のロケットに点火したのは、またしても、そして当然アランだった。
「お願いデース、葵をボクにくださーいッ!!」
聞いた瞬間、龍麻は大きくよろめいていた。
一瞬ではあるが視野狭窄を起こしたのだ。
口の中でぎち、と言う嫌な音が鳴り、全身の血管が開く。
この数ヶ月で普段人当たりの良い友人が、実は口も悪けりゃ手も早い、
極めて物騒な存在だと知っている京一と醍醐は、最も危険な火山の噴火の兆候を察知してやや慌てた。
「お、おい、龍麻落ちつけ」
「Oh、ヒユー、どうしてそんな顔するデースか。もしかしてユーも葵が好きデースか?」
もしこの男が龍麻にとって存在意義があるとすれば、
それを聞いた葵に、次の一言を言わせた一点にのみあった。
「えッ……」
息を呑み、確かめるように横から自分の顔を見ようとする葵の仕種が、
背後に目があるかのように龍麻には見えた。
後ろを振り向きたい衝動に耐え、極少の時間で歓喜を怒りに取って代わらせる。
そんな龍麻の努力も、アランが口を開くとたちまち無に還ってしまうのだった。
「でもッ、ユーよりボクの方が葵のコトもっと好きデース。メニーメニー、愛してマース!」
龍麻の氣が膨れていく。
身体から立ちのぼる氣は、夏の陽炎ではないかというほど彼の輪郭をゆらめかせていた。
醍醐と京一は、図らずもアランの為に龍麻を制止しなくてはならない。
「緋勇、落ちつけ!」
「ッたく、なんて図々しいヤツだ」
「そうだそうだッ、大体葵の気持ちを全然考えてないじゃないかッ!!」
龍麻とこのヘンな外人とでは断然龍麻派の小蒔が勢い良く加勢する。
それでも、ラテン系という民族の特徴を一身に体現したアランには傷一つ与えることが出来なかった。
「それはノープロブレム。ボクは世界一葵を愛してマース。ボクといれば、葵も絶対Happy(ネ!!」
「なんか、京一が二人いるみたいで頭痛くなってきた」
「こんなクソ外人と一緒にすんなッ!」
お手上げとばかりに肩をすくめた小蒔に、京一が激昂する。
いくらなんでもこんなのと一緒にされては沽券に関わるというものだった。
「さァ、葵、ボクと一緒にスウィートホームへレッツゴー!!」
お前のスウィートホームは俺が地獄に用意してやるから一人で行け──
心の中でそう叫んだ龍麻が暴走しなかったのは、
ひとえに背中を掴んでいた葵の手の功績によるものだった。
しかしその鎖も一秒ごとにアラン印(のやすりによって削られており、
一度桎梏(から解き放たれたらどんな地獄絵図が繰り広げられるか、彼の友人達でさえ想像出来ない。
ここはさっさとアランと別れた方が良さそうだった。
「このままでは緋勇が暴走しかねんな」
「全くだ。絵莉ちゃんも急ぐんだろ?」
「あッ、えぇ、そうね、そうだったわ」
急に水を向けられ、絵莉は慌てふためく。
龍麻達よりも十年近く人生経験を積んでいる彼女だったが、
これほど情熱的に──あるいは強引に──アプローチをかけてくる男は初めて見たのだ。
こんなやり方で女が口説ける訳がないと思うのだが、
もしかしたらメキシコの女というのはこういう口説かれ方が好みなのだろうか、
などと彼らが言い争っている間、実にどうでも良いことを考えていたのだ。
これから大事な、大袈裟でなく東京壊滅の危機を防ぐ為に彼らと江戸川区に向かわなければ
ならないのに、とんだ無駄な時間を浪費してしまっていた。
「ホワット? 何か用あるデースか?」
「ああ。俺達はこれから出かけるんだ」
いちいち絡んでくるアランに、辛抱強く醍醐が答える。
京一ほどにアランに呆れておらず、龍麻ほどに怒りを抱いていないこの男が、今や最後の砦だった。
「そうだ、俺達はこれから江戸川に行かなきゃならねェんだ、残念だったな」
遠くへ行くからお前と付き合ってる暇なんざねぇ──というつもりで京一は言ったのだが、
これは完全に失言となってしまった。
東京の外れにある区の名前を出した途端、アランが著しい反応を見せたのだ。
「エドガワ? エドガワ、ボクのホームがあるトコネ」
「……マジかよ」
思わず額に手を当てて嘆く京一と対照的に、アランは大喜びで告げる。
「Cool(! ボクも行くネ」
「アランくん、わたしたちは遊びに行く訳じゃないのよ。あなたも江戸川の住人なら知っているでしょう。
今、あそこでは──」
「知ってマース。ヒト、たくさん死んでるネ。あれは悪魔の仕業、行けばミンナの命も危ないデース」
絵莉の言葉を遮ったアランの口調は、驚くほど強いものだった。
会って数分ほどで既に軽薄な男、
という彼に対するイメージを確乎たるものにしていた一同は、思わず黙ってアランを見た。
出会ってから女の話しかしていなかった軽薄な男は、逆に自分達を観察しているようだった。
目を細め、鋭い眼光で一同を見渡し、大きく頷く。
「わかりマシータ。それなら、ボクも一緒に行きマース」
「遊びじゃねェつってンだろうが」
「ミンナや葵を放ってはおけナイ。ボク、強い男。絶対役に立つデース」
話にならない──そう突っぱねるつもりだった龍麻は、
アランの瞳に思わぬ真剣な光が宿っているのを見て言い損ねてしまった。
彼と同様に目を細め、挑戦的に睨みつける。
アランはそれを躱すことなく真っ向から受けとめ、
少しやばいんじゃないのか、と京一と醍醐が目配せしあった直後、唐突に龍麻が動いた。
「お、おい」
「何するヒユー、危ないネ」
コマを切り取ったかのような疾さで顎の下を狙って繰り出された拳は、
しっかりとアランの掌に受けとめられていた。
さすがに驚いているアランに、にこりともせずに龍麻は告げる。
「俺達と行くからにはこれくらい避けられねぇとな」
「それじゃ、ボクも行っていいデースか?」
「自分の身は自分で守れよ」
「おい、本気かよ」
京一が龍麻の額に手を当てたのはやり過ぎとしても、
今この場では最もアランを嫌っているはずの男の譲歩に、一同は驚かずにはいられなかった。
「そうね……本人が行きたいって言うんだから、いいんじゃないかしら」
「なんだよ、絵莉ちゃんまで」
その上最も大人の絵莉がアランの同行を認めたことで、
一同は渋々この奇妙な男と一緒に江戸川に行くことにしたのだった。
歩き始めた龍麻に、醍醐が嘆息混じりに話しかける。
「お前らしくないな」
「あいつ……氣を込めたパンチを簡単に受けやがった」
「なんだと?」
「それも、何か変な感じで……あいつの手に当たる前に勢いが殺されたような感じだった」
何かと葵に話しかけようとしているアランを睨みながら、
龍麻は努めて冷静にさっきの出来事を分析する。
龍麻の示唆に、醍醐の声は自然と低くなった。
「あいつも、『力』を持っているのか」
「まだ判らない……けど、強いってのはまるっきりホラって訳でもないみたいだ」
そこまで言った龍麻は、突然脱兎の如く駆けだした。
何事かと驚く醍醐が見守るなか、
葵の肩に腕を回そうとしているアランに、そうはさせじと体当たりをする。
たちまち掴みあいを始める二人に、醍醐は肺の底からため息を吐き出したのだった。
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