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 一方の龍麻達は、数は敵の方が多かったが、風角を除いて彼らはいずれも脅威ではなかった。
龍麻は醍醐と背中を合わせ、死角を無くして忍者達と相対する。
襲いかかる忍者に肘を叩きこみ、蹴りで吹き飛ばす。
無尽蔵に放てる訳ではない氣を調節する余裕さえ見せながら、龍麻は数人の忍者を打ち倒していた。
数が減り、更に余裕が出来たところで龍麻は背中越しに叫んだ。
「醍醐、雑魚は任せたッ。俺は風角あいつをやる」
「おうッ」
 醍醐の声に乱れはなく、このまま任せても良いと判断した龍麻は風角の前に立った。
部下達を手足のように動かして襲いかからせていた風角も、
この年端もいかぬ餓鬼共が意外に手練れであると知り、自ら闘う決意をしたようだった。
「フン、貴様……確かにいい面構えをしておるな。だが、これ以上九角様の邪魔はさせぬ。
あれの最初の餌にしてくれようぞ」
 言うなり風角は手刀を繰り出してきた。
手にはくさび型の武器──水角や如月の使う苦無と同じものだ──
が握られており、黒鉄の鈍い輝きが龍麻を狙う。
風角の攻撃を受けようとした龍麻は、そこに毒が塗られている可能性に気付き、とっさに身を沈めた。
動作を無理やりに変えた為に数センチほどの差でようやく躱す。
屈みざまにすねを狙って足払いをかけるが、これは簡単に躱されてしまった。
 位置を変えて再び向き合った二人は、今度は龍麻の方から仕掛けた。
全身をばねにして間合いを詰め、氣を乗せた掌底を放とうとする。
しかし体術はさすがに風角の方が優れており、龍麻は拳を当てるどころか、
躱しざまに突き出された苦無を避けるために横転しなければならない有様だった。
「ククク……どうした、掠りもせんではないか」
 悔しいが風角の言葉は事実であり、龍麻は長期戦を覚悟せざるを得ず、
溜まった唾を吐き出して改めて身構えた。
 すると急に、氣が膨れ上がる。
己の氣に混ざる、暖かな氣。
それが葵のものであることは疑いもなく、龍麻は軽くなった我が身を思い切り宙に舞わせた。
無謀とも言える飛び蹴りは、
氣によって増幅された身体能力によって風角の想像を超える疾さで襲いかかり、
跳んで龍麻の背後を取ろうとしていた鬼道五人衆の一員を叩き落とした。
「うォッ」
 思わぬ一撃にバランスを崩し、膝をついた風角に龍麻はすぐさまニ撃目を放つ。
かろうじて避けた風角だったが、それ自体を接近する為の手段とした龍麻の三撃目は避けきれなかった。
懐に潜りこんだ龍麻は、小さな動きで風角の肋骨に掌底を当て、溜めた氣を一気に放出する。
一瞬にも満たない時間で風角の全身に浸透した氣は、
強烈な衝撃を肉体に与え、そのまま背中側から抜けていった。
「がはッ……!」
 面の下で悶絶の叫びをあげた風角は、ゆっくりと崩れ落ちる。
龍麻が油断無く見守る中、風角はなお立ちあがろうとしていたが、
破壊の氣に貫かれた身体が起き上がることはなかった。
 彼が地面に伏した直後、洞窟全体を揺らすような叫びが龍麻の鼓膜を撃つ。
「ウオオオオ──門ガ閉ジル……イヤ……ダ、アノ暗闇ニモドルノハ」
 音程の定まっていない、もしかしたら最初から無いのかもしれない盲目者の声は、
幾重にも反響を繰り返しつつも次第に薄れていく。
やがてその姿と共に反響が消え去った後の洞窟には、そら恐ろしいまでの静寂が満ちていった。
「やったか」
 盲目者を斃した京一が近寄り、腕を掲げる。
龍麻は無言で同じ動作をし、腕同士を軽くぶつけた。
「そっちはもうちょっとかかると思ったんだけどな」
「へッ、なめんじゃねェよ。──ま、俺一人の力じゃさすがにねェけどな」
 京一がこんな風に仲間を褒めるのを聞いたのは初めてで、龍麻は目を丸くした。
それが気に入らないのか、京一は顔をしかめる。
「なんだその顔は──ッと、なんだ!?」
 一瞬、地面が揺れたような気がした。
顔を見合わせた二人は、それが気のせいではないことを知り、頭上を見上げる。
 天井から小さな石が落ちてきて、肩を叩いた。
仲間達も気付いたようで、皆一斉にこちらを見ている。
もちろん生き埋めになる気などない龍麻は、大声で叫んだ。
「崩れるぞッ! 脱出しようッ!!」
 女性達を先に行かせ、続いて脱出しようとした龍麻の動きが止まる。
自らの意思に拠らず龍麻が立ち止まった理由は、足首を掴む風角のせいだった。
死の間際にいるはずの彼の身体から、圧倒的な怨念が立ちのぼり龍麻を縛る。
それは同じ復讐の念で闘う龍麻を怖れさせるほど凄まじい圧力だった。
「う……うぅ……逃がさぬ……ぞ……このままでは……九角様に申し訳が……立たぬ。
せめて……せめて、誰ぞ道連れにしてくれる……風よッ!」
 怯える龍麻から生気を吸い取っているかのように風角の右手に力が篭り、龍麻を引き摺り倒そうとする。
全身の力で抗う龍麻の頬を、冷たい風が撫でた。
すぐに全身を包むつむじ風のように成長した風は、皮膚を切り裂いていく。
切られた箇所から小さな血飛沫が舞い、シャツを汚した。
「斬り刻め、斬り刻めッ、死ね死ね死ね死ね──ッ」
 しかし、風角の狂気の絶叫と共に龍麻に襲いかからんとした邪風は、一発の銃声と共に止んだ。
足首を掴む力も弱まり、龍麻はよろめきつつ風角の手から逃れる。
代わりに鬼道衆の男の前に立ったのは、霊銃を手にした復讐鬼だった。
Now you die.もうおわりだ
「き……貴様ァ……」
 無念の呪詛がアランを襲うが、アランは傲然とそれを跳ね返した。
その明るいブラウンの瞳は、乾ききっていた。
Go to hell.じごくにおちろ
 再び銃声が響く。
眉間を撃ち抜かれた風角の面が、二つに割れた。
地面に突っ伏し、完全に死んだ風角の身体が輝き始める。
龍麻達には見覚えのあるその光が止むと後に残ったのは、
やはり以前に光を放った水角が遺した珠だった。
拳よりも一回りほど大きな珠は、中に龍の紋様が浮かんでいるのは共通だったが、
水角の蒼とは異なり、乳白色をしている。
澄んだ音を立てて地面を転がる珠を拾い上げた龍麻は、
京一と醍醐の雰囲気が変わっていることに気付いた。
龍麻を救う為とはいえ倒れている相手に銃を撃った、あまりに仮借のないアランに鼻白んでいたのだ。
咎めるような視線を浴びたアランは無言を保っていたが、その瞳は哀しみに沈んでいた。
「──助かったよ」
 龍麻は短くそう言い、アランの肩を叩いた。
ただそれだけの動作ではあったが、アランの瞳は日出につしゅつのように輝きを増し、
たちまちこれまでと変わらぬ陽性のブラウンに戻っていた。
 認められずとも良い、ただ理解してもらえれば──
しかし、力強い龍麻の手は、その両方をアランに伝えていた。
アランは八年前に大切なものを全て喪ってから、
ずっと消せずにいた復讐の焔を鎮火させる暖かさを置かれた掌から感じ取る。
陰氣を和らげるものは、陽氣である──そのことわりをアランが知るのはもう少し後のことだったが、
アランは自分の波長が龍麻に合わさるのを、ごく自然に受け入れていた。
「また珠かよ。しかしなんだろうな、こいつらは」
 二人に歩み寄った京一は、龍麻の掌に乗せられた珠と風角のいた場所を交互に見ながら呟いた。
 もともとわだかまりを長く抱え込むタイプではないため、
龍麻がアランを認めたことであっさりと機嫌を直している。
それに復讐自体に否定的な感情を抱いているわけでもない。
復讐とはいえ容赦無く殺人を犯したアランに驚きはしたが、風角はどうやら人間ではないようなのだ。
彼らは人の姿をしているものの、死体は残らず、血も流れ出していない。
会話も交わしているのだから人間であることを疑いもしなかったが、
まるでこの珠が人に変じているかのような光景を見せられると、
面の下には何があるのか怪しいものだった。
 京一の疑問は珠を拾いあげてからまさに龍麻が思ったことであり、
つい考えこむ龍麻の頭に、小さな石が当たる。
 再び洞窟が震動を始めたのだ。
遠くから小蒔の声がする。
「何やってんのさひーちゃん、早く逃げようよッ!」
「小蒔の言う通りだ。さっさとずらかろうぜッ」
 頷いた龍麻は、アランと醍醐を促し、
本格的な崩壊へと変わりつつある洞窟から急いで逃げ出すことにした。

 醍醐を引っ張り上げた直後、一際大きな地響きが鼓膜を叩いた。
無事を喜ぶ暇もなく、急いで穴から離れる。
一分ほども続いた地響きが止むと、穴は崩落こそしていなかったが、
完全に埋まってしまい、再びあの『門』まで行くことは不可能となってしまっていた。
「あの化け物……斃したのか?」
「いいえ……もとの場所へと還っただけよ」
 制服の埃を払いながら訊ねるともなく呟く京一に、絵莉が答える。
彼女が調べた限りでは、盲目者あれは異次元の存在であり、
人の力では決して斃すことは出来ない、ということだった。
「それじゃ、また」
「ダイジョーブネ、あの『門』はもう、開くコトはナイよ」
 苦労の末に斃した怪物がまた復活するというのは穏やかでなかったが、
しきりに女性達の無事を確かめていたアランがそれを否定した。
「あの真上には、チョウド樹が立っているヨ。
六百年の間、タクサンのヒトの死を看取ってきた、偉大な樹がネ」
「それって、まさか」
 驚く絵莉に、アランはウィンクしてみせた。
「Yes.ヨーゴーの松」
「そう……そうだったの」
「どういうことなんですか」
 一人納得する絵莉に、龍麻が訊ねる。
地元民であるアランに訊ねなかったのは、その前のウィンクが気持ち悪かったからだ。
「影向の松がある善養寺にはね、浅間山噴火横死者供養碑があるの。
あの辺りはね、一七八六年に浅間山の大噴火が起こって、二千人以上の人が亡くなっているのよ。
……当時、それは悲惨な状況だったって言うわ。
今みたいに消防施設も医療施設も発達していなかったんですものね。
直後に起こった天明の大飢饉の影響もあって、併せて何十万という人々が死んだというわ。
その時亡くなった人々や牛馬が利根川や江戸川を流れてこの地に集まったのを、
村人達が手厚く葬って供養した……それが今の善養寺なのよ」
「樹は、言ってマス。ヒトが死ぬのを見るのは、メニーメニー悲しいと」
 胸に手を当てるアランに、小蒔が神妙な面持ちで呟く。
「ボク、聞いたことあるよ。植物や動物も長い年月を経ると、魂や強い霊力を得ることがあるんだって」
「松の樹の思い……ボクにはわかりマース。
ボクもメキシコのボクの村、大好きデシタ。大好きなヒト、大切なヒト、いっぱいいたネ。
でも、あの化け物現れて、何もかも失ッタ……そんな想い、もう二度としたくナイ。
そんな想い、誰にもさせたくナイ」
 沈痛な面持ちで語ったアランは、表情を改め、龍麻に向かって手を差し出した。
「ミンナのおかげで、ボクの目的果たせたネ。だから──今度はボクがミンナのヘルプする番デース」
 女性──特に葵に対する態度は受け入れがたいものがあるが、
命を救ってもらいもしたし、大切なものを護りたいというアランの気持ちに偽りはないだろう。
龍麻は、差し出された手を力強く握り返した。
「Thanx! ボクとヒユー、グッドフレンズね」
 アランは親愛の情も露に両手で龍麻の手を握る。
馬鹿力で握り締めるアランに全力で対抗しながら、
龍麻はまだグッドじゃねぇけどな、と内心で呟いたのだった。
 大仰に龍麻の手を振るアランに、一同は笑う。
それは、成し遂げたという充足感がもたらした笑みであった。
異形の化け物を倒し、東京の街を救った龍麻に、これを油断というのは酷だっただろう。
 龍麻が力較べからようやく解放された手首を振っていると、如月が話しかけてくる。
それに応じて二言三言会話をしていた龍麻の視界の端に、あるまじき光景が飛びこんできた。
「アオーイッ! ユーのtelナンバー、教えてくだサーイ!」
 葵の肩に、アランの手が置かれていた。
愕然とする龍麻をよそに、アランはなんともう片方の手まで葵の肩に置く。
何かが、龍麻の頭の中で音を立てた。
「会えなくてもボクのこと忘れてしまわナーイように、ボク、毎日telしマース!!」
 愛想良く葵に迫るアランの頭がいきなり左から右に、実に不自然に揺れる。
驚いた仲間達が視線を動かすと、掌をアランに向けてかざしている龍麻の姿があった。
彼らが等しく生唾を飲みこむ中、アランの笑い声が河川敷に木霊した。
「Hahaha,何するヒユー、痛いネ……Go to hell!」
 少し長めの髪が、勢い良く舞った。
アランの発射した氣の弾丸を、龍麻はすんでのところで躱していた。
長距離で一発ずつ撃ちあった二人は、猛牛の如く突進して掴み合いを始める。
「やべェ、キレやがった……おい醍醐、お前はアランを止めろッ。
いてッ、バカ野郎龍麻、俺まで殴ンじゃねェッ!!」
「はぁ……皆元気あるね。帰ろ、葵」
「そうね……それじゃね、みんな」
「私も帰るわね。お疲れ様」
「僕も失礼させてもらうよ。それじゃ、また」
 暴風と化した二人とそれに巻き込まれた二人を見捨て、さっさと四人は帰路に就く。
特に小蒔達女性は、汗もかき、
埃まみれになってしまったので一秒でも早く汚れを落としたかったのだ。
彼らバカにつきあう理由など、どこにもなかった。
「あ、待てッ、畜生、絵莉ちゃんと晩飯食おうと思ってたのに、
てめェ龍麻、いい加減……ごッ! ……野郎、いい度胸じゃねぇか、
てめェとは一度サシでりたかったんだ、覚悟しやがれッ!」
「止めんかお前達! 全く、こんな所で乱闘して警察でも呼ばれたら……うッ。
……ふふふ、いいだろう、最近補習ばかりで体がなまっていたからな、
貴様らまとめて相手してやるッ!」
 遂に止める者がいなくなった四人は、いよいよ本格的に乱闘を始める。
結局暗くなるまで殴り合いを続けていた彼らが補導されなかったのは、
事故の処理で警察の人手が足りなくなっていたためであるが、
夏の河川敷で動けなくなるまで殴り合った四人は、全身を蚊に刺されて数日間悶え苦しむという、
友情でもなんでもない共通項で結ばれたのだった。



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