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深夜、獣でさえも寝静まる刻。
公園の更に奥、うっそうと茂る木々が辺りを黒よりも深い黒に染める、
全く人の気配を感じさせない場所に、黒ずくめの服を着た二人の男が居た。
仲間には見えない。
さりとて、敵同士にも見えない。
二人は数歩の間を置いて立っていたが、お互いに目線は逸らしていて、
位置取りや表情の全てが、まさしくその綱渡りのような関係を表わしていた。
「こんな時間に、何の用かな……龍麻」
奇妙に黙したままの男の片方に向かって、男が語りかけた。
話しかけた方の男の背の丈は街を歩く男性の大部分よりも高く、痩身が更に高く見せている。
と言っても痩身はあくまでもそう見えるだけで、
実際には一グラムの無駄もない筋肉が全身を隙間無く包んでいた。
もう晩秋も深まった季節だと言うのに学生服だけを纏って寒そうなそぶりさえ見せず、
軽く拳を握り、肩幅よりもほんのわずか間隔を狭めた立ち居振舞は、
うかつに話しかけただけで両断されてしまいそうなものだ。
そして相対する男──龍麻と呼ばれた方は、それよりももう少しだけ、指二本分ほど背が高かった。
しかし、こちらは同じく全身に筋肉を宿しているものの、
痩身の男と比してうっすらと脂肪を乗せ、より堂々たる体躯をしている。
手はポケットに入れたまま肩をいからせ、右足を半歩だけ引いてつま先に体重を乗せている姿は、
獲物に飛びかかる寸前の獅子のようにも見えた。
心得がある者が見れば、二人とも何がしかの武術を修め、
しかも並大抵の使い手では無い事が容易に見て取れる。
ほんのわずかな身じろぎでさえ闘いの契機となりそうな緊張の中、
龍麻と呼ばれた男はまるでそれを感じさせない口調で男の問いに答えた。
「壬生よ──俺と、()っちゃくれねぇか」
「……また突然だね。どうしてか、訊いてもいいかい?」
微かに吹く秋風に前髪を揺れさせながら、壬生と呼ばれた細身の男は目を細める。
それに対して龍麻は口の端をわずかに曲げる、壬生が嫌いな笑い方で返した。
「理由が無きゃ、闘れねぇか」
「……そうでもないさ。いいよ、闘ろう」
「けっ、すましやがってよ。……いくぜ」
しかし、その声が風に溶け込む前に、一陣の颶風が龍麻の左前方から吹いた。
反射的に上げた左腕に、重く鈍い衝撃が伝わり、
その一瞬後に膨らませた風船を割ったような音が耳元に炸裂する。
すらりとした長身の壬生から繰り出された脚技は、
一回り以上凌駕する龍麻の体躯をよろめかせるだけの破壊力を有していた。
しかし、続けての攻撃は無く、
龍麻も壬生も挨拶は終わったとばかりに平然と元の位置に立ち、軽く身構える。
「全く、油断も隙もねぇな」
呟く龍麻に壬生からの返事は無かった。
軽く足を開き、わずかに右足を後ろに下げて二撃目の準備をする。
その足に、勁を叩きこんでやる──龍麻も身を落とし、氣を練って反撃の態勢を整えた。
静かに息を吸い、肺に落とす寸前に、壬生が動く。
熟練の格闘家らしく、絶妙の間で襲いかかる壬生に、
舌打ちをしようとした龍麻の巨躯が、壬生から見て右に吹き飛んだ。
「なッ……!!」
混乱は肉体により大きなダメージを与える。
追撃をさせないようにするのが精一杯の龍麻は、
煮えくり返りそうな頭の中を、状況を把握するべくフル稼働させた。
そして導かれる結論。
「……どこでそんな技覚えやがった」
放った右のハイを、途中で左のハイに変える。
言うだけなら簡単だが、龍麻レベルの相手にそれを行い、
完全に決めるというのは並大抵のことではない。
足を切り替える瞬間はどうしても不安定になるし、威力も落ちるはずだからだ。
しかし、壬生の疾さはそのいずれもをクリアし、
技を実用に耐えうるレベルにまで引き上げている。
こうなると、切り替えを予測しても最初のハイを防御しなければそのまま撃ちこまれるかも知れず、
受け手に迷いを生じさせ、圧倒的な優位に立つことが出来る。
壬生の神速が生み出す、まさしく一撃必殺の技となるのだった。
「畜生……効いたぜ」
「その割には倒れなかったね。これで決まると思っていたのだけど」
「俺は頑丈なのが取り柄なんでな」
減らず口を叩きながら、龍麻は乱れた氣を必死で練り直す。
独特の呼吸法で練り上げる氣は、ひとたび散ってしまえば再び整えるまで数秒は無防備になってしまう。
しかし、壬生はそれを黙って待ってやるほどお人好しではもちろんなかった。
水面を薙ぐ、というよりも断ち切るような蹴りが龍麻の足下を狙う。
脛で受け、勢いを殺ごうと軸足に力を込める寸前、今度はわき腹につま先が食い込んでいた。
「がッ……!」
たまらずくずおれる龍麻の後頭部に、壬生はとどめの踵を撃ちこむ。
ここに打撃を受けては、さしもの龍麻も昏倒せざるを得なかっただろう。
だが、壬生が陰の龍として人知を超えた技を体得しているのと同様に、
龍麻もまた陽の龍として人ならざる絶招をその身に修めていた。
脚を振り上げた壬生の胸尖から丹田までが、ごくわずかな時間無防備になる。
その一瞬にも満たない間隙に、龍麻の掌が毒蛇のようにつけいった。
斜め下から突き上げた腕が、一直線に龍が棲む天空へと壬生の体を弾き飛ばす。
「ぐは……ッ」
月を覆ってしまうほどに撃ち上げられた壬生はかろうじて受身を取ってそれ以上の追撃を防いだが、
初めて受けた龍氣の威力に片膝をつき、しばらくは口も開けなかった。
逆手の掌底を相手の体に押し当て、触れた瞬間からひねりを加えて勁を叩きこむ。
螺旋を描いて送りこまれた氣は、凄まじいスピードの波となって相手の体を破壊する。
氣を操れない者でも十二分な威力を与えられる絶招は、
地球の力を操る龍麻が放つことによってまさしく殺人技と化す。
龍麻が人の道を(あやま)たずに済んだのは、
壬生も龍麻ほどでは無いものの氣を操れるからに過ぎなかった。
意趣返しに成功した龍麻は、溜まった唾を地面に吐き捨てて笑みを浮かべた。
暗闇で見えなかったが、口の中に鉄の味が広がるところを見ると結構な血が混じっていたのだろう。
一撃を返したとは言え、受けたダメージは半端なものでは無かったのだ。
不利を知られまいとする戦術的な判断と、
それ以上に壬生に弱みを見せたくない意地でよろめく足を突っ張らせて構える。
「人間相手に使ったのは初めてだったんだけどよ、効いたみてぇだな」
「……忠告しておくよ。これは人には使わない方がいい。
こんなものを食らったら、いくら君が手加減したって死んでしまうだろうからね」
無論壬生にも今の一撃は相当のダメージを与えていたが、
龍麻と同じか、あるいはより強い意地で立ち上がった。
軽く口元を拭う壬生に、龍麻の身体の中を狂おしいほどの悦びが駆け巡る。
そう、まだだ。まだ倒れるなよ。
俺が満足するまで──



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