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初めて会った時から、こいつしか居ないと感じた。
こいつだけが、俺の技を食らってくれる。
こいつだけが、俺の鍛え方が間違っていないかどうか教えてくれる。
こいつを、ぶっ倒してぇ──
己の肉体を武器として闘うことを選んだ時から、その負の感情があることを自覚していた。
護る為の力ではなく、倒す為の力。
どれほど優れた料理にも、それを食べる人間がいなければ意味が無いのと同様、
窮めた技もまた、それを受ける人間を必要とする。
そしてそれは自分と同じく、己の肉体のみを用いた格闘家でなければならない。
その点で京一は候補にならず、醍醐もまた、理想の敵手とするには残念ながら実力が足りなかった。
鬼道衆と名乗る敵との闘いでさえ満足は出来ず、
護るべき物を見出して満ち足りた日々を過ごしながらも、
埃が薄く積もるように闘いへの渇きは心のある部分を確実に侵食していた。
そこに現れた、もう一人の龍──
壬生紅葉は、龍麻が求める要件を全て満たしていた。
更に、この同じ師を持つ男は、自分が絶対に越えられない壁をも越えている事を知り、
龍麻は壬生を倒すと言う、狂おしいまでの欲望に取り憑かれた。
しかし、どれほどお互いがそれを求めているとしても、闘う為には口実が要る。
出来るまで待ち続け、ようやく得られた口実。
訪れたこの至福の時を、簡単に終わらせるつもりは毛頭無かった。
そして、それは彼の敵対者──今だけは、だが──も同じで、
一撃を貰っただけで地に伏してしまうなど、勿体無くて出来るはずもなかった。
母の為、と己の手を血に染める言い訳にも疲れていた時、龍麻は不意に現れた。
彼の持つ膨大な龍氣は自分が暗殺する屑どもとはまるで違い、
一目合った瞬間に、壬生は体中の血が沸騰するのを必死で御さなければならなかった。
この氣を思いきり刈り取ってしまいたい。
この肉体を、自分の足元にひれ伏させたい。
それは、彼が自分と対を為す存在だということが判ってから一層激しいものとなった。
しかし龍麻は東京を護る、と言う痴者の見る夢のような現実に身を投じていて、
彼本人はともかく、周りに居る連中がそれを許さなかった。
それで一旦彼と共闘することにし、機会が扉を叩くのを辛抱強く待っていたのだ。
もちろん今、龍麻と轡を並べて闘うようになってからは、
その人間的な器の大きさに感服し、抱いている感情は恋に近いものさえ知れない。
だがそれは、あくまでも彼を地に打ち倒したいという念と一体になったもので、
壬生はその為に己を研鑽すること、一日たりとて休んだことはなかった。
だから今日、龍麻から用事があるといって呼び出しを受けた時、
もうどうあっても彼と一戦交えるつもりだったのだ。
その想いが叶い、歓喜に震える肉体は、自分でも驚くほどに軽い。
この分なら、龍麻を屠(ることなど容易(く出来そうだった。
「……その割に、お前は死んでねぇじゃないか」
「僕だって、龍の片割れだからね」
「へッ、そうこなくちゃな。まだ、闘(けるんだろう?」
「もちろん。……いくよ」
滑るように近づいてきた壬生は、大胆にも龍麻の目の前で体を反転させ、
勢いをつけた回し蹴りを放つ。
意外な攻撃に思わず防ごうと上げた龍麻の左腕に、二度衝撃が疾(った。
「ちッ……!」
寸分違わぬ部位を蹴る、線でもない、点の精度の連撃に腕が痺れる。
一時的に使い物にならなくなった左腕を下ろし、攻めに転じようとした刹那、
戻ったはずの壬生の足が目の前にあった。
驚くよりも先に身体を反応させ、
懐に潜りこもうとかがみこんでいた姿勢を無理やり崩し、そのままタックルをかける。
倒れざまに鳩尾に肘を叩きこもうとした龍麻だったが、
壬生は軸足を自分から滑らせてすんでのところで身を躱し、研ぎ澄まされた肘は空しく土を叩いた。
今度は壬生が受け身を取った龍麻の頭をサッカーボールに見立て、鋭く足を振り抜く。
後頭部めがけて慈悲深いつま先を撃ちこんだはずの足は、しかし、振り子のように空を切っただけだった。
横転してこれを躱(した龍麻は、両手をばねにして跳ね起き、
同時に足を突き出して壬生顔負けの蹴技を見舞う。
踵が何かに触れたような感触を得たが、それを視覚で確かめる前に本能が反応し、
もう片方の足で壬生の肩を蹴飛ばした。
関節技で龍麻の膝を破壊し損ねた壬生は、ここでようやく距離を置き、新たな攻撃の態勢を整える。
一呼吸でそれは完了するはずだったが、半分だけ動作を終えた所で龍麻が一気に懐に入ってきた。
わずかとは言え守勢に入ってしまったことを痛烈に後悔しながら、
自分の本領である蹴の間合いを得ようと短打を繰り出す。
無論龍麻はそれを防ぐため、しなやかな壬生の体さばきとは対照的な、
肩や腰を使った強引な体術で壬生が退いた分を詰める。
無原則にすら思える龍麻の攻撃に、
壬生は幾度か倒れそうになりながらも、驚異的なバランス感覚で転倒を拒み続け、
そのステップは無限に加速していくようですらあった。
疾(さでは到底及ばない龍麻は、攻撃をわざと受けることで壬生に肉迫し、
烈日の気合と共に体重を乗せた肘を見舞う。
たなびく雲が速い凩(に乗って煌煌と照らす月を幾度も覆い、
その都度死闘を繰り広げる二人の影は目まぐるしく場所を入れ替え、もつれあった。
鈍い打撃音が断続的に空気を震わし、眠りを妨げられた鳥が不服そうに鳴声を上げたが、
二人とも自分達が奏でる舞踏曲以外は耳に入らず、
ただひたすらに拳を繰り出し、脚を相手の急所に叩きこむべく己が身体を操る。
しかし、お互いを熟知している二人の闘いは龍が己の尾を噛む行為と等しく、
龍麻と壬生はいずれも決定的な一撃を決められぬまま、疲労だけが時の砂と共に蓄積されていった。
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