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翌日。
「おい御門! どういうことだよ!」
「なんですか、全く騒々しい」
御門が張っている時空の狭間には、彼が好む音以外は入って来ないようになっていた。
そして彼が好む音などこの世にはそう数多くないので、
普段は澄み渡った空気そのものが冷涼な調べを奏るに留まる。
そこを耳障りな声に荒し回られて、御門は不快げに闖入者を見やった。
「なんですかじゃねぇよ。芙蓉さんをよこしたの、お前だろ」
「そうですが、それが何か」
「何か……って、その、なんだ、そう、なんで急に護衛なんて」
流石に芙蓉の主だけあって、微塵も揺るぎを感じさせない態度は、
龍麻などでは容易には崩せそうも無かった。
大体にして龍麻自身実はもう、
芙蓉が自分のそばにいることに疑問も不満も無いのでその勢いも自然と弱くなっている。
しかし、はっきりさせておかなければならないことというものはあるのだった。
そんな龍麻を冷たい視線でひと撫でした御門は、物解りの悪い学生に講義する教授のように語りかけた。
「いいですか、あなたのような取るに足らない存在でも、その命を狙う者がいるのは確かな事。
あなたが死ぬと行き場を失った龍脈が乱れる事になり、
そうなると流石の私でも少々やっかいな話になるのです。
ですから、芙蓉を護衛につけてあげると言うのです」
実に恩着せがましい説明に、龍麻は納得しなかった。
「そりゃそうかも知れないけどよ、何も四六時中護ってもらわなくても」
「ふむ。あなたがそれほど嫌だと言うのなら仕方が無い、芙蓉には戻らせましょう」
「待て、俺は別に嫌だとまでは……」
御門は妙に急いた様子で、龍麻が止める間もなく素早く印を切る。
しかし、芙蓉の身体には何の変化も訪れなかった。
「……おや?」
わざとらしく呟いて、もう一度複雑な印を寸分違わず切ってみせる。
何が起こっているのか全く解らない様子の龍麻に、御門は失笑を堪えて手にした扇子で口元を覆った。
「……ふむ、緋勇、あなたはもしかして……芙蓉と契りを交わしましたね?」
「!! なッ、何言い出すんだお前ッ!!」
「隠しても無駄です。あなたの軽率な行動により、芙蓉は龍氣をその身に宿しました。
これによって、芙蓉の主人はあなたへと変わったのです」
「んな馬鹿な……」
「馬鹿とは、自分よりも頭の悪い者にしか使ってはならない粗雑な言葉なのですよ。
覚えておきなさい。
それで、馬鹿なあなたに教えてあげますが、あなたの龍氣というのは地球の力そのものという
途方も無いエネルギーなのです。我々陰陽師が吹きこむ巫力などとは比べ物にならない程の」
「なんだそれ……」
黄龍の器たる自分が持つ力について龍麻は知らなかった訳ではないが、
敵を打ち倒す以外に使い道があるというのは初耳だった。
もっとも、こんな使い道を誰かが教えてくれるとも思えない──
そこまで考えたところで、龍麻の頭に閃くものがあった。
そんな重要なことを芙蓉が知らなかったはずが無いのだ。
龍麻は先ほどから黙ったままの芙蓉を見たが、そこにあったのは、自分よりも驚いている顔だった。
「知らなかった……の?」
「はい」
やはりそうだろう。
知っていたら、自分に言わなかったはずが無いのだ。
だから彼女は悪くない。
考えを都合良く正反対の方向に切り換えて芙蓉を擁護する龍麻に向かって、御門の冷たい声が飛んだ。
「どうしますか? 私が安倍様に頼めば術を解いても貰えるでしょうが」
嫌な奴だ、と龍麻は思った。
そんなつもりが無い事を熟知していてわざとそう尋ねてくる。
そして御門の目の端は、そう龍麻が思っていることをも知っていると伝えていた。
この同い年にしては口と態度が悪すぎる男をどうすればやりこめられるのか、
真剣に考えようとした龍麻だったが、その前に確かめなければならないことがあった。
自分と目の前にいる男以外の、もう一人の気持ちを。
「……芙蓉さんは……それでいいの?」
「それで、とは」
緊張をはらませて尋ねる龍麻に、芙蓉はこの異空間に入ってから初めて龍麻を、新しい主の顔を見た。
その、普段と何ら変わるところが無いように見える表情に、負荷のかかりすぎた龍麻の胃が痛み出す。
「う……その、俺と……ずっと一緒で……」
「龍麻様がお望みとあらば」
「あ……う……うん、俺は……お望み……だけど……」
つっかえつっかえながらもなんとか想いを伝えた龍麻に、芙蓉の口元が少しだけ緩んだ。
自分の胸元──心臓のある位置に手を置き、深い情を込めて答える。
「これは……龍麻様に与えて頂いた命。
ならばわたくしは、この命尽きるまで龍麻様にお仕えさせて頂きます」
「う、うん……こちらこそ、よろしく」
来た時の勢いは何処へやら、照れくさそうにして龍麻は芙蓉の傍に立ち、御門の張った結界を後にする。
小さく印を切って元の世界へ戻る寸前、芙蓉はかつての主に小さく頭を下げた。
それに対して御門は扇子を閉じ、軽く手首を振る。
彼流の別れの挨拶は、しかし芙蓉の目には入らなかった。
彼女達が姿を消して数秒後、御門の後ろの木陰から大柄な男が姿を現す。
不精髭を生やした顔も、背中に派手な刺繍が施された学生服も、
とても御門の美意識に叶うものとも思えなかったが、
彼は紛れも無く御門の友人たるを許されている数少ない一人だった。
「へッ、あれで良かったのかよ」
「……仕方ないでしょう。もはや彼女の想いは普段の命に妨げになるほどになっていました。
であれば、彼女により良い環境を与えてやるのも主人の努め。当然のことをしたまでですよ」
「そんな事言ってよ、式札って一枚欠けても大変なんだろ? その安倍って奴にどう説明すんだよ」
「ああ……それですか。……そうですね、お前には話しておいたほうが良いかもしれませんね」
そこで言葉を切った御門は、続きを言いたくてたまらない目をしていた。
御門とつるんで3年、村雨は初めてこの男のこんな顔を見た。
「どういうことだ」
「実は、芙蓉は──彼女は、もう式神ではないのですよ」
「どういうことだよ」
御門の放った無形の爆弾の衝撃に、流石の村雨も芸の無い反応を繰り返すしかなかった。
「先程龍麻達に話したこと、あれは嘘ではないのですが、
龍氣というのは全く私の予想を超えた力のようで、今の芙蓉は既に──肉を持ち、心を宿しています」
「んな馬鹿な……」
それは龍麻が言ったのと同じ台詞だったが、今度は御門は指摘しなかった。
彼自身も、他人に話すことでようやく動揺を抑えている有様だったからだ。
「ええ、私も我ながら馬鹿なことを言っていると思います。しかし──事実です」
「……とても信じられねェが、それならそれで何で教えてやらなかったんだ」
「放って置いてもいずれ気付く事。ならば本人達に気付かせた方が良いではないですか」
御門の性格の悪さを承知している村雨は、もう何も言わなかった。
奇蹟と言うよりおとぎ話の領域に旅立った二人を思い、呆れたように首を振る。
「ッたく──面白ェな、あいつは」
「フッ、全く。……ところで、村雨、ひとつ賭けをしませんか?」
「賭け?」
御門の口から賭けなどと言う言葉が出るのも異例のことで、
この日の村雨はすっかり防戦一方に回らざるを得なかった。
「ええ。彼らが──子を産めるかどうか。私は産めると思うのですが」
しかし賭博師の賭博師たる所以は、一度の負けを引き摺らないことだ。
体勢を立てなおした賭博師は、この上ない刺激的な賭けに一も二も無く食いついた。
「よし、乗った」
「……お前はやはり、現実主義者なのですね」
自分こそが現実主義者のはずの御門は、賭けの成立にもどこかつまらなそうに呟いたが、
村雨の台詞はそこで終わりでは無かった。
「二年以内だ」
「え?」
「今日から二年以内に妊娠する。二年を過ぎたらお前の勝ちだ」
意表を衝かれた、というよりも毒気を抜かれた態で御門は友人の顔を見る。
「お前は、そもそも妊娠しないとは思わないのですか」
「ヘッ、しない訳ねぇだろ。アイツは芙蓉が家に来たその日に据え膳食っちまうようなヤツだぞ。
二年だって長ぇかも知れねぇ」
小汚い帽子を被り直して、村雨はそう言ってのけた。
普段の彼なら眉をしかめて無視する諧謔(であったが、今、御門は笑っていた。
扇で口許を隠すことさえせず、村雨が唖然とするほど満面の表情で。
長い陰陽の歴史に於いても空前にして絶後であろう事態は、
そうするだけの価値が十二分にあるものだった。
「……それで、何を賭けましょうか」
「そうだな、どうせアイツらのこった、先に結婚はしねぇだろうから……」
「いいでしょう。負けた方が式の手配、司会その他全てを取り仕切るということで」
「よし、賭けは成立したぜ。ちゃんとアイツらのこと、見張ってろよ」
「任せておいてください」
頷いた御門が笑う。
その笑顔は、自分と同種のものであると村雨には思えたのだった。
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