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龍麻の手によって黒い目隠しがされた時、雛乃は気付かれないように呼気を押し出した。
慣れはしない。
慣れはしないけれども、心臓が音高く鳴り始めるのは、
必ずしも視界を奪われる恐怖だけが理由なのではなかった。
見られる心配が無くなって安心したのか、龍麻は結い上げられている髪を掌に乗せ、静かにこぼす。
触られるのは嫌いではないし、今更何を遠慮するのだろうか、
と雛乃は思うのだが、龍麻はこうやって雛乃の見えないところでしか髪に触れてこようとはしなかった。
背後の呼吸が時折深くなるのは、匂いをかいでいるのだろうか。
それはさすがにあまり気分の良いものでは無いが、雛乃は四肢の力を抜き、龍麻のしたいようにさせた。
幼い頃からの躾の賜物か、力を抜いていても、雛乃の背筋は板を添えてあるように真っ直ぐに伸び、
一分の乱れもなく正座の姿勢を保っている。
彫刻の趣きさえある姿は、俗な手が触れて良いものなどではない。
凛とした気配は、周りの空気をも清らかなものに変え、
時間さえもその役目を果たすのをためらうかのようであった。
しかし、龍麻は触れる。
聖域に土足で踏み込み、その身体に、心に穢れを植え付けていく。
下着を取り去り、たぶらかす夢魔のように背後から腕を回し、偽りの安らぎを与えるのだ。
「雛乃」
囁きと共に手を取り、指を絡める。
暗闇の中で点された炬火に、雛乃がすがるしか無いことを知って。
思惑通り、懸命に握り返して来る白い手に、肩越しに一度口付け、そこからゆっくりと背後に導いた。
もう片方の手も、同じように。
拒絶する素振りさえみせずに従う雛乃に、龍麻は褒美を与えるように項(にキスをし、
そして手首を揃えた。
視覚の次に奪うのは、五体の自由。
幾度か繰り返すうちに少しは慣れたのか、龍麻は淀み無く手首を縛め、
雛乃を助け無しでは立ち上がるのも難しい状態にする。
龍麻が慣れるのと同じくらい、あるいはそれ以上に、雛乃は後ろ手に括られることに慣れていた。
彼に縛られ、解かれなければ何も出来ない状態を、
いつしか雛乃は受け入れ、待ち望むようになっていたのだ。
別におかしなことではない。
彼に出会い、心を交わした時に、雛乃は全てを捧げると決めていたのだから。
普段でも、龍麻が自分のことを一番に考え、大切にしてくれているのははっきりと伝わってくる。
姉や小蒔がからかっても全く動じることなく愛してくれ、
仲間内でそういう話が出ると、雛乃は恥ずかしいながらも幸福を存分に感じるのだ。
しかし、それも二人きりで過ごす、この濃密な時間に較べたら、ささやかなものでしかなかった。
心でお互いのことを考え、身体でお互いのことを感じる、それ以上の、
魂が蕩け、混じりあうような恍惚。
それは今や雛乃にとって、世界の全てと言って良かった。
「あ、の……」
「痛く、しないようにするから」
謝る龍麻の声は、抑えたつもりなのだろうが、期待にうわずっているのが雛乃には良く解った。
他の仲間達といる時は決して見せない、下劣な感情を露にした姿。
彼の興奮のいくばくかを肌に受け、雛乃も少しずつ熱を帯び始めていた。
薄く積もった雪のような身体に朱が射し、
もたらされる官能を余す所無く味わおうと感覚が鋭敏になっていく。
それにしても、目を覆い、腕を縛り、更に何をすると言うのだろうか。
期待に胸を高鳴らせながら、雛乃はそんなことも考える。
やがてもたらされた答えは、皮膚に食い込む線状の痛みだった。
身体を、縛る──男女間の行為にそんなやり方があることを、もちろん雛乃は知らない。
手首を結わえられたことはあったが、女体を縛る為だけの縛り方があるなどと、
龍麻に出会うまでは男性を意識することさえ無かった雛乃が知るはずが無かった。
視覚を寸断された雛乃は、龍麻の気配と己の身体を締め上げる縄によってしか状況を覗う事が出来ない。
それでも、不必要なくらいに縄が行き来し、幾重にも巻きつけられていることは判った。
恐怖感は感じなかった。
もうそんなものを感じないくらい、雛乃は禁断の戯れに毒されてしまっていたのだ。
縄は時々動きが止まり、別の方へと向きを変える。
朧にしか推察出来なかったが、縄がひとつ向きを変えるたび、
女の部分になんとも言えない気持ちが湧き起こった。
龍麻が自分の為に手間をかけてくれている。
それがどんなに歪んだものであっても、雛乃は嬉しかった。
むしろ歪んでいるからこそ、自分と龍麻、二人だけの世界にいるという倒錯が、
雛乃のたおやかな心を禁断の穢れに染めるのだった。
いつしか音は止み、龍麻の動きも止まっていた。
火が点けられているのではないかというほど、縄の触れている部分が熱い。
それは身じろぎして縄が食い込むことでより激しさを増し、握りしめた掌に汗が浮かんだ。
「どう? 痛い?」
「……い、え……平気、です」
恐らく頷けば龍麻はすぐにでも解いてくれたに違いない。
しかし気取られないように舐め回した唇からは、拒絶の言葉は出てこなかった。
「そう……痛くなったらすぐ言って。跡が残っちゃうと大変だから」
前に回り込んだ龍麻の穏やかな声が鼓膜をくすぐり、目隠しが取り除かれる。
しばらく目を開けないでいると、顎をつままれ、唇が重ねられた。
触れた部分の甘さが、縛められている部分の痛みを溶かす。
いつものように首に腕を回そうとした雛乃は、バランスを崩し、龍麻にもたれかかってしまった。
「……っと」
「あ……す、すみません」
龍麻に身を預けるのは恥ずかしいことではない──が、裸身を、
それも縄で括られた裸身を預けてしまったことに、頬が熱くなる。
その頬に温かな掌が添えられ、わずかに上向かされた雛乃は、
腰を優しく抱かれ、膝立ちのままキスをされた。
能(う限りの意識を触れている一点に注ぎ、龍麻を想う。
だから、括られた自分の手が腰を抱いている龍麻の腕を掴んでいることを、雛乃は知らなかった。
それを支えにしてより強く龍麻に身を寄せたことも、それに応じて龍麻が腕の力を増したことも、
「……ふ、ぅ……」
二人の呼吸が、重なる。
舌だけで交わさなければならないキスは、いつもよりもずっと苦しく、心地良かった。
緩んだ腕に息をつき、雛乃はゆっくりと目を開ける。
自分の前方には、いつの間に用意されたのか、全身が映る鏡があった。
「あ……っ」
悲鳴を合図にして、龍麻が後ろに回りこむ。
身体とひとつになってしまったのではないかというほど馴染んでいる縄。
くびり出され、その形をくっきりと浮かび上がらされた乳房。
自分のものとはとても思えない身体がそこにあった。
目を背けたくなるような痴態であったが、雛乃はまばたきさえ忘れ、淫らに変じた自分を凝視していた。
あまりに鮮烈な衝撃に、思考が断線してしまったのだ。
呆然と鏡を見つめる雛乃の聴覚に、龍麻の声が遠くから聞こえる。
「初めてだから、上手く出来てないかもしれないけど」
それが身体を縦横に走っている縄のことであると、雛乃はしばらく解らなかった。
上手く──こんなものに、上手いも下手もあるのだろうか。
雛乃は目だけを動かし、自分の上半身に巻かれているものを見た。
紅い縄は胸の上下を横に走り、首から乳房を分かつ縦の縄と交差している。
二の腕にも巻きついている縄のそれぞれは、二重、あるいは三重に通され、
滑稽なほど厳重に身体を縛りつけていた。
これを下手とするなら、上手い縛り方というのはどのようなものなのだろうか──
つい、そんなことを考えてしまう雛乃だった。
「すごく、綺麗だよ、雛乃」
龍麻の指先が、縄を辿り、身体中をなぞっていく。
一筆書きのように、根気良く、もどかしく。
上半身を隙間無く巡りながら、触れて欲しい部分は巧みに避けている縄の上を。
鏡の中を這い回る龍麻の指先と、実際にまさぐっているそれとは、別のもののように感じられた。
「ぁ、ぁ……」
声にならない呻きも、鏡の向こうにいる少女が発しているに違いない。
右の乳房に手が被さるのをぼんやりと見ながら、雛乃はどれが本当のことなのかわからなくなっていた。
大きな手は柔らかく握り潰すような動きを見せ、少しずつ位置を変えて幾度も続く。
くびり出された膨らみはそのつど形を変えつつ、すぐにまた元の形に戻るのだった。
やがて手は握り潰す動きから、絞り出すような動きへと変じる。
引っ張られた椀状の肉の集まりは、力に耐えかねた部分からこぼれていく。
龍麻の手は見せつけるように動き、そして雛乃はそれに魅入っていた。
いつもならとうに味わっている心地良さを感じていないのがその理由だったが、
指先が確かに硬くなっている頂に触れた途端、にわかに全ての感覚が戻ってきた。
「や、あっ」
驚き、羞恥、それに快感。
それらが一斉に噴き出し、雛乃は芋虫のように身をよじった。
突然暴れ出した雛乃を、龍麻が慌てて支える。
「雛乃」
「お願い、お願いです……鏡を、どけてください」
雛乃が涙声で訴えると、龍麻はすぐに鏡を反対に向け、言うとおりにした。
「ごめん、少しやり過ぎた」
あやすように髪を撫でる龍麻だったが、それは完全に逆効果だった。
不用意な刺激でこみ上げるものを抑えきれなくなった雛乃は、身体ごと龍麻の胸に体当たりした。
もつれるように倒れ、少なからぬ痛みが肩に走ったが、気にならなかった。
「ど……どうしたの」
龍麻はこれだけのことをしておきながら、今になって弱気な表情を見せる。
迷ってなど欲しくなかった。
迷うということは、自分を未だ理解していないということだったから。
もう、龍麻の言うことなら全て受け入れる覚悟がある、自分の心を。
もっと強引に、常に自分だけのことを考えていて欲しかった。
理不尽であっても、それが雛乃の本心だった。
その想いが形となり、龍麻の頬を濡らす。
「ひな……の……?」
龍麻は途方に暮れた顔をして、髪を撫でる。
それは優しく、至福のまどろみをもたらす愛撫であったが、
雛乃はもう、そんなものを欲してはいなかった。
滾(るような情に、溺れたい。
小さく喘いだ雛乃は、身動きを封じられた身体を不恰好によじり、龍麻の唇を奪った。
驚いている様子の龍麻に構わず、顔を押し付け、舌を差し入れる。
「ふぐっ……むぅっ、あふぅっ」
手は自由にならず、身体も思いのままにならない。
それでも雛乃は立てた膝を使い、獣のように唇を貪った。
なだめようとしていた龍麻が諦め、動きを合わせてくる。
生温かい舌は淫らに絡み、荒い息遣いが口内に吹き荒れた。
雛乃は舌の端に冷たく、辛い水分を感じながら、龍麻を求め続ける。
彼にもその辛さを、伝えようとするかのように。
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