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六時限目の終了を告げる鐘が鳴ってから五分。
若いエネルギーがたゆたっている教室には、もう男女数人ずつしか残っていなかった。
同級生が巧みに逃げていくなか、龍麻は律儀にほうきを持っている。
特に潔癖症と言う訳でもなく、単に掃除が嫌いでないからやっているだけなのだが、
男子からも女子からもからかわれ、報われないこと甚だしかった。
「ひーちゃん、ちょっといい?」
「ん?」
そんな龍麻のところに近寄ってきたのは、今週は掃除当番ではない小蒔だった。
その隣には、やはり掃除当番ではない葵がいる。
「掃除終わったらさ、ちょっとここに残ってくんない?」
「いいよ」
龍麻は何の疑問も抱かず即答した。
頼まれたら嫌とは言わない(言えない、ではなく)性格は、
彼を男女問わず人気者にしている要素のひとつではあるが、それは時に災いをもたらすこともあった
──例えば今日のように。
「じゃあねッ、緋勇君」
龍麻が小蒔と話をしている隙を突いて、
一緒に掃除をしていた女生徒がひらひらと手を振って教室を出て行く。
それでも彼女はまだましなほうで、その声に小蒔との会話を中断した龍麻が周りを見渡せば、
もう残っているのは自分達三人だけだった。
それに腹を立てるでもなくほうきを片付けた龍麻が自分の席に腰掛けると、
小蒔が背もたれを前にして座り、その隣に葵が当然のように並んで座る。
早速鞄からお菓子を取り出す小蒔に、長期戦になるのを予想した龍麻は内心で軽く身構えた。
「で?」
「うん、えっとさ、もうすぐ文化祭近いじゃない。
それでボク達の部活で喫茶店やるんだけどさ、衣装、おかしくないか見てもらおうと思って」
そんなのは部活内でやるものではないのか。
そう思ったが、口にはしない。
それに、おかしいところがあったとしても、女子の方がそういうのは見つけやすいのではないのか。
そうも思ったが、口にはしない。
葵と小蒔が揃って頼んできたら、どんな無理難題でも最初から選択肢など無いのだ。
黙って頷いた龍麻に、小蒔は奇妙な喜びようを見せる。
何かが引っかかるのを感じた龍麻だったが、それが形になる前に級友の少女が立ちあがってしまった。
「んじゃさ、着替えるからちょっと外出てて」
「あいよ」
菓子を少し分けて欲しいな。
それだけを残念に思いながらおとなしく教室の外に出た龍麻は、門番よろしく扉の前に座りこんだ。
あぐらをかいた膝に肘をつき、顎を支えて見渡す限り人の気配も無い廊下をじっと見張る。
木の板一枚隔てた向こうで同級生が着替えているというのに、覗こうとする気配さえ見せない。
その朴念仁ぶりこそが今回葵と小蒔を動かしたのだが、当人は気付くはずもなかった。
「いいよッ」
ゆっくり二百を数えた頃、小蒔が呼んだ。
待つのにいいかげん飽きを感じていた龍麻は、
それでも扉に手をかけた後、もうひと呼吸置いてから扉を開ける。
部屋の中に一歩足を踏み入れると、微かな甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
女の子特有の匂いにしては少し強いようにも感じたが、
もちろん本人達に聞けるはずもなく、すぐに頭から追い出す。
それに、それ以前に、暗いオレンジ色の殺風景な教室の中に現れた鮮やかな人型に、
視覚と、それに連なる思考中枢を占領されてしまっていたのだ。
あずき色を基調にした裾のやや広いドレスに、エプロンを着け、
白いオーバーニーソックスを履いている小蒔は、確かにウェイトレスだった。
「えへへッ、どう?」
「んー……似合って」
る、と言い切る寸前に龍麻の目にあり得ないものが飛び込んできた。
ソックスがずり落ちないように吊るすそれは、
龍麻くらいの年齢の男子では名前しか知らないものだった。
「桜井」
「なに?」
「ガ、ガーター……見えてるぞ……」
「ん? それがどうかした?」
「どうかした、って……」
隠すんじゃねーのか? こういうのって。
あまりにあっけらかんとした小蒔の態度に、龍麻は混乱する。
その混乱に追い討ちをかけるように、小蒔がスカートの裾をひらひらと舞わせた。
膝上まであるソックスとスカートの合間に覗く健康的な肌が、
特殊効果のようにそこだけ浮き上がって見える。
そして裾は意志を持っているかのようにその、龍麻の求めるわずか数センチの素肌を、
時に遮り、時に蠱惑的に幕間から覗かせるのだ。
眼球を忙しく動かす龍麻に、駆けだしの小悪魔のような表情を浮かべた小蒔は、
肩幅ほどに足を開き、両手を腰について斜め下から見上げた。
「男の子ってさ、こういうの興奮するんでしょッ?」
「べッ、別に……しないよ」
「ふーん……つまんないの」
龍麻の反応を試すように呟いた小蒔は、手近にあった椅子に腰掛けて足を組んだ。
いつもしているポーズなのに、着ているものが違うだけでこうも違って見えるとは。
目のやり場に困ってあらぬ方を向いた龍麻は、
そういえばもう一人の姿が見えないことにようやく気付いた。
「美里は?」
「やっぱ気になる? 葵ッ、ひーちゃんがどうしても見たいって」
龍麻の質問に余計な言葉を足して、小蒔が教室の隅に向かって呼びかける。
するとやや遅れて、カーテンにくるまって隠れていた葵が姿を見せた。
「うッ……」
現れた葵を見た龍麻は、そう呟いたきり固まってしまった。
小蒔と違って丈に手を加えてはいないものの、どう見てもギャップのある、
大人びた顔立ちと可憐な衣装そのもののバランスは、
しかしかろうじて紙一重の所で均衡を保ち、それ故に男に取って回避不可能な破壊力を生み出している。
さらに。
「…………おでこ」
そう、おでこ。
アップでまとめられ、カチューシャで留められた前髪の下に広がる額は、
普段から見えているのがちょっと広くなっただけなのに、なんというかこう、
指で押してみずにはいられない可愛らしさを醸し出していた。
口を半開きにして同級生の少女の変貌した姿を見ていた龍麻は、
所有者の意志を待たずして触ろうとする腕を慌てて押し留める。
すると、葵がやや恥じらいを含みつつも褒められるのを心待ちにしている、
そんな女の子特有の尋ね方をした。
「似合ってる……かしら?」
「あ、の……可愛い……と思う。凄く」
「うふふ……ありがとう、龍麻」
「なんだよッ、ボクの時はそんなこと言ってくれなかったのにッ」
どこかの主人公とヒロインのように見つめあう二人に、
小蒔は自分をアピールするようにその場でくるりと一回転してみせる。
ふわりと広がったスカートの裾からもう少しで禁断の布が見えそうになって、
龍麻はつい鼻の下を伸ばしてしまった。
「えへへッ、どう? 気にいった?」
「気にいるっつーか……」
確かに客は来るだろうけどよ。
見えそうで見えない下着目当てに大挙して押し寄せる男共を思い、苛立ってしまう。
大体にして顔立ちが良いのだから、そんなことをしなくても人気はあるというのに。
手放しで褒めてはいない龍麻に、小蒔は気を悪くするでもなく葵の肩を後ろからそっと押した。
「それにね、これだけじゃないんだよッ。ね、葵」
小さく頷いた葵は、エプロンの裾を握りしめる。
その緊張した面持ちに、何を言うのかと龍麻までもが緊張して耳をすませた。
「わ、私達を……ご主人様の好きになさってください」
端正な唇から出た言葉を、龍麻は一度素通りさせてしまった。
左の耳から通りぬけたところを慌てて捕まえて反芻する。
それも二回や三回では処理出来ず、エコー付きの残響音を伴って十回ほども。
ご主人様。誰が?
俺か。
好きに?
ってこんなコトとかあんなコトまで??
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