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 薄暗い一室に、二人の男女がいた。
しつらえられている調度品は豪華なものだったが、二人の関係に男と女のそれはうかがえない。
男は初老であり、女は彼の孫ほどの年齢であったからだ。
もちろん、愛に年齢という障壁はない。
しかし、彼ら二人の関係は、恋人同士でも、血縁関係という訳でもなかった。
 木製の椅子に座った少女が、ビロードのかけられた机の上に手をかざしている。
肌の浅黒い、インド辺りの出身を思わせる少女はまぶたを閉じており、机の上にも何もなかったが、
パントマイムのように手を動かしていた。
 その傍らに立つ老人は、一風変わった服を隙無く着こなしている。
日本の学生ならばそれほど違和感を感じないであろう襟の立った服は、
何かの組織、それも高度に統制のとれた組織に属していることを思わせる、
しわ一つ無い制服だった。
 口元にわずかなひげをたくわえ、白銀の髪を丁寧に後ろに撫でつけてある男が、
威厳の篭った口調で少女に尋ねる。
えるか……17サラよ」
 男の問いにも少女はすぐには答えない。
手を、それほど大きくはない机の上で忙しく行き来させ、時折手首が返る。
いくらかの想像力を持つ者なら、
彼女はカードのようなものをめくっているのだと考えることも出来たろう。
恐らく彼女以外には、いや、目を閉じている彼女自身にも見えないカードを、
全てめくり終えた少女は、ゆっくりと呟き始めた。
女帝エンプレスのカード……大いなる愛に満ち溢れた女帝のカードが視えます。
その近くに、白き力ストレングス戦車チャリオットのカードが。そして、更に近くに太陽サンのカードも」
 少女の呟きは、誰に向けて発せられたのか判らないほど弱々しい。
しかも意味不明の言葉の羅列であったが、男は微動だにせずに少女の言葉に耳を傾けていた。
「光が包んでいます。柔らかく、暖かい光が……ああ、あなたは、いったい……」
 初めて少女の声に変化が訪れる。
それは恐怖であり、憧れであり、感情の発露だった。
「恐れることはない、女神ドゥルガーよ」
 男が口を開いた。
ふるえの混じり出した少女の声を、なだめるような口調だ。
その声に慰められたのか、少女は恐慌を収め、押し黙る。
 彼女を見下ろし、男は語り始めた。
「サラよ……お前は殺戮と破壊を招く女神。世界を見通す『力』を持つ、選ばれし者。
お前のその汚れなき網膜に、大いなる『鍵』となる者の在処を焼き付けるのだ。
そしてその『鍵』を手にした時、我らゲルマン民族が再び世界を支配するのだ」
 手振りを交え、狂熱を込めて語る男もまた、
少女と同じく目に見えない何者かに向かって演説を行っているかのようだった。
少女はそれを何も言わず、無表情で聞き入っている。
瞼は閉ざされたままで、彼女はもしかしたら目が見えないのかもしれなかった。
 男が放つ異様な熱気に満たされつつあった部屋の、扉が突然開く。
「誰だ」
 陶酔を覚まされた男は、鋭い声を開いた扉に向かって投げつけた。
男の、槍の如き怒りを受けたのは、まだ年端もいかない少女だった。
20マリィか……何の用だ」
 白人の少女は、大抵の人間の庇護欲を刺激する可憐な外見だったが、
男の声からは熱が消え、氷点下のような冷たさになる。
それは男が、入ってきた少女が抱いているものを見ることで、更に温度を下げていった。
「……何だ、その猫は」
「拾ッタノ。雨ニ濡レテ、カワイソウダッタカラ」
「捨ててこい」
 命じた男の声は、ほとんど最下限まで冷え切っていた。
眼光にも同種の侮蔑を湛え、少女の小さな身体に容赦無く突き刺す。
しかし、少女は激しく全身を戦慄わななかせたが、男の命令に従おうとしなかった。
「聞こえなかったのか、捨ててこいッ!!」
「イヤ」
「わしの言うことが聞けないのかッ!!」
 声帯を振り絞って少女が抗うと、一転、男は氾濫する河のように激した。
少女は腕の中の小さな生命にすがりつき、懸命にその激流に耐えた。
「フン……出来損ないが」
 少女を見る男の、深い皺の刻まれた顔には、愛情めいた物は欠片すら見当たらなかった。
徹底的な蔑視、あるいは憎悪のみを、半世紀以上も歳の離れた少女に恥じる所なく投げつけていた。
 すると、それまで無言だった、サラと呼ばれる少女が再び口を開く。
学院長ジル様。女帝のカードが示せし名が視えます。
美しき聖なる星に護られしその名は……ミサト アオイ」
 男はマリィと呼んだ腹立たしい少女を無視し、サラを賞賛した。
「ふむ……良くやったぞ、17サラ。その者が真に『鍵』たる者かどうか、確かめねばなるまい。
今まで二百人の『鍵』と出会ったが、真の『鍵』たる者はいなかった」
 盲目の少女の顔が、わずかに曇る。
それを見た男は、穏やかに語りかけた。
マリィに対してのものと、同一人物とは信じられない優しい態度だった。
「別にお前を責めている訳ではない。わしは嬉しいのだ。
総統フューラーの成し得なかった偉業を成す喜び。
わしの老いた胸はその感動に打ち震えておる。
早速19イワン21トニーを『鍵』の許に向かわせよう」
 老人は興奮を隠そうともせず、インターホンに手を伸ばす。
しかし、まだ何事か手を動かしていた少女は、机上に盲目の視線を注いだまま更に告げた。
「お待ちください。あともうひとつ、微かですが、何か視えます。
ドラゴン……いえ、旅人を表す愚者フールのカード。
深い霧のようなものに遮られて、それ以上は視えません。
それが『鍵』にどのような影響を及ぼしているかは解りませんが、何かを感じます」
「ほう……お前の透視でも視えぬものがあるというのか」
 老人は少女の告げた内容に、わずかな興味を抱いたようだった。
しかし彼の情熱は『鍵』にのみ注がれており、それ以外のものは、
例え黄金の塊であっても興味を示さなかっただろう。
「まあ良い、気にかける程でもあるまい。それよりも『鍵』の場所は」
「場所は……シンジュク……マガミ……ガクエン……」
 頷いた老人は部下に出動を命じ、第三帝国ドリッテライヒ復活の偉大なる一歩を踏み出した。

 朝七時。
まだ空気が澄んでいる、人々も、街も本格的に目覚めてはいない時間に、
龍麻と京一、醍醐、それに鎧扇寺学園高校の紫暮兵庫を加えた一行は
江戸を鎮護する五色不動のひとつ、目黒不動へと来ていた。
目的は、先日岩角を倒して手に入れた五色の摩尼の一つを封印する為だ。
「着いたぞ。ここが目黒不動、下目黒しもめぐろ瀧泉寺りゅうせんじだ」
「悪かったな、紫暮。こんな朝早くから呼び立てて」
「いらん気を使うな、ここは俺の地元だぞ。それに朝の稽古のついでだからな」
 聞けば紫暮の家は武道家揃いで、全員が朝早くから稽古を行っているそうだ。
だからなのか、龍麻がこんな早い時間から案内を頼んでも、二つ返事で引き受けてくれた。
龍麻の電話が稽古の誘いでないと知った時の紫暮の落胆は、只事ではなかったが。
 今朝も待ち合わせの時間より前に一稽古してきたのだろう、紫暮は柔道着のままだ。
京一が彼にあまり近寄ろうとしないのは、どうやら汗の臭いが気になるらしかった。
龍麻が、さりげなく距離を置く京一を、同じくさりげなく睨んでいると、
紫暮が武道家らしい低い、しゃがれた声で言った。
「それより、お前ら男三人だけとは珍しいな」
「ま、たまには男の友情を確かめあうのもいいと思ってよ。な、龍麻」
 葵達は何も最初から来ないことになったのではない。
目黒不動に行くという話が出た時、これまで通り学校帰りに行けば良いものを、
何故か京一が早朝に行こうと言い出して、その時点で朝があまり強くない小蒔は脱落を宣言した。
部活の朝錬にはきちんと起きているらしいのだから、
いかに摩尼の封印これを軽視しているかが判ろうかというものだが、とにかくこれで一人。
 葵はなお同行すると食い下がり、龍麻もそれを望んでいたのだが、
京一が何も大勢でぞろぞろと行くことはないだの、
遠くまで行くから万が一生徒会長が遅刻でもしたらシャレにならないだの、
とってつけたような理由を幾つも並べ立てて断ってしまったのだ。
ならば龍麻としては、いっそ葵と二人で行っても良いくらいだったのだが、
そう宣言することも出来ず、結局男三人で行く羽目になってしまったのだった。
 ある意味小蒔以上に封印作業を軽視している龍麻は、
貴重な機会の一つを奪った挙句朝から気色悪いことを言う京一に、目を細めるだけで何も答えない。
なまじ強い意思を宿す瞳は、それが負の感情であっても同じ強さで光を放ってしまう為に、
その視線をまともに受けた京一は思わずたじろいでしまった。
「なッ、なんだよその目は」
「別に」
「わははッ、嫌われたもんだな、蓬莱寺。まぁいい、こんなことで良ければいつでも呼んでくれ。
 緋勇、それに醍醐、今度は俺の練習に付き合ってくれよ。じゃあな」
下駄の音を響かせて、紫暮は去っていった。
まさかあのまま学校に行く訳ではないだろうが、古風な音がいつまでも響く。
 彼がいなくなった後も、なんとなく険悪な雰囲気を漂わせていた三人だったが、
自分達が何をしにここに来たのか思い出し、寺の中へと入った。
「よし、さっさと祠を見つけて宝珠こいつを封印しちまおうぜ」
 全く、こんなつまらない作業はさっさと終わらせて真神学園がっこうに行きたい龍麻は、
京一が言うまでもなく早足で祠を探し始める。
それは京一と醍醐の目には、少し早すぎると映る歩き方だった。
「何だあいつ。トイレでも行きてェのか?」
「さあ……?」
 首を傾げる二人の前で、龍麻は忙しく歩き回っている。
その姿は、元気の良い鶏のように京一には見えた。
「お、あった。こっちだ龍麻」
 一分でも早く真神に行きたい龍麻は、
京一と醍醐の二人分を合わせたより勤勉に祠を探していたが、
努力が報われるということはそうはないもので、摩尼を安置する祠を見つけたのは、
一所懸命探した彼ではなく、反対側を探した京一だった。
 以前行った金乗院と最勝寺と同じ、小さな祠を見つけた京一は、さっさと扉を開ける。
あまりに適当な開け方に驚いた醍醐だったが、龍麻も無言で珠を置き、
またあっという間に京一が閉めてしまった。
「何も起こらんようだが……」
「ああ、お前は初めてだったっけ。封印つってもこんなモンだぜ。な、龍麻」
 龍麻は頷く。
鬼を封じ、江戸を護るという大層な役割を与えられている割に、
封印といっても特殊な儀式を行ったりする訳ではなかった。
百葉箱に近い小さな祠の中に摩尼を置くだけだ。
置かれる摩尼の方も、輝きが失せ、
どのような技巧によってか中に彫ってある龍の紋様が消えるのがほとんど唯一の変化だった。
 京一が中々納得出来ないらしい醍醐の背中を叩いて言う。
「それより学校に行こうぜ。今からならまだ一時限目には間に合うだろ」
 信じられないことを言った京一に、龍麻と醍醐はお互いの顔を見て、更に揃って空を見上げた。
槍でも降ってくるのではないかと思ったのだ。
「珍しいな、お前が学校行きたがるなんて……さては出席日数がヤバいのか?」
「ばッ、馬鹿野郎、ンな訳あるかッ。ほれ、なんだ、秋は勉強の季節とか言うだろうが」
 京一の戯言など槍が降っても信じられるものではなかったが、
学校に行くのは高校生の当然の義務であり、今の目的にも適っていたから、
龍麻はそれ以上混ぜっ返さずに頷いたのだった。



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