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「もう入ってきていいよ」
 小蒔の呼び声に応じて入ってきたのは、龍麻だけだった。
「あれ? 京一と醍醐クンは?」
「マリア先生を助けに行った」
 頷いた小蒔は、京一達が戻ってきたらいつでもジルを追撃できるように準備を整えていたが、
大事な問題に思い至った。
「この子……どうしようか」
「連れていきましょう」
 恐らく服を着ている時から考えていたのだろう、葵の答えはすぐに、そしてきっぱりと返ってきた。
マリィの身体を軽く抱擁し、慈愛と親しみを込めて告げる。
「マリィはもう友達だもの。ね?」
「トモ……ダ……チ……」
 気恥ずかしそうにその言葉を繰り返していたマリィは、嬉しそうに頷いた。
小蒔はそっと目許を抑えながら、新しく仲間となる少女に親しみを込めて問いかける。
「ね、マリィは何歳いくつなの?」
 それは囚われていた時に葵が発した問いと同じだった。
そして、答えも。
「十六」
「十六……って、とてもそんな風には」
 悲しませてはいけない、と思いつつも、龍麻と顔を見合わせた小蒔はついそう言ってしまった。
するとマリィは悲しそうな顔をして、彼女が実年齢よりもずっと幼く見える理由を述べた。
「研究……成長止メル。大キクナルト、『力』ガ弱クナルッテ。デモマリィ、薬モ注射モキライ」
 マリィは、ジルの極めて利己的な動機によって成長を抑制されていたのだ。
その恐ろしく、そして哀しい理由に、小蒔は涙を抑えることが出来なかった。
 龍麻も同じく悲しんだが、それはジルに対する怒りへと転化される。
このような外道は、絶対に許せなかった。
 あまりに重いマリィの秘密を知った龍麻達が、
のしかかる悲愴さに言葉を奪われて立ちつくしていると、京一達が戻ってきた。
慌てて涙を拭った小蒔は、彼ら二人しかいないことに疑問を呈する。
「お帰り。……あれ、マリアせんせーは?」
「ああ、この下に牢屋みてェな場所ところがあったんだけどよ、そこには誰もいなかったぜ」
「そういえば、学院長はマリア先生に興味を持っていたようだったわ。
もしかしたら……連れていったのかもしれない」
 葵が言うと、龍麻達の顔色が変わる。
ここに来た理由は、葵とマリアを助ける為だ。
二人とも助けなければ意味がないのだ。
 険しい表情の龍麻達に、マリィが部屋の端を指差して言った。
「屋上」
「え?」
「屋上ニ、ヘリポートアル。校長先生ハ、イツモソコカラドコカヘ行ク」
「まずいな……高飛びされたら追いかけられねェ。急ぐぞッ!」
 音高く舌打ちした京一は、マリアを救うべく屋上へと走り出す。
龍麻達もそれに続き、部屋を出ていった。
「行きましょう、マリィ」
「ウンッ!」
 葵に手を引かれ、マリィも共に走り出した。
 屋上へと続く扉を京一が開けると、まさにヘリが翼を回転させ始めたところだった。
龍麻達は突風に押し戻されつつも前に進む。
先頭を歩く京一の目に、鮮やかな金髪と深紅のジャケットが映った。
そしてその横には、部下を見捨てて逃げようとしているジルの姿が。
「マリア先生ッ!!」
「クッ──追いかけてきおったか」
「皆ッ、逃げなさいッ! この建物には爆薬が仕掛けてあるのッ!!
だから早く逃げなさいッ!!」
 マリアの叫びは焦慮と気遣いに満ちたものだったが、京一はむしろのんびりと龍麻を見やった。
目にかかる長めの前髪を風に舞わせている龍麻に、自分と同じ表情を見出して不敵に笑う。
「んなコト言われたってなぁ」
「ああ」
 大きく頷いた龍麻は、更に隣にいる醍醐に表情を伝染うつす。
伝染されるまでもなく、巨漢の顔も既に、教師の指示に従わない不良生徒のものだった。
「肚を決めるしかあるまい。美里に桜井、お前達は」
 風に妨げられないよう醍醐が怒鳴ると、短い髪を激しく巻き上げながら小蒔が怒鳴り返す。
「お前達は、何さ、醍醐クン」
「う、む……」
「マリアせんせーを置いて逃げるなんて出来るワケないでしょッ」
 眉を逆立てて叫ぶ小蒔も、その隣で逆立ててこそいないものの強い決意を秘めている葵も、
どうしようもない不良だった。
 あまり教育上は良くない絆を結びなおした五人に、ジルの怒りは煮えたぎる。
自分がひどく間抜けな道化師ピエロであるように思えたのだ。
「劣等人種どもめ……しかし遅いわ、既に点火の秒読みは始まっておる。
わしの崇高な研究を愚民どもに知られる訳にはいかんからな」
「てめェ……」
「動くなよ。動けばこの女の命はないぞ」
 部下にマリアを脅させ、ジルはヘリににじり寄る。
劣等人種などと嘲りながら、女を人質に取って逃亡する己の醜さは気にならないようであった。
「わしはこんなところで捕まる訳にはいかんのだ。
この研究資料を持っていけば受け入れてくれる国はいくらでもある。
わしが在る限り、第三帝国ドリッテライヒ復活は必ず実現されるのだ」
 逃走を確信したジルは後ろ足でヘリに乗りこもうとする。
その背後から、いきなり火の手があがった。
猛烈な火勢に背中を焼かれ、たまらずよろめく。
「ぐお……ッ、20マリィ、貴様──」
 マリィが火走りファイアスターターの『力』で彼の背中に火を点けたのだ。
ジルは風を起こしている回転翼ローターのほぼ真下にいたため、
焔はたちまち燃え盛り、ヘリ自体にも燃え移る。
「先生ッ!」
 京一が叫んだ直後、マリアの左肘が後ろで銃を突き付けていたジルの部下の頬を撃った。
振り向きざまにヘリの方へと男を突き飛ばし、自由を得たマリアは龍麻達の方へ戻ってきた。
「先生、大丈夫ですか」
 無事を喜ぶ教え子達にマリアは微笑んでみせたが、そこには苦笑も混じっていた。
「ええ……ありがとう。でも先生の言うことは聞いて欲しかったわね」
 同じく苦笑する龍麻達の前方が、ひときわ明るく輝いた。
本格的にヘリが燃え出したのだ。
ジルも既に全身を炎に包まれており、どう見ても助かる見こみはない。
建物の爆発も迫っていることであるから、龍麻達が逃げ出そうとすると、
どこからともなく声が聞こえてきた。
「ははは、無様だな、ジルよ」
 嘲笑を響かせて現れたのは、刈安かりやす色の装束を着た、鬼面の男だった。
色こそ違えどその姿は、もはや龍麻達の馴染みといって良いほどだ。
避けられない闘いを前に、木刀を袋から取り出した京一が構えて叫ぶ。
「やっぱりてめェらが絡んでやがったのか」
「お初にお目にかかる、鬼道五人衆が一人、我が名は雷角」
 そう名乗った男の周りに、同じ服装をした下忍が六人現れた。
醍醐や小蒔と同じく構えを取りながら、龍麻は舌打ちを堪えなければならない。
鬼道衆だけならまだしも、ヘリが燃え、爆発が近いこの危険な場所で、
女性達を闘わせたくはなかったのだ。
しかし今更鬼道衆が彼女達を逃がしてくれるとも思えず、
また彼女達も自分達を置いて逃げようとはしないだろう。
一気にけりをつけるしかない──
そう決心した龍麻は、静かに氣を練り始めた。
 炎の勢いに合わせるかのように高まる緊張の中、見捨てられた、死にいく男が見苦しくもがく。
「た……助けてくれ、ほれ、研究資料なら渡す、だから──」
「莫大な金を湯水のように使い、何百人という子供を殺し、その結果がこれか。
もはや貴様が我らの為に役立てることはない。
貴様の奥底にとぐろ巻く、憤り、怒り、怨み──それを以ってこいつらを斃す他にはな」
 どのような処置を施しているのか、
ジルは全身を猛火に焼かれながらもなお生にしがみついていたが、
酷薄にそう告げた雷角は、左手で印を切った。
 燃えるジルの身体が、別種の光を放つ。
「なッ、何だ──」
変生へんじょうせよ──堕ちよ、ジル・ローゼス、狂気の医師よ」
 光は彼の背後で燃えさかる炎よりも明るく輝き、龍麻達は一瞬目がくらむ。
彼らが再び目を開けた時、ジルの姿はなく、代わりに醜い怪物が一体そこにいた。
「こいつは……」
 醍醐の巨体が怒りにふるえる。
目の前にいる化け物の姿が、
鬼道衆に弱い心をつけこまれた佐久間が変生させられた姿と極めて似ていたからだ。
ジルに同情の気持ちなどないものの、人の命を玩ぶ鬼道衆は決して許せなかった。
「緋勇」
 雷角を睨みつけたまま、醍醐は言った。
「雷角は俺にやらせてくれ」
 醍醐の声に動かしがたい意思を感じた龍麻は、作戦をわずかに変えた。
「解った。それじゃ京一は」
「あの化け物をやりゃあイイんだろ」
 雑魚を、と言おうとした龍麻は、勢いのある京一の口調に遮られてしまった。
何も京一を軽視した訳ではなく、最も手強いと思われる敵に自らあたろうとしただけなのだが、
京一はそんな言い分に納得しなかったのだ。
 迷っている暇はない龍麻は、二度目の作戦変更をする。
「……桜井さんは右側の奴らを。それからマリィ。……今の『力』、もう一度使ってくれるかい」
「うんッ」
「ノープロブレムッ! 任セテッ!」
 場違いなほど元気の良いマリィの返事に口元を緩めかけた龍麻は、
襲いかかってきた鬼道衆に最初の一撃を見舞った。
「行け、京一、醍醐ッ!」
「おうッ」
 左右から放たれた攻撃を身を沈めて躱し、そのまま力をたわめる。
右足を踏み出し、間合いに入ると同時に地面を撃ちぬくように蹴りつけ、
その方向ベクトルに肘を乗せて上方に突き出した。
「ぎゃあッ!!」
 顎を砕かれた下忍が吹き飛ぶ。
はげしく宙に舞い上げられた下忍が頭から地面に落ちた時、
既に彼の同僚は昏倒させられていた。
 間を置かず三人目の敵も手加減のない氣によって倒した龍麻は、
小蒔とマリィを助けようと振り向く。
すると目の前に火だるまになった下忍がいて、思わず飛びのいた。
見れば彼女達の方に向かったはずの三人の下忍は、一人は既に地面でくすぶっており、
もう一人は矢襖にされていた。
今龍麻が避けたのが最後の下忍だったのだ。
「……怪我はない?」
 下忍は彼女達に傷どころか近寄ることさえ出来ずに斃されたようだが、
それでも一応龍麻は小蒔の無事を確かめた。
「うん、ボク達は大丈夫。それより醍醐クンと京一を」
「わかった」
 頷いた龍麻はどちらを先に助けに行くか見極めようとする。
しかし、彼らにも支援は必要ないようだった。
「せいッ」
 敏捷びんしょうな動きで雷角の刃を躱した醍醐は、彼の背後を取る。
固めたクラッチした両腕に力を凝縮し、一気に雷角の身体を持ち上げ、後ろに放った。
綺麗な弧を描いて頭から地面に激突した雷角は、そのままぴくりともしない。
コンクリートの地面に受身も取れずに叩きつけられては、致命傷となって当然だ。
「……」
 白虎の『力』だからこそ為せる大技ではあったが、一歩間違えば死の危険すらある闘いの中で、
観客に魅せる為に洗練されてきた技を用いた醍醐に、龍麻は呆れて物も言えなかった。
「せやあッッ!!」
 醍醐が殺人投げスープレックスで雷角を葬ったのと時を同じくして、
京一の気合いが氣の刃を生み出し、化け物と化したジル・ローゼスの身体を両断した。
遠目からでも判るほど濃い氣の軌跡が、化け物の巨体を縦に斬る。
あまりにも凄まじい斬撃に、斬られた化け物はすぐに倒れず、
何秒かの間を置いてから左右に分かれていった。
「……」
 化け物はもちろん難敵のはずで、それを軽く屠った京一に龍麻は言葉もない。
 もちろん、普段の状態であったなら京一も苦戦を免れなかっただろうが、
皮肉にもイワンとの闘いが彼に変化を与えていた。
拳に氣を集め、操る技術はより精密なレベルでの氣の制御を可能とさせ、
更に、彼との闘いで溜まった欲求不満フラストレーションが氣の増幅を促したのだ。
「ま、素手喧嘩ステゴロも悪くねェけどよ、やっぱ俺は木刀こっちの方が性に合ってるな」
 大きな地響きを立てて倒れた化け物を見下ろし、京一はそう呟いたのだった。
「終わった……か」
 自分達以外に立っている者がいなくなると、龍麻達はお互いの無事を確かめあった。
大した怪我がないのを喜んだのも束の間、大きな爆発音と、それに続く揺れが襲いかかる。
「ヤベェ、爆発のコトすっかり忘れてたぜッ!」
「逃げようッ」
 龍麻達は急いで逃げようとしたが、その中で、
 葵は雷角の身体が光を放っていることに気付き、彼が変ずるであろう珠を拾う為に近づいた。
「美里さんっ」
「待って、摩尼を」
 扉のところで自分を呼ぶ龍麻にそう告げると、足元から無念の声が響いた。
「美里葵……そうか、貴様がそうだったか……
お前はもう逃げられぬ……九角様がお前を待っておる……ぞ……」
 不気味な怨み言を残し、雷角は消え去った。
そこに込められた言霊ことだまに葵は足首を掴まれ、動けなくなってしまう。
「美里さん、早くッ」
 龍麻の切羽詰った声に恐怖から解放され、葵は珠を拾って彼の許へと走る。
しかし雷角の忌まわしい辞世の句は、いつまでも脳裏に反響していた。

 転げるように学院の敷地から出ると、建物が本格的な崩壊を始めた。
ここにいては怪しまれるので、龍麻達は少し離れた場所まで行ってから状況を確かめる。
「ふぅ、間一髪だったな」
「ああ……皆、怪我はないか」
 マリアも含め、ここにいる全員はかすり傷程度しか負っていなかった。
後は一人別行動を取っていた絵莉が気にかかるところだ。
しかし、さすがに建物には近づけず、無事を祈るしかない。
家に戻ったら龍麻が彼女に連絡を取ってみることで、彼らはひとまず納得せざるを得なかった。
「……ま、抜け目ないから大丈夫だと思うけどよ」
「そうそう、京一なんかよりよっぽどしっかりしてるもんね」
 明るい声で小蒔が言い、ようやく龍麻達に日常が戻ってきたのだった。
「あーあ、腹減った、とっとと新宿に帰ろうぜ」
「アナタ達……学校はどうするの」
 マリアはこのまま解散しようとする龍麻達を見逃しはしなかった。
これだけの大事件の後で、見上げた教師根性と言うべきだったが、
京一と龍麻と小蒔は思わず顔を引きつらせる。
そんな彼らを、蒼氷色の瞳をどんな不正も許さないという輝きで見つめていたマリアは、
いきなり吹き出した。
「……ま、今日は仕方ないわね。皆格好がぼろぼろだし」
 話せる担任を持ったと、京一が小さく口笛を吹く。
その隣で小蒔が、満面の笑みをたたえて言った。
「マリアせんせーもサボるんでしょ? 頭ぼさぼさだもんね」
 頭に手を当てたマリアは、その惨状に美しい眉目を曇らせ、今度は大きなため息をついた。
「そうね……これじゃとても人前には出られないわ。はあ……明日、何て説明したらいいのかしら」
「ま、なるようになんだろ。帰ろうぜ」
 全く他人事のように京一が言い、更に大きなため息をマリアがついたことで、
一同は笑いを必死に噛み殺さなければならなくなったのだった。
 誰かが通報したのだろう、消防車やパトカーがサイレンを鳴らして集まってくる。
長居は無用と、龍麻達は新宿に帰ることにした。
 その中に一人、帰るべき場所が無くなってしまった少女がいる。
親に捨てられ、ジルに拾われて異国の地へと連れて来られたマリィは、
今その育ての親さえ失い、どうして良いかわからず、大粒の涙を瞳に浮かべて所在無く立っていた。
龍麻達は顔を見合わせたが、彼女を救ってやれる方策はなく、
この場にいる唯一の大人であるマリアでさえも申し訳なさそうに目を伏せるだけだ。
 悲しくて、ついに堪えきれずマリィの瞳からこぼれてしまった涙が、抱いている猫にかかる。
猫が飼い主を見上げると、彼女はとても悲しそうな顔をしていた。
彼女の腕の中の温かさをとても気に入っている猫は、
恐らく彼女が悲しんでいる原因を作ったであろう、役に立たない人間達を咎めて喉を鳴らす。
人間達は威嚇に身を縮めたが、その中の、自分と同じ色の髪をした女が、
自分の鳴き声に応えるように進み出て飼い主の頭を撫でた。
「マリィ……一緒に帰りましょう。私の家で……これからは一緒に暮らしましょう」
 人間達が驚いている理由が、猫には判らない。
判ったのは、再び落ちてきた水は、さっきと異なり熱いということだった。
しかも今度は一滴ではなく、何粒も落ちてくる。
彼女を困らせるのは本意ではなかったが、猫は抗議の意味で低く鳴いた。
それが伝わったのか、飼い主は目をこする。
水の量はあまり変わらなかったが、彼女の顔が笑っているように見えたので、
猫はそれ以上抗議するのを止めた。
「サヨナラ……ワタシノ故郷ホーム。サヨナラ……ワタシノ仲間達。サヨナラ……ジル様」
 飼い主はそう言い、人間達とどこかへ歩き出す。
腕の中で揺られながら、久しぶりに見る明るい太陽の光に、
猫はわずかに目を細め、細めつつ、小さくあくびをした。



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