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<<魔獣行 ─後編─ 7へ


もう充分に氣を練っていた龍麻は、最初の一人をけいで撃つ。
吹き飛ぶ味方に目もくれず飛びかかってきた二人目を醍醐が横から蹴り飛ばし、一気に乱戦が始まった。
 敵は憑依されているせいで元の運動能力を無視できるのか、
中年の男性やヒールを履いた女性であっても激しい攻撃を見舞ってくる。
それでも、一人一人は相手にもならないほどの実力差が龍麻達とはあったが、
龍麻達はやり過ぎてしまわないよう手加減せねばならず、
おまけに数が違い過ぎてどうしようもない。
すぐに龍麻と京一、醍醐、それに諸羽と劉の五人は分断され、
一対多数で闘う状況に陥ってしまっていた。
 龍麻は葵を気にかけながら闘っていたつもりだったが、気が付けば彼女と距離が出来てしまっていた。
しかも、左右からニ体同時に憑依者達が襲ってきている。
防戦し、反撃し、倒す。
それらの動作を龍麻は可能な限り素早く行ったが、
二人目の腹に氣をとおした直後、ありうべからざる光景が網膜に映し出された。
「美里さんッ!!」
 多勢に無勢とはいっても、葵を護れなかった自分を罵倒しながら、目の前の若者を打ち倒す。
手加減をする余裕はなく、ニット帽を被ったいかにも軽薄そうな男は吹き飛び、
花壇に激突して動かなくなってしまう。
それを省みることもなく、龍麻は葵の許に駆け寄った。
ほとんど全力疾走で近づき、勢いを減じることなく葵にのしかかっているサラリーマンに体当たりをする。
そのままもつれて倒れ、地面を転がり、今度は龍麻がのしかかってサラリーマンを殴った。
思いきり殴られ、三十代半ばに見えるサラリーマンはそのまま昏倒する。
操られているとはいっても、葵に襲いかかったのだから、同情する気は龍麻にはさらさらなかった。
 サラリーマンが動かなくなったのを確かめると、
自分の制服がほこりだらけなのも構わず葵の許に駆け寄り、彼女を助け起こす。
「大丈夫?」
「え……ええ、ありがとう」
 謝らなければならないのは自分の方だ。
彼女を直視できない龍麻は、後悔と羞恥と怒りをまだらに顔に浮かべ、火怒呂の方を向いた。
 火怒呂は遠目にもわかるほどの嘲笑を浮かべており、
龍麻は一層怒りを煮えたぎらせ、間接的に葵を襲った犯人に鉄槌を下すべく走り出した。
 その時だった。
「……ッ!!」
 突如として、もう一人の自分が頭の中に入りこんだような感覚が龍麻を襲った。
怒りが際限なく増大し、火怒呂のみならず、
周りにいるもの全てを壊したいという衝動が中枢を支配する。
立ち止まった龍麻は、自分の身に起きた異変に胸を押さえるが、
衝動は風船のように膨れ、身体を乗っ取っていった。
「龍麻くん!」
 葵の声がひどく遠い。
ミサに言われ、京一や醍醐が憑かれるのを目の当りにしたというのに、
間抜けにも敵の罠にちてしまったのだ。
目も眩むような後悔を龍麻はしたが、それさえも獣の本能に押し流され、支配されていく。
ほふれ。食らえ。なぶれ。
目の前で動いているものが疎ましく、そして愛おしい。
うじゃうじゃいる獲物・・に欲望の眼差しを向けた龍麻は、
最も近くにいた一人に轟然と襲いかかった。
「うわッ」
 フリーター風の若者を木刀で袈裟斬りにした京一は、殺気を感じて反射的に跳び退いた。
 目の前を、黒い腕が通り過ぎる。
その、自分と同じ真神の制服に包まれた腕は、明らかに自分を狙ったもので、
しかもサイズから言ってもう一人の友人のものではなかった。
「おい龍麻、俺だ俺ッ!!」
 言いながら、京一は龍麻が憑かれてしまったことを瞬時に察知していた。
友人の身体から立ち上る氣は尋常なものではなく、欲望にまみれている。
攻撃をかわされた龍麻は、目をぎらつかせて跳躍してきた。
「ちッ」
 跳躍の予想以上のはやさに、京一は避けたもののバランスを崩してしまう。
仲間としての龍麻ももちろん強さを認めてはいたが、今の彼は、
獣の霊によって運動能力が上がっているのか、舌を巻くほどの動きだった。
躱しざま、反射的に木刀を打ちこもうとした京一は、慌ててその手を止める。
操られているとは言っても、友人を木刀で打ち据えるわけにはいかなかった。
といって龍麻の方は容赦無く襲いかかってきており、京一はたちまち苦境に立たされてしまった。
重く、スピードの乗った拳を紙一重で躱しながら、龍麻こいつを止めるには
元を断つしかない、と考え、後輩に向けて怒鳴る。
「おい諸羽ッ!!」
「は、はい京一先輩ッ」
「お前が火怒呂ヤツを倒すんだッ、行けッ!!」
 先輩に命令された諸羽は、弾かれたように飛び出した。
頼むぞ、諸羽──そう口にする余裕はなく、
ただ横目で諸羽が火怒呂に向けて駆けていったのを見届けると、京一は改めて龍麻と相対した。
憑依されているからか、氣こそ使ってこないものの、
師について学んだという龍麻の古武術の技は的確に急所を狙ってくる。
対して京一は剣術は一応学んでいるといっても、素手ケンカに関しては我流であり、
どうしても分が悪い。
「野郎……ッ」
 体重を乗せた肘が鳩尾みぞおちを捉える。
苦痛に身体を折った京一は、こみ上げてくる不快なものを唾と一緒に吐き出した。
何度言い聞かせてみても、打撃は打撃であり、殴られるのは好むところではない。
しかもそれが無闇に重い打撃と来れば、もともと乏しい忍耐力もすぐに尽きてしまうというものだった。
「打ち所が悪くても悪く思うなよッ!!」
 忍耐の限界を超えた京一は、怒声と共に掴みかかってきた龍麻の顎をカウンター気味に殴り飛ばす。
意識はなくともこれは効いたらしく、筋肉質の身体が大きくよろめいた。
だがすぐに体勢を立て直し、反撃してくる。
「ヘヘッ、そうこなくちゃな」
 不敵に笑った京一は、彼のこれまでの対戦履歴の中でもきっと上位に名を残すであろう
好敵手と本格的に殴り合いを始めた。
 京一に命じられた諸羽は、一直線に火怒呂の許に向かっている。
途中中年のサラリーマンとその部下らしき男に襲われているが、
氣を用いた斬撃で一太刀の下に斬り捨てていた。
これが子供や女性であったら、いくら敵であってもためらってしまったはずで、
その点は諸羽に運が味方したといえるだろう。
 だが、今回の事件の首謀者である火怒呂は、一筋縄ではいかない相手だった。
「フン……てめェにも憑けてやる」
 不敵に笑った火怒呂が諸羽を睨みつける。
その途端、諸羽は危うくサーブルを取り落としそうになってしまった。
いくつもの霊が、心に侵入しようとしてくる。
ひとつを拒んでも、その隙に入りこもうとしてくる新たな霊に、氣を練るどころではない。
強烈な本能、そして渇望。
裡から膨れる自分ではない自分に、諸羽は押し流されそうになってしまっていた。
心を蝕んでいく純粋な欲望の、なんと快いことか。
諸羽は京一に期待されたことも思考の片隅に追いやり、ぼんやりと立ち尽くす。
 龍麻に続いて火怒呂の魔手に堕ちかけた諸羽だったが、
既に意識も朦朧もうろうとしている彼を、大きな関西弁が現実に呼び戻した。
「おいッ、しっかりしいやッ!!」
「劉さん!」
 目の前にいる劉に思わず驚いてしまうほど、諸羽は動物霊に囚われてしまっていた。
だが、霧が晴れるように澄んでいく頭の中で、寸前の記憶が蘇る。
「僕は……」
「話は後や。一気にいてまうでッ!」
 背中の刀を抜き放った劉が火怒呂に突進していく。
その後ろを、諸羽は慌てて追った。
 術を破られた火怒呂は、もう一度、今度は諸羽と劉にまとめて動物霊を憑かせようと『力』を用いる。
劉の後方を走る諸羽は、彼めがけて幾多の霊が襲いかかる様をはっきりと捉えていた。
わき目も振らず火怒呂に挑みかかる劉は、上から襲いかかる霊に全く気づいていないようだ。
「劉さんっ!!」
 叫んだ瞬間、諸羽をまばゆい光が包んだ。
それは劉の手にする幅広の刀から放たれたもので、青白い残像が宙に残っている。
そして彼の周りにあったはずの獣の霊は、その一閃で跡形もなく消え去っていた。
「凄い……」
 氣を操れるようになってまだ日が浅い諸羽は、京一や龍麻からもこれほどの氣を見たことはない。
むろん諸羽は京一の強さを知っているが、彼に次ぐ強さを劉に感じていた。
「どないしたんや、手伝てつどうてや!」
 圧倒的な実力を見せられて、見惚れていた諸羽に劉の叱咤が響く。
「は、はいッ!!」
 サーブルを構えなおした諸羽は、慌てて彼の隣に並んだ。
 しかし実際は、劉を手助けする必要などなかった。
「てめェら……」
 頼みの綱である憑依の『力』を破られた時、火怒呂は既に負けていたのだ。
劉と諸羽に至近にまで迫られた火怒呂はもう一度霊を憑依させようとするが、
もう劉にも、そして彼を見て学んだ諸羽にも霊を憑かせることは出来なかった。
 懐に潜りこんだ劉は、刀の柄の部分で火怒呂を殴り飛ばす。
その一撃で、もう火怒呂は戦闘意欲を失ったようだった。
火怒呂に駆け寄った劉は彼の胸倉を掴み、難詰する。
「言えやッ、お前を操っとるんは誰やッ!!」
「し、知らねェッ、俺はただ、王に……なりた……」
 しかし火怒呂は、まだとぼけようとする彼に劉が激しく身体を揺さぶると、
そのまま気を失ってしまった。
「あかん、やり過ぎてもうたな」
 舌打ちした劉は彼の身体を離すと、恐らく、
自分のあまりの変わりように呆然としている諸羽の肩を叩く。
「なんや、ぼーっとして。ほれ、皆のところへ行こか」
「は、はい」
 諸羽は頷いたものの、豹変が網膜に焼きついて離れない様子だ。
 その肩を親しげに抱いた劉は、彼の気を逸らすため、大きく手を振って京一の許に彼を連れていった。
彼らに隠すつもりはないが、今はまだ自分の目的を伏せておきたかったのだ。
──いずれ、必ず訪れるその時までは。

「面目ない」
 闘いが済んだ後、龍麻は長身を縮こめて、友人達にひたすらに謝った。
戦闘中に興奮して動物霊に取り憑かれてしまい、京一を襲ったとあっては、
もう地球の中心にまで達する穴を掘って、その中に埋めて欲しい心境だったのだ。
「ま、いいってコトよ。いっぺんお前とはってみたかったんだ、気にするこたァねェさ」
 実は以前にも京一と龍麻は闘っている。
アラン蔵人という日系人と行動を共にした時、やはり理性を失ってアランに殴りかかった
龍麻を止めようとして、なし崩しに殴り合いをしたことがあるのだ。
ただその時は醍醐も含めて四人での乱闘であり、やはり一対一タイマンとは違う。
いささか不謹慎ではあっても、京一の心情は本心であった。
それに殴った数は俺の方が多いはずだ──とは京一は言わず、
代わりに少し腫れ始めた頬をさりげなく擦ってにやりと笑う。
同士討ちに関しては言った通り気にしてなどいないが、ひとつ言ってやりたいことがあったのだ。
「にしても、お前が美里のコトだきゃあ我を忘れるってのは相変わらずだな」
「それは」
「皆まで言うなって。美里も幸せじゃねェか、今時いねェぜ、こんなに必死になる奴はよ」
 冷やかされて小学生のように頬を赤らめる龍麻と葵を見れば、
京一の溜飲も下がるというものだった。
 何と言われても言い返せない立場である龍麻はアルマジロのように丸まってしまい、
葵もなんと言って声をかけたらよいか解らないらしく、心配そうに彼を見ているだけだ。
 そんな時はよ、こうすりゃいいんだよ──
二人を微笑ましく見守った京一は、遠慮なく、思いきり龍麻を笑い飛ばした。
少し気まずい雰囲気になりかけていた醍醐や小蒔も、京一の大笑につられて笑い出す。
笑いの種にされて憮然としていた龍麻も、あまりに皆が笑うものだから、
ついに苦笑せざるを得なくなってしまい、一行はすっかり暗くなった公園の中で、しばらくの間笑い続けた。
闘いの疲労も、その笑い声にのって消え去っていくようであった。
「終わった……か」
「あァ。ッたく、ろくでもねェ事件だったぜ」
 醍醐の呟きに、大きく伸びをして京一が答えた。
闘いで火照った肌を冷やす風は、心地良いと言う為には少しやせがまんをしなければならない冷たさで、
もうこの場所に用はなくなった龍麻達は、
身体だけでなく心まで寒くなってしまいそうな夜の公園から立ち去ることにした。
「でも、あの人が倒れた後、あの人の背後や、人々の中から解放されて飛び去る動物達が見えたわ。
本当はただ、寂しかっただけなのかもしれない」
 歩きながら葵が言う。
だが彼女の言う通りだとしても、やはり死者は現世うつしよに来るべきではない。
いくら寂しくても、生きる者達を惑わせてはいけないのだ。
 角を曲がると、人工の灯かりが龍麻達を照らした。
いつもは何気なく浴びている光も、少し嬉しく、そして寂しい。
期せずして皆が抱いた感慨を、言葉にしたのは小蒔だった。
「ついさっき、目と鼻の先であんなことがあったってのに、この街を歩く人は誰ひとり気づかないんだよね」
「せやな……ここはわいが生まれ育った村なんかよりずっと大きゅうて、キレイで、
人もぎょうさんおって……せやけど、なんか足らんもんがあるような気ィするんや。
なんや、無性に寂しい気分になったりするわ」
 小蒔に応じた劉の口調も、どことなく沈んでいる。
足早に行き交う人々を避けるように端を歩く中、ぽつりと呟いた。
「わいな、この事件の中でひとつ思ったことがあるんや。
あの火怒呂っちゅうんが使役しとった霊は、皆強い意思を持っとった。
生きたい、食いたい、恨みを晴らしたい──ちゅうてな。
せやのに、こうしてちゃんと生きとる人間の方が、なんや、魂のない抜け殻っちゅうか……
まぁ、なんや、理不尽な感じがしてな」
 劉は、まるでそれまでが演技であったかのようにがらりと口調を変えた。
「さってと、一件落着したことやし、なんや腹減ったな」
「あ、ボクもボクも」
「おッ、なんや小蒔はんとは気が合うなァ」
 大げさに腹をさする劉に、早速小蒔が食いつく。
意気投合した二人は、揃って龍麻達の方を向いた。
「せやったらこれから皆でラーメンでも食いに行こか。
池袋このまちやったらワイ、ええとこ知ってんねん」
「結局こうなるのか……まあ、たまには違う所で食うのも悪くはないが」
 醍醐がもっともらしく頷くと、京一も当然のように首を振り、諸羽も同意する。
龍麻も当然行くつもりだが、賛成する前に小さく目線を移動させた。
「ええ……行きましょう、私も少しお腹が空いたわ」
 二人を眺めやった京一は、ふと思いつく。
龍麻に恨みなど抱きはしないが、今日くらいは利用しゆすってもいいのではないか──
ラーメン一杯くらいなら。
むしろ龍麻もそれでわだかまりが解けるなら、喜んでオゴるだろう。
それが友情ってモンじゃねェか──
勝手にそう決めた京一は、さっそく先頭に立って案内し始める劉に、記憶を刺激されて訊ねた。
「その前に劉。聞きたいことがあるんだけどよ。お前さっき妙なコト言ってたよな。
火怒呂の後ろにいるヤツがどうとかこうとか」
「うん、それに急に怖い顔になって」
 口々に言う京一と小蒔に、劉は立ち止まって振り向いた。
そこにあった思いがけない真剣な表情に龍麻達は驚き、わずかな沈黙が一行の間に流れる。
池袋の喧騒に耐えかねたように開かれた劉の口調は、わざとらしいほどおどけたものだった。
「わいの顔が怖いやて? そらヒドイわ、小蒔はん。
わいかて好きでこないな細目に生まれてきたわけやないで。
この傷かて好きこのんでつけてる訳やあらへんのに」
「そんなつもりじゃ……ごめん、劉クン」
「あ、怒っとるんやないで。気にせんといて、小蒔はん。
メシ食う前に気落ち込ませたら、美味いもんも不味まずなってまうしな」
 すっかりムードメーカーと化した劉に、皆笑いながらついていく。
さりげなく歩調を緩めた京一は、龍麻の肩に腕を乗せて囁いた。
「あいつ……何か知ってるな」
「ああ……多分な」
 考えは同じだったのだろう、龍麻も真剣な面持ちで頷く。
しかし今日は龍麻も京一も窮地を彼に救われたことは事実だし、
彼が敵であるならその時点で襲ってきていただろう。
不必要に疑うのは、二人とも好まざるところだった。
「とりあえずは敵じゃねェみてェだしな、様子見ってことでいいだろうよ」
 そう結論づけた京一は、劉のお株を奪うようにがらりと表情を変えた。
「ま、それはそれとしてよ、龍麻」
 前を歩いている連中に聞こえないように言うと、龍麻の顔色もがらりと変わる。
ただしこちらは、京一が陽性のものであったのに対して、
水の入ったバケツを頭から被ったようなものにだ。
「……なッ……!! そりゃ、そうだけどよ……わかったよ」
「へへッ……これで後腐れナシってことでよ、悪ぃな、龍麻」
 交渉を成立させた京一はホクホク顔で列に戻る。
すると、その浮かれ顔を見て、小蒔の小鼻がひくひくと動く。
食とお金に関するセンサーは随一のものを持っている彼女は、
二人の間に成立した講和条約を、卓越した能力ちからで察知したのだ。
「なになに!? もしかして、今日ひーちゃんが奢ってくれるの!?」
「お、なんや、兄さん、随分気前ええんやな。
せっかく奢ってくれるっちゅうんを断るんは失礼やな、おおきに、ゴチになりますわ」
「ちょ……待った……」
 この日龍麻が何人分のラーメンを奢らされる羽目になったのかは、
当事者と彼の財布以外誰もわからないことだった。



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