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「う……ッ」
「む……」
「ボク……あれ?」
「皆!」
何故膝をついているのか解らない様子で、小蒔が立ちあがる。
そこに葵が飛びついて、危うく小蒔は倒れてしまうところだった。
龍麻も、抱きつきこそしないものの、友人達が無事であると知り、安堵のため息をつく。
その横では、やはり絵莉が息を吐き出し、額を拭っていた。
「良かった、憑き物が落ちたのね」
「憑き物……そうか、今のが獣の霊か」
まだ違和感があるのか、醍醐はしきりに頭を振っている。
どうやらおぼろげながら、憑依されていた時の記憶もあるようだった。
「京一先輩、大丈夫ですかッ」
「ん……あァ、みっともねェとこ見せちまったな」
「そんなことないです、でも、本当に良かった」
素直な喜びようを見せる後輩に、京一は鼻の頭を掻く。
励ましてくれる後輩の存在に、先輩なら先輩らしくあらねば、と柄にもなくそう思ったのだ。
その隣では、小蒔が葵に気遣われている。
「小蒔……大丈夫?」
「う、うん……なんか、ヘンな気分だったよ。自分の中に吸い込まれるみたいな感じで」
小蒔が語ると、醍醐も大きく頷いた。
「ああ、俺の中に、俺の知らない俺がいる。霊云々よりも、そっちの方が嫌な後味だな」
仲間の無事を喜んだ龍麻達は、一番の年長者から発せられた沈んだ声に、一斉に彼女の方を向いた。
「わたしったら、駄目ね、うろたえてばかりで。いざという時には何の役にも立たなくて」
「いえ……そんなことは」
こんな事態に的確な状況判断を下せる人間などいるはずがない。
そう言おうとした龍麻は絵莉の表情を見て言葉を失ってしまった。
彼女は春先から続く、龍麻達の周りに起きた事件に関わった大人として、
自分の住む東京(の命運を、若者に託さねばならない不甲斐ない大人としての責任を、
龍麻が考えている以上に感じ、一身に背負おうとしていたのだった。
「でも俺達は……天野さんのアドバイスに随分助けられています。
だから、その……あんまり気を落とさないでください」
それは後で振りかえってみれば、赤面してしまうような下手な励ましだった。
しかし絵莉は、台詞よりも龍麻の瞳(の輝きに温かなものを感じていた。
若さにあふれた、打算のない励まし。
年を取り、社会の荒波に揉まれる内にいつのまにか失ってしまっていたもの。
惜しげもなくそれを与えてくれる彼らを、絵莉は眩しい思いで見やる。
彼らと共に在る日々は、彼女にとっても貴重な時の宝石なのだった。
京一達の無事を確かめた龍麻は、彼らの窮地を救ってくれた男に向き直った。
勢いに任せて激昂してしまった気恥ずかしさもあり、下げた頭は自然と深くなる。
「友達が助かったよ、ありがとう。その……さっきは悪い、ちょっと焦ってて」
「ん? ええよええよ、気にすることはあらへん。それよかあんさん案外礼儀正しいんやな」
鷹揚(に笑った男は、龍麻が怒っていたことも気にしていないようだった。
そうするとますます一人空回りしていたような気がして、龍麻の頬はすっかり熱くなってしまった。
男にもう一度頭を下げる龍麻を見て、京一が諸羽に訊ねる。
「なぁ、誰だあれ」
「以前僕を助けて桜ヶ丘中央病院まで運んでくれた人です。
今も京一先輩や皆さんに憑いていた霊を不思議な技で追い払って」
「そうか……どうやら世話になっちまったみてェだな。ありがとよ」
京一が礼を言うと、男は軽やかに手を振った。
あまり形式ばったものを好まないという点で二人は相通じるものを感じたらしく、にやりと笑い合う。
そこに諸羽が、控えめに口を挟んだ。
「ところで、お名前は」
「そういや、名乗るんはまだやったな。わいは劉( 弦月(。
台東区華月(高校三年や。今年の春に知り合いを頼って中国から来たんや」
「ちょっと待て。助けてもらっといてなんだけどよ、なんで中国人が関西弁なんだよ」
京一の問いは確かに初対面で、しかもピンチを救ってもらったにしては失礼なものだったが、
劉と名乗った男はそうは思わなかったようだった。
「おッ? おおッ!? ええなァ、ええツッコミやわ。
わいな、ほんまは中国人やのォて関西人なんや。
大体、こんな関西弁ペラペラの中国人おったら気持ち悪いやんか」
突然饒舌(になった劉に、醍醐や小蒔も彼の傍に寄ってくる。
「日本人には見えんのだが……龍麻、お前はどうだ」
「おッ、そこのデカい人ッ!! ええでええでッ!!
なんやなんや、あんたらちゃんとツッコめるやないか」
龍麻が答えるよりも早く醍醐を指差した劉は、勝手に生い立ちを語り始めた。
「よっしゃ、ほんまにほんまのコト教えたる。
わいは中国生まれの中国育ち、ほんまもんの中国人や。
ほんで日本で最初に世話になったんがほんまもんの関西人やったもんでな。
わい、ほとんど日本語しゃべれんかったさかい、見よう見まねでしゃべっとったらこの始末や。
今更標準語覚えるんもえらいこっちゃしな」
一人で喋り続ける劉に、龍麻達はあっけにとられたままだ。
怒っていたことや憑かれていたことなどどうでも良いことのように思われて、
龍麻と京一などは間抜けに口を開いて劉の話を聞いていた。
「なんか、めちゃくちゃテンション高いね、この人」
小蒔が葵に囁くと、劉はすかさず聞きつけて指差す。
「何言うてんねん、あんた。会話ってヤツはこう、ポンポンポ〜ンと弾むようにせなあかんのやで」
「あかんのやで……」
「まあええわ、さっきからわいばっかしゃべっとるがな。
こっちは名乗ったんや、あんたらの名前も聞かせてや」
新手のナンパだとしたら、大した手腕と言うべきだった。
それくらい鮮やかに訊かれ、小蒔と葵はつい名乗ってしまう。
龍麻達も一応名乗りはしたが、劉が反応を見せたのは何故か最後に絵莉が名乗った時だった。
「い、いや、わい年上の女性ちゅうんはちょっと苦手なんや。
あっ、天野はんが嫌やっちゅうことやないで、それはわかってな」
あれほどよく喋った劉が、いきなり口篭もってしまっている。
彼の言うことが本当だとしたら、年上の女性とやらと余程酷い過去があったのだろうが、
初対面でそこまで聞くのもおかしな話で、龍麻達はわかるしかなかった。
あいまいに頷く龍麻に、劉は早くも旧知の友人のように話しかけてきた。
「さて、名前も知ったことやし、そろそろ行きまっか」
「行く……って、どこへだよ」
「なんや、あんたらが行くところやないか」
龍麻と京一は顔を見合わせる。
この男は、自分達がカラオケかボーリングにでも行くとでも思っているのだろうか。
少なくとも、池袋を混乱に陥れようとしている何者かを倒しにいくとは思っていないだろう。
「まさか……ついてくる気?」
「あったり前やないか。わいは困っとる友達を見捨てておけるほど薄情とちゃうで」
あっさりと答える劉にさすがの小蒔も絶句してしまう。
その隣で、醍醐が呆れたように首を振った。
「いつのまに友達になったんだ」
「なんだかこんな展開前にもあったような気がするわね」
失笑寸前の絵莉が言っているのは、夏に出会ったアラン蔵人のことだ。
葵をナンパするという衝撃的な出会い方をしたメキシコと日本の混血(は、
ラテン系らしい陽気さと強引さで、いつのまにか行動を共にしていたのだ。
後に彼の宿命を聞いたりはしたものの、最初のインパクトが強過ぎて、
誰も彼が本当は真剣に仲間のことを案じる性格だとは信じられない。
特に龍麻は個人的に、ぬけぬけと葵に近づくこの男が嫌いだった。
彼の方では龍麻のことを恋のライバルだと思っているようで、それがまたうっとうしくもあり、
一時などは彼を警戒するあまり葵に電話番号を教えていないかしつこく訊ね過ぎて、
彼女の機嫌を損ねるという事態まで引き起こしている。
彼の『力』を認めてはいるが、出来る限り近くに、特に葵の近くには呼びたくない男だった。
絵莉の言葉に龍麻が顔をしかめたのは、そのアランのことを思い出したからであるが、
小蒔はどうやら勘違いしてしまったようで、とりなすように龍麻の顔を覗きこんだ。
「でも……確かにボク達を助けてくれた『力』を持ってるんだから、来てくれたら心強いよね」
人懐っこい性格の小蒔は、劉に疑いを持っておらず、
早くも彼を一風変わった友人とみなしているようだ。
劉が小蒔の言葉に大げさに二度頷くと、腕組みをした京一が警鐘を鳴らした。
「けどよ、なんかうさんくさくねェか?」
「でも、僕の命の恩人ですし、京一先輩だって」
「うッ……しょうがねェな、お前はそれでいいのかよ、龍麻」
諸羽に図星を突かれ、困った京一は判断を友人に委ねた。
この春に知り合った男は、おおむね納得出来る判断を下すので、
最近では面倒くさそうなことがあるとすぐに丸投げしていた。
京一に言われ、劉を仲間として連れていくかどうか、龍麻は思案する。
この、良く言って怪しい中国人青年は、単に成り行きから自分達に同行しようとしているのではない、
自分から怪異に関わろうとしている(ように感じられた。
これも、罠か──しかし、京一達を救ってくれたのは確かで、
もし罠ならばそんな回りくどいことをする必要もないだろう。
危険な敵との闘いを前にして、少しでも不安な要素は取り除いておきたい龍麻だったが、
全員の視線を受け、決断を迫られた。
「本当にいいのか、劉。俺達はさっきの憑き物……あれを操っている奴を倒しに行くんだぞ」
「あんなんがおったらボチボチ昼寝も出来んやないか」
どこまでも人を食った答えだ。
だが、龍麻は春先からいくつもの事件に関わった身として、
『力』を持った者は磁石のように惹き合うことを経験として知っていた。
縁(──古風な言い方をすればそう表現出来る何かは、
劉が敵ではない、と本能的に告げていた。
「ああ……それじゃ、改めてよろしく」
龍麻が一緒に行く旨を告げると、劉は一行が呆れるほど大仰に喜んだものだった。
「おおきに! まぁ、わいに任しとき。どないな奴もちょちょいのちょいとひねったるさかい」
差し出してもいない手を両手で掴み、ぶんぶん振りまわす劉に、
龍麻は本当に連れて行って良かったのか、早くも軽く後悔し始めていた。
奇妙な成り行きから劉という中国人留学生を仲間に加えた龍麻達は、
もう辺りも相当暗くなってきたこともあり、事件の解決を急ぐことにした。
中でもせっかちな小蒔は、今にも駆け出さんばかりにしている。
「んじゃ行こうよ」
「って、どこへやねん!」
「う……」
本場仕込みのツッコミにしてやられ、小蒔は黙りこくる。
彼女に代わって口を開いたのは、何かと思慮深い醍醐だった。
「確かに、正体は判ったが、居場所が断定できんな。俺達が無事なのを知れば黙ってはいないと思うが」
「あァ。さっさとカタをつけねェと何をやらかすか判らねェしな」
とは言うものの、今のところ憑依師は絵莉を通じて声を聞かせただけで、顔も何も判らない。
雑多な人ごみの中で一人一人顔を確かめて行く訳にもいかず、
残念ながら劉の言った通り、どこへ行けば良いのかすら判らないありさまだ。
困り果てた龍麻達を見て、劉が訊ねたのは、自分が苦手だと言った年上の女性だった。
「なァ、天野はん。こんな事件を追っとる記者なら知っとるやろ。
この辺りに渦巻く怨念(を」
「渦巻く……?
そうね、確かにこの辺りには護国寺や本立寺、雑司が谷霊園といった墓地の数も多いけれど」
そこまで言った絵莉は、続く言葉を急に一度呑みこんだ。
「強い怨恨……!! そう、そうだったのね」
「絵莉ちゃん、何か思い当たったのかよ」
「ええ、憑依師は怨恨募る人々の呪を聞き入れ、猛る怨念を人に取り憑かせるのが生業。
その術を使うには、相応の地相が必要だったのよ」
絵莉が京一に説明すると、彼女がひらめくヒントを与えた劉が訊ねる。
「で、それはどこなんや」
「かつて東京拘置所(と呼ばれた場所がこの近くにあるわ。
第二次大戦後、五九名の戦犯が絞首刑に処せられた地よ。
戦争の是非はともかく、信じ続けた軍に、国に裏切られた無念の思いは相当なものでしょうね」
もはや戦争の痕跡など跡形もないこの街で、ひっそりとたゆたい続ける怨念。
いずれ浄化され、成仏するとしても、一人の人間の欲望に利用されてしまうしたら哀し過ぎた。
「せやな……そいつは強力な怨念の場を居として街中に憑き物を放っとるんや」
「処刑場は、今では小さな公園に姿を変えているわ。この先だからすぐに判ると思う」
龍麻に場所を教えた絵莉は、ほろ苦い微笑を浮かべた。
「それじゃ、わたしは行くわね。
もしまたあなた達の足を引っ張ってしまったら、今度こそ自分が許せなくなるから」
『力』を持たない彼女が闘いに巻きこまれては、その危険は計り知れない。
彼女が言わなければ、龍麻が止めなければならないところだったが、
彼女は年長者として節度をわきまえ、自分から身を引いてくれたのだ。
絵莉の判断に敬意を表し、龍麻は軽く頭を下げる。
真相追求の為なら危険を顧(みない彼女にとって、ここで引き下がるのはさぞ悔しかったろうが、
絵莉は一言も言わずに軽く手だけを振ると、足早に歩き去った。
「よし……行こう」
絵莉の姿が見えなくなったのを確かめた龍麻は、池袋の街を混乱に陥(れている憑依師を倒すべく、
仲間達を促した。
絵莉に教えられた憑依師の潜伏する公園は、サンシャインのすぐ隣にあった。
ひっそりと、東京の繁栄に抗うようにたたずむ公園は、
傍目には戦犯が処刑された地だとは全く判らない。
だが数多の闘いを通じて氣の流れに敏感になっている龍麻達には、
この地が持つ陰の氣がはっきりと感じられた。
「ここかいな」
「あァ……間違いねェな。厭(な氣がプンプンしてやがる」
劉に答えながら、京一は既に木刀の包みを解いている。
まさに一触即発の雰囲気が、自ずとそうさせたのだ。
京一に倣(って剣(を取り出した諸羽が、前方にいる人影に気付く。
「噴水の前に、誰かいます」
「ちッ、カップルか?」
諸羽の指摘に京一は目を細め、人影を見極めようとした。
一般人がいては、何かと不都合なのだ。
「……いや、違うな。ありゃ」
京一に続いて龍麻も目を凝らしてみる。
確かに男女ではあるが、その挙動は恋人同士のそれには見えず、どこか虚ろな、不確かな感じだった。
「まさか、憑依された」
「そのまさかやな。襲撃に備えてあらかじめ兵隊を集めといた、ってとこやろ。ご苦労なこっちゃ」
劉が肩をすくめる。
それに龍麻が答えようとした時、急に葵が胸を抑えた。
「美里さん?」
「胸が……苦しい……悲しみと痛みが、流れこんでくる……」
龍麻達の中でも葵は特に強く氣を感じ取ってしまうらしく、
何度かこういう症状を見せることがあった。
命に別状があるものではないらしく、
心配した龍麻が顔を覗きこむと多少苦しげではあるものの微笑んでみせる。
硬い笑顔で応じた龍麻は、近くにいるに違いない敵を探し、辺りを見渡した。
すると、噴水の向こうから、憑依された者達と共に、
一人の禍々しい氣を放つ男が近づいてきた。
「ほう……それを感じ取れるとは、少々てめェらの『力』とやらを見くびっていたかもな」
「お前が火怒呂か」
「よく来たなァ。この俺が稀代の憑依師、火怒呂丑光様よ」
名乗った火怒呂は外観は髪を赤く染めた普通の高校生だったが、眼の光が強いのが印象的だった。
彼が使役する獣達のように、直線的な欲望がありありと浮かんでいる。
罠を張って待ち構えていたことからも、話してどうにかなる相手でないのは明らかだ。
それでも一言言わずにはおれないのだろう、憤慨した小蒔が叫んだ。
「こんなヒドいことして……何が稀代の憑依師だよッ!」
怒りを露にする小蒔にも、憑依師を名乗る火怒呂は全く動じず、薄い嘲笑すら浮かべている。
「酷い……? ククク、俺はただそいつらの本性を引き出してやっただけだぜ?
その後の行動はそいつら自身が望んだことだ。
てめェらが街中で会った奴らも、あの帯脇って馬鹿な男も、だ。
まぁもっともあいつは蛇としての素が弱かったから、
せっかく憑けてやった大蛇(の霊力を無駄にしやがったがな」
「お前の……仕業だったのか」
諸羽が進み出る。
さやかを困らせる帯脇を、諸羽は決して好いてはいなかったが、
彼もただ操られただけなのだとすれば、その首謀者を許すわけにはいかなかった。
「全ては本能の赴くまま、さ。美しいと思わねェか?
どうせこの世界はもう終(いだ。生き残りたけりゃ獣の性(を取り戻すしかねェのさ。
やがて来る混沌の御世。そしてその王はこの俺様よ」
火怒呂は高らかに宣言する。
それに対して、今吹いている秋風よりも冷たい声を放ったのは、
龍麻達に新たに加わった仲間だった。
「そないなこと、誰に吹きこまれたんや」
「劉クン?」
先ほど垣間見せたのと同じ、苛烈な怒りが関西弁に宿っている。
大切なものを奪われた怒り──そうでなければ、
これほどまでに激しい憎悪を人は宿すことができない。
かつて同じ経験をしたことがある龍麻は、劉が自分達と同行した目的の一端を皮膚で感じ取っていた。
「そいつはどこや……今どこにおるんや、白状せんかいッ!!」
「この世界の王になるのは俺だ、誰にも邪魔はさせねェッ!!」
王と名乗る者が誰かの傀儡(にすぎないなどと劉に看破され、
火怒呂からは余裕が消えうせている。
彼の激怒に呼応して、動物霊を憑依させられた者達が襲いかかってきた。
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