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 木刀を手にした京一と、素手の帯脇では勝負にならない──
龍麻達は誰もがそう思っていたが、手下の不良達を倒した龍麻が京一の方を振りかえると、
思わぬ苦戦を強いられている京一の姿がそこにあった。
帯脇が、どのような『力』を持っているのか──
京一の援護に回りつつ、龍麻はまずそれを見極めようとする。
 だが、その猶予は与えられなかった。
帯脇と対峙していた京一が、いきなり片膝をついたのだ。
すぐに立ち上がろうとするが、足に力が全く入らないらしく、
木刀を杖にしてかろうじて倒れないようにしていた。
「京一ッ!!」
 呼びかけても返事はない。
相当な猛者である京一が倒されたのも驚いたが、
帯脇が攻撃らしい攻撃をしたように見えなかったのはより大きな、
戦慄を伴った驚きを龍麻に与えていた。
どうするか──刹那、迷った龍麻は友を救う為、一気に踏みこむ。
しかし、まだ拳が届く間合いには二歩を残しているというところで、いきなり肩に痛みが走った。
何が起こったか判らず焦る龍麻の、今度は左足に同じ苦痛が訪れる。
それでも強引に歩を進めたが、激痛はたちまち全身を蝕み、
動くどころか立っていることさえ出来なくなってしまった。
「龍麻君!」
「来ちゃだめだ、美里さんッ」
 自分を救う為に近づこうとする葵を龍麻は必死に押し留める。
逃げろ、そう言おうとした声は、だがもう発することが出来なかった。
身体が内側から灼かれ、不快な熱が全身を駆け巡る。
京一に倣って立とうとしても、身体の一切が言うことを聞かず、
帯脇を睨みつけるのが精一杯だった。
氣を練ることもままならず、龍麻は遠のく意識を必死に繋ぎとめているしかなかった。
 二人を倒し、勝利を確信した帯脇は次に、龍麻の近くで立ちすくむ葵に目をつけた。
さやかほどではないが、充分に旨そうな身体をしているこの女は、
殺すことなくなぶってやればいい。
さやかと二人、俺様のペットにしてやる──
早くも興奮に目をぎらつかせた帯脇が葵を姦する為に一歩を踏み出すと、
その前に立ちはだかる者がいた。
「俺が相手だッ」
「なんだァ? てめェは」
 見たことのない制服を着ている男は、見るからに何か武道をやっている体格を有していた。
どいつもこいつも邪魔しやがって──
目を細めた帯脇は、欲望を妨げられた怒りも露に、京一と龍麻を倒した『力』を念じ始めた。
脳の、ふるい部分がたぎる。
邪魔者はたおし、食らえ──
血の流れに刻みこまれた原初的な命令が、獣の『力』となって腕へとたわんでいく。
充分に『力』が滾ったのを感じ取った帯脇は、目の前の獲物に向けてそれを解放する。
蛇の猛毒が滴る様を、帯脇はほとんど現実の光景として見ていた。
 しかし、その寸前。
不敵な笑みを浮かべた紫暮は、自らの裡に宿る『力』を解放していた。
「──!!」
 紫暮を満たした薄青の輝きが薄れると共に、もう一人の紫暮が現れる。
帯脇もこれには驚いたらしく、目を細めて紫暮を注視した。
しかし、紫暮と、彼の生み出した二重存在ドッペルゲンガーは左右対称に散開し、同時に襲いかかってくる。
右か、左か──迷った帯脇は右の紫暮に向けて蛇の『力』を用いた。
だが、猛毒の牙が食らいついたと思った瞬間、紫暮の姿はかき消すように消えていた。
「何ィッ──!!」
「食らえィッ!!」
 驚愕と、咆哮が交錯する。
帯脇の、完全に無防備の腹に、充分に体重を乗せた突きがめりこんでいた。
「がはァッ……!」
 異能の『力』を持ってはいても、肉体的には素人である帯脇が武道家である紫暮の突きに
耐えられるはずもなく、帯脇は大きくよろめく。
紫暮が更に追撃をかけようとすると、その横合いから一個の塊と化した京一が飛びかかった。
歩くことが出来ないはずの京一は、ならば、と、全身の力を膝に凝縮して跳躍したのだ。
文字通り一撃必殺の斬撃は見事脳天を捕らえ、
紫暮と、弱っているとはいえ京一の攻撃を受けた帯脇は、
仰向けに倒れ、そのまま気絶してしまった。
 帯脇が動かなくなったのを見届けた紫暮は、仲間達の方を振り向く。
龍麻は葵の『力』によって意識を取り戻したようで、紫暮が近づくと照れくさそうに笑った。
「助かったよ……面目無い」
「構わんさ」
 気にするな、と一笑した紫暮は、倒した帯脇の方を向いた。
帯脇が用いた『力』に、腕組みをして唸る。
「しかし……鬼道衆とやらの闘いは終わったのではなかったのか」
「それが……そうじゃないみたいなんだ」
 龍麻は鬼道衆の棟梁であった九角を斃してからの出来事をかいつまんで話す。
難しい顔をして聞いていた紫暮は、話を聞き終えると重々しく頷いた。
「そうか……ならば、まだ今日のようなことが起こりうると言う訳か。油断はできんな」
 龍麻も、今日の危機に、最近少したるんでいた部分があったことを痛感し、
紫暮の稽古の申し出を断り続けたのも良くない、と、反省することしきりだった。
 一方京一は、倒した帯脇の前に立っている。
その顔はまだ鮮やかな怒りにかたどられていたが、手にした木刀を振り下ろしはしなかった。
「霧島が受けた傷はこんなもんじゃねェが、
てめェをどうこうして霧島あいつの怪我が治るわけでもねェしな」
 何より倒れている相手を攻撃するのは流儀に反する。
しかし、睨みつけるだけにして京一が踵を返そうとすると、帯脇が薄く目を開けた。
「俺様に情けをかけようってのか……揃いも揃ってめでてェ奴らだぜ」
「てめェ……」
 起きあがる帯脇に、ならば容赦はしないと木刀を握りなおす。
だが帯脇の身体からは異様な熱気が放たれていて、京一に即座に攻撃させるのをためらわせた。
 仲間も起き上がった帯脇に気付き、逃げられないように取り囲む。
「ケケケッ……さやかァ。お前は俺様のモンだって何度言やァわかんだよォ」
 後方で見ているさやかと葵を除いた五人に囲まれても、
帯脇は奇妙に熱に浮かされたように喋り続けた。
「霧島みてェな腰抜けに何が出来るってんだ。俺様がお前を護ってやるよ。
……俺様の『力』はこんなもんじゃねェんだぜェ」
 強烈な陰氣が放射される。
思わず身を庇った龍麻達の前で、帯脇の姿が少しずつ変わりはじめた。
「──!!」
「身体が……熱い……蛇……大きな……蛇が……」
 両腕をかき抱いて葵が呟く。
氣の流れをることが出来るという、菩薩眼の『力』。
その『力』が、帯脇の背後から、彼を食らうように立ちこめるかげの気配を察知していた。
 思わず一歩後ずさりした龍麻達は、程なく葵が察知したものを直視させられることになる。
緑色の皮膚に、蛇の頭。
それは病院で見たものと、紛れもなく同じだった。
「我こそは──」
 帯脇は、姿だけでなく声も変質していた。
威のある声に、龍麻の背筋をふるえが走る。
恐怖とは異なる、おそれに近い感情を、龍麻は帯脇に対して抱かされていた。
「我こそは、偉大なる山神──八俣大蛇ヤマタノオロチなり」
「こいつ……」
 帯脇であったモノの声は、嘘や法螺ほらを吹いているようには聞こえない。
ヤマタノオロチだ、などと言われて容易に信じられるものでもないが、
確かに何か、別種の存在が帯脇に宿っているようだった。
 そこだけは奇妙に名残がある細い目で龍麻達を見回していた帯脇は、
後ろにさやかの存在に気付く。
先の割れた舌を覗かせた帯脇は、彼女に向けて細く長い腕を伸ばした。
「おお、そこにおったか、クシナダ……我が巫女よ」
「クシナダ……? 巫女……?」
「お前は我より派生した、我が『力』の珠玉。
かつ須佐之男スサノオによって奪われし、我が『力』の源──
もう二度とお前を手放しはせぬ」
 いやらしく腕を伸ばす帯脇とさやかの間に龍麻達は壁となって立ちはだかり、
葵がさやかを下がらせる。
またしても欲望を妨げられた帯脇は、威嚇するように口を開き、奇声を発し始めた。
「我が名はオロチ、オロチ……オロチオロチオロオオロロオオオロロッ!!」
「──!!」
 陰氣が膨れ上がる。
それはあまりに爆発的で、充分に用心していたはずの龍麻達でさえも虚を突かれる格好になった。
帯脇は敏捷に龍麻達の間をすり抜け、さやかの元へ至ろうとする。
「クシナダァ、今そなたの元へ──!!」
「待てッ!!」
 葵とさやかが逃げ出そうとするよりも早く彼女達に魔手を伸ばした帯脇の腕が、
突然引っ込んだ。
雷撃を浴びたような帯脇の前に立ったのは、どこから持ってきたのか、
細身のサーブルを手にした霧島諸羽だった。
その身体からは空色スカイブルーの輝きが、一目瞭然なほど発せられている。
 彼もまた、『力』持つ者だったのだ。
「さやかちゃんに……触るな……」
 力弱いながらもきっぱりと告げた諸羽は、
さやかと帯脇の直線上に立ち、意思を行動によって表した。
「貴様……またしても我から巫女を奪う気かァッ、須佐之男よッ!!」
 帯脇が吼える。
その声からは徐々に人の発音が消えていき、同時に帯脇も変生へんじょうを始めていた。
陰氣が反転し、帯脇の内へと凝縮していく。
龍麻達は幾度か見たことのある光景だったが、紫暮と諸羽、
それにさやかは初めて見る異様な状況に息を呑んでいた。
 諸羽の背中にすがるように人でないものへと変わりゆく帯脇を見ていたさやかが、そっと囁きかける。
「霧島くん……怪我は」
「大丈夫。さやかちゃんの顔を見たら痛みなんて消えちゃったよ」
「ごめんなさい、わたしのせいで──」
「約束したろ? どんな時でも、さやかちゃんを護るって」
 青白い顔ながらも、不安を与えないよう諸羽は笑顔を作る。
その笑顔にまた涙を浮かべたさやかは、それを無理に微笑みに変えた。
強い紐帯を感じさせる二人に、京一が、まだ変生を続ける帯脇から目を逸らさないまま、
お手上げといった風に愚痴をこぼした。
「やれやれ、見せつけてくれやがって。これじゃ俺の入る余地がねェじゃねェか」
「そんなもん、はじめからないだろ……」
 弓を取りだし、構える小蒔がしみじみと答える。
大きなため息をついた京一は、変生を終えた帯脇を倒すべく、後輩に叫んだ。
「……よっしゃッ!! 行くぜ、諸羽!!」
「はいッ、京一先輩ッ!!」
 今や巨大な胴体に八本の首を有する、
八俣大蛇そのものとなった帯脇のそれぞれの首と、龍麻達は相対した。
 大蛇オロチの首は一本が一メートルを軽く超え、醍醐の胴回りほどもある体は、
それを振り回すだけで強力な武器になる。
加えて牛でも一呑みにしてしまいそうな口からは巨大な牙が生えており、
それに噛まれれば無事では済まないだろう。
龍麻達も縦横に動き回り、上から襲いかかる首にろくに反撃することも出来ず、
大きく躱すのがやっとの有様だ。
 突破口を見出せない龍麻に、京一が怒鳴る。
「龍麻ッ! なんとか動きを止められねェかッ!!」
 京一の焦りも良く解るが、八本の首は相互に巧みに連携し、
一人に対して二本の首で襲いかかってくる。
対してこちらは紫暮の二重存在ドッペルゲンガーを含めても六人しか相手取れず、
どうしても頭数が足りないのだ。
幸いに大蛇の動きは巨躯にふさわしく素早いものではなく、
攻撃を躱すのは難しくはないが、このままではどうしようもない。
 全身から苛立ちの汗を噴き出させて、この状況を打破する術を探していた龍麻を救ったのは、
弓を構えたまま後方で待機していた小蒔だった。
「皆ッ、下がってッ!」
 言うと同時に、彼女の放った矢が矢勢やいきも鋭く空を裂いた。
中央の首の根元に突き立った矢はすぐに氣の焔を上げ始め、大蛇がのたうつ。
間を置かず二本目の矢が突き立ち、貴重な隙が生み出された。
 一気に肉迫した龍麻は大蛇の正面に立ち、掌底を当てる。
そこから放たれた螺旋の氣が、陰氣の塊である大蛇を食らった。
 龍麻の両翼に散ったのは、紫暮と醍醐だ。
大蛇の死角となる斜め後方に回り、己の荒ぶる肉体を以って重い打撃の連打を叩きこむ。
白虎の宿星によって龍麻をも上回る量の氣を持つ醍醐と、
二重存在ドッペルゲンガーを止め、その分の氣を全て己の拳に乗せる紫暮の攻撃は、
確実に大蛇の動きを鈍らせていた。
「せやァッ!!」
 大蛇の躯を貫き通さんばかりの剛拳が、左右から大蛇を叩く。
 地面が揺れ、空気が轟く中、とどめを刺すべく京一は木刀を振りかぶった。
「諸羽ッ!!」
「はいッ、京一先輩ッ!!」
 木刀と、サーブル──刃を持たない二つの刀剣が、軌跡を描く。
二人の動きは共に闘ったのが初めてとは思えないほど息の合ったものだ。
鮮やかな白線は威力を競い合うように交錯し、お互いを認めるように離れていった。
大蛇の胴体を用いて行われた剣戟けんげきの乱舞は、
幾何学的とも言える模様を異形の躯に刻み付けた。
「──!!」
 声にならない咆哮を上げ、大蛇は絶命する。
大蛇を現世うつしよに写していた陰氣が、京一と諸羽の刻んだきずあとから血流のように噴き出していた。
「この我が……人間如きに……これは……我の求むるうつわではなかったのか……」
 大蛇の怨嗟の声が木霊する。
それが消え行くと、陰氣も噴出を止め、その中心に帯脇が膝をついていた。
「ううッ……ク、クソッ、大蛇オロチと融合した俺様は無敵じゃなかったのかッ!?
あのホラ吹きめ……怨んでやる、怨んでやるぞッ!!」
「あのホラ吹き……? 誰のことを言っているんだ」
 醍醐は問い質そうとしたが、帯脇はもう他人の声も聞こえていないようだった。
さかんに辺りを見渡し、求めていたものを見つけたのか、腕を伸ばす。
「クッ……さやか……さ……や……」
「往生際が悪ィぞ、帯脇ッ」
 もう帯脇に脅威は感じられなかったが、それでも京一が彼の視線からさやかを遮るように立つ。
気力を失い、腕をだらりと垂れ下げた帯脇は、不意に狂ったように哄笑を始めた。
「てめェら……あんまりいい気になんなよ。
になりたがってんのは……俺様だけじゃねェんだからな」
 とっさには帯脇の言っていることが判らず、龍麻達は顔を見合わせる。
その隙を縫って、半死半生と思われた帯脇が、驚くべき疾さで飛び退った。
龍麻達が反応する暇もなく屋上の端へと向かった帯脇は、
フェンスを軽々と乗り越えると振り返った。
「ケケケ、忘れんなよ、全ては──これからさァ」
「──!!」
 帯脇の姿が宙に舞う。
龍麻ですら後に続く光景を想像し思わず目を背けたが、
聞こえてくるはずの厭な音は何秒待っても聞こえてこなかった。
意を決して、帯脇が飛び降りた場所を上から覗きこむ。
しかし、そこにあるべき帯脇の死体は、血痕すら見つけることが出来なかった。
「いない……? どこへ行ったんだ、確かに飛び降りたはずだが」
 一階へと降りた龍麻達はかなり辺りを探したのだが、
帯脇が地面に激突したという痕跡はどこにもない。
やむを得ず、学校を後にするしかなかった。
「獣……それに、帯脇アイツの背後に誰かいるような口ぶり。謎が増えちまったな」
 校門まで来たところで、京一が校舎を振り返って呟く。
「ああ……それに帯脇も逃がしちまったし」
 詰めの甘さを悔いつつ同意する龍麻に、
京一はそちらは心配ない、と場違いなほど明るい声を出した。
「ま、そっちは大丈夫だろ。さやかちゃんの近くにゃ諸羽がいんだからよ。な、諸羽」
「は──ハイッ」
 敬愛する先輩に認められ、諸羽は背筋を正して返事をする。
しかし威勢の良いのも束の間、闘いの興奮で紅潮していた諸羽の頬は、
冗談かと思えるほど青白く変わった。
「うッ──」
「霧島くん!」
「なんかホッとしたら、力が……」
 慌てて葵が癒しの『力』を用いる。
どうにか一時的には回復したようだが、根本的な体調不良にまでは葵の『力』も及ばず、
やはり専門家に診てもらう必要があるようだった。
「傷が開いたみたいだな。もともと動ける身体でもなかったはずだ」
「んじゃ病院に行くとすっか」
 京一が肩を貸してやると、反対側のわき腹を抑えた諸羽が、
体調のせいだけとは言いきれない弱々しい声で呻いた。
「……また行かなきゃだめ……ですよね、やっぱり」
 まだたか子に遭ったことのない紫暮以外の男三人は、彼の運命を思って同情した。
「大方黙って抜け出してきたんだろう? 早く戻らないと院長先生に可愛がられるぞ」
「それは、どっちにしてもそうなると思うけど……」
 小蒔の呟きに、がっくりと肩を落とす諸羽だった。

 桜ヶ丘中央病院へと戻る龍麻達と、諸羽に付き添って病院に向かうさやか、
そしてなんのかのと理屈をつけて病院についていく紫暮。
彼らが鳳銘高校から立ち去って五分ほども過ぎた頃、
学校の周りに植えられた木の陰から彼らの歩き去った方向を見つめる、鈍く輝く目があった。
爬虫類のそれを思わせる、感情の篭っていない目は、誰もいない空間を飽くことなく見ている。
やがてその目は、にたりと笑い──闇に消えた。



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