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土曜日の昼下がりに奇声が響く。
ここは若い住人ばかりのアパートだからそれほど問題にはならなかったが、
もう少し閑静な住宅街なら苦情が来たかもしれない。
それほど、男の声は大きかった。
「よっしゃッ、これで十連勝だッ!!」
「ウソ……」
呆然とする小蒔の手からコントローラーが滑り落ちる。
その横で喜びを爆発させている龍麻の全身は、男としての格好良さも恋人としての優しさも、
微塵も感じられないみっともなさに満ちていたが、それだけの理由が彼にはあったのだ。
龍麻は十連勝、小蒔は三回勝つ。
どちらかを満たした方は、負けた方の言うことをひとつ聞く。
二人の格闘ゲームの実力は、龍麻の方がやや強いという程度で、
これだけのハンデキャップは小蒔にかなり有利な条件だった。
龍麻が何を要求するのか、ロクでもないことだと判りきっていても、
新しい靴が欲しいという誘惑に抗うのは難しく、また、
いくらなんでもこの条件で負けはないだろうと小蒔は勝負を請けたのだった。
勝負をはじめて三十分後、結果は小蒔の期待を裏切り、最初に二連勝して楽勝と思われたものの、
そこからまさかの十連敗で、龍麻をおとなげない喜びに浸らせることになってしまったのだった。
「約束だからな、言うことを聞いてもらうぜ」
「うぅ……嫌だな、あんまりヘンなことにしないでよ」
口を尖らせる小蒔に、龍麻は彼の希望――ほとんど欲望だった――を告げた。
「なッ……! や、やだよ、そんなの絶対嫌だからねッ!!」
絶句した小蒔は全力で拒否したが、何しろ条件を呑んで請けた勝負の後だから分が悪い。
結局最後には言いくるめられて、龍麻に従う羽目になってしまったのだった。
十分後、着替え終えた小蒔が洗面所から出てくる。
出てきた彼女を見て、拍手喝采しそうになった龍麻は、すんでのところでこらえた。
ここで怒らせたらこの後が楽しめない。
機嫌を損ねるリスクは避け、希望通りの服を着た小蒔を上から下まで、舐めるように眺めた。
「ホンットさ、何考えてんのひーちゃんって。転校してきたときはもうちょっとマトモに見えたのに」
エグみのあるじゃがいもを口にしたかのように、小蒔が吐き捨てた。
小蒔は龍麻の家に来たときと同じ、Tシャツとデニムのショートパンツを着ている。
一見するとおかしなところはないが、良く見ると、デニムのショートパンツは、
元々は股下十五センチほどあった丈を、十五センチ、つまり股の辺りまでカットしてあった。
腰しか包んでいない、小学生男子の水着のようなパンツは、
確かにボーイッシュな小蒔に良く似合ってはいるが、やはり、露出が過ぎると言わざるを得なかった。
小蒔のヒップは小さめなのでなんとか布地に収まってはいるが、かなりギリギリで、
少し動けばキュートな膨らみが簡単に見えてしまいそうになる。
当然こんなパンツでは普通の下着だと見えてしまうので、
マイクロビキニまで用意してある気合いの入れようだった。
そして、龍麻の執念はどこまでもぬかりなく、下着はちゃんと上下揃えて用意してあった。
この格好で買い物に出かけて帰ってくる。
これが、龍麻の用意した小蒔への罰ゲームだった。
「うーッ、絶対バレるってこんなの」
「大丈夫だって。ちゃんと乳首は隠れてるだろ」
「そういう問題じゃないでしょッ! こんなのバレたらヘンタイ扱いされちゃうって」
「まあまあ」
いたって適当に宥めながら、龍麻は財布を掴んで玄関へ向かった。
その後ろを小蒔は、両足に十キロの重りをつけられたかのような足どりでついていった。
龍麻の家から目的地である駅前のデパートまで、およそ小一時間。
弾けんばかりの健康美がまぶしい小蒔にとっては、散歩ともいえない程度の距離だ。
全力で走っても余裕があるくらいだが、現在彼女はふだんの七割ほどの歩幅で歩いていた。
調子が悪いわけではない。
他人の関心を極力集めないためには、走るなどもってのほかだったのだ。
歩きながら小蒔は気が気でなかった。
確かに、胸の突起は目立っていないし、今はそう暑くなく、歩くだけなら汗はかかないだろうから、
透けはしないとしても、ブラの面積が少なすぎるのは、少し見れば判ってしまうことだ。
それより問題なのはパンツの方で、短くされたのは数センチのはずなのに、
肌の普段当たらない部分に風を感じるだけで、ほとんど何も履いていないような気がする。
これくらいの丈のパンツを履いている人を、テレビで見たことはあるから、
まるきりヘンタイというわけではないだろう。
だからといって小蒔に露出趣味などなく、勝負に負けたのでなかったら、絶対に履かなかった。
もう少し大きめのTシャツを着てくればと後悔したが、今さらどうしようもなかった。
とにかく、デパートに行ってケーキを買って帰ってくる。
変に恥ずかしがると龍麻を喜ばせるだけだから、なんでもないという態度を貫いて。
そう小蒔は決心したのだった。
とはいったものの、その決心が続いたのは龍麻の家から十五分ほど歩いたまでで、
新宿駅に近づくにつれて人影は増え、比例して小蒔の足どりは重くなっていく。
何しろこれから行くのは、日本でも有数の利用者数である新宿駅なのだ。
道行く人々がいちいち他人など気にしないと思ってはいても、どうしても不安は拭えない。
胸を気づかれないか。
お尻がはみ出していないか。
普段の小蒔は小柄ながら躍動感にあふれた快活な少女なのだが、
今日ばかりは若干前かがみで肩を寄せ、さらには尻も気にしてもじもじと歩くしかない。
龍麻のシャツを掴み、半分龍麻に隠れるようにして、
前後を同時に気遣ってなりたての妖怪のように不格好に歩いていた小蒔は、当然ながら徐々に遅れだした。
それに気づいた龍麻が小声で忠告する。
「あんまりもじもじしてるとかえって注目されるぞ」
「わ、わかってるよ、わかってるけど」
一度恥ずかしさを意識してしまったら、完全に消し去ることは不可能だ。
ざわめきが、笑い声が、全て自分に向けられているような気がして、逃げだしたくてたまらなかった。
龍麻が立ち止まる。
止まったのは横断歩道の前で、信号は赤だから、意地悪などではない。
しかし、止まればそれだけ周りを見渡すことができるようになり、
同時にそれは他人も見渡すことを意味していた。
一番暑い時期は過ぎたものの、まだ涼しさはないこの季節、手足を出している服装はまだまだ多い。
とはいえ、小蒔の露出はやはり他人と較べてもかなり多く、
何本かの視線がはつらつとした女子高生の肢体を掠めた。
それらは控えめな、あるいは肌色の多さを確かめようと視線を横切らせる程度のものではあったが、
見られる当人には針で引っかかれているように感じる。
かといって下手に動けば龍麻の言う通り、かえって注目を浴びることになりかねず、
一秒でも早く信号が青になってくれるよう小蒔は願った。
小蒔が車用の信号をチラチラ見あげていると、いきなり龍麻に手を握られた。
「ひゃッ!?」
奇声を放った小蒔に周囲の視線が集中する。
化学反応を起こしたように顔を赤くした小蒔は、龍麻の手を引いてようやく青になった横断歩道を、
半ば走るように渡った。
小蒔がペースを落としたのは、新宿駅の構内に入ってからだ。
人があらゆる方向に歩き、無秩序な渦を形成している人混みの中に入ってようやく、龍麻に強く抗議した。
「もうッ、何考えてんの」
「何って、手繋いだだけだろ」
「……」
表層だけ見ればその通りで、反論の余地はない。
つまり驚いてしまった小蒔の方が悪いというわけで、龍麻は澄ました顔をしている。
その頬を思いきりつねってやりたい衝動に小蒔は駆られた。
「ほら、ここからもっと混むから手を離すなよ」
さらに小憎らしいことを言う龍麻の後ろを、歯ぎしりしながらついていく小蒔だった。
恥ずかしい、という感覚は、デパートに入って最大となった。
お客は皆着飾っているというわけではないけれど、年齢層が高めなのもあって肌の露出は少ない。
女性からはひんしゅくめいた、男性からは好色めいた視線を浴びているような気がするのは、
自意識過剰とばかりはいえなかった。
すれちがいざまに視線を落とし、そのままお尻に向けてくる中年男性がいる。
小蒔が前を向いているから気づかれないと思ってか、不躾な眼差しを隠そうともしないが、
小蒔ははっきり気づいていた。
いつもなら気にもしないか、舌の一つでも出してやるところなのを、
龍麻の腕を引いて早足で遠ざかる。
もう一秒でも早く、帰りたかった。
龍麻と二個ずつ、計四個のケーキを選び、箱詰めしてもらう。
罰ゲームの最中ではあったが、ケーキ代は龍麻が全額払ってくれた。
恥ずかしさに耐えたご褒美としては不足な気もするが、とにかく、折り返し地点には来たわけだ。
「あとは帰るだけだよね。まっすぐ帰るんだよね」
「どっか寄り道していきたいのか? 俺は構わないけど」
「違うってば!」
食いこんでしまったような気がするパンツを素早く直して、小蒔は帰路についた。
人の多いところを抜け、見慣れた町並みまで戻ってきて、小蒔はようやく緊張を解いた。
ここまで来ればもうどうということはない。
終わってみれば刺激的な経験だったと言ってしまえる、と安心しかけた彼女の前に、人影が現れた。
見覚えのあるシルエットに危険を覚えた小蒔は、前方で飲酒検問が行われているのに気がついて
逃げだす車のように向きを変えようとしたが、時遅く、先方から話しかけてきた。
「あら、小蒔じゃない。それに緋勇君も。デートかしら?」
現れたのは龍麻のクラスメートで小蒔の友人である、美里葵だった。
彼女も二人と同じ新宿区に住んでいるから、こうして出会ってもそれほど珍しいことではない。
しかし、よりによってこのタイミングで出会ってしまうとは、小蒔は運の悪さを呪わずにいられなかった。
用事か何かですぐに去ってくれれば良いのにという小蒔の願いも空しく、
親友が恨めしく思っているなど露にも思っていないようすで葵は親しげに立ち止まった。
「あッ、葵ッ! そ、そんなんじゃないよ、ただちょっと買い物に行っただけで」
「そう……?」
むしろ小蒔の剣幕に、葵は戸惑っているようだ。
それに気づいた小蒔は、会話の主導権を龍麻に譲ろうとするが、
龍麻は知ってか知らずか、女性同士の会話に口を挟もうとしなかった。
しかたなく小蒔は独力で円滑に、かつ速やかに会話を中断させねばならなかった。
「あ、葵は何か用事?」
「用事っていうほどでもないけれど、少しお店を回ろうと思って」
「へ、へえ、そうなんだ」
激しい緊張で喉がつかえてしまう。
親友の不審な挙動に葵は小首を傾げたが、口に出しては何も言わない。
その彼女の美徳が、小蒔を一段と追いつめていくとは知らずに。
「こ、このケーキさ、美味しいらしいんだ。ひーちゃんが見つけてきたんだけど。ね、ひーちゃん」
「ああ。でも一人で買いに行くのはちょっと恥ずかしかったから、一緒に行ってもらったんだ」
「そうなの。なんていうお店?」
「えっと、マ……なんだっけ?」
カタカナが二十文字近く並ぶ店の名前を小蒔は全く覚えていない。
いや、店の前に立った時は覚えたような気がするのだが、
ショーケースにぼんやりと自分の姿が映った途端に忘れてしまったのだ。
ほとんど付け根から出ている手足。
特に股のところは切れあがっているようにさえ見えて、海ならともかく、
こんな場所ではとても着てはいけないもののようだった。
自分がどのような服装をしているか、改めて思い知らされた小蒔は、
そのあとどんなケーキを選んだのかも覚えていなかった。
龍麻に手を引かれなかったら、デパートの外に出られたかも怪しいかったのだ。
龍麻が店の名前を伝えると、葵は得心したようにうなずいた。
「そのお店なら聞いたことがあるわ。うふふ、楽しみね、小蒔」
微笑みかける葵におかしなところはない。
あったのは微笑みかけられた方で、葵と目が合った途端、全てを見透かされたような気がして、
小蒔は思ってもいないことを口走っていた。
「あ、あのさ、ボクとひーちゃんで二個ずつ買ったんだけどさ、ボクの一個あげるから葵も来る?」
葵が誘いを受けていたら、小蒔はさぞ落ち着かなかったに違いない。
だが、軽く驚いた葵は、すぐにまた微笑んだ。
「うふふ、ありがとう。でも気持ちだけもらっておくわ、ごちそうさま」
葵が去ると、すぐに龍麻にわき腹を小突かれた。
「何言い出すんだよ急に。焦ったじゃねえか」
龍麻は怒っているようだったが、小蒔には届いていなかった。
返事がない小蒔に鼻白んだ龍麻が手を引いて歩きだしても、ふらふらとついていくのがやっとだった。
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