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夢 妖 2へ>>


 果てなく広がる砂漠。
その只中に、一人立ち尽くしている。
「また……この景色……毎晩……同じ夢ばかり……」
 ありとあらゆる気配は無く、荒涼たる砂の海は足首までを呑みこみ、
言い知れぬ不安に駆け出そうとするが、足は動かない。
いや、足だけではない、全身が見えない鎖に縛られているが如く動かせなかった。
「ここは、一体どこなの……誰か……」
 助けを求めようとしても、からからに渇ききった喉からは、どんな声も絞り出せなかった。
じわじわと侵食してくる恐怖に耐える全身に、生ぬるい声が聞こえてくる。

美里……葵……

「!? 誰?」
 奇妙に活力のない、そのくせねめついた声。
それは例えば一月ほど前に転校してきた同級生などと較べると雲泥の差があり、
葵ははっきりと不快感をそそられていた。

おいで……

「あなたは、一体……」

おいで、葵……

「お願い、姿を見せて。私をここから出して」
 葵の懇願にも、声の主は応える気配がなかった。
「……ダメだよ。そこが一番安全なんだから。だって、ボクが……このボクが見守ってるんだから。
安心してよ。ボクが君を護ってあげる。誰にも君を汚させやしない」
 ただ不気味に、一方的に告げる声に、
葵はこの忌まわしい世界からの脱出の糸口を求めようとしたが、
来た時と同様、突然気配は無くなってしまった。
それと同時に、葵の意識にも昏い膜がかかっていく。
残されたわずかな自我の中で、葵は助けを求めて叫んでいた。


「それじゃあ、今日はここまでにしよう。
レポートを忘れた奴は、明日必ず俺の所へ持ってくること。いいな。──特に蓬莱寺」
「へーい」
「じゃあな」
 この日最後となる生物の授業が終わった途端、不満をはっきりと形にして京一が歩いてきた。
彼の怒りを引きうける相手は、以前は醍醐だったが、最近は龍麻へと替わっている。
これは、なんでもしたり顔で受け流す醍醐と異なり、
龍麻はくだらないことにもきちんと付き合ってくれるからだ。
 未だノートに何か書いているらしい龍麻の前に立った京一は、
友の反応も待たず、拳を握って力説を始めた。
「……ッたく、冗談じゃねぇぜ。犬神の野郎、絶対俺を目の敵にしてやがる。
今の時間だけで四回も当てやがって」
 それに答えたのは、龍麻ではなく、反対側から弾むように歩いてきた小蒔だった。
「そんなの、あんだけ熟睡してたら当たり前だろッ。自業自得じゃないか」
「しょうがねェだろ? 飯食った後の授業なんて眠いに決まってンだからよ。
大体昼下がりなんてのはな、こう、ボーッとお空を眺めてお姉ちゃんのことを考えてだな、
のーんびりしたいもんなんだよ。なぁ緋勇」
「……」
 返事が無い友人を不審に思った京一は、拳を収めて顔を覗き込んだ。
やや長目の前髪に隠れて判らなかったが、
規則正しい呼吸が、彼が全く人の話を聞いていないと告げていた。
「どうしたの?」
「寝てやがる。こいつ、もしかして授業中から寝てたのか?」
「あ……ううん、ノートは書いてあるよ。最後の方結構怪しいけど」
「くそッ、要領のいい奴め。しかし悪は必ず滅びるのだ。
この蓬莱寺京一様が天に代わって成敗を下してくれる。──必殺!」
 同じ熟睡なのにかたや四回当てられ、かたや一度も当てられていない。
世の不公平を右腕に込め、京一は龍麻が枕にしている腕を手刀で切り落とした。
支えを失った頭部は、物理の法則に従って落ちていく。
一日の授業が終わった解放感でざわめいている教室に、ごいん、という鈍く、重い音が響き渡った。
「!?」
「見たか、これぞ天誅だ」
「おはよ、緋勇クン」
「痛ってー……もうちっと起こし方ってモンがあるだろ」
「あははッ、緋勇クン泣いてるよ」
 折れるかというほど強打した鼻を押さえている龍麻の目には、確かに涙が浮かんでいた。
おまけに鼻もぐずついて、目を擦りながら鼻も押さえる龍麻に二人は遠慮せず思いきり笑う。
「くそ、なんらよ……折れはらほうひてふれるんはよ」
「ぷっ、緋勇クン、何言ってるかわかんないよ……あはは、ダメだ、苦しいや」
「いいか、これからも授業中に寝るなどという不届き者には罰が下ると思え」
「……その言葉、忘れんなよ」
 勝ち誇っている京一に必ず仕返ししてやろうと強い意志を込めて龍麻は言ったが、
鼻声では京一の反省を促すことなど出来ず、今日のところは負けを認めるしかなかった。
「まッ、もう済んだことだしいいだろ。さっさと帰ろうぜ」
 涙目で京一を睨みつけながらも帰り支度を始める龍麻のところに、新たな友人がやって来る。
その男はため息をつきながらもどこか笑いを押し殺しているような節があり、
龍麻と京一のやり取りを始めから見ていたのは明らかだった。
「京一……またお前は緋勇を悪の道に引きずり込もうとしているな」
「あ、醍醐クン」
「余計なお世話だ」
 悪、と決めつけられた京一は鼻を鳴らす。
実は龍麻は案外遊び好きで、京一の誘いを断ったことはないどころか、
京一と二人の時は口調も態度も変わり、かなり羽目を外すのだ。
しかし仲間達の中で龍麻が悪いと言う者は誰一人としておらず、特にこの醍醐などは、
京一のせいで龍麻が悪の道に転落するのを防ぐのは自分の役目だと信じてさえいるようだった。
「大体お前は今日は遊びに行くどころじゃないんじゃないか?
レポート、どうせまだ一枚も書いて無いんだろう」
「うるせェな、ンなの夜やりゃいいんだよッ」
 夜にも全くやる気のない京一が力強く断言すると、小蒔は呆れて首を振った。
「にしてもさ、なんで京一ってそんなに犬神センセのコト嫌がるの?」
「なんでって……別に俺だけじゃねェだろ。なぁ龍麻」
「いや、俺は別に嫌いじゃない」
「なんだ、まだ根に持ってやがんのか? 本当のこと言えよ」
 いやにはっきりと否定した龍麻に、京一は嫌な顔をする。
確かに多少根に持っているところはあったが、嘘をつくほどのことでもない。
龍麻は少し考え、言葉を選んでから説明した。
「本当だって。授業が判り難い訳でも無いし、要点は押さえてくれてるからな」
「その割には爆睡してたじゃねぇか」
「あれは……しょうがないだろ。眠くなっちまったんだから」
「もういいや、こいつは当てになんねぇ。とにかく、好きってヤツの方が少ねェのは間違いねぇだろ」
「うーん……」
 力強く断言する京一に、龍麻だけでなく、小蒔も首をひねる。
確かに雰囲気が暗いという声はあるものの、そこまで嫌われているとも思えないのだ。
それに龍麻の言う通り、予習復習をして来ない生徒には少し難しい授業内容も、
いよいよあと一年を切った受験のことを考えれば当然であり、
むしろ早くから目標を定めている生徒にとっては歓迎すべきものだろう。
その証拠に、最近は授業後に彼の許に行って質問をする者もいて、
いささか迷惑そうな顔をしながらも答える彼の姿が見られるようになっていた。
 しかし、生物はもちろん、
およそ全ての勉強というものから縁遠い京一はそんな事実を認めようとはしない。
「なんだ、女には人気あンのか?」
「うーん……そりゃ、人気あるとは言えないかも知れないけど……」
「ほれ見ろ。あいつは格好からしてだらしねェし、大体陰気なんだよ。
マリアせんせのケツばっか追っかけ回しやがって」
「そうなの? ボクにはマリアせんせが犬神せんせを気にかけてるように見えるんだけど」
「ンなことある訳ねーだろッ」
「そーかなァ……」
「とにかく、俺は虫が好かねェんだよ」
 一向に賛同を得られない会話に嫌気がさしたのか、
京一は自分から始めた犬神についての話題を勝手に打ちきった。
ふてくされる京一に苦笑を向けた醍醐の口調は、どこかなだめるような響きがあった。
「随分嫌われたもんだな、犬神先生も。──ま、あと半年ちょっとの付き合いだ。辛抱するんだな。
……ところで、美里の姿が見えないが、どうしたんだ?」
「葵なら生徒会の広報がどうとかって新聞部へ行ったよ」
「新聞部ゥ? あんなところへ一人で行ったらアン子にヤられちまうぞ」
「何をヤるんだよ……」
「なんだ、聞きたいのか? 小蒔」
「誰が聞くか、このバカッ!」
 下品な会話に醍醐は眉をしかめ、龍麻は笑うのを我慢する。
そんな彼らのところに、恐らくこの仲間達の中で最も良識派であろう人物が姿を見せた。
「あっ、葵」
「どうしたの? 皆揃って」
「エへへッ、生徒会も大変だな、って話してたトコ。……あれ、葵、顔色悪くない? 調子悪いの?」
 小蒔が指摘するまでもなく、葵の顔色は誰が見ても判るほど悪かった。
もともと小蒔のように活力に溢れるタイプではないが、それにしても今の白さは病的な程だ。
血色というものがまるで見当たらず、雪女郎さながらの様相だった。
「ううん、大丈夫。もうすぐアン子ちゃんが来るから、そうしたら皆で帰りましょう」
「……ホントに大丈夫?」
 なおも心配する小蒔だったが、自分を呼ぶ声に中断せざるを得なくなってしまった。
「桜井ちゃん、いる? 如月クンが探してるんだけど」
 威勢の良い声と共に入ってきた杏子の後ろには、龍麻の知らない男がついてきていた。
もっとも龍麻が知らないのも当然で、その人物が着ているのは真神の制服ではなかった。
 男の外見は、一言で言ってしまえば優男だった。
真ん中で綺麗に分けた髪は、癖がなく、男のものとは思えない程艶やかに輝いている。
眉は細く、瞳には意志が満ちていて、さぞ女生徒に人気があるのだろう。
それでも、自分には縁が無いと考えた龍麻は大して関心を払わなかったが、
彼の持っている長い包みには見覚えがあった。
 その包みの本来の持ち主が、龍麻の横で驚いた顔をしている。
「え? ……あ、弓、わざわざ持って来てくれたの?」
「いや、ついでがあったからね」
「そッ。広告費の打ち合せをね」
「広告……って真神新聞の?」
 広告、ということは店なり商売なりを行なっている訳で、途端に好奇心も露に口を挟んだ龍麻に、
杏子はどことなく嬉しそうに説明した。
「そっか、皆は初めてだったわね。こちら王蘭学院高校の如月翡翠クン。
新聞部うちの広告主なのよ」
「如月って、如月骨董品店か!?」
「あァ。祖父の店だが、今は僕がひとりでやっているんだ」
「凄いな」
「大したことじゃないさ」
 謙遜してみせる如月だったが、龍麻の尊敬の眼差しを受けてまんざらでもないようだった。
彼と出会ってから一度もそんな視線を貰ったことなど無い京一が、面白くなさそうに呟く。
「しっかしよ、なんでよその高校の新聞に広告なんぞ出してるんだ?」
「ははッ、真神学園はお得意様なんだよ。弓道部がある高校は少ないからね」
「うンッ、如月クンとこは腕がいいって、もう皆調整お願いしてるんだよ」
 杏子と同じく嬉しそうに説明する小蒔に、ますます京一が渋面を作る。
すると、その渋面が伝染したかのように如月までもが同じ顔をした。
「ところで桜井さん……今回は直ったけれど、あまり無茶な使い方をしないでくれよ」
「あっ、うん……ごめんね」
「いや、僕がこんな事を言えた義理でもないんだが、
あれは普段から大切に使われているのが良く解る弓だからね。壊したら勿体無いと思ってね」
 さすがに骨董品を扱うだけあって、物に対する愛着が強いようだ。
しかし如月は店の切り盛りだけでなく弓の修理まで出来るらしい。
恐らく同じ歳なのに自分に無いものを多く持っている男に、
龍麻は改めて感心していた。
そんなことを考えて如月を見ていると、視線の先にいた人物と目が合った。
眼光がどこか値踏みしているように見えるのは、今聞いた彼の職業が影響を与えているのだろうか。
「君が……緋勇龍麻君だね」
「そうだけど……どうして俺の名前を?」
「真神新聞は僕も愛読していてね。君の特集を読ませて貰ったよ」
「そッ……そっか。改めて、よろしく」
 一方的に知られるというのはあまり気分が良くないが、
有名人になるというのは少しだけ気分が良い。
芸能人の気持ちを束の間味わった龍麻は、頭を掻きながら下げる、
というサラリーマンのような動作をしていた。
その仕草に京一などは遠慮無く吹き出したが、如月はじっと見つめたまま口元を緩めもしない。
さすがに少し居心地の悪さを龍麻が覚えかけた時、ようやく如月が口を開いた。
「あァ。……君とはまた、近い内に会うかもしれないな」
「……?」
「いや、こっちの話さ。用事も済んだし、それじゃ僕はこれで」
 最後は何故か龍麻が聞きとれないほどの小さな声で呟いた如月は、
不思議そうな顔をする龍麻に軽く手を上げ、奇妙に足音を立てない足取りで去って行った。
「如月……ね。なんかちょっとスカした感じがする野郎だな」
「あら京一、僻んでるの?」
「なんで俺が僻まなきゃならねぇんだよ」
「だって、如月君はアンタと違ってモテるし」
 杏子の言葉は中心を射抜きこそしなかったものの、かなり近い所に刺さったらしく、
京一は露骨に嫌そうな顔をした。
「ケッ、勝手に言ってやがれッ。あーあ、ッたく、うるさいのが来ちまった」
「何よ、辛気くさい顔して。あんたはのーてん気さだけが取り柄なんだから」
「俺はお前と違って悩み多き高校生なんだよ」
 京一の悩みなど、食べ物か、女か、金か──少なくとも深刻なものはそこには無い。
絶対に無い。
冷ややかな視線で友人を見た龍麻は、同じ種類の視線があと二本向けられているのを見つけ、
その視線を放った二人と顔を見交わし、京一に気付かれないよう静かに笑った。
 放っていない二人のうち、眼鏡をかけた方は、今回は視線だけでは飽き足らず、
論戦を張ることにしたようだ。
「あら、失礼ね。あたしだって悩みくらいあるわよ。
たまには目覚ましや原稿から離れて思いっきり寝たい時だってあるんだから」
「勝手に寝りゃいいじゃねェか」
「だからあんたはのーてん気だって言われんのよ。
あたしには、記事を待ってる読者がいる。そう考えたらとてものんびり寝てなんかいられないでしょ」
 杏子の理屈は傍で聞いていても勝手なものに聞こえ、龍麻はしばらくあらぬ方を決めこむことにした。
案の定、二人の話はあっと言う間に小学生のレベルにまで落ちている。
「じゃあ寝なきゃいいだろ」
「死んじゃうでしょッ! あんた、あたしのこと何だと思ってんのよッ。
……もう、バカと話してたら眠くなってきちゃったじゃない。
昨日だって一晩中原稿書いてたから眠くてしょうがないのに。
……緋勇君だって一日中寝てたい時だってあるでしょ?」
「そりゃあるね」
「でしょ。寝て起きたら次の日だったとか、憧れちゃうわよね」
「お前の憧れってそんなんなのかよ……」
 京一は器が小さい、とでも言うように吐き捨てたが、
これはこの男が幾度と無く「寝て起きたら次の日」を体験していて、
そんなものに特にありがたみを感じていないからだった。
「でも、夢も見ないでゆっくり寝たいって、ボクも思うなぁ。
昨日の夜変な夢見ちゃって、寝不足気味なんだ」
 小蒔が自分の言葉に誘われるように目をこする。
「ふーん。変ってどんな風に?」
「えっとね。……目の前に道があって、ボクはどこかへ行こうとその道を歩くの。
しばらく行くと道がふたつに分かれてるんだけど、もうちょっと行くと開けた場所があって、
目の前には乗り物が一杯あるんだ。列車と飛行機……バイクもあったかな。
それで、どれに乗ろうかすごく迷ってて、えっと……そっから思い出せないや」
「なんだソレ? また適当な夢だな」
 いかにも興味無さそうな京一を無視して考えこんでいた小蒔は、
掌を拳で叩くという古風な動作をして、話を続けた。
「あ、そうそう、それで結局何にも乗らずに歩いて行ったんだ。
でもその道が長くてね、途中で疲れて目が覚めちゃった」
「疲れて……か。桜井、何か悩みごとでもあるのか? ストレスが溜まっているとか」
「へ? ううん、別に。考えすぎだよ、醍醐クンは」
 たまたま昨日見ただけの夢で、妙に皆の関心を誘ってしまい、小蒔は慌てて手を振った。
それまでじっと聞き入っていた杏子が、重々しく語りかける。
ただしそれはあくまでも杏子本人が重々しいと信じているだけであって、
他の人間はまたやっかいな展開になりそうだ、と感じただけだった。
「あら、そうとも言いきれないわよ。夢って心の奥にしまわれた意識の象徴だって言うし」
「相変わらず大げさだな、アン子は。夢なんてガラクタの寄せ集めだろ?
ンなもん気にしてたらおちおち眠ってもいられねぇ」
「そりゃのーてん気なあんたは夢ものーてん気なんでしょうけどね。
いい? 昔から夢は神のお告げ、魂の働きって言われてたのよ」
「夢占いってやつ?」
 口を挟んだ龍麻に、杏子は感心したように頷いた。
「そう、緋勇君って結構いろいろ知ってるのね。
そういうのをひっくるめて幻象心理学って呼んだりもするんだけど、
誰でも簡単に判断できるようになってる本も結構あるわよ。
例えば、桜井ちゃんの夢だと」
「なになに? アン子ってそんなんも出来るの!?」
 小蒔も女の子のご多分に漏れず、占いだの心理学だのが好きなようだ。
目を輝かせて食いついてきた小蒔に、杏子はわずかに小鼻を膨らませて講釈を始めた。
「かじった程度だけどね。まず、出かけるって言うのは旅立ちとか、人生の漠然とした予告なの」
「ふーん……乗り物は?」
「乗り物は、確か……その人の人生の過ごし方や、行動の仕方を表わしていたと思ったわ。
列車はレールに乗った無難な人生。バイクは機動性と自由、危険。飛行機は解放」
「歩きは?」
「そこが桜井ちゃんらしいって言えばらしいんだけど、
歩くってのはまさに、何にも頼らずに自分の力で人生を切り開くってこと」
「へへッ、ちょっと照れるね」
「でも、途中で目が覚めたってことは、人生に迷いがあるのかも」
 迷い、と言われて小蒔には思い当たる節があったようだ。
腕組みをして、気乗りしない口調で呟く。
「うーん……言われてみれば、進路指導がもうすぐ始まるしね。
でも自分が何したいか、まだ良くわかんなくて」
「まぁ……そうよね。普通は漠然と大学行こう、とかそんな感じよね」
「進路……か。確かに、考えなきゃならんことだな。美里は進学だろう?」
 小蒔から醍醐へと伝染した表情が、今度は葵のところに行く。
「えぇ。でも……正直言ってアン子ちゃんが言った通り、漠然と大学に行こう、としか考えてないわ」
「そうだよねぇ。アン子も進学だっけ?」
「まァね」
「緋勇、お前はどうなんだよ」
 話を振られた龍麻は、答えるまで少し考える必要があった。
何しろ三年生になってから真神ここにやって来た龍麻は部活もやっておらず、
将来のことを語り合う友人もまだいないのだ。
いずれ真剣に考えなければならないにせよ、今は大雑把なイメージを告げるしかなかった。
「俺も一応進学……かなぁ。醍醐は?」
「俺か? 俺は多分進学はしないな。もう勉強はこりごり、というのが本音だよ」
「京一は……聞くまでも無いか」
「ったり前ェだ。誰がこれ以上勉強なんぞするかッ」
「別に威張って言うことじゃないぞ、京一」
「夢……か。皆イロイロだよね。でもそういうのってさ、なんか……いいよね」
あと何ヶ月か後には、皆バラバラの人生を歩み始めるのだ。
それは奇妙な感慨を一同に与え、友人達の将来の姿を想像してみたりして、
少しの間沈黙が輪の中心に舞いおりていた。
その沈黙を破ったのは、杏子だった。
「……夢は、いつか醒めるから夢なのよね。それがもし……醒めなかったら」
「なんだよアン子、急に不吉なこと言い出して」
「最近墨田区周辺で起こってる事件、知ってる?」
「……原因不明の突然死や謎の自殺ってやつか?」
「ええ」
「それが夢と何の関係があるんだよ」
「まさか、また──」
「まだ判らないわ。でも、この一週間で六人……普通じゃないでしょ?
警察もハッキリと公表はしてないけど、あたしの仕入れた情報によれば、
死んだ人間には奇妙な符合があってね」
 杏子が言葉を切ったのは、喋り続けて疲れたというだけではなかった。
軽く舌を舐め回しながら上目遣いで一行を見渡したのは、何かを待っているようにも見える。
それに気付かなかったのは、龍麻だけだった。
自分で言う気のない京一が、肘で龍麻をつつく。
「ほれ緋勇、お前の出番だよ」
「あ……遠野さん、符合って?」
 龍麻が訊くと同時に、杏子は語りだした。
「一見何の関係も無い彼らを繋ぐキーワード……それは、夢」
「夢?」
「そう。夢を見ながら死んでいく人。夢を残して自ら命を絶つ人。
全ての人が夢に関わってその命を落としているわ」
「どういうこと?」
「前の日の夜まで何にも変わりなかった人が、朝布団の中で冷たくなって発見されたこと。
自殺者の中に、夢に悩まされていた人が多かったこと。
中には夢見のせいで、気が狂って自殺に及んだ人もいるわ。
──そして、その全ての事件は墨田区とその周辺で起きている」
 どこで調べてくるのか、杏子の取材能力に一同は感嘆するばかりだった。
よほど強力な人脈コネを持っているとしても、
一介の高校生が調べられる範囲は超えている。
杏子はジャーナリスト志望だと言うが、今すぐにでもなれそうだと龍麻などは思うのだった。
 話を終えた杏子に、小蒔が小難しい顔をして腕を組んでみせる。
「謎の多い事件だね」
「犠牲者は墨田区に住む者。そして真実は夢の中に隠されている……か」
 小蒔の後を引きとって醍醐が言うと、京一が肩をすくめた。
「馬鹿言うなよ。ンなもん、証明のしようがないじゃねぇか」
「そうね。警察も今の段階ではお手上げみたい」
 そもそも死因がそれぞれ異なっており、共通点が見出せない。
夢というキーワードも、捜査に関しては素人である杏子だから気付いたのであって、
警察がそんなところに着目するとも思えないし、
したとしてもそんなあやふやなものを捜査の起点にするはずもないだろう。
 眉をひそめて考えこんでいた小蒔が、何かを思い出したように目を見開く。
「そういえば……犠牲者って学校関係者や、ボク達と同い年の子が多いよね」
「そう。……他人ごとじゃないでしょ」
「渋谷の時みたいに、また誰かがやってるんだとしたら──ん? 葵、どうしたの!?」
 小蒔の声が終わらないうちに、葵の身体がゆっくりと崩れ落ちた。
そこだけ時間の流れが違っているかのように、長い黒髪の一本一本がふわりと舞う。
あまりに幻想的な光景に立ち尽くすだけの一行の中、
龍麻だけが支えることが出来たのは、ずっと彼女の気配をうかがっていたからに他ならなかった。
「美里さん!」
「葵ッ!」
 抱きとめた龍麻の腕に、ずしりとした重みが加わる。
それは、葵の身体に全く意志が宿っていないことを意味していた。
龍麻の腕の中で、葵は完全に気を失っている。
「やはり、よほど調子が悪かったんだな。無理にでも帰しておくべきだったか」
「ボクが……ボクが調子に乗って夢の話なんてしたから……」
「桜井さんのせいじゃないよ」
「そうだ、大体んなコト言ってる場合じゃねぇだろ。とりあえず保健室に運ぼうぜ。
緋勇、頼めるか?」
 もちろん龍麻に否やはない。
膝をつき、改めて葵を抱き上げようとする龍麻の頭上から、小蒔の声が聞こえてきた。
それには親友の言葉を信じてやれなかった後悔が、苦いスパイスとなって含まれていた。
「……葵、笑って言ってたから、その時は気にしなかったんだけど、
最近、よく怖い夢を見るって言ってたんだ。起きた時にはもう覚えてないんだけど、
でも時々眠るのが怖いくらい……って言ってた」
「……桜井ちゃん、それって……いつ頃から?」
「確か──墨田区にあるおじいさんの家に遊びに行った頃からだって」
「墨田区だと? まさか……」
 墨田区、という単語に醍醐が顔色を変える。
まさにたった今、その場所で起こっている怪奇な事件について話し合ったばかりなのだ。
「その可能性もあるわね。
……もしそうなら、保健室よりも霊研でミサちゃんに診てもらうのはどう?」
「何言ってんだアン子! 美里は突然倒れて意識が無いんだぜッ!?
まず医者に診せるのが筋だろうが」
 ミサ、と言う名前を聞いて、反射的に京一が反発する。
しかし、杏子は落ち着き払って答えた。
「馬鹿ね。こういう時だから当てになるんでしょ」
「でも……もし大変な病気だったりしたら……ね、緋勇クンはどう思う?」
「解らない──けど、裏密さんのところだったらすぐ寄れる。
それに、今の美里さんの様子は──ただの病気じゃないみたいだ」
「──ッたく、知らねぇぜ俺は」
 龍麻の選択に異を唱えこそしないものの、京一ははっきりとうさんくさそうにしていた。
龍麻も、自分の選択に絶対の自信がある訳ではなかったが、
小蒔はとにかく誰でも良いから診せようと、駆け出さんばかりの勢いで立ちあがった。
「行こう、緋勇クン」
 彼女の身体を抱きかかえて廊下を歩くということは、当然周囲の好奇の目に晒されることになる。
自分よりも葵の立場を気遣う龍麻だったが、そのようなことを悩んでいる場合でもなかった。
 葵を抱いて立ちあがる龍麻に、京一が心配とも冷やかしともつかない声をかける。
「緋勇、いつでも代わってやるぜ」
「緋勇クン、京一なんかに代わったら絶対ダメだよッ!!」
 過剰とも思えるほど強く頷いた龍麻は、
先に回って扉を開けてくれた醍醐に続いて裏密ミサのところへ向かったのだった。



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