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 廊下に出るや否や龍麻と醍醐を追いぬいて先頭に立った小蒔は、
ノックもそこそこにオカルト研究会部室の扉を開けた。
「ミサちゃん、いる?」
「うふふふふ〜。精神的緊張オポジッションのアスペクトが
天蠍宮てんかつきゅう双魚宮そうぎょきゅうを結ぶとき〜、
囚われの精神は悲しみの闇に沈む〜。決して醒めぬ、夢の迷宮〜」
「ミサちゃん……まさか」
「あたし達の言いたいこと、解ってるのッ!?」
 相変わらずオカルトがかった──実の所、オカルトがかっているかどうかさえ解らないが──
ミサの言いまわしは難解ではあったが、はっきりと今の状況を言い表していた。
やや時間差はあったものの驚く一行に、ミサは妖しい光を放つ水晶を指し示す。
「うふふ〜。この前インターネットで買った、このウァッサゴの水晶〜、
これでみんなのこと覗いてたんだ〜。また今度〜緋勇くんの未来も覗いてあげようか〜?」
「う……うん、また今度ね。それより今は」
「うふふ〜、緋勇くんは意外とせっかちなのね〜」
 この状況でせっかちも無い、とは口に出さず、龍麻はミサの指示に従って葵を寝かせた。
力無く横たわる葵の顔からは生気がまるで失せていた。
それでも陶器で出来た人形めいた美しさを放ってはいるものの、
普段の彼女と較べたら魅力に欠けること甚だしかった。
 葵の前に立ったミサは、何やら手をかざしたり、レンズのようなものを覗きこんだりしている。
全員が息を呑む中、古今東西の霊的現象オカルトに通じた少女は、やがて厳かに告げた。
「う〜ん、キルリアン反応が弱まってるね〜」
「キル……なに?」
「人の体から放射される、放射光オーラのことよ〜」
「それが弱まると何かマズいの?」
「要するに〜生命エネルギーのことだから〜、それが弱くなるってことは〜」
 即ち衰弱を意味していた。
肉体が病気になればもちろんこの反応は弱まるし、
逆に、何らかの理由で精神の方からこの反応が弱められるとそれが身体にも影響を及ぼす。
そして今の葵は、後者の方であるらしかった。
小蒔と杏子には良く解らないようだったが、
氣を操る武術を操る龍麻、そして醍醐には何となくであっても理解できた。
京一も氣は操るのだが、理論を全く学ぼうとしないのと、
ミサの話は最初から縁遠いものと考えているために小蒔達と同じく解っていなかった。
 とにかく、やはり普通の病気ではないらしい、ということだけは解った小蒔は、
今度はその原因をミサに訊ねる。
「でも一体なんで?」
「ちょっと待ってて〜」
 ミサは先ほどのウァッサゴの水晶とやらを葵の前に置いた。
そして、更に怪しい道具を並べ、遥かにいかがわしい手付きで何かの型を作っている。
それはまさしく呪術的と呼べるもので、龍麻は背筋に穏やかでないものが走るのを感じた。
「なッ、何……するの?」
「これからするのはね、いわゆる水晶を媒介にした透視術のひとつなの〜」
「は……?」
「まず、あたしの霊魂を二分化して、その片方を葵ちゃんの意識に同化させるの〜。
上手くいくと、あたしの視たものがこの水晶に映し出されるの〜」
「……」
「……」
「それじゃ、始めるよ〜」
 もはや誰も何も言おうとはしなかったが、直前になって、龍麻はごく基本的なことを問いただした。
「ちょ、ちょっと待って。美里さんに危険は無いんだよね」
「うん〜、安心して〜。説明書によると〜、この術で廃人になった被術者は〜、
世界中合わせても〜、過去に六人しかいないから〜」
「六人──!? 待って、裏──」
「邪魔しないで〜、精神集中が乱れると〜、危険だから〜。
……ケペリ・ケペル・ケペルゥ……我生まれし時、生成りき……
ケペル=クイ・ム・ケペルゥ・ヌ、我、始源の時に成りませる……」
 日本語ではない、ということしか解らない、謎の言語をミサが発する。
すると、龍麻は微かな耳鳴りを感じた。
それと共に、水晶に変化が訪れる。
「お、おい、水晶に……」
「美里ちゃんだわ。でも、これって……」
 水晶に映し出された葵は、気を失っているようだった。
それよりも異様だったのは、葵の両腕はほぼ肩と同じ位置で真横になっていることだった。
水晶の縁の方は像がぼやけてしまってはっきりとは判らなかったが、
それはまるで──はりつけにされているようだった。
これが葵の意識だとしたら、一体どういうことなのだろうか。
「一体……」
 立ちこめた重苦しい空気を払うように小蒔が口を開く。
その途端、部屋を圧する大きな音が響き渡った。
目の前の小さな水晶が砕けた音だと判ったのは、しばらく経ってからだった。
それほどに大きな音だったのだ。
「あららら〜」
「ミサちゃん! 大丈夫?」
「す……凄い力〜」
 ミサが驚いているところを見ると、これは彼女にも予期せぬ出来事だったようだ。
龍麻は彼女が驚いたことに驚いていたが、
それよりも葵に何か悪い影響が出ていないかの方が心配だった。
見た所破片も刺さってはおらず、何も起こっていないように見えるが、
それはもちろん好転してもいない、ということでもあった。
「一体、何が起こったんだ? いきなり水晶が割れて……」
「う〜ん、どうやら、覗いてたのが見つかっちゃったみたい〜」
「見つかったって……誰に?」
「そこまでは〜、わかんない〜。葵ちゃんの深層意識に、誰かが侵入しているみたい〜」
「深層意識に……侵入してる?」
「まさか……新しい……敵?」
 今葵の身に起こっているらしい事態は、もはや理解出来る限界を遥かに超えていたが、
この四月からその手の脅威に立て続けに遭遇している龍麻達は、
等しく思い浮かべる物があった。
『力』。
人知を超えた異能が、また関わっているのだろうか。
しかし、その答えはミサでさえも持っていないようだった。
「とにかく〜、あたしの力じゃこれが精一杯なの〜、ごめんね〜。
でも、その代わりに〜、良い所を紹介してあげる〜」
「良い所?」
「うん〜、誰か、桜ヶ丘中央病院って知ってる〜?」
「桜ヶ丘……?」
「聞いたこと無いわね」
 まだ新宿このまちに来て日が浅い龍麻はもちろん知らなかったし、
醍醐や小蒔、それに杏子もお互いに顔を見合わせている。
どうやら誰も知らないらしいその病院の名前に反応したのは、意外な人物だった。
「さッ、桜ヶ丘だとォッ!!」
「京一くん〜、知ってるならそこの院長を訪ねてみて〜」
「い、院長ッ! 冗談じゃねェ、死んでも嫌だぜ」
 唾を飛ばして拒絶する京一に、皆あっけに取られている。
風邪はもちろん、病気が避けて通りそうなこの男が病院の、しかも院長とどうやら見識があるらしい。
「京一……知り合いなの?」
「知り合いだとォ! そんなケガラワしい」
「なにそれ?」
「そこの先生なら〜、きっと葵ちゃんを治してくれるはずよ〜。
桜ヶ丘中央病院あそこは〜、霊的治療と言って〜、普通の医学では解明できないような〜、
魂と氣に影響する病気を治療してくれる病院だから〜」
「霊的治療?」
「京一くんが〜、詳しいみたいだから〜、連れてってもらうといいよ〜」
「な、なあ裏密。他はないのかよ。何もその霊的治療ってのが出来るのはそこだけじゃねェんだろ?」
 食い下がる京一だったが、ミサの答えはすげないものだった。
「うふふふふ〜、でもあそこの院長先生は〜、世界的にも有名なのよ〜」
「……なんだか良く解らんが、美里が助かると言うのなら行かない訳にはいかんだろう」
「そういうこと〜。急いだ方がいいよ〜。あと、役に立てなかったお詫びに、これあげる〜」
 やや狐につままれた様子ながら結論をまとめた醍醐に頷いたミサは、
理科室より怪しげなものが並んでいる棚から何やら取りだして龍麻に手渡す。
それは古ぼけた一枚の札で、表には朱墨で何か書いてあり、手にするとひんやりとした感触がした。
「……お札?」
「持ってるだけで〜、まじないから身を護ってくれるの〜。それじゃ、気をつけてね〜」
「裏密さん、ありがとう」
 結局、ミサは葵を救うことは出来なかったが、何がしかの霊力がある札をくれ、
また水晶を壊してしまったこともあり、龍麻は心から礼を言った。
「うふふ〜、そんな改まって言われると〜、ミサちゃん照れちゃう〜」
「緋勇クン、行こう」
「うん、それじゃ裏密さん、また」
「じゃ〜ね〜」
 わざわざ廊下まで出て手を振ってくれるミサに頷いた龍麻は、
葵を抱きかかえる自分に向けられる奇異の視線をものともせず、
可能な限りの速さで病院に向かって歩き始めた。

 桜ヶ丘中央病院の前に龍麻達は来ていた。
ミサの地図は正確で、迷いもせずに着くことが出来たのだが、
正直言って、誰もが不審と不安の色を隠せなかった。
「ここが……桜ヶ丘中央病院か」
「新宿に、こんな病院があったなんて」
 小蒔の言葉に、全員が同意していた。
表から見える建物はさほど小さな物ではなく、前を通れば簡単に気付きそうなのだが、
奇妙に存在感を感じないのだ。
古びている訳でもなく、看板もちゃんと出ている。
それなのに、まるでその病院を探している者にしか見えないというような印象だった。
「こんなトコに来るヤツは正気まともじゃねぇからな。
ここは化け物の棲み家なんだからよ。お前らみんな、食われちまうぜ」
「京一さっきから何言ってるの? もともとおかしいけど、もっとおかしいよ」
「うむ……京一こいつが馬鹿なのは今更だが」
 顔も声も不吉なものにして脅す京一を、一行は集中攻撃する。
なかでも天敵とも言える杏子の舌鋒ときたら、
うかつに触れたら切り刻まれた挙句に海の藻屑と消えてしまいそうなほどだ。
「なんか……ビビってるみたいよね。その院長先生とやらに会ったことがあるの?」
「……前に一度だけ」
「だったらとっとと案内しなさいよッ!」
「馬鹿野郎! お前らみんな、解ってねェんだ。ここの院長の恐ろしさをよ。
なぁ龍麻、お前だけは信じてくれるよな」
「いいからさっさと入れよ」
 龍麻の言葉は冷たく短い。
これはさっきからずっと泣きごとを言っている京一にいいかげん腹が立ったからでもあるが、
葵を両腕に抱いているために、いい加減痺れてきているからだった。
絶対に弱音を吐かないつもりではいるが、それだけに早く葵を診せたい。
その焦りが、つい形となって表れてしまったのだ。
「あぁそうかよッ。だったら一人で行きやがれッ。
一度捕まったら最後、お前も餌食になるんだからよ」
「なんだ、お前はそのバケモンに襲われでもしたのか?」
「うッ……」
「図星か……」
「いい加減にしなよ京一ッ! キミの泣き言に付き合ってるヒマはないんだよッ!
その院長センセがどんな人だか知らないけど、
キミが犠牲になって葵が回復するんならボクは迷わずそっちを選ぶよッ!」
「はい、決まりね。さ、入りましょ」
「くそォ、てめぇら、この鬼がッ!」
 なお喚く京一に、もはや誰も一顧だにすることなく建物の中へと入っていったのだった。

 あまり大きくもない病院の中は、静まりかえっていた。
患者どころか、受付の看護婦さえもいない。
灯りだけが点っているその様は、有名な消失事件、マリーセレスト号を思わせるものだった。
それにしても、人気の無い病院や学校というものは、どうしてこんなに不安をそそるのだろう。
なんとなくうそ寒いものを感じた一行は、あまり奥には入ろうとはしなかった。
「あら? ちょっと、誰もいないじゃない。ほんとに営業しやってるの?」
「とにかく、呼んでみよう。──すいません、誰かいませんか?」
「返事がないね……」
 醍醐達が人を呼んでいる間に、龍麻は葵をソファに横たえた。
顔にかかっている前髪を軽く払ってやると、指先にひんやりとした感触が伝わってくる。
妙に快い、ぞっとする感触だった。
今しばらく味わっていたい、ついそんなことを考えてしまい、慌てて振り払う。
謝罪の意志を込めて、誰にも気付かれないよう葵に頭を下げた龍麻は、仲間達に視線を向けた。
「それにしても、なんで誰もいないのよ。──ごめんくださーいッ、急患ですよーッ」
 あまり病院には似つかわしくない声で、杏子が奥に向かって呼びかけている。
杏子の言う通り、患者はおろか、受付さえも誰もいないのは明らかに奇妙だった。
本当にミサが言ったのはここだったのか、不安になりながらも杏子は声を張り上げる。
かすかな反響音を残して建物全体に声が染みわたり、再び静寂が訪れようとする寸前、
かん高い声が奥の方から返ってきた。
「は〜い、今行きま〜す」
「あッ……良かった、いるみたい」
 とにかく人がいたことにほっとした一行だったが、
それも一時のことで、すぐに不安に取って替わられてしまった。
パタパタという、音だけは小気味良いスリッパの音を立てて奥からのんびり現れたのは、
およそ看護婦というイメージからは程遠い女性だったからだ。
 明るい茶色の髪は長く、しかも巻き毛になっている。
やや目尻の下がった眼には泣きぼくろがあり、
厚い唇は口紅など引いていないのに鮮やかな紅をしていた。
しかもその派手な顔立ちを支える身体も、京一などが思わず視線を釘付けにしてしまうほど
突き出た胸に、やはり大きく丸みを帯びた尻。
そしてそれらを包む看護婦の制服はやけに丈が短く、太腿が露出してしまっていた。
目のやり場に困る彼女が本当にここの看護婦なのか咄嗟には判断できず固まる龍麻達に向かって、
少女は屈託の無い笑顔で出迎えた。
「いらっしゃいませ〜ッ、ご用はなんですか〜」
「いらっしゃいませ……? 最近は病院もそう言うのか?」
「さ……さぁ」
 なるべく彼女の方を見ないようにしている醍醐に聞かれた杏子も、そう答えるのがやっとだ。
「あの、ボクたちは……」
「あはァ、お友達がたくさん。舞子、うッれしい〜」
「急患なんだが、至急院長に取り次いでもらえないか?」
「わあ、どこの制服かな〜? とってもオシャレ〜。久しぶりのお客様だから、ゆっくり遊んでいってね」
 全くマイペースで話す少女に、すっかり毒気を抜かれた一同、特に京一などは危うく頷きかけてしまう。
「お、おい。緊急の患者なんだが」
「えッ? うふッ、わかってま〜す」
 醍醐にそう答えた看護婦は、明らかに解っていなかった。
「……! 落ちつけ、緋勇」
 笑顔を浮かべ、心から楽しそうにしている目の前の女性に、龍麻の拳がひとりでに固まる。
それに気付いた醍醐が、慌てて龍麻の腕を抑えた。
制服の内側で張り詰めている筋肉に驚き、抑える力を強める。
それをも弾き飛ばそうとするかのように龍麻の腕は震えていたが、突然、
その揺れが大きなものになった。
「……!? な、なんだ、この音は」
「じッ、地震!?」
「……とうとう来やがったか」
 地震というには規則的な振動に驚く一同の中、
京一だけがこれから現れるものを知っているのか、ぽつりと呟く。
その語尾を叩き潰すように、辺りの空気を鳴動させる大声が五人の鼓膜を撃った。
「うるさいぞ、このガキ共ッ!! ここは病院だ、静かにしろッ!!」
「なッ──」
「すごい声……」
(桜井ちゃん、声だけじゃないわよ、すごいのは)
 思わず声に出していた小蒔に、杏子が囁く。
それももっともなことで、龍麻達の前に現れたのは怪人、と呼ぶに相応しい人物だった。
 京一と同じか、もしかしたらわずかに高いかも知れない身長に、
醍醐を遥かに凌駕する肉が付いている。
身体と同じく脂肪に囲まれた顔には不釣合いなほど優しげな瞳があったが、
この中で一番小さい小蒔など、片手でひねり潰されてしまいそうな迫力だった。
「なんだ、お前達は。わしはここの院長の岩山たか子だ」
 腹の底から響く声で面白くもなさそうに問いかけられ、
怒っていた龍麻も圧倒されて黙ったままだ。
互いに誰が最初に名乗りをあげるか役目を押しつけあっていると、
場に全くそぐわないかん高い声が辺りに響いた。
「ちなみにわたしは看護婦見習いの高見沢舞子で〜す。まだ看護学生なので半人前で〜ッす」
「看護学生?」
「そうで〜す。二丁目にある鈴蘭看護学校に通ってま〜す」
 訊ね返した京一に、舞子と名乗った女性は嬉しそうに答えた。
すると、彼女の上司がぶっきらぼうに会話を遮る。
「高見沢、お前は黙ってな。話が進まん」
「は〜い」
「……で、何の用だ。ここは産婦人科なんだが、お前らの誰かが妊娠でもしたのか?」
「産婦人科?」
 龍麻達は揃って首を傾げる。
何しろミサに紹介されたほどなので、普通の、しかも産婦人科などとは思ってもいなかったのだ。
「表に書いてあっただろうが。まぁ多少なら急患も診るがな」
「……この人を、診て欲しいんです」
 それでも、藁にもすがる思いで意を決した龍麻が一歩前に出ると、
横幅なら醍醐を優に超える巨体の院長は、
ソファに横たわっている葵には一瞥をくれただけで後は龍麻をじろりと見た。
「その制服……真神か?」
「え? はい」
「名前は?」
「……は?」
「名前だよ、名前。何て名前なんだい、ボーヤ」
 矢継ぎ早に出される質問に、龍麻は困惑の色を隠せない。
自分の名前などよりも、一秒でも早く葵を診察して欲しいのだが、
それだけに暴発は出来なかった。
「緋勇龍麻です」
「緋勇……龍麻ねぇ。あんた、何か武道をやってるね。わしには解るよ。
その鍛えた上腕ニ頭筋や三角筋を見ればねぇ。後で是非他の場所も見せて欲しいもんだねぇ」
 たか子は何とも形容しがたい笑みを浮かべ、遠慮なく龍麻の身体を視姦すじろじろみる。
絡みつく好色そうな視線に、龍麻は思わず両腕をかき抱いていた。
葵を診てもらう、という目的が無ければ、全力で逃げ出していただろう。
「や〜ん。院長先生のえっちィ〜」
「お黙りッ。
……おや? そこのデカいのも良く引き締まっていて美味しそうな身体じゃないか。名前は?」
「だッ、醍醐雄矢と言います」
「わぁ、醍醐くん!? 強そうな名前。ねェ、院長先生」
「……その身体、見せかけじゃないんだろう? お前も何か武道をやっているな?」
 新たな犠牲者も上体を軽く仰け反らせている。
不幸な仲間が出来たという後ろ向きの連帯感が龍麻に芽生えたが、
とにかくこの場は完全にたか子のペースに支配されてしまっていた。
真神が誇る番長格の男と、いずれそれに劣らない名声を確立するだろう男が、
逃げ出さないのは隣の奴が逃げないからだ、という所まで追い詰められている。
その、真神学園を一人で壊滅に追い込んだ強者は、
醍醐の制服の向こうに更に新たな標的を見付けたようだった。
「……おや? その後ろに隠れてるのは京一じゃないかい?」
「ひッ、人違いですッ」
「ヒヒッ、隠れてないでその愛らしい顔を見せておくれ」
 釈迦に対する孫悟空──とでも言うべきか、傍若無人な京一も、
たか子に対しては為す術が無いようだった。
龍麻に助けを求める京一だったが、
まだ付き合いは浅いがその人となりは信頼出来るはずの友人は、
かばうどころか犠牲は免れたと露骨に安堵している。
「うッ……」
「久しぶりだねェ。ヒヒッ、男ぶりが一段と上がって。ほれ、もっとこっちに来ておくれ」
「い、いえッ、僕はここで結構ですッ」
 題醐までもが身体をずらして前に押し出そうとするので、
京一は必死に巨躯の陰に隠れなければならなかった。
三人は互いに身体を押し合い、
これほど真剣さと滑稽さを兼ね備えたものはないだろうおしくらまんじゅうをする。
「僕だって……どうしちゃったの、京一」
「良くわかんないけど、面白くなってきたわね」
 歩く馬鹿の豹変ぶりに、小蒔と杏子は部外者としての好奇を隠そうともせずに囁きあう。
その間にもたか子は一歩を踏み出し、京一をその射程距離に収める一歩手前まで来ていた。
「昔のようにたか子センセーと呼んでおくれよ」
「め、滅相もないです」
「全く、お前もお前の師匠もつれないねェ。昔は二人まとめてあんなに可愛がってやったのに」
 たか子の口から意外な言葉が放たれ、
醍醐は声をひきつらせながらも、初めて聞く悪友の過去に興味を抱いて尋ねた。
「師匠って……お前、そんな人いたのか」
「ん? ……あぁ、まあな」
 京一の返事には、明らかにその話題に触れて欲しくないという微成分が混じっていた。
それを醍醐は察したが、たか子は一向に構わず続ける。
「そういや、あいつは元気にしているのかい?」
「さ、さぁ……もう何年も会ってませんから」
「そうかい、残念だねェ。あれもいい男だったのに」
 たか子は過去を懐かしむように宙を見上げ、小さく頭を振った。
そこには今しがたまでの退廃した態度ではなく、たいそう真摯な雰囲気がまとわりついており、
龍麻達はなんとなく押し黙ってしまった。
 その空気を振り払うように、ここに何をしに来たか思い出した醍醐が口を開く。
「そ、そんなことより先生、今日は友達を診てもらいにきたんです」
「ふん、わかっておる。そっちの女だろう?」
「そうなんで──」
「お黙りッ! わしは京一に聞いとるんじゃ」
「は、はい……」
 言いかけた杏子はぴしゃりと遮られて、しゃっくりをしたように目をぱちくりとさせた。
有史以来初めて他人に黙らされた杏子に、小蒔も一緒になって目をぱちくりとさせる。
「ごめんね〜。院長先生って女の子にはきびし〜から」
「そ、そうみたい……ね」
 (ボク達、名前も聞かれてないもんね)
小蒔が耳打ちしても、杏子は頷くのがやっとだ。
そんな二人をじろりと、吠えかかる相手を見つけたブルドッグのような眼で見たたか子は、
その視線をソファに横たえられている葵に移し、
最後にもう一度京一、醍醐、そして龍麻の順番で移動させるとぶっきらぼうに言った。
「ごちゃごちゃうるさいッ。……まあいい。ほれ、さっさとこっちに連れてきな」
「それじゃ、診察室にごあ〜んな〜い」
 旗でも持って先導しそうな調子で告げた舞子は、
葵を抱き上げて先頭に立った龍麻の顔をまじまじと見つめた。
鼻先がつきそうなくらい顔を近づけて、砂糖づけのお菓子を想起させる声で尋ねる。
「あらぁ? あなたって、良く見ると格好いいのね。ね〜、その子、あなたの彼女〜?」
「へっ?」
 意識のほとんどを腕の中の少女に向けていた龍麻は、随分と間抜けな声を出してしまっていた。
すっぽ抜け、裏返ったトーンに、友人達が一斉に見る。
「い、いやッ、違う……違うよ」
 慌てて二度も繰り返した龍麻を、探るように下から見上げた舞子は、
全く邪気の無い、そのくせ妙に色気の漂う笑顔で誘惑した。
「そうなんだ〜ッ。今度は一人で遊びに来てね〜」
「高見沢、早くせんかッ」
「は〜い。それじゃね〜」
 たか子に呼ばれ、舞子はふわりと龍麻から離れる。
鼻腔をくすぐる匂いに何故か罪悪感を抱いた龍麻は、息を止めて歩き始めた。



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