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次に龍麻が『力』を用いたのは、中学二年の時だった。
同級生の少女が、不良達に体育倉庫に連れこまれ、かどわかされようとしたのだ。
人づきあいの少ない龍麻は、別にその少女に恋していたわけではなく、
同じクラスというだけで、声すら交わしたこともない関係だった。
それでも、数人の不良に取り囲まれ、身体のあちこちを触られながら体育倉庫に連れていかれる少女が、
これから始まる行為を望んでいないのは明らかだったし、龍麻の脳裏には、
昔友達が絡まれていた光景が、閃光のように瞬いて不快感を刺激していた。
気がつけば、彼らを追っていた。
「なんだ手前ェッ!!」
獣欲を邪魔され、殺気だった不良の声も龍麻は怖いと思わなかった。
そんな声なら数年前に聞いて慣れている。
あれから特に鍛えていなくても、戦いに際して身体は忠実に動いた。
一人をなんなく倒し、残りに対しても優位に立ち回る。
あの時より人数は多くても、勝てると思った。
だが、二人目を打ち倒した直後、不意に足を払われた。
転んだ、と思った瞬間、素手ではない痛烈な一打を腿に見舞われる。
すかさずもう一人がやはり携帯していた特殊警棒で龍麻の頭を思いきり殴りつけた。
まともに命中すれば大人をも殺しかねない凶器は、
龍麻の攻撃力を奪うには充分すぎるほどのダメージを与え、昏倒させる。
勢いづいた不良の反撃に、先にやられた仲間の加勢もあって、
たちまち龍麻は数年前をしのぐ暴力の嵐に見舞われた。
それは威力において数年前の比ではなく、今度は、明確に殺されるという思いが龍麻を捉える。
当然抱くべき恐怖の感情も全身を苛む凄まじい痛みの前に意識できないほどで、
五感さえ失せかけた龍麻の生命は、急速に活動を止めようとしていた。
そして龍麻は、二度目の『力』を発動させる。
気づけば不良達は全員昏倒していた。
うめき声すら上げず、明らかに尋常ではない様子で倒れている。
龍麻には、何が起こったのか判らなかった。
うずくまって終わりのない暴力を受けていたはずなのに、夢を見ているのではないかと思った。
だが、この場で目ざめているのは龍麻と少女だけであり、
少女はマットの上で脱がされた制服を抱きしめ、ひたすらに震えている。
何に怯えているのか訊ねようと一歩踏み出して、龍麻は訊かずとも答えを得た。
こいつらを倒したのは自分だ。
そして数年前と同じに、助けた相手に怯えられている。
そうなれば後の展開も予想するのは容易であり、事実、その通りに世界は動いた。
違ったのは龍麻が入院しなかった点であり、その違いは、龍麻に対する無視が、
一日ごとに引き潮のようにはっきりと視えたというだけのことだった。
不良達は学園で知らぬ者とてない鼻つまみ者達であり、彼らが居なくなって悲しむ者など誰もいない。
にも関わらず、彼らを打ち倒した龍麻を級友達は彼らと同じか、それ以上に敬遠し、怯えた。
数年前の事件を覚えている人間もいて、いつしか話は全校に広まる。
あの人小学生の頃から乱暴で、何人も病院送りにしたんだって。
ああ、聞いたことがある。相手は一生動けないとか。
アイツは人殺しと変わらない。
近寄るな、殺されるぞ――
それらの、時には聴覚が及ぶ距離でわざと流される噂に、龍麻は抗弁しなかった。
口を閉ざし、心を閉ざし、ただ時が流れるのを待つだけの生活は、すでに馴染んでいた。
残りの一年半、龍麻は孤独を貫き、そして、高校は遠く離れているところを選んだ。
高校こそは、平穏な生活を送りたい。
そんな龍麻の願いは、またしても二年と保たず裏切られた。
かつてマリアに語った、真神に転校する直接の原因となった事件。
同級生の少女と少し親しくなったというだけで、龍麻と同じ異能の力を持つ男に狙われ、
少女と自分の命を守るために、龍麻は戦わざるを得なかった。
龍麻は勝ち、そして負けた。
男を倒し、少女を救うことには成功したものの、異能の力がぶつかりあったなどと他人に
信じてもらえるはずもなく、高校生同士の喧嘩がエスカレートした挙句の結果と結論を下され、
拐かされた少女が記憶を喪なっていたこともあり、龍麻はほぼ一方的に悪人とされた。
本来なら退学にするところを、三学期までは在籍を許す、
三年生からは他校に通うべしという処分を恩着せがましく語る教師達に、龍麻はもう何も言わなかった。
「この『力』のせいで……ずっと気味悪がられてきました。友達も去り、最後には両親も」
説明はできない、けれども確実に存在する異常な『力』。
人の役に立つ才能ですら、時に理解されず、疎まれるというのに、
自分で制御もできない、そして極めて危険な能力を持つ人間と、親しくつきあえる人間は少ない。
火の粉、というには龍麻の秘める異能は強大すぎ、助けようとした者さえ灼くとあっては、
血を分けた存在からも敬遠されるのは仕方のないことだと、龍麻自身理解せざるをえなかった。
三度孤独となり、食事以外に口を使うこともなくなりかけたある日。
龍麻は最後の味方だと思っていた人物を失った。
まとまった金銭と引き替えに、この家から出て行って欲しい。
本当は実の息子でもないお前にそこまでする義理もないが、
これでどうか、以後一切この家とは縁を切って欲しい。
想像もしなかった事実を突然知らされた龍麻のショックはひとかたならぬものがあったが、
義理の両親の、ひどくやつれた顔を前にしたら、それも些細なものでしかないと冷静に受けいれられた。
彼らの顔に増えた皺の多く、不毛の大地と化した顔、十歳以上も老けた髪。
もしかしたら、いやおそらく、全ては自分に原因があるのだ。
法的には何も罰せられなかったとしても、道義的に罪の意識を抱かないわけにはいかない。
龍麻は深々と頭を下げ、育ててくれた両親の元を去った。
なんとか家を探し、東京で学校に通う手続きを済ませ、龍麻は新たな生活を始めようとした。
実の両親のことが気にならないでもなかったが、
調査するには資金もなく方法もわからず、なにより生活を最優先させなければならなかったので、
断念するしかなかった。
もう未来には何も期待していなかった。
それでも高校だけは卒業しようと思ったのは、
望んでもいないのに持たされ、人生を歪められた『力』に対する最後の意地だった。
卒業さえすれば、もういつ死んでもかまわない。
そんな心境で真神學園に転校し、書類を提出しに行った日に、龍麻はマリアに囚われた
――人間への復讐を目論む、美しき吸血鬼に。
語り終えた龍麻が、過去の出来事でさえも現在の罪であるかのようにうなだれる。
彼が死を望む理由に得心したマリアは、深いため息をつこうとするのを、
かなりの努力で自制しなければならなかった。
「そういうことだったの……それで、ワタシの許から逃げようともしなかったというわけね。
確実に死を与えてくれる、吸血鬼のワタシから」
龍麻が抱えている闇は、あるいは自分に匹敵するほどのものなのではないか──
人間に全てを奪われたマリアは、人間から何も与えられなかった少年を、
色合いを深めた蒼氷色の瞳で見やった。
『力』がどういう条件で発動するのかは不明だが、
死のうとしても中途半端な方法では『力』を発動させてしまうおそれがある。
追いだされたとはいっても両親に迷惑をかけたくはなかったし、
確実に死ねる方法を探す時間はたっぷりある。
そのつもりでいた龍麻が、人外の存在であるマリアに出会ったとき、彼女に従わない理由などなかった。
たったひとつ望んだのは、絶対の死を与えてくれること。
それを叶えてくれるならば、『黄龍の器』として利用されようと、
その後の世界がどうなろうと、龍麻にはどうでもよかったのだ。
「それもあります。でも、嬉しかったんです」
「嬉しかった……?」
ところが龍麻の返答はマリアにとって意外すぎるもので、冷酷な女吸血鬼は咄嗟に紡ぐ言葉を失っていた。
マリアから言葉を奪った男は、マリアの目を見ずに続けた。
「ええ。俺を必要としてくれる人がいる。たとえそれが『力』を欲しているだけだとしても、
俺には初めてのことで、だから嬉しかったんです」
マリアは理解した。
龍麻が葵との約束を守ろうとマリアに逆らったのは、
彼女に何らかの感情を抱いたのではなく、彼女が龍麻を必要としたからなのだと。
生きる理由を見失った龍麻を卒業までの間とはいえ欲し、
そして龍麻は、ただそれに応えようとしただけなのだと。
龍麻が変心したわけではないと悟ったマリアの瞳は烈しさを和らげる。
だが、それも短い間のことで、再び龍麻の頭上で溶けることのない氷は砕け、嵐となって吹き荒れた。
「……そう。でも残念だけれど、ワタシは絶対に復讐を遂げる。
卒業まで生きたいというアナタの願いを聞きいれてあげるわけには、どうしてもいかないわ」
龍麻は頷きも、逆らいもしなかった。
逆らったこと自体を悔いているような彼の態度に、マリアは言いすぎたかと省みる。
けれども、選んだ道を違えるわけにはいかなかった。
茨の道だというのは、選んだときから判っていたのだから。
「佐久間に関しては、ワタシの方で処置をしておくわ。
美里サンは……これまでと変わらない態度で接しなさい。
難しいかもしれないけれど、彼女にとってもそれが最善のはずよ」
聞こえているのかいないのか、龍麻は反応しない。
心が、焼き切れそうになっている――マリアはそう見てとった。
「ともかく、今日は休みなさい」
やや間を置いて、龍麻が頷く。
睡眠は最良の解決策ではないかもしれない。
だが、剥きだしの心を、たとえ一枚の羽毛でしかなくても覆うことはできるだろう。
マリアのそういった気持ちは、もしかしたら矛盾しているのかもしれない。
だが、彼を気遣う気持ちは、人間への恨みや復讐心といったものとは別に存在してもよいはずだった。
龍麻の手を引き、マリアは寝室に入った。
龍麻がロボットのように無機的にベッドに横たわると、
マリアまで眠る必要はなかったが、彼に続いてベッドに入った。
いつも彼の方からされる就寝の挨拶も今日はなく、無言のまま幾らかの刻が流れる。
マリアはそっと隣の気配をうかがってみたが、濃密な龍の氣は感じられなかった。
このまま彼に干渉しないでおこうか、らしくもなく逡巡したマリアは、意を決して彼の手に触れてみる。
もう眠っているのなら、それでよい。
だが、龍麻は、指先をわずかに動かす程度ではあったけれども、確かに応えた。
マリアは手を握りかえし、彼の身体を引きよせた。
龍麻は逆らわなかった。
マリアが一糸まとわぬ姿であるのも厭わず、顔を押しあててくる。
やがて低い嗚咽が、吸血鬼の素肌を震わせはじめた。
彼の頭を抱え、マリアは思う。
誰かを慰めるとき、こうして胸に抱くのは人も吸血鬼も同じなのだと。
マリアはこれまで、誰かに慰められたことも、誰かを慰めたこともない。
なのにこうすれば、他人の哀しみをいくらかでも和らげてやれるのだと知っていた。
それが嬉しいのかどうか、マリアには判断がつかない。
ただ、今そうしてやらなければならないのだとは、何のためらいもなく信じられた。
豊かな黒の頭髪をゆるやかに撫でながら、マリアはふと考えた。
もう少し自分の体温が高かったなら、もっと彼を慰めてやることができただろうかと。
むろんそれは、叶わぬ願いだった。
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