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一日の授業が終わり、あれほど教室にいた生徒達も今は半分以下になっている。
四十人分ものエネルギーを呑みこんだ空間にはまだその残滓が漂っていて、
うつろだけれども奇妙な活気めいたものがあった。
教室は毎日この巨大な氣を浴び、それを何十年と繰り返す。
この校舎はまだそれほど旧くないらしく、そういった風格めいたものを
ただよわせてはいないが、それでも、窓の外から流れこむオレンジ色の波長は
何かを浮かびあがらせる効果を持つらしく、十メートル四方の空間には、
どこか異界めいた寂寥感がぼんやりとたゆたっていた。
龍麻の新しい生活の一日目も終わろうとしていた。
三年という時期での転校生に湧いた教室も、その転校生の無視してくれといわんばかりの態度に
一斉に鼻白み、その後、結局龍麻は誰とも会話を交わすことなく放課後まで過ごした。
それなりに長身でそれなりに顔立ちも整っている龍麻は、実際、
朝の挨拶の後も、話しかけようとする女子生徒が幾人かはいたのだが、
それらの全てを龍麻は愛想すら振りまかず無視した。
その甲斐あってか今や龍麻は、転校初日にして存在すらしていないかのように
同級生に振る舞われるまでになっていた。
もちろん、それは龍麻自身が望んだことだったから、龍麻は落胆も絶望もせず、
淡々と自分の役割、最低限の学生生活をこなすだけだった。
しかし、最低限、というのはあくまで龍麻が想定しただけで、
トラブルの種はすでに、龍麻が全く予想もしてなかったところで撒かれ、芽を出していたのだ。
窓際の自分の机で龍麻は、帰り支度をしていた。
今日は夕食の材料を買う必要があるから、少し回り道をして帰ることになる。
マリアは嫌いな物はないと言ったが何を作ろうか、
そのためには何を買えばいいのか、ほとんど空だった冷蔵庫のことを考えながら
教科書を鞄に詰めていると、いきなり強い力で肩を掴まれた。
自分がこの学校にとって部外者であることを龍麻は自覚していたが、こんな不躾を受けるいわれはない。
それでも転校初日から事を荒立てるのはよくないと自制し、ふりむきざまに相手を睨みつけたのは無言でおこなった。
肩を掴んだのは、いかにも柄の悪そうな男だった。
背は高くなく、横幅は太い。
しかし無駄に脂肪をつけているのではなく、不良なりに身体は鍛えているようだ。
口は大きく、目は小さく、悪相であったが、その小さな目が充分な威圧感をもって龍麻を睨んでいた。
同じ教室にいたのは確かなこの男を、龍麻は名前までは知らない。
ただ、この男の周辺には一見してそれとわかる澱(んだ空気が漂っていて、
可能な限り関わりあいにならないほうが良い、と思わせるものがあった。
だから龍麻は関わらなかった。
彼だけでなく、教室のほぼ全員と龍麻は関わらなかったが、
とにかくこの敵意を剥きだしにしている男とも全く関わっていない。
「転校生……面貸せや」
なのに何故、自分がこの男に因縁をつけられているのか。
龍麻は理解できなかった。
答えを求めてすばやく周りを見渡すが、何人か居る同級生は皆、一様に
視線をそむけるか、そそくさと教室から出て行った。
それらの行動には、交流を求めなかった龍麻にも責があるとしても、
多くはこの不良達に原因があるようだ。
ようは彼らは鼻つまみ者であり、彼らが目をつけた獲物も同様に鼻つまみ者ということらしかった。
不良達は龍麻を取り囲み、逃げられないようにして校舎裏へと連れていく。
どうやら喧嘩――というより集団暴行をはたらくにも場所柄というものがあるらしい。
様式を重んじる不良達が龍麻にはおかしかったが、彼らはいたって真面目で、
これも様式美らしく両のポケットに手を突っこんだまま無言だった。
今日初めて足を踏みいれた建物の裏側には、あつらえたように人気(がなく、
喧嘩をするには充分なだけのスペースがあった。
ここまでずっと不良のリーダー格の男の背中ばかりを見せられてきた龍麻は、
ここでようやく同級生を正面から見ることができた。
茶色に染めた髪を逆立てている男は、何がそんなに不満なのか口元を激しくゆがめている。
目はさらにひどく、龍麻を親の敵とばかりに睨んでおり、
龍麻は目を細め、真意を窺(おうとするが、それがこの、見るからに素行の悪そうな男──
思いだした、名前は佐久間と言ったはずだ──の気に障ったらしく、佐久間はいきなり腹に殴打を加えてきた。
「……!」
さすがにこういったことには慣れているらしく、佐久間の一撃は予想よりも重く、
龍麻はわずかによろめいてしまった。
すかさず龍麻の周りを囲む彼の手下達が下卑た笑いを浴びせてくる。
あまりに歯並びの悪い彼らに龍麻は場違いな苛立ちを抱いたが、声には出さなかった。
すると何を勘違いしたのか、不良達は顎を突き出して嘲ってくる。
煙草と不摂生の故の臭い息が、龍麻の顔をしかめさせた。
「なんだ、もうビビッちまったのか? 転校生ちゃんよ」
彼らをこの場で打ち倒すのは容易いことだ。
佐久間だけはいくらか身体を動かせるようだが、それも人知を超えた『力』の前では無に等しい。
恐らく一分とはかからずに、彼らを地に這わせることができるだろう。
しかし、龍麻にはマリアと交わした約束があった。
人ならざる力を、人前で使ってはならないと。
その約束を破るのはたやすい。
むしろ約束を破り、事件をおおごとにしてしまうことで、
マリアもうかつに手を出せなくなるかもしれない。
それは龍麻のみならず、世界をも救うことになるだろう。
誰かに称えられることはないにせよ、立派な行為であることは間違いない。
だが龍麻にその気はなかった。
今さら──そう、今さら死を怖れているわけではない。
死は龍麻にとって生よりはるかに近いところにあったし、
マリアのもたらす死は、世界に転がっている数多のそれらのほとんどよりは心地良く、
安らぎさえ伴って受け入れられるものだろう。
事実、龍麻はおよそ一年後に訪れるというそれを、楽しみにすらしていた。
それだけに、彼女が与えてくれる安楽を、つまらないことで台無しにしたくはなかった。
こんな肉体的な痛みなど、どれほどのこともない。
どうせ彼らも大事になるのはまずいのだから、それほど過激なことはしてこないはずで、
野蛮な感情を一時的に満足させれば気が済むだろう。
そう判断した龍麻は、彼らのしたいようにさせることにした。
視線を外した龍麻を、佐久間は怖気づいたと解釈したらしく、殴打は激しさを増した。
まわりではやしたてていた佐久間の手下も龍麻が無抵抗とみると一斉に群がり、
下卑た暴力を恥じらいもなく奮う。
「オラ、調子乗ってんじゃねぇぞッ!!」
「佐久間さんに逆らったらどうなるか、良く覚えておけッ!!」
肉体の痛みよりも、共に浴びせられるそれらの声の方が龍麻には不快だったが、ここで激発しては何もならない。
身を丸め、致命的な打撃だけは受けないようにして、殴打をもらい続けた。
しかしそれも、効率はともかく圧倒的な手数の攻撃に、防ぎきれなくなりはじめる。
一発、二発と強烈な打撃を受け、たまらず膝をついたところに更なる暴行が加えられた。
こうなってはどうしようもなく、身体を丸め、顔を守るのが精一杯だ。
不良達のエネルギーが続く限りの暴力を受け、ようやくそれが小休止したときには、
龍麻の制服は見るも無惨なことになっていた。
土埃が滲みる。
四肢は自分のものでなくなったかのように感覚が失せ、四月のまだ冷たい土の匂いだけが不快に感覚を撫でていた。
五分以上も執拗に殴打を受けた龍麻が動けなかったのは演技ではなかった。
「ヘッ、ざまァねェな」
「佐久間さんに楯突くとどうなるか、わかったかァ?」
「一張羅が台無しだなァ、転校生ちゃんよォ」
暴力を終えたあとも不良たちは、今度は罵声を浴びせる。
見上げた勤労精神といえたが、龍麻はそれらを全て聞いていた。
聴覚だけでなく、嗅覚まで汚染するきたならしい声。
充分に覚悟はして受けた暴力だったが、判断した理性とは別のところで囁く声があった。
屠れ、殺せ──
不良たちよりも遥かに直截的で、危険な情動が鳴動する。
それを開放する愚を知りつつも、龍麻は不良たちに気づかれぬよう、静かな、深い呼吸を繰りかえした。
新鮮な空気が肺に送りこまれるたび、身体に活力が戻ってくる。
痛みは残っているが、それを凌駕する膨大なエネルギーが、水を吸う紙のように全身に満ちていった。
起きあがりざまに一人、立ちあがって一人。
暴発してはならないと己を戒めつつ、龍麻は冷静に闘いの準備を整えていた。
もう少し、奴らが暴力をふるったらその時は──
自分で戒めたにも関わらず、不良たちの愚行を、龍麻は待ち望みつつあった。
もしかしたらこの一件で停学、あるいは退学になるかもしれない。
しかし、それは龍麻の支配者にとって望む形であるかもしれず、龍麻は不意におかしくなった。
これから一年、あの家で家事をしながら暮らすのだ。
思いがけず昨日から住むことになった家の主は、少なくとも料理はあまり得意ではないようで、
その点だけでも龍麻は役にたてるだろう。
掃除と洗濯も嫌いではないし、そうなっても案外悪くないように思えたが、
その空想が実を結ぶ可能性はあっさりと潰えてしまった。
「その辺にしておいたらどうだ」
あきらかに不良たちとは異なる声が、少し離れたところからしたのだ。
思いがけない第三者の出現に不良たちも驚いたらしく、龍麻の周りで慌しく足が動く。
反撃をするなら今が最大のチャンスだったが、龍麻は今しばらく様子をみることにした。
代わりに五感を研ぎ澄ませ、状況を把握しようと努める。
佐久間たちの気配は、今や完全に新しく現れた男の方にそそがれていた。
背後にあたる方向で、龍麻からは見えない。
深く、静かに呼吸を整えていると、不良の一人が彼の仲間ではない男の名を呼んだ。
「蓬莱寺……」
男は龍麻の同級生である、蓬莱寺だった。
たしか名前は京一といったはずだ。
あいさつも交わしていないが、蓬莱寺という特徴ある苗字を龍麻は覚えていた。
京一は同級生による同級生への暴行(というばつの悪い場面に出くわしても動じていないようだ。
二度ほど、何かを叩くような音がしてから、京一の、いささかも震えのない声が聞こえてきた。
「そいつにゃ何の義理もねェが、一応今日から同級生だしな。
まだ身体を動かしたりねェってんなら俺が相手してやってもいいぜ」
「……」
居並ぶ不良にも臆することなく挑発してみせる京一に、不良たちは明らかに勢いを削がれていた。
部外者の闖入(により狂熱を醒まされたというのもあるだろうし、
この男は実際に強いのかもしれない。
身体を起こした龍麻は、痛む腹を押さえて推移を見守った。
「……けッ、行くぞ、おめェら」
やがて意外なことに、佐久間は明らかに不本意そうな表情ではあったが、
龍麻に対する暴行を止め、この場を去っていった。
子分たちもわざとらしく唾を吐いたりしながら佐久間についていく。
ほどなくこの場には二人だけになり、いささか白々しい沈黙が流れた。
制服の埃を龍麻が払っていると、京一は木刀で自分の肩を軽く叩いて言った。
「あんまり目立った真似はしない方がいいぜ」
「目立つ……?」
「美里は学園中の憧れだからな」
京一の説明で、ようやく龍麻はなぜ自分が目をつけられたのか理解した。
あの佐久間という不良は葵に恋――などとかわいらしいものではなく、おそらく下卑た欲望だろう――していて、
彼女と親しく話す男は誰であれ許せないというわけだ。
おそらく龍麻以外にも、佐久間の洗礼を受けた男子生徒が何人かいるのだろう。
要するに龍麻は、とんだとばっちりを受けたというわけだった。
しかも葵とは席が隣であり、これからも火の粉が飛んでくるのを避けられそうにはない。
初日から面倒くさいことに巻きこまれた、と嘆息せずにいられない龍麻だった。
とにかく、得られた解答にうなずくと、ずきりと腹が痛む。
佐久間の殴打は訓練された打撃で、しばらくは痛みが後に残りそうだ。
それ以外の傷は大したものではなく、放っておいてもどうということもないだろう。
ただ、今日の結果はいかにも中途半端であり、去り際の態度からすると、
佐久間達の関心を失わせるという目的はどうやら失敗してしまったようだ。
できればこんな呼び出しは一度で済ませてしまいたかった龍麻としては、
邪魔をされたという意識こそあれ、京一に感謝する気にはなれなかった。
ゆえに龍麻は答えず、ただ黙して立ち去る。
少し足を引きずるようにしたのは、演技と、これ以上は話しかけられたくないからだった。
「けッ、礼のひとつくらい言っていきやがれってんだ」
京一の嫌味が背にぶつかる。
一瞬だけ龍麻は立ち止まったが、結局それ以上のことはせず、
そのまま歩を早め、家路についたのだった。
――その日の夜。
龍麻は巧みにマリアに見られないよう着替え、ベッドに潜りこんだが、
その程度で夜の支配者を欺くことはできなかった。
首筋に迫る気配は鳥肌が立つほど熱っぽく、龍麻はそれとなく身を強ばらせる。
しかし、今にも突きたてられようとした牙は、直前で急停止し、
頭の後ろのごく近くから牙にも劣らぬ鋭い声が肌を刺した。
「どうしたの、その傷は」
マリアが訊ねるのは当然だった。
龍麻は彼女にとって貴重な虜囚であり、彼を損なうことは計画の成就のためには決して許されないのだ。
マリアの声は自然と尖ったが、理由を訊けば納得するほかなかった。
佐久間猪三とその取り巻きは、真神學園でも最大の問題児だった。
学内のみならず学外でも数多く喧嘩や恐喝を繰りかえし、警察の世話になったことも一度や二度ではない。
未だ退学にならないのが不思議なほどの素行の悪さで、
そんな問題グループが就任一年にも満たないマリアに配属されたのは、
新任の外国人教師という立場なら、どの方向に事態が転がったとしても
最悪、マリアと佐久間を切り捨てれば良いという学校側の判断だろう。
マリアはその辺りの事情を容易に看破したが、どうせ一年経てば教師達も佐久間達も
まとめて闇の混沌へと沈むのだから、ととりたてて干渉もせず放っておくことにしていたのだ。
それがこんな形で足をすくわれることになって、マリアは自分の判断を悔やんだ。
「でも、反撃はしなかったの?」
龍麻の『力』があれば、五、六人の相手など簡単に倒せるだろう。
しかし、龍麻の怪我の具合はほとんど無抵抗に近く、その点をマリアは疑問に思ったのだ。
「もう少し殴られたら、しようと思ったんですけど、その前に止めに入った奴がいて」
龍麻が京一のことを話すと、マリアは頷きつつも驚いたようだった。
「そう、彼がね」
鳳来寺京一という生徒は多少品のある佐久間といった感じらしく、
授業には出ないか、出ても熟睡していることが多いし、喧嘩沙汰も一度や二度ではないのだという。
決定的に違うのは佐久間は手下を使って暴力を振るうのに対し、
京一は相手が大勢でも構わず一人で喧嘩を始めるということらしい。
生徒達には人気があるらしいが、いずれにしても教師の側から見れば困り者であり、
どうも異端の外国人教師に学校中の問題児をまとめて押しつけたようなのだ、と
マリアは軽い憎悪を込めて龍麻に説明した。
「わかりました。とにかく、佐久間達にはしばらく目をつけられるんじゃないかと思います」
「そうね……彼の性格からすると、一度呼びだして終わりというわけにはいかないでしょうね」
龍麻の予測にマリアも頷かざるを得なかった。
佐久間は狡猾であり、マリアの見ているところで龍麻に手を出したりはしないだろう。
しかしマリアも四六時中見張っているわけにはいかず、その役目を教え子に期待するのも難しそうだ。
「日本人は事なかれ主義、だったかしら? 自分に火の粉が及ばなければ、
目の前の火事すら通報しないそうだものね」
痛烈に皮肉った後で、マリアはつけ加えた。
「どうしても我慢できなくなったら、好きなようにしていいわ。後の処理はワタシがするから。
でも、殺すのはできれば避けて」
龍麻は頷いただけで、言った方も言われた方も、それ以上の反応は示さなかった。
なにしろマリアは人類社会を破壊しようと企てている存在であり、
龍麻もそれに加担しているのだ。
先に一人や二人程度減ったところで構わない、というのは当然の考えだった。
「わかりました……多分大丈夫です」
話は終わったと見てとり、龍麻は服を着ようとする。
するとマリアに手を掴まれた。
「待ちなさい……まだワタシの用事は終わっていないわよ」
マリアの瞳にいつのまにか妖艶な輝きが宿っていることに気づき、
龍麻はのしかかっている女性が、教師であり、同時に吸血鬼(であることを今更思いだした。
「ま、待ってください、後ろからお願いします……!」
「フフフ……ダメよ、手間が惜しいわ」
マリアは狼狽する龍麻にまたがり、身体を密着させて首筋に狙いを定める。
マリアはネグリジェを着ているといっても下着などは着用しておらず、
二人の肌を隔てているのは薄い布地一枚のみだ。
普通の男なら垂涎の状況だろうが、この若い人間は何に操を立てているのか、
目を閉じてひたすらに抗おうとしていた。
血を啜りたいというのとは別の欲求にも苛まれながら、マリアはまず自身の欲望を充たすため、
昨日の痕も残る右の首の付け根に牙を立てた。
「うッ……!」
下から強い力が加わる。
若い、頑健な肉体は、血の味を一層引き立てた。
そして、生命を吸われ、力を失っていく肉体は、軽いエクスタシーを迎えるほどの悦びをマリアにもたらした。
抵抗をあきらめた龍麻に四肢を絡め、マリアはさらに血を啜った。
この若い人間の血は、これまでに吸った誰の血よりも美味だ。
吸血鬼はどの血液型を好むか、などというのはくだらないジョークだが、
龍麻が秘める『黄龍の器』という能力は、彼の血を極上のワインよりも美味な液体に変えるようだった。
牙をさらに数ミリ沈め、マリアは紅い液体を我が物とする。
口から腹へ、龍麻の血が落ちていくのと同時に、脊髄にも何かが、首から腰へと走り抜けていった。
「あぁ……ッ……!」
思わず吐息を漏らしてしまうほどの愉悦。
身体の中心に落ちた昂ぶりは、そのまま下腹をも舐め、マリアの秘所へと溜まっていった。
熱が細胞へと行き渡り、マリアは火照った身体を最も手近にあるものに押しつけた。
「……っ……!」
若い牡は、はっきりわかるほどペニスを勃起させていた。
吸血鬼に血を吸われる代償。
生命と引き替えに快楽を得る人間は、やがてセックスなど比較にもならないそれに心を犯され、
ついには死ぬと解っていても自分から血を差しだすようになる。
マリアはまだまだ龍麻を殺すつもりなどなかったが、
彼が望むならば、死へと至る恍惚の階(を、少しなら歩ませても良いと考えていた。
龍麻は憎むべき種族(であるし、彼らにかける情などマリアは持ち合わせていないが、
龍麻という個体に対する興味が、闇の種族であるマリアの琴線にわずかながら触れていたのだ。
計画に支障をきたさない範囲で、彼女の気まぐれが続く間は、
普通の人間では決して得られない、闇に魅入られたものだけが束の間手に入れられる快楽を教えてやろう。
しかし、そんなマリアの意図を、龍麻は汲まなかった。
ほんの少し両腕を動かし、闇を抱きしめれば、望んでも手に入らない悦びを与えてやろうというのに、
このたかだか十八年程度しか生きていない人間は、肉体を支配されながらも、
心は最後までマリアに屈しなかったのだ。
二日連続で弄ぼうと思っていた相手に拒絶され、マリアのプライドは深く傷ついていた。
昨日の今日でいきなり陥落するとは思っていなかったが、
龍麻は指先すら触れさせようとはせず、ここまで意志が強いとは想像を超えていたのだ。
急速に醒めていく昂揚を牙の先に封じこめ、マリアは上体を起こした。
「終わり、ですか……?」
「ええ」
龍麻の声に名残を惜しむ気配はない。
努めて短く答えたマリアは、彼から離れようとしてはだけているパジャマに気づき、整えてやった。
龍麻は止めようとするが、血を吸われた直後だからか、動きに張りがない。
「じ、自分で着れますから」
「フフ、恥ずかしがらなくてもいいのよ」
狼狽する龍麻に、ようやくいくらか溜飲を下げたマリアは、
ことさら時間をかけてボタンを留めてやってから、
ベッドに本来の役目を果たさせるため、龍麻の隣に横たわったのだった。
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