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「話がある」
「だ、誰だお前……」
意識を没頭させていたのか、目の前に立たれても気づかなかった男は、
龍麻の呼びかけに、それだけで怯えた声をあげた。
声は弱々しく、甲高い。
すでにして捕らえられた獲物のようにせわしなく辺りを見渡す男を、龍麻は乱暴に立たせた。
男は中学生か高校生か、一見しただけでは判別できないくらい小柄だった。
小柄なだけでなく、この年代の男が否応なしに持ち始める男っぽさもほとんど感じられず、
見るからに気の弱そうな顔立ちをしている。
ただ、それほど邪悪な人間には見えず、龍麻は本当に彼が犯人なのか、束の間反応に迷った。
だが、水晶玉ひとつで葵の衰弱の原因をつきとめたミサを信じ、ここは強気に出ることにした。
「俺のことなんかどうでもいい。今すぐ美里葵にしていることを止めろ。
でないと痛い目を見ることになる」
思いきった恫喝は期待以上の効果を上げた。
もともと血色の良い方ではない男の顔色が、葵の名を聞いた途端、
コンクリートのような灰色に変じたのだ。
さらにはそのコンクリートも砕けんばかりに男は狼狽したが、
大きく後ずさりしながらも、最後の虚勢を張った。
「証拠はあるのかよ……!」
その一言が致命的であるとも気づかず男は龍麻を睨みつける。
彼が犯人であると確信した龍麻は、声に凄みを利かせた。
「勘違いするなよ、俺は警察じゃないから法の裁きなんて受けさせるつもりはない。
それにお前が美里さんを拐かそうとした手段、俺がお前を捜し当てた手段、どっちも日本の法律には触れない。
お前がこのまま美里さんを苦しめようっていうのなら、俺は俺のやり方で止めるだけだ」
深く息を吸いこみ、龍麻は忌まわしい力を用いる準備を始める。
ゆっくりと肉体に満ちていく、強烈な破壊の力。
初めて自分に異常な力があると知ってから十年あまり、使い方を学ぼうなどとは思わなかったが、
どうすれば発動してしまうのかは調べていた。
怒りで我を忘れた時、人を殺しうるほどの力が発現する他、
意識が霞むくらい深い呼吸を繰りかえすと、かなり小さいながらも同様の力を操れることを知ったのは、
ごく最近のことだ。
この疎ましい力を発動させないために、感情を抑制し、他人との関わりを避けるようになった。
それでも、普通に生きる人ならばおよそ出会わないような事件に、龍麻は遭遇してしまう。
引き寄せるのか、引き寄せられるのか、それとも押しつけられているのか。
いずれにしても、それがこの超能力――
スプーンを曲げるよりも役に立たない『力』を持った代償なのかもしれない。
決して望んで得たわけではない『力』といえども。
龍麻の身体の内側に、風船のように何かが膨らんでいく。
それも丸い風船ではない、人の形をした、途方もなく伸びるゴムでできた風船が、
全身の何箇所かから同時に空気を送りこまれたように膨張していった。
皮膚という外装に留められたそれは、早く用いよと龍麻に命ずる。
それを無視して龍麻は、龍が己を倒しに来た矮小な人間を見るように男を睨(ね)めた。
龍麻の『力』は外側からは見えないはずだったが、男は気圧され、また一歩後ずさった。
その胸ぐらを掴み、龍麻は右の掌を腹に押しあてる。
もはや虚勢も失い、カチカチと歯を鳴らす男に、マリアが欲する力のごく一部を解放した。
「……ッ、がはッッ……!!」
膨大な力の塊が、男の肉体を撃った。
胸を掴まれることで力の大半をまともに受けた男の、口から多量の体液が迸る。
密着し、添えた掌を一ミリも動かさずに放たれた力は、
プロボクサーのパンチすら凌駕する衝撃をもたらしていた。
中学生程度しかない肉体ではとうてい耐えきれるものではなく、男は前のめりに崩れおちる。
間髪おかず男を引きずり起こした龍麻は、まだ呼吸もままならない喉を縊(るように掴み、
声を低めて言い放った。
「このままだと美里さんは死ぬ。なら、お前も殺されるだけの覚悟をもっているんだな?」
「……僕は葵を殺すつもりなんてない。ただ一緒に、僕の王国で永遠に暮らしてもらうだけだ」
腹を押さえ、悶絶しながらもなお抵抗する男に、龍麻は二度目の『力』を与えた。
「うぐッ、ぐぇェッ……!」
男は圧倒的な暴力に白目を剥き、のたうち回る。
龍麻は無感情にその様を見下ろしていた。
分不相応な力を持ってしまったがために、過ぎた欲望を抱いた男に、かける同情はない。
この男も葵の傍に龍麻がいなければ邪欲を貪ることができたのだろうが、
偶然であれ必然であれ、龍麻はそこにいた。
「夢の中の王国、ってわけか。けど美里さんは人間だからな、ずっと眠ったままではいつか死ぬ」
「うるさい……!」
男はあらゆるものから逃れるように両耳を塞ぎ、目をつぶる。
彼が話を聞かなかろうが閉じこもろうが龍麻にはどうでもいい。
だが、葵に対する干渉だけは止めさせなければならなかった。
「いいか、もう一度だけ言う。今後一切美里さんに近寄るな。
そうすればお前のことは放っておいてやる。だけど次に何かあったときは」
うずくまって動かない男の髪を掴み、無理やり目を合わせる。
男の目はすでに虚ろで、聞こえているかも怪しい。
それでも構わず龍麻は通告した。
「死ぬよりも怖ろしい目に遭わせてやる」
生徒手帳を取りあげ、名前と住所、通っている高校を確認してから、男を解放する。
もし次に龍麻がこの男の元を訪れる時も、裏密ミサの助けを借りるだろうから、
これらの確認は儀式にすぎない。
しかし、身元が割れ、逃げ場所を失うという恐怖は、確実に抑止力となるだろう。
ならなければ、与えられた猶予を破った代償を彼が支払うだけのことだ。
踵を返し、龍麻は公園を後にする。
彼の嗚咽が、生ぬるい風に乗ってかすかに漂ってきたが、もはや龍麻に関心はなかった。
乱れていた制服をととのえ、自宅、といってもマリアの家だが、帰る道すがら、龍麻はふと考えた。
今日の一件は、マリアに報告する必要があるのかどうかを。
やや考えて龍麻は、訊かれなければ自分からは言わないでおこう、と決めた。
大したことではないから、というのが理由で、それに半ばは納得したが、
それだけではないことも、龍麻は自覚していた。
自分自身の心に嘘をつくのは、何故なのか――
その問いに、答えは浮かんでこなかった。
毎夜の儀式が始まる。
背を向けて横たわる龍麻の首に、マリアは唇を這わせる。
愛撫と、それ以外のものが混じった淫らな動きは、ある一点で止まった。
マリアは極上の悦びに、厚みのある紅をかすかに震わせ、顎に力を加えていく。
「……っ……」
日々の行為で慣れたのか、龍麻の悲鳴は最初の頃から較べると、ずいぶんと小さくなっていた。
ともすれば吐息に混じって消えてしまいそうなそれを、マリアは挑発するように手足を絡みつかせる。
足を割りこませ、夜着をまくりあげて胸をまさぐり、さらには下腹で硬くなりだしたものにも触れた。
それでも龍麻は、拒む。
何がそこまで頑なにさせるのか、マリアに肉体的な快感のほとんどを引きだされながらも、
重い荷を結わえられた綱を引くように歯を食いしばり、屈しまいとしていた。
けれども、それは勝ち目のない闘いだった。
抵抗も逃走も許されず、ただ耐えるだけ。
身体中を冷たい指に撫でまわされ、両足には肉感的な足を蔦のように巻きつかされ、
さらに無視するにはあまりに蠱惑的な双の乳房をあてがわれ、
並の龍麻ならとっくに溶けてしまっているところを、龍麻は驚異的な精神力で耐えていた。
マリアが撫でるペニスは、すでに完全に勃起し、それどころか早くも破裂の予兆を見せている。
マリアがもう何度かさすれば、あっけなく精を噴きだし、
わずか数分しか保たなかった龍麻のプライドを粉々に砕くだろう。
だが、マリアは手を離す。
手中に収めた猛る肉茎を、猫が興味を失うようにあっさりと解放してしまった。
快感が途切れ、強ばっていた龍麻の身体が緩む。
その瞬間、マリアは龍麻の首筋に、己が当てていた牙を鋭く突きたてた。
「う、あぁッ……!!」
絶頂にも似た妙に艶めかしい喘ぎが、龍麻の口を裂いて放たれる。
同時にマリアは龍麻から零れだした赤い液体を啜りはじめた。
興奮で熱せられた血液は、龍麻の血が持つ希少性と相まって疼きにも似た恍惚をもたらす。
もしも同族が居たなら、この血を巡って奪い合いが始まってしまうかもしれない。
吸血鬼にとってそれほどに美味な血液を、マリアは時間をかけて吸っていった。
再び龍麻の身体を、今度はスローペースでまさぐりながら、マリアはふと気づいた。
今日の血は、いつもと違う。
美味なのに変わりはない。
だが、何がどう、と説明するのは難しいが、何かが微妙に違うのだ。
何かあったのかどうか、訊こうとして迷い、マリアは結局止めた。
「血の味が違うのだけれどどうしてか」
などと訊かれて龍麻も答えられるわけがないし、
龍麻は真面目な男だから、それでも何か推測しようと考えてしまうだろう。
そんな場面は見たくなかった。
少なくとも、ベッドの中では。
吸血を終えたマリアは、いつものように「おやすみなさい」と囁き身体を離す。
龍麻もいつものように返事を返し、そして沈黙が訪れた。
枕に頭を乗せる寸前、マリアは龍麻を盗み見る。
今日に限ってマリアは、寝る前にもう一度龍麻の顔を見たいと思ったのだ。
見てどうするわけでもない。
ただ、自分でも予想のつかないところから、急にそんな考えが浮かんだのだ。
だが、彼は昨日までと変わらぬ姿で、背中を向けたままだった。
仕方なくマリアは目を閉じる。
――そうしなければ、龍麻が眠らないとわかっていたから。
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