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 二人はミサを伴い、再び保健室へと向かう。
小蒔は駆けださんばかりだったし、龍麻もかなり早足で歩いたが、
ミサは間延びした喋り方同様、のんびりとした歩調でついてきた。
保健室までは大した距離でないとはいえ、小蒔はかなり苛立ったようで、
二人を待たずして室内へと入っていった。
 一縷いちるの望みを託してはいたが、葵はまだ目覚めていなかった。
よほど疲れているのね、という保健医の呟きにあいまいに頷いておいて、龍麻たちはベッドの傍らに立つ。
傍目には保健医の言うとおり、単に眠っているようにしか見えない。
しかし彼女の精神は内側から、白蟻のような何者かに蝕まれつつあるのだ。
 葵がどんな男性と交際しようと、どんな人生を歩もうと龍麻には関係ない。
数ヶ月後には、彼女は住む東京まちもろとも大破壊を迎えるのであり、
その運命を与えるのは他ならぬ龍麻だからだ。
だから龍麻は葵も含め他人との接触を可能な限り断ち、いかなる思いも彼ら、
あるいは彼女たちに抱かないようにしていた。
そうすればあの仰ぎ見たビルの住人と同様、龍麻は死ぬ瞬間まで彼らの顔を思い描かずにすむのだから。
 しかし、昏睡する葵に、龍麻は彼女が受けている、
あまりにも卑劣な行為に対する義憤めいた感情と同時に困惑を抱かずにいられなかった。
関わるまいとしているのに、なぜ彼女とは運命が交錯するのだろうか。
まだ二回目だから、偶然なのかもしれない。
その二回ともがあまり普通とはいえない状況だったとしても、
この世界には吸血鬼や人ならざる力を持つ人間が存在するのだから。
 龍麻は頭を振り、そうに違いないと思うことにした。
運命や宿命などといった甘ったるいものはこの世界に存在しない。
でなければ、龍麻やマリアばかりが過酷な人生を歩まなければならない理由などあるはずがないからだ。
たとえ葵と三度関わることがあったとしても、そこに必然を認めるわけにはいかなかった。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
 険しい顔をしていたのか、不審げに訊ねる小蒔の方は見ずに龍麻は答える。
小蒔も本気で心配したわけではないようで、すぐに葵の方を向いた。
 ベッドでは、ミサが葵の腕を取っている。
もう彼女がなにがしかの力を持っていることを疑っていない龍麻は、黙って成り行きを見守った。
 力を借りる、というのは大げさな話で、実際は、
水晶玉で幻視する時に使った硯のようなものに、葵の指を触れさせただけだった。
あれが神秘的な力を発揮する何かの触媒なのだろう、とは薄々解ったが、
詳しい原理や由来などは解るはずもなく、また知りたいとも思わなかった。
肝心なのは葵に攻撃を仕掛けている人物の居場所が判るかどうかで、
そこから先は龍麻の出番となるはずだ。
 ミサが、葵に触れさせていた物体を取りあげる。
固唾を呑む二人の前で、募金箱を持つように物体を胸の前に掲げたミサは、
一切の説明をすることなく回転し、困惑する龍麻と小蒔をよそに、あらぬ方を向いて止まった。
「思念は〜、こっちの方から来ているわ〜」
「こっち……って」
 壁に向かって話しているミサに、小蒔は何と言ったものか戸惑っているようだ。
龍麻も同感で、彼女の加勢をしようと口を開いたとき、ミサが続けた。
「距離は〜、だいたい十キロくらい〜」
 それこそが知りたい情報だった。
龍麻は東京の地理に詳しくないので、小蒔に助けを求める。
 小蒔もいきなり東に十キロ先はどの辺りかと聞かれて眉間に皺を寄せていたが、やがて
「墨田区の辺りかな……?」
 と見当をつけた。
これで範囲は相当狭まったことになる。
さらにミサはもう一つ、そのまま物体を縮小したような小さな黒い塊を、龍麻に手渡した。
「こっちは〜、かなり狭い範囲しか反応しないけど〜、その分正確に捜せると思うわ〜。
でも貴重だからちゃんと返してね〜」
「わかった、ありがとう……必ず返すよ」
 ミサの助力は充分すぎるほどで、探知機をポケットに入れた龍麻は、
本心から礼を言い、さっそく墨田区に乗りこむことにした。
「ボクも行くよ」
「いや、俺一人で行く」
「でも……!」
 小蒔が一緒に来ようとするのは予想できていたから、龍麻は強い口調で拒否することができた。
最初から平和裡に解決できるなどという楽観はなく、一人で行くつもりだったのだ。
「桜井さんは美里さんの傍にいてあげてくれ。今日中には決着をつけるつもりだけど、
もしこれ以上体調が悪化したら、誰かが看ていないとまずい」
「それは……そうだけど……」
 龍麻の説得は反論の余地のないものだったので、小蒔も引き下がるしかなかった。
もう一度葵の容態を看ているよう強く念を押した龍麻は、
これ以上の事態の変化が訪れる前に決着をつけようと決心し、保健室を後にした。
歩いていたのは学校を出るまでで、そこからは不思議なほどの昂ぶりに衝き動かされるまま、
ほとんど全力で墨田区へと向かった。
 東京の街を、龍麻は駆ける。
二十三区内に居る一人の人間を、たった一人で捜そうとするのは、
東京に大破壊をもたらすよりも難事に違いなかった。
まして期限はほとんどないとくれば、裏密ミサの助力がなければ全く不可能だっただろう。
 保健室でミサが邪念の、おおよその方向と距離を測ってくれたおかげで、
龍麻はまっすぐ墨田区に向かうことができた。
それだけでも負担は計り知れないほど軽くなったが、ミサが貸し与えてくれた宝石は、
それが持つ超自然的な力によって着実に龍麻を導いてくれた。
見た目は表面に何らかの図形が刻まれた四角い石でしかないのに、
墨田区に入ってしばらくすると、小刻みに震えだしたのだ。
慌ててポケットから取りだした龍麻は、石に何の仕掛けもないのを確かめると、
それ以上は考えないことにした。
 石は一定の間隔で震え、龍麻が歩くにつれて間隔が短くなっていく。
目標に近づくに従ってそうなるのだということを理解すれば、あとは簡単だった。
着実に近づいているという確信を糧に、両足を動かしていけばいいのだ。
ポケットに手を突っこみ、石を固く握りしめ、龍麻は猟犬の獰猛さで墨田区を探索していった。
 石は、公園に龍麻を導いていた。
すでに震えはポケットの中に収めていても分かってしまうくらい大きく、
おそらくこの公園内に敵はいるのだろう。
龍麻は草木に姿を隠しながら、油断なく辺りを見渡した。
 平日の昼間の公園は、人影もまばらだ。
ベンチに座っている老人や、赤ん坊を連れた母親などは、
あきらかに今回の件とは無関係なので、彼らは除外して捜す。
公園の奥に進むにつれ、石の反応はますます強くなり、龍麻は一歩一歩、左右を警戒して歩いた。
 だが、公園の半分を過ぎ、さらに奥へと進んだところで、石の反応は弱くなってしまう。
見落としてしまったか、と焦った龍麻は、来た道を振り返り、そこで失策に気づいた。
 敵が今も葵に精神からの接触を試みているのなら、少なくとも意識の集中くらいは必要なはずだ。
葵は二時間以上も眠ったままなのだから、敵も人目につかないところで干渉を行っている可能性が高い。
この公園は木が多く、人目をやり過ごせそうな場所はいくらでもあるのだ。
のんびりと歩道を歩いていては、見つけられるはずがなかった。
 自分のうかつさを呪いながら、龍麻は再び公園内を戻った。
石の反応が再び強まったところで、今度は人ではなく、場所を探す。
木々の奥、歩道からは目につかない陰の部分。
焦れる時間が過ぎ、それほど暑くはない陽射しの下で、
額に汗が滲み始めた頃、ついに龍麻は目的の人物を発見した。
 近づく前に、逸る心を抑えて観察する。
ある程度予想は立てていたが、敵は男、それも学生服を着ているので、龍麻たちと同年代のようだった。
木の下に膝を抱えてうずくまり、一見すると悲しみにふけっているようにも見える。
しかしこの男が犯人なら、卑劣にも夢を利用して葵を襲い、一方的な欲望をぶつけようとしているのだ。
今も、なぜここで行っているのかは不明だが、常識では説明のつかない力を使って、
遠く離れた新宿にいる葵に夢から接触を図っている最中なのだろう。
 そして幸いなことに、男は一人だった。
直接的な手段ではなく、無防備な精神世界から襲おうとするくらいだから、
複数犯ではないと思っていたが、この場に一人しかいなければどういう対応をするにしても好都合だ。
 龍麻は音を立てず、逃げられない距離まで近づくと、一気に男の前に立った。



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