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皇神学院高校。
都心千代田区にあって浮世離れしたたたずまいを見せるこの高校の三年生である
天后芙蓉は教室を後にすると、人気の少ない部室棟へと向かった。
授業が終わった直後だったが、その校風故か、廊下を走る生徒などおらず、
皆、制服の上から見えない着物でも着ているかのように静かに歩く。
恐らくこの高校始まって以来の例外は、友人──あくまでも彼女の主にとって──の、
村雨祇孔唯一人だろうが、そもそも芙蓉は彼に学校で会った事がなかった。
三年生まで進級はしているのだし、会う時もいつも制服を着ているのだから、
出席はしているのだろう。
歩きながらそんな事を考えた芙蓉は、
ふと自分がどうしようもなく無駄な思考をしている事に気付いてわずかに眉をしかめた。
いくら式神である自分には無限に近い時間があるとしても、
よりにもよって村雨の事などを考えて貴重な時の砂をこぼすのは愚の骨頂というものだ。
そんな事を考えながらいつのまにか電脳部の入り口の前に立っていた芙蓉は、
正確に同じ大きさで二回扉を叩くと、音を立てずに開けた。
表面上は他人とは言え、同じクラスなのだからそこで話せば良いものを、
何に気を使ってか部室に呼び出す辺りがいかにも彼女の主らしかった。
明りこそ点いているものの、
御門以外に誰もいない部室はコンピュータのファンの音だけが静かに響いていた。
芙蓉は御門以外の部員を見た事がなかったが、
電脳部が潰れていないと言う事はそれなりにはいるのだろう。
それに、そうでなければこれだけの台数のコンピュータがある事実に説明がつかない。
芙蓉はこの得体の知れない機械などに何の興味もなかったが、
彼女の主は平安の世から連綿と続く陰陽師の家系の癖に、
この現代が産み出した最新の道具にいたくご執心だった。
それだけならまだしも、何のきまぐれか、
御門はたまに芙蓉にも使い方を覚えるよう迫ってくる事があり、
いやいやながら触らされた時などはその後に必ず三時間ほども舞って
気を鎮めなければいけないのが今の彼女の悩みの種であるほどだ。
軽く教室を見渡した芙蓉は、彼女の主が教室の奥に座っているのを見つけて歩み寄った。
横に立っても御門はしばらくモニターから目を離さなかったが、
別に意地悪をしているのではなく、いつもの事だ。
彼に言わせればこの程度で腹を立てるような人物とは付き合う必要も無い、
言わば人物鑑定をしている、という事らしいのだが。
「ああ、来ましたね、芙蓉。これを」
ようやくモニターから顔を上げた御門は、芙蓉に一通の封書を差し出した。
差し出された、いやに古めかしいそれを受け取ると、素早く目を通す。
そこには裏密ミサという差し出し人の名で、自分に協力して欲しい用があるので
真神学園に来て欲しい旨が記されていた。
「わたくしに、行けと仰るのですか」
芙蓉がそう言ったのは御門の意に疑問を呈したのではなく、真意を知りたかったからだった。
真神学園の名は知っている。
御門を通じて知り合った緋勇龍麻と言う学生が通っている高校だ。
だが、この裏密ミサという名は初めて耳にするものだった。
「ああ、お前は知りませんでしたね。この裏密ミサという女性、
一介の高校生の分際で中々に面白い知識を持っていましてね。
その彼女が協力を求めて来たので、いささかの興味を持ったのですよ」
滅多に人を褒める事など無い御門がここまで言った事にわずかに驚きつつ、
芙蓉は主の意思をある程度読みとっていた。
要するに、ミサと言う人物がどの程度の物なのか探りを入れて来いと言う事なのだろう。
「承知致しました。それでは明日にでも行って参ります」
「ええ、よろしく頼みましたよ」
芙蓉は慇懃に一礼すると、自らの部活動を行う為に電脳部室を辞した。
元より御門の命令なら死ねと言う物であっても
──式神である彼女には「死」は無いも同然だったが──
御門に従う事こそが存在意義の全てだと考えている芙蓉が断るなどあり得なかったのだが、
それにしても、今回の件は少し毛色が変わっているような気がした。
それは実は気のせいなどでは無く、
この出来事は芙蓉にとって重大な意味を持つ事になるのだが、
もちろん今の彼女がそれを知る由も無かった。
次の日、真神学園を訪れた芙蓉は、皇神学院の制服ではなく、黒のスーツを纏っていた。
圧倒的な知性美を放つ彼女に男女問わず何本もの好奇に満ちた視線が向けられるが、
そのどれもを平然と無視して芙蓉は校舎に向かう。
もともと高校生離れした顔立ちの彼女は誰かの保護者だと思われたのか、
特に誰かに誰何される事も無く目的の場所に着く事が出来た。
かかっている表札にオカルト研究会と書かれているのを確認して、静かに扉を叩く。
「どうぞ〜」
「失礼至します」
いやに間延びした声に出迎えられて、芙蓉は部室の中へと足を踏み入れた。
何の変哲もなかった扉の内側は、よくもここまで変えたものだ、
と思わず要らぬ感想を抱いてしまうほどおどろおどろしさに満ちていた。
閉め切られたカーテンの中、蝋燭の炎だけが薄暗く部屋の主を照らしている。
おそらく裏密ミサなのだろう彼女は、人の容姿になど関心を持たない芙蓉の目からしても、
正面からでは目がほとんど見えない分厚さの眼鏡をかけ、
全く似合わない鉢巻をしているというさえない風貌だった。
「天后芙蓉、晴明様が命により参上致しました」
「うふふふふ〜、私が裏密ミサよ〜。今日は来てくれてありがとう〜、ミっちゃんは元気〜?」
芙蓉はミっちゃん、というのが自分の主を指しているのに気付くまで数秒を要した。
珍しく不快感を覚えた彼女は、それを表に出さないように努力しながら応答する。
「はい。お陰様を持ちまして、滞り無く」
「そう〜、良かった〜」
何が良かったのかさっぱり判らないまま、芙蓉はさりげなく室内を見渡す。
古今東西、ありとあらゆるオカルトに類する物が無秩序に置かれていて、
その中には自分でさえ初めて目にする物が多数あった。
確かに、晴明様が褒めるだけはある。
そんな感想を抱いた芙蓉が口にしたのは、いたって事務的な台詞だった。
「それで、わたくしはどのような事を協力すればよろしいのでしょうか」
「せっかちなのね〜。それじゃあ、服を脱いで〜」
「……お戯れを」
あまりに訳の判らない展開に、流石の芙蓉もとっさに返事が出来なかった。
先程からどうも、この女性は微妙に自分の律動を乱す気がして、
意識して苛立ちを声に含ませつつ、芙蓉は冷たい瞳でミサを真っ向から見据える。
心にわずかでも邪気がある者なら、ひれ伏すか、逃げ出すか──そんな視線だった。
「ミサちゃんは〜、精霊に誓って〜、冗談は言わないわ〜」
「……そうですか。そのようなご依頼、お受けは出来ません。
用向きがそれだけでしたら、失礼ですが帰らせて頂きます。
この度のわたくしの無礼は、いずれ我が主より謝罪をさせますゆえ」
あくまでも礼儀正しくミサの申し出を拒絶した芙蓉だったが、
余程腹に据えかねるのか、返事も待たずに踵を返そうとした。
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