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 夏を迎える東京で発生した、女性ばかりを狙った連続誘拐事件。
偶然犯行を目撃し、犯人を追った龍麻たちは、見事事件を解決することができた。
「ふゥ……参ったぜ、事件を解決するためとはいえ、下水道に潜るハメになるなんてよ」
「ホント、制服に臭い移っちゃったよ……取れるかな、これ」
 ムードメーカーである京一と小蒔の口調も重く、
残る三人は口すら開こうとせず疲労を顔にありありと浮かべている。
それもそのはずで、龍麻たち五人はついさっきまで東京の下水道に潜入し、
三時間以上も歩き続け、さらには異形の敵と戦ってきたのだ。
小蒔が言ったとおり臭いはすでにしっかりと染みこんでいて、お互いそれとなく距離を置いて立っている。
龍麻と京一、それに醍醐の三人は男だからまだいいとしても、
葵と小蒔の女性組は薄暗闇で判別はできないが、泣きそうな顔をしているのは想像に難くなかった。
「こんな辛気くせェ気分を取っ払うにゃラーメンだよなッ。行くだろ龍麻?」
 いつもなら一も二もなくうなずく京一の提案に、龍麻は同意しなかった。
別にラーメンを食べ飽きたということではなく、腹が減っていなかったというわけでもない。
ひとつには臭いで入店拒否されるかもしれないという懸念があったのだが、
もうひとつ、京一の横にいる小蒔の、意味ありげな視線を感じたからだ。
五人の中でもっとも良く喋り、思ったことはたいていその場で口にする彼女が、
こんな風に明らかに後で話をしたい、と催促するのは珍しく、
ラーメンと天秤にかけても、若干競り勝つくらい興味をひいたので、
龍麻はいかにも残念そうに肩をすくめてみせた。
「悪い、今月ちょっとピンチなんだ」
 金がないからつきあえない、というのは最も興ざめさせる断り方ではあるが、
慢性的に手元不如意である高校生ならばどうしようもないことでもある。
実際、金がないのを理由に断った回数なら龍麻より多い京一なので、
龍麻の返事に鼻を鳴らしたものの、強いて誘うようなことはなく、
もちろん奢ってやるぜとも言わなかった。
「ちッ、しょうがねェな、それじゃ今日は二人で行こうぜ、タイショー」
「ふむ、そうだな。すまんが緋勇、俺たちは行かせてもらうぞ」
「ああ、こっちこそ悪いな」
「いいさ。その代わり美里と桜井をよろしく頼んだぞ」
 醍醐は小蒔の思惑に気づいたわけではなく、単に夜だから気をつけろ、という意味で言ったにすぎない。
それがわかっている龍麻は、返事を小さく頷き返すだけにして、二人が踵を返して街に出て行くのを見送った。
 二人の姿が見えなくなってから、小蒔がようやく口を開く。
「あのねひーちゃん、お願いがあるんだけど」
 そう切りだした小蒔の頼みとは、確かに京一や醍醐の前でできる話ではなかった。
「ボク達お互いの家に泊まるってことにしたじゃない。だからさ、帰るところないんだよね、今日」
 葵と小蒔は夜遅くなるということで、事前に家に連絡をした。
その際まさか下水道に潜るとはいえず、無難に友達の家に泊まると嘘をつくことにしたのだ。
そこまでは順調だったのだが、事件の解決が予想外に早く、
まだ日付が変わるまで三時間以上はある。
となると嘘が裏目に出てしまい、二人は行き場をなくしてしまったのだ。
しかも、それまでいた場所が下水道なので、全身に臭いがついてしまっている。
これをなんとかしなければ、どこで時間を潰せるものでもないし、
それ以前に女子高生にとって身体からどぶ川の臭いがするなど、一秒だって耐えられるものではないだろう。
「それでね、できればシャワーとか使わせてもらえたらな、なんて」
 だから弱めの提案であっても、龍麻には真意が良く理解できた。
龍麻でさえさっさと帰ってひとっ風呂浴びたいと思っていたくらいだから、
二人のストレスは相当なものだろう。
「図々しいお願いだけど、ひーちゃんしか頼める人いないんだ」
「お願い、緋勇君」
 そんな事情もあるし、もともと葵と小蒔に頭を下げられて断れる龍麻ではない。
加えて龍麻は善良だが男であり、同級生二人が夜遊びにきて、
シャワーを浴びるという光景を、全くなんにも邪な気持ちを抱かずに想像できるはずもないのだ。
たとえ期待したようなことが一切起こらなかったとしても、
寝るまでの短い時間、三人で話すくらいはできるだろう。
そして何より、これは彼女たちの方から頼んできたのだという事実が、
龍麻の良心、あるいは邪心のハードルをぐっと引き下げさせていた。
「いいよ、俺の家でよかったら」
「やった! 良かったね葵ッ」
「ええ、本当にありがとう、緋勇君」
 美里葵と桜井小蒔。
真神學園でも一、二を争う人気の二人に感謝されて、龍麻は下水道バンザイと叫びたくなるほどだった。
そうと決まれば善は急げなので、二人を率いて龍麻は、麗しの我が家へと向かうのだった。

 鍵を開けるときに手が震えたのを、龍麻は隠し通した。
緋勇龍麻がこの築年数七年、バストイレ付きの一人暮らし用アパートに住み始めて三ヶ月、
ついに蓬莱寺京一と醍醐雄矢以外の人間を迎えいれることに相成ったのだ、多少の緊張はして当然だろう。
それも女性、さらには同級生、もうひとつおまけにつけるなら龍麻ならずとも憧れる美少女二人なのだから、
鍵を落として蹴っ飛ばし、それが排水溝に落ちても恨めないくらいの僥倖だ。
思いがけない幸運に出会ったとき、人はそれと気づかずに手放してしまうことがある。
そうした人々に較べれば、龍麻は幸運を自覚していたし、それを逃さないよう努力することも怠らなかった。
 だから数日前にたまたま掃除したのが幸いして小綺麗な室内に二人を招き入れた時も、
部屋に入るなり小蒔が
「さっそくで悪いんだけどさ、シャワー借りてもいい?」
 と言った時も、ただ浮かれて頷いただけではなく、ちゃんとその間に見られては困るものを
隠し直す算段を練っていたのだった。
「ね、葵、一緒に入っちゃおうよ」
 そして素面で聞くのは大変なことを、小蒔はさらっと言ってのける。
この家の浴室はそれほど広くなくて、二人が同時にシャワーを浴びるのはちょっと大変かもしれない。
しかし、訊かなかったのは小蒔であり、龍麻の責任ではないはずだ。
とりあえずどのような運びになるか、口を出さずもう少し見守ってみようと龍麻が考えたのは、
十八歳の男として決して責められる態度ではないだろう。
「ええ、でも……」
「いいじゃないたまには。ひーちゃんだってこの臭いさせたまま待ってるのイヤだろうし」
「……そうね」
 それは確かにその通りだったから、葵がうかがうように見たとき、
龍麻はイヤではないけどできればそうして欲しい、という微妙な眉の寄せ方をした。
葵はしっかり表情を汲みとってくれて、小蒔の提案を呑んでくれた。
 実のところ、二人が一緒に裸身を泡で包んだところで、
まさかお互いに優しく泡を擦りつけあうわけはないだろうし、
それ以前に二人が身体を洗うという、絵のテーマになりそうな麗しい光景を眺められるはずがないので、
龍麻にとっては一人で入ってくれようが二人で入ってくれようがどちらでも良いのだ。
 しかし、想像の翼は男を駆り立てる。
時に遥か天空の彼方まで、たとえイカロスのごとく最後は焼け落ちても、
一瞬の煌めきに男は命を賭けられるのだ。
 狭い浴室で、半ば抱きあうように身体を洗う二人。
 戯れながら身体のあちこちを触りあう二人。
 ひそひそとシャワーを快く提供してくれた家主を褒める二人。
 そこに可能性がある、というだけで龍麻には充分だった。
 退屈な午後の授業がこれから始まるとでもいうような無表情を装いつつ、
龍麻は二人を浴室に案内する。
大した広さではないもののちゃんと脱衣所兼洗面所があるのは、
部屋を選ぶときは大して重要視していなかったが、思わぬボーナスポイントとなってくれた。
もしも風呂トイレ共同などというアパートを選んでいたら、
二人がいくら龍麻に好意的であったとしても言葉を選んで丁重に帰ったに決まっており、
龍麻は己の顔面を形が変わるまで殴りつけていただろう。
 喜んで室内を見渡した小蒔が、さらにボーナスとなる物体を発見してくれる。
「うっわー、ひーちゃん家乾燥機まであるんだ!」
 服が乾かなければあるものを着るという思想が根付いている龍麻は、
その立方体に近い箱状の物体の、存在すら忘れかけていた。
というか、葵と小蒔がシャワーを浴びたいという話になったとき、
衣服の存在に考えが及んでさえいなかったのだ。
 服を洗うのならば、着るものがなくなる。
着るものがなくなるならば、裸で過ごす。
自分ならそうするという理屈を思わず頭の中で二人に適用してしまい、
龍麻は慌てて口許を押さえた。
二人の一糸まとわぬ姿が浮かんで、鼻血が出そうな錯覚がしたのだ。
「ね、ね、葵、使わせてもらおうよ」
「で、でも、あんまり図々しいのも緋勇君に悪いわ」
「平気だって。ね、ひーちゃんいいよね?」
 邪な想像に晒されているとはつゆ知らず、小蒔は可愛い笑顔で頼む。
あからさまに取り繕う龍麻の笑顔にも心ここにあらずという様子で、
葵の背を押すように洗面所へと入っていった。
 閉まった扉を龍麻は、しばらく腑抜けた顔で眺める。
近くて遠いあの扉の向こうで、今同級生の女の子二人が生れたままの姿になりつつあるのだ。
それは思春期の少年には、腹が減った学校の帰りに、ちょっと奮発してラーメンを大盛りにしようか、
などというのとは比べ物にならない葛藤を与える悪魔の囁きだった。
 何も覗こうというのではない。
ちょっと音を立てずに近づいて、衣擦れの音を聞くだけでいいのだ。
なにせ家の主なのだから、それくらいはしてもいいのではないか。
 誰かに知られれば変態かつ危険人物と断定される邪心を抑えるのに、龍麻は己の腕一本を必要とした。
「ぐゥッ……!!」
 爪が伸びていれば血に塗れたであろう全力で、左腕を掻きむしる。
痛みは深き者に受けたものを凌駕し、食いしばった奥歯が重圧で厭な軋み音を発した。
それでも少し気を緩めれば下半身はひとりでに洗面所に向かおうとし、
眼球は透視の『力』よ目醒めよとばかりに扉を凝視する。
肩は戸口に体当たりし、口はたまたま転んでなどと大嘘をつきかねない。
それら言うことを聞かない肉体どもを支配下に置こうと、龍麻は真神に転校して以来最も懸命になった。
頭を床に擦りつけ、左腕を掴んでのたうちまわる姿は、お世辞にも見栄えがよいとはいえず、
彼の容姿に惹かれる女生徒が見たら、さぞ幻滅しただろう。
 それでも甲斐あってか、やがて洗面所の中から、さらに扉を開ける音が小さく聞こえてくる。
彼女たちは浴室に入ったようで、龍麻はようやく最大の危機が去ったと息を吐き、腕を離した。
全身から流れる汗が不快感をもたらしたが、それよりも欲望に勝利した喜びの方が大きかった。
あとは彼女たちが出てくるまで、苦手な日本史の年号でも暗唱していれば大丈夫だろう。
「ね、葵、やっぱりちょっと狭いね、二人だと」
「もう、小蒔ったら」
「だって身体洗うのも大変で……あ、そうだ、お互いで洗いっこすればいいんだ」
「きゃっ! こ、小蒔、急に触らないで……っ、待って、わかったから待って……!」
 1854年に何が起こったかなど、紀元前の向こうまで飛んでいってしまった。
聴覚を試すかのように、脳が痛くなるまで耳を澄ませないと聞こえない浴室からの会話を、
龍麻は極限まで神経を集中させて聞き取った。
「葵の肌ってすっべすべだよね、摩擦ゼロみたい」
「小蒔だってきれいな肌じゃない」
「ひゃっ! ちょっと、どこ触ってるのさ」
「うふふ、さっきのお返しよ」
「やったなっ、それじゃこっちもお返しッ」
「やっ……ん、駄目よ、小蒔……っ……!」
 断片的にしか聞こえなくても劣情を加速させるには充分であり、
むしろ断片的なのが妄想をたくましくさせる。
偉そうに誓ったのも忘れて、龍麻は二人がシャワーを浴びている光景を、
目の前に現出させようと必死になった。
 もちろん、そんなことは『力』をフルパワーで用いても不可能だ。
だが、この時龍麻は、やればできるとか努力に勝る天才なしとかいった、
普段毛嫌いしている類の言葉を全面的に信奉し、
聴覚で捉えたものを視覚に変換することに全霊を傾けていた。
 美少女二人が密着するほどの距離で泡とたわむれながら、
お互いの肢体をより美しくせんと磨きあう。
中世の絵の題材にもなりそうな美しい光景だ。
そして己の才能のなさに絶望し、床に拳を打ちつけ慟哭する男もまた、
見る人の魂を揺さぶる画になったに違いない。
 対照的な二つのモチーフは、ほとんど同時に姿を消した。
葵と小蒔が擬音をつけるなら間違いなくキャッキャウフフという感じで浴室から出てきた途端、
龍麻は超高速巻き戻しで元の姿勢に戻り、一人パントマイムを行っていたことなど毛ほども感じさせない
見事な擬態を演じたのだ。
「はー、すっごいイイ気持ちだった、ありがとね、ひーちゃん」
「私もありがとう、緋勇君」
 感謝する二人に、龍麻は自分の頬を張り飛ばしたくなった。
葵と小蒔はこんなに清らかだというのに、自分ときたら、魂まで穢れているではないか。
こうなったらせめて、身体だけでも彼女たち同様清めなければなるまい。
かなり際どいところまで見える四本の太股はあえて見ないようにして、龍麻は浴室に入った。
「あれ、洗濯機回してないの?」
「だってひーちゃんの服も洗うでしょ? 一緒に洗わないともったいないじゃない」
 父親の下着でさえ一緒に洗うのを拒む子供がいる昨今、
普通この歳だと多少の金銭より羞恥心を優先すると思われるが、
小蒔はずいぶん金銭感覚がしっかりしているようだ。
そういえば兄妹がたくさんいると聞いた覚えがあるから、その辺りも関係があるのかもしれない。
それじゃ一緒に洗っちゃうね、と気軽に応じて洗面所に入った龍麻は、
服を脱ぎ、それを入れようと洗濯機の蓋に手をかけてはたと気づいた。
 この中には、二人がさっきまで着ていた服が入っている。
そして、手に持っている自分の服を洗濯機の中に入れるには、蓋を開けなければならない。
蓋を開ければ、中が見える。
中には、二人がさっきまで着ていた服が入っている。
「……」
 心臓がゆっくり、そして極大の大きさで鳴っている。
全身を揺らすドラムのような鼓動が、一度脳にまで到達するたび、龍麻の思考はループした。
二人を呼ぶべきか否かと、自分で閉めたドアを見やる。
答えは否だった――最初から。
もう服は脱いでしまっているし、二人が判っていないはずがないし、
呼べば絶対に別々で洗うことになるだろうし。
だが、それらの理由が全て屁理屈であることを龍麻は知っている。
これは神が与えてくれたチャンスであり、魚臭い化け物と戦ったご褒美であり、
一人暮らしでもまめに掃除洗濯をしていた善の報いなのだ。
これらの理由もこじつけであると頭のどこかで明滅していたが、
警報を発するセンサーを一時的にカットして、龍麻は一気に蓋を開けた。
 葵と小蒔は衣服全部を洗濯機に入れたと言っている。
衣服全部というのはつまり、下着も含むわけで、
緋勇家の洗濯機は、生まれて初めて女性の下着を洗う栄誉に浴することになるのだ。
洗濯に万が一の失敗があってはならないので、龍麻は目を凝らし、
ちゃんと洗うべきものが入っているか確認した。
葵と小蒔の制服の上下と下着の上下が二組で、龍麻の下着が上下。
それを三回確かめてから、龍麻はおもむろに洗剤を投入した。
 ちなみに龍麻の家には、ブラジャーを入れるためのネットなどというものはないので、
他の洗濯物と一緒にドラムの中に入っている。
白いのがおそらく葵ので、オレンジ色が小蒔のものだろう。
龍麻がそう判断したのは当てずっぽうではなく、ちゃんと根拠があるのだ。
それはきちんと畳まれているか否か、ではなく、使われている布地の量で、
小蒔の……オレンジ色の方は一見して小さく、葵はその逆だった。
 大きさは異なれども美しさに差はない二枚の下着を、龍麻はしばし観察する。
この膨らみにどんな風に女性の胸が収まるのか想像してしまうのは男にとって、
ラーメンを音を立てて啜って食べるのと同じくらい自然なことなのだ。



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