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 静謐な校舎に足音が響く。
生徒会室で用事を済ませた葵は、誰もいない廊下をひとり、自分の教室へと向かっていた。
この季節の寒さまでも吸収したような校舎は、少女の足音でさえ不気味に反響させる。
心持ち歩みを早めた葵は、教室の扉を静かに開けた。
 そこには彼女を待っている男がいた。
窓際の、ふだん座っているのと同じ席に座って、机にひじをついて外を眺めていた彼は、
扉が開いたのに気づいて顔を向けた。
外は暗く、彼の表情は判然としない。
だが、彼が葵に悪意を向けるはずなどなく、彼のまとう気配を感じるだけで、
葵は心が安らいでいくのを感じた。
半年程まえに転校してきた緋勇龍麻という名の男子生徒は、今や葵にとってなくてはならない存在だった。
「お疲れさま。遅くまで大変だな」
「ごめんなさい、待たせてしまって」
「いや、俺は待ってるだけだから」
 笑って龍麻は立ちあがった。
 同年代の平均より身長も体重も上回りながら、椅子の音さえ立てず、しなやかに立ちあがる。
大型の肉食獣のような美しい動きだった。
葵は暴力を肯定しないが、龍麻が戦いの際に見せる動作は、
洗練された野性とでも言うべきか、芸術のような趣さえあり、見惚れてしまうほどだ。
 親愛に満ちた彼の表情に、葵は愛想笑いではない、自然に浮かぶ笑みで応じる。
だが、その視線が突然固定されたのは、龍麻に見惚れたからではなかった。
「ん? どうした?」
 葵は答えられなかった。
愛する男の背後に広がる、深く沈んだ暗闇。
一足先に夜を迎えた教室の隅に、微量の紫が混じっている。
ごく普通の自然現象であるはずなのに、その紫に葵は不合理な恐怖を覚えていた。
あまりにも瞬間的に生じた感情は説明する術がなく、後ろ足に重心を移す。
あそこに近づいてはいけない――龍麻を、連れださなくては。
 紫は窓際に巣くっている。
まずはあそこから龍麻を出すのだ。
 これから帰るのだから、何もしなくても龍麻はすぐにこちらに来るに決まっている。
ほんの数秒、待てばいい――いや、それでは間に合わない。
狂おしいほどの焦慮に灼かれ、葵は彼の制服の端をつまんだ。
「……?」
 けげんそうに恋人を見た龍麻は息を呑んだ。
彼女との交際はまだ短いが、彼女の態度が意味するところを理解できる程度には、
彼女を知っていたからだ。
 学級委員長で生徒会長、つまり学校の顔。
生徒会長というだけでも名前くらいは全校に知れ渡るというのに、
美里葵はその美貌ゆえに容姿を知らぬ者はいないほどの存在だった。
人格に至るまで尊敬を集める彼女は、明確な敵がいるわけではないが、
スキャンダルがあればなまじこれまで隙がなかっただけに、大変なことになるのは目に見えている。
そのあたりは葵も、そして彼女と交際する龍麻もわきまえていて、
少なくとも学校内では清らかな交際を心がけていた。
不埒な行為に及ぶなどもってのほかで、龍麻は彼女に相応しい男になろうと強く自制してきたし、
葵も、品行方正が実は偽りの仮面であったなどと蔑まれるような情動には決して身を委ねなかった。
 それが。
彼女に何が生じたというのか、暗くて良く見えないにもかかわらず、
葵の顔にははっきりと龍麻を求める色が浮かんでいた。
顔だけではない、清楚という言葉がこれ以上ないほど似合う彼女の身体から、
匂うほどの気配が漂っている。
わずか数秒の間の、豹変ともいえる葵の態度に、龍麻は戸惑うほかなかった。
 葵は龍麻の制服をつまんだのが過ちではないとでもいうように、
言葉によらず彼を深紫の影から誘い出す。
彼女の思惑を知らぬまま、龍麻は、闇にあってなおその存在を強く主張する、黒い瞳に魅入られた。
龍麻が何度かは見たことがある、たまらなく愛おしさを感じる濡れた瞳は、だが、
それだけではないようにも見える。
暗くてよくは見えないが、深い情念が――そう、女の深淵めいた感情の渦が揺れるのが、
ほのかに見えたような気がしたのだ。
ただ、それは全く一瞬のことで、奥底まで覗き見るまでには至らなかったし、
覗きこもうと淵に立つよりも早く、葵の左手が顎に触れ、その繊細な感覚に五感を奪われていた。
「龍……麻……」
 葵は学校で龍麻の名前を呼ぶことはない。
京一に対しては京一と呼んでも、より深い関係となった龍麻には、慎重に苗字で呼んでいた。
彼女の注意深さは今のところ破綻をきたしてはおらず、京一に醍醐、それに小蒔以外に
真神學園内で龍麻と葵の交際を知る人間はいない。
自らブン屋を名乗る、真神一の情報通であるであろうアン子でさえ、
二人の関係に疑いは持っていても確信には至っていないのだ。
 それほど情報管理を徹底している葵に、校舎内で名前を呼ばれて、
龍麻の理性は制御不可能な領域に突入しつつあった。
葵は龍麻の頬に添えた手を、わずかに下げはしたものの、その動きを肩から先に伝えることはなく、
帰ろうという龍麻の最後の理性をこの場に縫いつけるのだ。
 龍麻の葛藤の狭間に滑りこむように、葵の手が動く。
窓を伝う水滴のように、触れていた頬からまっすぐ下に。
腰と足の境目あたりまである、冬服の裾にたどりついた指先は、そこから裾に沿って水平に移動した。
そして再び端、つまり角まで来ると、そこでバレリーナのように手のひらごと回り、
ズボンのファスナーの上に、正確に着地した。
「あお、い……」
 葵は見た目ほど受動的ではないが、このように積極的に出たこともない。
龍麻がそうするように、下腹に手を押し当てて、性器をまさぐろうとする葵に、
龍麻は恐怖めいたものを感じた。
 とはいえ、直接性器に触れられる誘惑から身を引くには至らない。
むしろこれほど積極的な葵が、どのように動くのか興味があった。
 龍麻の期待に応えるように、葵は手のひらを柔らかく股間に押し当てる。
熱せられた息をわずかに開いた唇から押しだして、手首の付け根でペニスの先端をとらえ、
じんわりと圧した。
どちらかといえば微弱な刺激は、しかし大きく増幅されて脳に伝わり、
龍麻は、股間に血が満ちていくのを感じる。
 ズボンの上からでも瞭然となった膨らむ勃起を数度撫でさすった葵は、さらに淀みなく、
一気呵成に書き上げる毛筆のような手さばきでファスナーを下ろし、開いた空間に手を入れた。
先ほどと同じように亀頭に手首が当たるように、逆さまに手を添え、優しく握りこむ。
手自体はほとんど動かしてもいないのに、腰が砕けそうな快感が龍麻を襲った。
「ベルトを……外して……」
 催眠術にかかったように龍麻は頷き、ズボンを脱ぐ。
教室内でパンツ一枚になる恥ずかしさは頭になく、繊手に弄ばれる男性器官の快感に、
身を委ねるばかりだった。
 衣擦れの音さえ立てずに葵の手は這いまわる。
張りつめた猛りを煽る手は、旅人を森の奥へと誘う妖精さながらに龍麻を幻惑した。
ここが学舎であることも忘れ、緩急をつけた快感に翻弄される悦びに浸る。
「あ、あ……龍麻……」
 耳元の囁きに気を取られ、唇を奪われる。
柔らかな、けれど密着して離れない葵の唇に、龍麻はたやすく支配された。
「ん……っふ……」
 龍麻が顎の力を緩めると、そのぶんだけ葵の唇は吸いついてくる。
一瞬たりとも他に意識を向けるのを許さないような、真剣な口づけに、龍麻は意識を奪われた。
「ん……ん、ん……」
 家よりも静かな空間は、舌が戯れる音はおろか、鼻息さえも鮮明に響かせる。
耳の奥に生じた興奮は口の中で捏ねられて、息苦しくなるほどに巨大化していった。
 半ば自動的に龍麻は葵の尻を撫でる。
パンティストッキングに手を貼りつけるように密着させ、
柔らかくも張りのあるヒップをじっくりと揉んだ。
「んふ、ん……」
 艶めかしい鼻息が劣情をそそる。
葵の背中を抱いていた左腕に、龍麻は力を込めた。
お互い服を着ているとはいえ、女の肉体の抱き心地は世の中のあらゆる感触に勝る。
まして葵の肉体は、女としてほとんど究極の域に達しているのだ。
尽きぬ煩悩を抑えるのさえ難しいというのに、彼女の方から迫ってきたとあれば、
抗おうとする理性もはなはだ小さくならざるを得ない。
誰かに見つかれば破滅だというリスクも、スリルに転じてしまえば劣情を加速させるだけだった。
 パンストの滑らかさは一日中でも堪能していたいものだったが、
やはり直に触りたいと龍麻は手を入れようとする。
すると葵に身をよじられ、制止されてしまった。
「焦らすのか?」
 龍麻の問いに、葵はくちづけで答えた。
「ううん、そうじゃなくて……今日は私がしてあげたいの」
「どうしたんだよ、何かあったのか?」
 今度は答えず、龍麻の足下にしゃがみ込む。
龍麻が残り香を感じたときにはすでにファスナーが下ろされ、呻く間もなくズボンの中に彼女の手が、
岩場に隠れる山女のように、白い残像を残して入っていた。
「……っ……」
 ようやく龍麻が吐息を漏らしたとき、すでに葵は性器を探りあて、下着の中から取りだしている。
そして、幾分大きくなりはじめてはいるものの、まだ完全に硬くはなっていないそれを扱きはじめた。
「う……」
 龍麻の囁きは小さく、暗がりに同化しつつある葵の頭部には届かない。
彼女は一心に男性器を見つめ、手の内にあるものを大きくしようとしている。
 実際のところ、興奮よりも怯えめいたものが勝っていた龍麻ではあったけれども、
恋人に直接触られて勃起しないはずもない。
ほとんど間を置かず、肉の茎は柱へと成長し、葵の前にその偉容を表わした。
一直線に雌を求めて屹立するそれを、葵はわずかに目を細めてながめ、指先で押さえる。
首を傾げ、紅く濡れる唇から吐息を薄く漏らすと、よどみなくくちづけた。
 鬼が持つ丸太のような腕から繰りだされる一撃や、
練達の妖怪が放つ蹴りを受けとめて微動だにしない肉体が、
羽毛で撫でられるよりも繊細な口づけで崩壊寸前に陥る。
こらえようという気力さえ起きないほどの甘美な刺激に龍麻が膝をつかなかったのは、
たまたま背後に壁があったからに過ぎなかった。
 龍麻が大きくよろめいたためにペニスが葵の顔から離れる。
硬く張ったまま揺れるそれは、淫らな熱も冷めてしまいそうな滑稽さだったが、
葵は微笑さえ浮かべず、再び眼前に戻ってきた男根を両手で固定すると、ふたたびくちづけた。
多少は免疫ができたためか、よろめかずに済んだ龍麻だったが、矜持を保ちえたのは短い間だった。
葵が淡い桃色の舌を伸ばし、柱を舐めあげたからだ。
「……ッ!」
 教室で味わってはいけない快楽が、喉の奥から歓喜を迸らせようとする。
声が誰かに聞きつけられでもしたら、葵が破滅してしまうという危機感を接着剤代わりにして、
龍麻は歯を食いしばった。
顎を上に向けて耐えようとして、なお歯の間から息が漏れる。
フェラチオは初めてではないというのに、この強烈な刺激は慣れるどころか強まるばかりだ。
まして、学舎――もちろん、性行為に及ぶための場所ではない――で、制服を着たままであるという点が、
快感を何倍にも増幅させていた。



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