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土曜日の昼下がり。
半日で学校が終わった龍麻と小蒔は、
龍麻は昼飯を一緒に食おうともちかけてきた京一から、
小蒔は一緒に帰ろうと誘いかける葵からうまく口実を作って、急ぎ足で学校を出ていった。
怪しまれないよう校門で二手に分かれ、あらかじめ決めておいた待ち合わせ場所で合流する。
気の置けない友人達を半ば騙している、という後ろめたさはあるものの、
二人きりの秘密を共有しているという楽しさはそれを上回り、
数分後に再びお互いの顔を見た二人の顔に愁いはなかった。
「どうしよっか、これから」
まだ時間はたくさんあるし、明日は日曜日だ。
夜遅くはなれないものの、二人の気分は羽が生えたら飛んでいってしまいそうなくらい弾んでいた。
「とりあえずメシ食おうぜ、腹減った」
「あ、それなら」
龍麻の提案に、待ってましたと小蒔が顔を綻ばせる。
そして小蒔はいつもとは違う方向に、龍麻の背を押して歩き始めた。

二つ目のハンバーガーを半分ほどかじった龍麻は、
それを飲みこんでから隣でポテトを食べている小蒔を見た。
「珍しいな、ラーメン以外のもの食べようなんて」
「せっかくこんないい天気だからさ、外で食べるのも悪くないなって」
確かに梅雨を抜けた空はどこまでも青く、屋内にいるのはもったいなく感じられる眩しさだった。
太陽の眩しさに目を細めた龍麻は、食べかけのハンバーガーを口に運ぶ。
「あ」
すると、何かに気付いた小蒔が指を伸ばしてきた。
何をするのか、と思う間もなく口の端に当たった指は、
先端にハンバーガーの食べかすをくっつけて戻っていった。
小蒔はそのまま指を口に含み、楽しそうに笑う。
なんとも言えないむず痒さに襲われて、龍麻は顔の下半分を掌で覆った。
「な、なんだよ、恥ずかしいな」
「何を今更……あ、もしかしてこういうの弱いんだ」
「うるさいな」
「へー、んじゃこんなのはどう?」
目をしきりにしばたたかせている龍麻がよほど面白いのか、
小蒔は笑顔をさらに拡大させながら素早く手を伸ばすと、
反応が遅れた龍麻の脇にあった、カップを奪った。
またも龍麻が止める間もなく、勢いよく飲む。
「はい、ごちそうさま」
小蒔はカップを元あった場所には置かず、龍麻に手渡す。
彼女が何をさせたいのかがわかり、龍麻はいい歳をしてつまらない悪戯ことをする、
と表情を消して小蒔を見やった。
しかし、それは明らかに失敗だった。
陽射しを受け、茶色の部分をきらめかせた小蒔の瞳は直視するにはいささか刺激が強過ぎ、
しかも彼女の射る矢よりも真っ直ぐに自分を見返していたからだ。
ほら、早く──
無言でそう催促する小蒔から、逃げるように顔をそむけた龍麻は、
確かめもせずに残りのハンバーガーを口に押し込む。
だが、まだ予想以上の量が残っていたらしく、塊は口の中で詰まってしまった。
「……!!」
間接キス程度を恥ずかしがる龍麻を見やっていた小蒔も、異変に気付いて慌てる。
「水、水ッ!」
水そのものはないが、近いものならある。
龍麻の手に握られているカップを彼の口許に運んだ小蒔はストローを咥えさせた。
水分で塊がふやけたのか、やがて喉が動き、膨らんでいた頬が元に戻っていく。
どうやら死の淵から生還したらしい龍麻は、安堵の息を吐き出し、恥ずかしそうに笑った。
「死ぬかと思ったよ」
「ハンバーガーで喉詰まらせるひとって、ボク初めて見たよ。ホントにいるんだね」
「俺も初めて見たよ」
そううそぶいてもう一度コーラを飲む。
すると小蒔が、なんとも楽しそうに笑った。
「なんだよ」
「飲んだね」
「ん? ……あっ」
小蒔の望む通りの展開になってしまい、龍麻は苦笑いするしかない。
だがそれも、梅雨と、じきに訪れる暑い季節の間のほんの短い期間にある、
この抜けるような青空の下ではどうでもよいことのように思われて、
龍麻は再び、今度は小蒔を見ながらストローを咥えた。

満腹になった二人は、のんびりと今後の予定を相談していた。
龍麻の家に行くのはまだ少し早く思われるし、
何よりあまりにいい天気なので屋内に入ってしまうのがもったいない。
「どうしよっか」
「そうだなぁ」
立ち上がる気にさえなれなくて、二人はそんな、
会話にもなっていない会話をぼんやりと交わしつつうつらうつらしていた。
先に寝たら、膝枕してくれるかな──
あくびをしながら、小蒔はそんなことを考える。
ひーちゃんの膝で寝たら気持ち良く寝れそうだけど、
きっと恥ずかしがってイヤって言うだろうな、恥ずかしがることなんてないのに。
ああでも、ホントに眠くなってきちゃった──
もう一回あくびをしたら寝よう、と決めて、小蒔は早くあくびが出るようゆっくりと息を吸う。
あ、出る──
口を開け、そのまま倒れこむ用意をする小蒔の、涙で滲んだ目に、その時何かが映った。
映像よりも、直感でそれが何であるか悟り、
まだ途中だったあくびを無理やり終わらせると、勢いよく地面を蹴った。
「鞄見てて」
こいつ、寝そうだ──
二度目のあくびをする小蒔に、龍麻は気配を感じていた。
寝たら俺が退屈するじゃねぇか、それに膝枕でもさせられる羽目になったら恥ずかしい。
しかし睡魔はそれを指摘させるのも面倒なほどやってきており、
まぁいいか、たまには、と龍麻はあっさりと予定を変更し、誘惑に負けて一足先に目を閉じていた。
ところが一度目よりも大きい、顎が外れそうなほど大きなあくびをしていたはずの小蒔は、
突然言うが早いか、どこかへ向けて走り出した。
「お、おい」
何事かと、慌ててうたたねモードから切り替えて龍麻は立ち上がる。
一歩飛び出して、鞄に気付いて急ブレーキをかけ、
二人分の鞄をひったくるように掴んで小蒔の後を追った。
小蒔に全力で走られたら龍麻でも追いつくのは難しく、見失いかねなかったが、
幸いなことに、小さなつむじ風はそれほど遠くに行かず、
龍麻達が座っていた椅子から数十メートルほど離れたところで立ち止まった。
そこには、五歳くらいの半べそをかいた男の子がいて、
小蒔はかがみ、彼と目線を合わせて何事か話していた。
「どうしたの?」
「風船……飛んじゃったの」
子供は悲しそうな顔で空を指し示す。
そこには確かに青い風船がひとつ、木に引っかかっていた。
追いついた龍麻は事情を諒解すると小蒔と子供、二人の期待を受けて手を伸ばす。
「届く?」
身長は高校生の平均を上回り、ジャンプ力も並以上にはある龍麻が跳んでも、
残念ながら風船にはまだ届かなかった。
「む……ちょ……っと無理だな」
「肩車してよ」
全くへこたれることなくそう言った小蒔は、龍麻がしゃがむと同時に肩に乗る。
小柄な小蒔は肩車するのに辛いといったことはないが、
それだけにふらつきでもしたら後で何を言われるのか判らないので、
龍麻は必要以上に気合を入れて立ち上がった。
「どうだ」
首回りに肌触りのよい太腿を感じ、これくらいは役得だよな、
と思いつつそんなことはおくびにも出さず訊ねる。
同時に顔を上げてみると、小蒔の手は風船にもうほとんど触れそうになっていたが、
どうしても後少しが足りなかった。
「ダメだ……まだちょっと届かないや」
かわいそうだけれど、諦めてもらうしかない。
龍麻は期待と不安を顔一杯に浮かべている子供に、人生にはどうにもならないこともあるのだ、
と辛い現実を教えようとしたが、肩に乗る少女は違う考えを持っていたようだった。
「一回下ろして」
まだ諦めてはいないらしいのが台詞と、口調からも伝わってくる。
でもどうする気だ、と龍麻がいぶかっていると、なんと小蒔は靴を脱いで、肩の上に乗ってきた。
「ちゃんと支えてよね」
「お、おい」
いくら小蒔が運動能力に優れていると言っても、それは少し危険だ。
龍麻は止めさせようとしたが、小蒔は既に龍麻の頭を掴んでバランスを取っている。
こうなったら引き下がる彼女ではないので、龍麻も覚悟を決めて、慎重に立ち上がった。
土台がしっかりしているのか、それとも上が上手なのか──
とにかく即席の曲芸コンビは見事に立ち上がっていた。
ただそれだけではダメで、倒れず、なおかつ風船を回収しなければならない。
やたらと滑るだぶだぶのルーズソックスに悪態をつきながら、
龍麻は上とのバランスを取るべく顔を上げた。
「……」
今日は黄色だった。
俺が悪いんじゃない、眩しい空が悪いんだ、と適当に責任を転嫁しながら、真っ直ぐ真上を見上げる。
この光景は中々見られるものではなく、龍麻は一秒でも長続きさせようと真剣にバランスを取り続けた。
「よし、取れたッ!」
しかし無情にも風船は小蒔の手に渡ってしまい、同時に心地良い風が首筋に吹き抜けた。
どうせなら、に飛び降りてくれればいいのに──
きっと翻ったであろうスカートを想像して、龍麻はそう思った。
「ありがとう、おねーちゃん!」
「もうなくすんじゃないぞッ!」
嬉しそうに駆けていく子供に手を振っていた小蒔が、満足げに頷く。
「あんだけ喜ばれるとさ、苦労した甲斐があるよね」
思わぬ眼福を得た龍麻が心から同意して首を振ると、小蒔は意外そうな表情をした。
「なに、ひーちゃんも子供好きなの?」
「ま、まぁな」
勘違いをしている小蒔に真相を告げるわけにはいかず、龍麻はあいまいに答える。
しかしその返事が気に入ったのか、小蒔は靴を履き、置いてあった二人の鞄を拾い上げて続けた。
「今度さ、ウチの弟達と会ってよ」
「そりゃいいけど……なんだよ急に」
「ひーちゃんだったらさ、いいお兄さんになれそうだよね」
真意が解らず、龍麻は小蒔の目を見た。
だがそこに浮かんでいる、一杯の陽射しを受けた葉のようなきらめきは、
ますます龍麻を混乱させるだけなのだった。



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