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金曜日の放課後、龍麻と京一は新しいラーメン屋を開拓する為に街に出ていた。
京一は所構わず木刀を持って歩くから嫌でも街の視線を一人占めにするし、
喧嘩を『売られなかったらこっちから買いに行く』とばかりに好むのが困り物だったが、
それでも確かに一緒に居て楽しい人間ではあったので、
龍麻はほとんど毎日のように京一とつるんで遊んでいた。
「おッ、この角を曲がるんだぜ」
街中を突っ切るようにラーメン屋に向かう龍麻と京一は、
この日も当然のように何人かの剣呑な学生達と出会ったが、
京一も自分からからもうとはせず、ラーメンを食う前に喧嘩は勘弁してくれよ、
という龍麻のささやかな願いは叶えられたかに見えた。
しかし京一の案内でその角を曲がった時、
龍麻を待っていたのはラーメン屋ではなく自分を呼ぶ声だった。
「あっ、龍麻さん!」
その声は大きくも、良く通る訳でもなかったが、
龍麻の耳はまるで世界にその声しか存在しないかのようにはっきりと捕えていた。
「おい、どうした龍麻!?」
京一の呼びかけにも答えず、その場に立ちすくんでしまった龍麻の許に、
一人の少女が駆け寄ってくる。
「おッ、紗夜ちゃんじゃねーかッ!」
紗夜と呼ばれた少女は顔の両側で束ねているおさげにした髪を小さく揺らしながら、
京一の方には儀礼的に一礼すると、龍麻の顔をまっすぐに見た。
「今日はどうしたんですか? こんな所で会うなんて奇遇ですね」
「あッ……あァ……こんにちは」
努めて平静を保ちながら挨拶を返す。
龍麻は正直、この比良坂紗夜と言う少女が苦手だった。
顔立ちは充分に可愛いし、
儚げな仕種がいかにも女性らしく見える──例えば壬生などには──らしいのだが、
どうも龍麻にはそれが計算づくでされているような気がして、出来るなら、
それこそ壬生辺りと仲良くしていて欲しい、と思っている。
いるのだが、彼女は神出鬼没──というか後を尾けているのではないか、というくらい
行く先々で出会い、付きまとってきて、龍麻は少なからずストレスが溜まっていた。
そんなに嫌なら断ればいい──誰に相談してもそう言われるだろうし、龍麻自身もそう思う。
しかし、彼女は『力』を持っていた。
龍麻が龍脈に目覚め、京一が霊力を身に付けたように、
比良坂紗夜もまた、言霊を操る力を得ていたのだ。
聞く者を虜にし、意のままに従わせる唄。
いっそ意思の弱い者のように完全に自我を奪われてしまえば、
ある意味では悩みも無く幸せだっただろうが、そうするには龍麻の意思はいささか強すぎた。
そのせいで──
忌まわしい記憶が甦りそうになった龍麻は小さく頭を振って悪夢を追い出すと、
今、ラーメンという何物にも替えがたい至福の時を邪魔されつつある事へ
救いを求めるように京一の顔を見たが、
このラーメンの次にはナンパの事を考えている阿呆は、
どう勘違いしたのか解り易すぎる表情を浮かべると、
小悪党のような──というよりそのものの顔で龍麻の前に掌を差し出した。
「へへへッ、それじゃ俺は一人でラーメン食いに行くからよ」
「ぐっ……」
龍麻は喉まで出かけた声を呑み込むと、財布から千円札を取り出して叩き付けるように渡す。
「おッ、悪いなッ。安心しろよ、葵にはバッチリ黙っててやるからよ」
全く、それが無かったらどれほど心安らぐだろう。
悠々と立ち去る京一の背中に怨みの気を放ちながら、龍麻は我知らず額にかいた冷や汗を拭っていた。
龍麻は別に葵と付き合ったりしている訳でも無く、
友達(よりもちょっと下)程度の認識しか無いのだが、
どう言う訳か彼女の方は龍麻に小説か何かの主役同士のような気分を抱いているらしかった。
生徒会を掌握している彼女の機嫌を損ねると、旧校舎の清掃を一人でしろだの
積み上げた高さが一メートル近くもある、何に使うのかさっぱり判らない書類を運べだの
泣きたくなるような陰湿な無理難題を言いつけられる為、
龍麻は放課後は極力彼女に遭わないようにしていた。
もし今回の事を、実は杏子の次くらいに噂話が好きだと思われる京一に言いふらされでもしたら、
カリフォルニアに行ってマリィの両親を一人で捜してこい、くらいは言われてしまう以上、
なけなしの財産であるラーメン代を京一に渡すのもやむを得ないことだった。

しかし、龍麻が乏しい小遣いの中から支払った口止め料は、結果として全く無駄に終わった。
紗夜に強引に腕を取られて歩き出した龍麻だったが、数歩も歩かない内に再び足を止める。
「どうしたんですか、龍麻さん?」
龍麻は答えなかったが、返事をしなかったのではなく、出来なかったのだ。
紗夜の声にも自分を金縛りにする力はあったが、
これは、それ自身が持つ凄まじいまでの『気』だけで龍麻の動きを封じこめていた。
こんな芸当が出来る人間を、龍麻は一人しか知らない。
龍麻の反応に異変を感じた紗夜が背伸びして遠くを伺うと、
人の波に紛れてこちらに向かってくる少女の姿が見えた。
今どき珍しい、少し緑がかって見える位黒い髪を胸の辺りまで伸ばしたその姿は、
美少女、と一言で言いきってしまうしか無いほどの美しさだった。
龍麻ほどには気を視る事の出来ない紗夜にも、
彼女の周りに立ち上る陽炎のような気ははっきりと見え、龍麻と同じく足をすくませてしまう。
ゆっくりと、獲物を追い詰めた猛獣の足取りで近づいてくると、
龍麻と紗夜以外の人間には天使のような、と称えられる笑みを浮かべた。
「龍麻、今日は一人?」
最初の一言で紗夜に対して圧倒的な優位を見せつける、完璧な台詞。
紗夜は下唇を血が滲むほど噛み締めたが、言葉では対抗出来ないのが解っているので
龍麻の腕をぎゅっと引き寄せるのがやっとだった。
葵はそれに路傍の小石を見るような一瞥をくれただけで、龍麻の目を見て話し掛ける。
「ねえ龍麻、良かったら一緒に買い物に行かない?」
「龍麻さんはわたしとデートしているんですッ!」
「あら、比良坂さん、いたの?」
ようやく魂の呪縛から解かれた紗夜が、飼い主を守ろうとする子犬のように吠え立てたが、
葵は手の甲を口に当て、軽やかに嘲る。
こんな一昔前のお嬢様のような態度が全く違和感なくこなせるのも彼女の特技のひとつだった。
「まッ、まぁ、二人とも、落ちついて……」
「龍麻は関係無いわ」
「龍麻さんは黙っていてくださいッ!」
放っておいたらこの場で『力』を使いそうな勢いの二人に、恐る恐る止めに入ったものの、
黄龍の器として強敵と闘う事を宿命づけられている龍麻も、
この竜虎相撃つ闘いの場では無力な小羊でしかなかった。
「うふふ、さすがの私もいい加減あなたが鬱陶しくなってきたわ。
龍麻の横に立つのは一人で良いと思わない?」
「そうですね。私もそう思います。あなたのような人が傍にいると、龍麻さんが可哀想ですからッ!」
二人は肉食獣の笑みを浮かべると、
もはやこの場ではわら人形ほどの価値しかない龍麻の腕を両方から掴んで歩きはじめた。



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