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冷たい息を吐き出しながら、龍麻は一人歩いていた。
気持ちの良い足音を楽しむように大きく足を上げて歩き、数歩ごとに後ろを振り向いて足跡を確かめる。
世界を白く覆う天からの贈り物に、寒さではなく昂揚を覚える辺り、
龍というよりは犬の性なのかもしれない。
もう数キロは歩いていると言うのに、まるで疲れたようすも見せず、
人気の無い道を大手を振って歩いていく。
東京に珍しく積もった雪は、交通を完全にマヒさせていた。
首都圏の高校のご多分に漏れず真神学園も早々と休校を決め、
アパート暮らしで雪かきなどする必要も無い龍麻は、一直線に織部神社に向かうことにしたのだった。
昨日から降り続いた雪は、織部神社をも白く染め上げていた。
ぶら下がったつららを眺めながら鳥居をくぐり、社務所に向かう。
龍麻のお目当ての人間は、二人揃って表に出ていた。
先に龍麻に気付いた雛乃が大きく手を振ると、それに続いて雪乃が少し恥ずかしそうに、
しかし嬉しさは妹よりもはっきりと表わしながら同じ動作で迎える。
今から雪かきをするからだろう、二人揃ってジーンズにセーターという格好で、
特に雛乃がジーンズを履いているのはとても珍しく、龍麻はそれだけでもう来た甲斐があったと思った。
「こんにちは、龍麻様」
「よォ、龍麻、来てくれたんだ」
「男手があった方がいいと思って」
「ええ、丁度屋根の雪をどうしようか姉様と相談していた所なんです」
「まァ、屋根に登るくらい別にオレでもいいんだけどよ」
「駄目だろ。怪我したらどうするんだよ」
聞かん気の強い子供のように鼻をこする雪乃だったが、
龍麻に強い調子でたしなめられてしまうと、驚き、次いで目線が急に泳ぎ出した。
「なッ、なんだよ。もしかして……心配……してくれてるのか?」
「当たり前だろ」
きっぱりと龍麻が告げると、今度は耳が面白いように真っ赤に染まる。
それは龍麻だけでなく雛乃までもがしゃぶりつきたくなるほどの熟れ具合だったが、
もちろん今は実行に移さない。
「あ…………あ、ありがとよ。それじゃ、オレはしご持ってくるよ」
「姉様、照れてますね」
「照れてるね」
ぷいと顔をそむけ、無茶な大股で歩き去ってしまった雪乃を見送って、
龍麻と雛乃は楽しげに顔を見合わせて呟いた。
傾斜のついた屋根に積もった雪は随分とたくさんの量があったが、
本格的に雪かきをするのなど初めての龍麻は、どさどさと音を立てて落ちていくのが面白くて、
むしろ喜びながら勢い良く塊を落としていく。
三十分はかからないほどの時間で屋根の上の雪をあらかた落とし終えてしまうと、
満足気な頷きをひとつして、屋根から降りることにした。
龍麻の作業を下から見守っていた雛乃が支えるはしごを軽やかに降り、
最後の二段ほどは飛び降りる。
「お疲れさまです」
「大体終わったかな」
「そうですね、これだけやっておけば、おじい様もお喜びでしょう」
「……それじゃ」
「ええ」
善良な高校生の仮面を脱ぎ捨てた二人は共犯者の頷きをひとつかわすと、
すばやく辺りを見渡して雪乃の姿を探した。
何も知らない哀れな被害者は、龍麻が落とした雪を一輪車で裏手に捨てに行く所だった。
ちょっとした悪戯心が芽生えた雛乃は、簡単に龍麻と打ち合せると反対側から回り込む。
囮になった龍麻は、雪乃が丁度社務所の裏、当分誰も来そうにない辺りまで進んだところで、
雪音を立てて存在を知らせた。
「あれ、龍麻じゃねぇか。いつのまに降りて来たんだよ」
「もうほとんど終わったからさ、ちょっと休憩」
「そうだな、お前が来てくれたおかげで随分はかどったよ」
龍麻の働きを我が事のように喜ぶ雪乃は、後ろから忍び寄る妹に全く気付かない。
猫よりも静かに姉の背後を取った雛乃は、暖かそうなセーターの襟口から雪の塊を落とした。
「うッ、うわぁァッ!」
思いがけない攻撃に飛びあがって驚いた雪乃は、勢い余って龍麻に抱き着いてしまう。
「おっとっと」
龍麻はよろけるふりをしながら、雪乃の背中の雪がある辺りに腕を回し、ぎゅっと抱き締めた。
「やッ……!」
「あ、可愛い声」
「ばッ……冷てェんだよッ!」
まだからかわれることに慣れていない雪乃は怒って龍麻を突き飛ばす。
しかし龍麻は倒れる寸前に雪乃の腕を掴み、二人はもつれあったまま雪の中に突っ込んだ。
二人分の重みで、下になった龍麻の身体はすっぽりと雪の中に埋もれてしまう。
「つッ、冷たッ!」
「へッ、自業自得だぜ」
雪まみれになった龍麻を笑って溜飲を下げた雪乃だったが、
すぐに背中を伝う不快な感触に顔をしかめる。
「う〜……雪が変な所に入っちまった」
セーターをぱたぱたさせて雪を落とそうとするものの、
龍麻の目の前でそんなに大胆なことも出来ず、中々落ちてこない。
「姉様……わたくしが落としてさしあげます」
「あ、あァ……頼むぜ」
しかし、雪乃は時同じくして生まれた妹を信用しすぎていた。
これまでの十八年間がそうだったから仕方がないが、大人しく真面目過ぎるほどだった雛乃は、
龍麻と出会ってからのわずかな月日で別人のように変貌を遂げていたのだ。
服の中に入ってきた妹の手には、またしても雪の塊が握られていた。
背中の、ちょうど中心に押し当てられた雪は、
先に入れられた雪が溶けた水滴と混じってたまらない冷たさを生み出す。
「ひっ、雛……ッ!」
二度までも妹に騙された雪乃は再び飛びあがった。
結果もまた再現され、足元にいた龍麻につまずいて転び、抱き合う格好になる。
龍麻の身体がクッションになったから痛くはなかったが、
妹に騙されたというショックですっかり気が動転してしまっていた。
龍麻の胸元に顔を埋めたまま、ぷるぷると震えるだけで声が出ない。
妹と較べるとわずかにほっそりとした身体を抱きとめながら、龍麻があやすように背中を撫でてやる。
驚いて跳ね上げた雪乃の顔は泣き出す三歩手前といった感じで、
その表情があまりに可愛らしかったために、龍麻はつい余計なことを言ってしまった。
「……その気になった?」
「ばッ、バカ言ってンじゃねェッ!」
雪乃は目をぱちくりとさせ、次の瞬間、
汚らわしいものに触れているかのように龍麻の胸板を突き飛ばす。
妹に強く出ることが出来ない分龍麻に対しては過剰に反応し、
周りにあった雪をかき集めると龍麻の顔をその中に埋めてしまった。
もがく龍麻の顔を抑えつけ、更に上から雪を乗せる。
「そこでしばらく頭冷やしてろッ!」
相当頭にきているのか、雪乃は全く容赦せず、
一輪車に乗っていた分の雪まで使って龍麻を冷凍保存にしてしまった。
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