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新年の初詣客も、一段落した織部神社。
熱心に詰めかけておきながら、三が日が終わると掌を返したように訪れなくなるのは、
日本人独特の習性と言って良いだろう。
この神社の若巫女である雛乃などはそれが寂しいらしいが、
彼女の双子の姉である雪乃は楽でいい、と身も蓋もないことを言って妹にたしなめられている。
そして、睦月の冷気に白い息を吐き出しながら、織部神社の社務所の呼び鈴を押す龍麻の心情も、
どちらかと言えば雪乃に近かった。
何しろ、そうでなければ今ここにこうしていることさえ難しいのだから。
いくら日本人が熱しやすく冷めやすい、また流行に流されやすい民族といっても、
たとえば新宿の花園神社などは一月中は人波が途絶えることはない。
それはまた、日本人はブランドに弱いということの証明でもあるのだが、
龍麻はその恩恵をありがたく受けることにした。
今日、雪乃と雛乃の家族は他の神社で賀詞交換会を行うという。
それで、まるきり神社を空にしてしまう訳にもいかないので、
雪乃と雛乃が留守番をすることになったのだ。
となれば当然二人が懇意にしている龍麻が呼ばれるわけで、
雛乃からの電話に二つ返事で頷いた龍麻は早速織部神社にやってきたのだった。
神社が忙しいのとは別に、龍麻達は高校三年生であるから受験も差し迫っているのだが、
雪乃と雛乃は既に推薦で神道系の大学への入学を決めており、
龍麻もとりあえず一つは合格している為に、それほど緊張はしていなかった。
「お待ちしておりました、龍麻様」
薄茶色のセーターに、くるぶしまで隠れる長いスカートを履いた雛乃が出迎えてくれる。
その横にいる、同じ柄の、色違いのセーターにジーンズを履いた雪乃も、白い歯を見せて挨拶をよこす。
「早かったじゃねぇか」
「空いてたからな」
「そっか。ま、とにかく上がれよ」
コートを脱いだ龍麻は、頷いて風情のある織部の家に上がった。
今日通されたのは、二人の部屋ではなく居間だ。
なんでも家族は明日の昼過ぎにならないと帰ってこないらしく、
雪乃などは早く羽目を外したくてたまらないようだ。
自分の家だというのにスキップするような足取りで龍麻の前を歩く。
一方の雛乃はそんな歩き方はしないものの、嬉しそうな微笑みを絶やさず龍麻に続いた。
二人の部屋ではなく、居間に通された龍麻に、雛乃が座る前に訊ねる。
「龍麻様……お食事の方は」
「え? そういえば空いてるかな。朝食べてないから」
「お餅でしたらご用意できますけれど」
「あ、んじゃ貰おうかな」
餅は好物だが一人暮しではあまり縁のない龍麻は、二つ返事で頼んだ。
江戸から建っているという家屋だから、七輪で焼くのでは、と思った龍麻だったが、
残念ながら出てきたのは普通のガスコンロだった。
もちろんそんなことで味がどうのこうの言う龍麻ではない。
三人で手分けして、早速正月の風物詩を焼き始めた。
網の上には三つの餅が置かれている。
膨らみ始めた餅を見て、少し近すぎるかな、などと思っていると、
あれよあれよという間に二つの餅はくっついてしまった。
取らなきゃ、と箸を伸ばそうとすると、「仲が良いお餅ですね」などと雛乃が言い、
女の子らしい見方だな、と龍麻は感心したものだった。
すると、ひとつだけ無事な餅が、急にぷっくりと膨らみだした。
「っと、先にそれ取らないと」
龍麻が言うと、雪乃が要領良く取ってくれる。
安心した龍麻は、くっついてしまった餅を剥がそうとした。
しかし餅はもう絡みついてしまっていて、容易には剥がれない。
しまいに箸も身動きが取れなくなってきて、仕方なく龍麻は助けを求めた。
「雛乃も手伝って」
二膳の箸がもつれあう。
二人とも真剣に餅を離そうとしているだけなのだが、
どうにも餅は言うことを聞いてくれず、傍から見ると遊んでいるようにしか見えない。
龍麻はともかく躾の良い雛乃が箸で遊ぶなどあり得ないのだが、
雪乃が発した声は何とも不機嫌なものだった。
「何やってんだ、二人とも」
「いや、だから……」
「さっさと剥がしちまえばいいだろ、こんなもん」
雪乃は妙に不機嫌で、食べ物を粗末にしているからか、などと龍麻が思っていると、
強引に割りこんできた雪乃の箸も、あんのじょう絡まってしまう。
ここは一度冷静に……と思う龍麻をよそに、
雪乃は癇癪かんしゃくを起こした子供のように力づくで餅を分けようとし、挙句、ぐちゃぐちゃに伸ばしてしまった。
「あー……」
とても食べられる状態ではなくなってしまった餅を惜しんで龍麻がため息をつくと、
雪乃はおもむろに立ち上がって出ていってしまった。
怒ってため息をついたわけではないのに、彼女が機嫌を損ねたのではと龍麻は雛乃を見る。
雛乃もいつもよりも気が短い姉に首を傾げざるを得なかったが、雪乃はすぐに戻ってきた。
ただし手ぶらではなく、一升瓶を携えて。
「おい、雪乃……」
「呑めんだろ、お前」
呑めはする──が、意図がわからないので返事は出来ない。
助けを求めて雛乃を見ると、彼女は光沢のある黒い髪を揺らし、
今の雪乃に逆らうのは得策ではないと目で告げた。
「あ……あぁ、呑めるよ」
「雛、徳利持ってこい。熱燗で呑むぞ」
立ちあがるどさくさにため息をついて雛乃は用意をするために出ていく。
残された龍麻は、一応道徳的に反する行為について雪乃にただした。
「お前……呑んだことあんのか」
「当ッたり前だろ。オレは神社の娘だぞ」
さっぱり要領を得ない説明だが、神事で呑んだりすることもあるのだろう。
それよりも既に酔っているような雪乃が、少し不安な龍麻だった。
結局食べ損ねた餅を片付けると、雛乃が鍋と徳利と猪口を持って戻ってきた。
徳利をコンロにかける前に、もう一度だけ訊いてみる。
「姉様……本当に呑まれるのですか」
「悪いのかよ」
姉の剣幕に説得を諦めて、雛乃は熱燗を作りはじめた。
程なくして温まった酒を雪乃が注ぎ、三つの猪口に透明な、けれど極めて危険な液体が満たされる。
呑んだことはあっても日本酒は好きではない龍麻は、
正直全く気が進まなかったのだが、座った目で睨む雪乃に、覚悟を決めて一息に呑み干した。
落ちていく酒精は、予想以上の熱を喉に焼き付けていた。
むせそうになるのを堪えると、胃に熱い溜りが出来たのが良くわかる。
こみ上げてくる熱気を吐き出すと、一気に頭がのぼせた。
「さすが、いい呑みっぷりじゃねぇか。もう一杯いけよ」
同じく一杯空けた雪乃が、すかさず龍麻と自分に注ぎ足す。
ここで今更止めても意味がない、と、龍麻は続けざまに日本の法律的には
あと二年ばかり呑むのを禁じられている液体を含んだ。
「……っ」
頭が熱く、視界がぼんやりとする。
過去にいくらか大人の付き合い、とやらをさせられた時は、
そんなに自分は弱くないと思っていたのだが、どうやらそれは単なる思いこみのようだった。
思考が散漫になり、なんでもないのに楽しくなってくる。
どうやら俺は陽気になるクチらしい、そんな風に分析できるんだからまだ酔ってない──
という考え自体が酔っているということに、
また頭は下手くそな独楽のようにふらふらとしているのにも気付かず、
龍麻は相伴している二人を見やった。
雪乃は見たところ変化があるようには見えない。
ただ頬は赤く、どことなく目尻が上がっているような気もするが、
何しろ雪乃が二人いるようにも──雪乃と雛乃ではない、雪乃が二人だ──見える龍麻なので、
本当かどうかはわからない。
そして雛乃も、見た目には姉以上に変わりないようだ。
正座も崩しておらず、動きにも怪しいところはない。
どうやら姉よりはアルコールに強いようで、龍麻は興味深く彼女に訊ねた。
「雛乃は、酒呑んだことあるの」
「うふふふふふふ、神社では御神酒って言う、んですよ」
変なところで切れた雛乃の台詞に、龍麻は眉をしかめた。
素面しらふだと思っていたが、顔に出ないだけで、もしかしたら自分よりも弱いのかもしれない。
「雛乃……もう酔ってる?」
「何、ですか」
「いやだから御神酒を呑んで、酔っ払ってる?」
「御神酒など呑んで、など、おりませ、んよ。わた、くしが頂いているの、はお酒で、す」
やはり雛乃はもう酔っている……が、いつにも増して上機嫌でにこにこと笑っている雛乃を見ると、
どうでもいいやという気もする龍麻だった。
「まァお前も呑めよ」
雪乃がどこぞの組長のようにぐい、と盃を差し出す。
二杯呑んで三杯呑まないのもおかしいので、龍麻はまた呑んだ。
それを見た雪乃が愉しそうに口許を緩めると、自分も三杯目を呑み干す。
空になった猪口に満面の笑みを浮かべた彼女は、暑くなってきたのか、
こたつから片足を出し、膝を立てた。
少しやさぐれたようなその格好が、実に似合っている
……とはおくびにも出さない龍麻が思ったのは、つまみが欲しいなぁ、ということだった。
それをねだって良いものかどうか迷っていると、雪乃が呼ぶ。
「おい龍麻」
「な、なんだよ」
妙に難詰するような口調の雪乃に、ついかしこまり、身じろぎしてしまう。
すると雪乃は、妹のものよりもわずかに薄い黒の瞳を顔の真ん中に寄せて詰め寄った。



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