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転校生 2へ>>
気忙しい桜の花片が仲間の許を離れ、東京の空を漂う。
四月の風は彼を大空に舞い上げるほどには強くなく、
さりとて儚い旅路を中断させてしまうほどには弱くもなく、ただひらひらと気紛れに運ぶだけだ。
時折吹く少し強い風が、彼を思っていたよりも遠くに運んでいた。
自分が居た場所は遠くに霞み、今ではどれが自分の親なのかも判らない。
仲間達が故郷を淡紅色に彩っているのを悠々と眺めながら、
やがて彼は、自身の旅が終わりに近づいているのを知った。
灰色の、自分の親よりも遥かに大きな何かが彼の行く手を遮っているのだ。
どこで旅が終わろうとさして関心は無かったが、やはり、どうせなら土の上で死にたい。
そう考えた彼は、最後の意地を見せた。
ほんの少しだけ風の流れに抗った彼の身体は、灰色の物に当たる寸前で動きを変え、
更に数秒間の旅を続ける。
それも遂に力尽き、後はただ落ちるだけとなった彼を、受け止めるものがあった。
「まあ──」
その音は、鳥達のさえずりと同じ程度には心地好かった。
だから抗議はしないでいると、そのままどこかに運ばれるのを感じる。
ほどなく置かれた場所は、暖かな陽光が満ち満ちている、
彼が生まれ育った所とも比して劣らない場所だった。
旅の途中で少ししわになってしまっていた身体はのばされ、
ひどく丁寧に扱われているのがはっきりと伝わってくる。
「今日は、ここにいてくれるかしら?」
その音色は、どうやら自分に向かって語りかけているらしい。
鳥や毛虫にさえ話しかけられたことなど無かった彼は、動揺を隠せなかった。
何を言っているのかは解らなかったが、返事が出来ないのを残念に思ったほどだ。
どうせ太陽が沈む頃には自分の命も尽きてしまうだろうが、
それまでは、ここに居ても良い──そう考えた彼は静かに目を閉じた。
……ひとつの縁が終わり、ひとつの縁が生まれようとしていた。
そして彼は知る由も無い。
自分が生み出した縁が、どれほど大きなものだったのかを──
三年C組の教室は、一ヶ月ぶりの喧騒に充ちていた。
春休みの間に起こった出来事を速射砲のように語り合う姿が、室内のあちこちに溢れている。
進級する、というのは、ただ年を重ねるだけではない、薄皮を一枚脱ぎ捨てる行為にも似ていて、
どこかくすぐったい気持ちを揺り起こす行事であり、
その感情に対する照れと戸惑いが彼らの声をとめどなくにぎやかにしていくのだ。
放っておけばそのまま一日続いていそうなざわめきの中、教室の前扉が開いた。
それに気づいた幾人かが声のトーンを下げたが、
すぐにそれまで以上のざわめきとなり、教室中に伝播していく。
先に入ってきたのは、妙齢の女性だった。
手にしている物や態度からすると教師なのだろうが、
学校以外の場所で、一見して彼女の職業を当てられる人間は皆無だろう。
少し強い金色の髪が、ウェーブを描いて肩を覆っている。
一切の穢れを拒むような白い肌に宿る蒼氷色の瞳とやや厚い唇は、
彼女をモデルか女優に間違わせることも少なくなかった。
しかし彼女はこの三年C組を受け持つれっきとした教師で、名前をマリア・アルカードといった。
わずか数ヶ月前にこの真神学園に赴任したばかりだったが、その広範な知識と、
美貌とは裏腹の気さくで親しみやすい性格で、瞬く間に男女、生徒教師を問わず人気を集めている。
だから、進級時に彼女のクラスに当たった生徒達は、
入ってきた彼女に対してその喜びを存分にぶつけるつもりだったのだが、
彼女の後ろに続くもう一人が彼らの喉まで出かけていた叫びを奪ってしまった。
少し身をかがめて入ってきたその人物は、年の頃は教室内のほとんどと同じだった。
身長は彼らのほとんどより高く、女性にしては長身の、しかもヒールを履いているマリアよりも
なお五センチほど上に頭が出ている。
目、といってもそれがはっきりと見える訳ではない。
豊かな、そしてやや長めの髪が顔の三分の一ほどを覆ってしまっているからだ。
それでもわずかに覗うことが出来る瞳には、
漆黒の輝きが浮かんでいて、見る者をどこか深淵に誘うようだった。
肉付きは多い方ではないようだったが、
真新しい真神の制服をやや窮屈そうに着ているところからすると、意外に筋肉質にも見える。
もしかしたら、線が太い訳でもないのに、
奇妙に活力を放っている全身がそう見せているのかもしれなかった。
初めて見る男に対するざわめきは未だ続いていた。
転校、という行事はするのもされるのもそうあることではない。
まして高校三年間のうち、三分の二を終えたこの時期に転校してくるなど
生徒の好奇心をそそるには充分すぎるほどだったのだ。
きりがない、と判断した、この場の支配者でもあるマリアが視線で一撫でする。
すると生徒達は不承不承ながら口を閉ざしていった。
完全に静寂が訪れる寸前、役目を思い出した日直の威勢の良い声が響き渡った。
「きりーつ!」
その声に弾かれたように皆立ちあがり、マリアと挨拶を交わす。
落ち着いた微笑でそれに応えたマリアは、早速皆の興味を独占している人物について紹介を始めた。
「知っている人もいると思うけど、
今日からこの真神学園で一緒に勉強することになった転校生のコを紹介します。
名前は……そうね、アナタの名前は少し難しいから、黒板に書いてもらおうかしら」
無言のまま頷いた男は、淀みなく自分の名前を黒板に記す。
書かれた名前はマリアが言った通り確かに珍しく、
「なんて読むの?」というひそひそ声が教室の何ヶ所かで起こった。
「緋勇……龍麻です」
龍麻の一声は短くそう名乗っただけだったが、親しみを感じさせるその声質に、
特に女生徒達が好感を抱いたらしく、何人かが勢い良く手を挙げた。
「ねぇ、どこから来たの?」
「誕生日は?」
「家はどこ?」
「前の学校でカノジョとか居たの?」
罪の無い、それだけに遠慮も無い、好奇心を露にした質問に、龍麻が困ったようにマリアの顔を見る。
心得たマリアはたしなめるように手を打ち鳴らすと、新しい教え子を質問の嵐から救った。
「はいはい、緋勇クンが困っているでしょう。質問は休み時間にゆっくりしなさい」
教師の声に生徒達はぶつぶつ言いながらも質問を止めた。
ただし眼差しは相変わらず集中していて、なんとなく見世物のようで、
見られている方はあまり良い気分ではないだろう。
それを察したマリアが、金色の髪を軽く波打たせて自分よりも長身の教え子をなだめた。
「ごめんなさいね。皆転校生が珍しいものだから」
そう言いながらも、担任であるはずの女性は喉の奥で笑いを噛み殺しているようだった。
やや憮然とした表情をする龍麻に、教育者の顔に戻したマリアが教室を見渡す。
「さァ、それじゃホームルームを始めましょうか。
緋勇クンの席は……美里さん、貴女の隣が空いていたわよね」
「はい」
指し示された場所に向かって龍麻は歩き出した。
すると、好奇に満ちた視線もついてくる。
それを避けようと必要以上に身体を縮めて席についた龍麻は、
鞄を置こうとして、視界の端を桃色の物が掠めたのに気づいた。
目線を引き戻して確認したそれは、隣の机に置かれた、小さな桜の花片だった。
どこからか舞いこんだのか、それとも誰かがそこに置いたのか──
龍麻は更に目を動かし、隣に座っている少女の方をちらりと見た。
今座っている席は窓際だから、反対側の隣はない。
ということは、彼女が美里、と言う名前なのは間違いなかった。
春の暖かな陽射しを受け、ほのかに輝いてさえ見える白い肌に、
滑らかな曲線を描いて肩の下まである黒髪が、鮮やかなコントラストを演出している。
穏やかな性格を想起させる細い眉や、頭髪に劣らないくらい深い黒色の瞳は、
未だ女性に本格的な興味を持たない龍麻でさえ、美しいと思った。
それは単に顔立ちだけでない、真っ直ぐに伸ばした背中や、
ひとつひとつが凛とした仕種がそう龍麻に感じさせたのだ。
それにしても、彼女の放つ神々しさにも似た眩しさは只事ではなく、
教室の中で一人浮いているというか、ひどく場違いな雰囲気でさえあった。
龍麻が先ほど自分が視線で不快にさせられたのも忘れ、遠慮なく人物鑑定を行っていると、
視線に気づいたのか、少女がこちらを向いた。
思いっきり目が合ってしまった龍麻は、自分の非礼なふるまいに気づき、軽く頭を下げる。
「えっと……よろしく」
「よろしく」
しかし、少女はそう短く答えたきり、すぐに前を向いてしまう。
非礼がこちらにあるにしても、少し冷たすぎる反応に内心で肩をすくめた龍麻だったが、
それが誤解なのはすぐに判ることとなった。
「緋勇くん」
一時間目の授業が終わると、少女の方から話しかけてきたのだ。
さっきの事務的な声ではなく、柔和な、どこか歌うような声だった。
「さっきはすぐにホームルームに入ってしまって挨拶も出来なかったけれど、ごめんなさい」
「あ……あぁ。いいんだ」
ホームルームなどという物をこれまであまり重要視してこなかった龍麻は、
失礼にならないようにしつつも、彼女の生真面目さに面食らっていた。
「私、美里葵って言います。これから一年間、よろしくね」
「こっちこそ、よろしく」
優しく、正面から微笑む葵にどぎまぎして芸の無い返事を繰り返し、
ぴょこん、と取って付けたように頭を下げた。
少し不格好なその動作に葵は更に顔をほころばせ、和やかな空気が二人の間に生まれかける。
その空気に後押しされて龍麻が話しかけようとすると、
いきなり大きな、元気の良い声が耳に飛び込んできた。
「あ〜お〜いッ!!」
葵の背中に飛びつくようにして、一人の少女が現れたのだ。
ごく短く切り揃えられた、茶色に近い明るい髪が、勢い良く揺れている。
やや勝気に吊りあがった眉は、意志の強そうな瞳とあいまって、
彼女を少年にすら見間違えさせることもあるだろう。
美しい、というよりは可愛い、という領域に属するものの、充分に綺麗と言える顔立ちだった。
満面の笑みを湛(えた少女は、龍麻に向かって親しげに手を上げる。
「やッ。ボクは桜井小蒔。よろしくねッ」
「あ、あぁ……よろしく」
十年来の友達に久しぶりに会った、そんな馴れ馴れしさで片目をつぶる小蒔に、
龍麻はすっかり機先を制されてしまっていた。
そんな龍麻を小蒔は、格好のおもちゃを見つけたとばかりに、上から下までじろじろと観察していた。
品定めされているような気がして軽く身じろぎする龍麻に、小蒔が意味ありげに手を顎に当てる。
「それにしても、葵もやるねぇ〜。もうナンパしてるなんて」
「え……?」
声に出したのは葵だが、龍麻も全く同感だった。
一体何をどうみたら、これがナンパしている光景に見えるというのだろうか。
葵に対する印象が悪いものではないだけに、それをからかわれて良い気分がするはずもなく、
龍麻は軽く唇を噛んだが、小蒔はお構いなしに話を進めている。
「生徒会長もようやく男に興味を持ってくれたんだねぇ。
もうボク達も十八歳なんだからさ、遠慮しないでカレシの一人や二人居たっていいと思うんだよ」
「もう、小蒔ッ」
呆れたように葵がさえぎると、小蒔は悪びれずに舌を出した。
しかし、小蒔に対しての、表情も豊かな葵の態度に、
龍麻は二人が相当に仲の良い友達なのだろうと推察する。
外見も性格もまったく正反対のようだが、それがかえって上手くいっているのかも知れなかった。
舌を引っ込めた小蒔は片目をつぶり、少女、
というよりも悪戯好きな少年のような顔を作って新たな友人に訊ねた。
「……でさ、ホントのところどうなの? 葵って結構タイプなんじゃない?」
龍麻はその表情と同じく、唐突に話題を変えてくる小蒔についていけず、余程に困った顔をしたらしい。
小蒔はいきなり腹を抱えて笑い出した。
「あははッ、ごめん、そんな真剣に考えなくてもいいよ」
冗談でもうっかり答えなくて良かった、と龍麻は内心でため息をついた。
しかし、話はまだ終わった訳ではないらしく、今度はいきなり耳を引っ張られる。
「最初は友達からだからね。葵は免疫ないんだからさ、怖がらせたらオシマイだよ。
今の所まるっきり緋勇クンに望みがない訳でもないんだし」
「……」
「まぁ、せいぜい頑張りなよッ。骨は拾ってあげるからさッ」
アドバイスというよりも、けしかけているだけにしか聞こえない。
龍麻が態度を決めかねている間に、彼女はさっさとどこか別の場所に行ってしまった。
つむじ風のようなその勢いにあっけにとられている龍麻に、
葵が我が事のように頬を染めてうつむく。
「あの……小蒔が変なこと言っちゃって、その……ごめんなさい……」
「いや、まあ……桜井さんとは仲いいの?」
「ええ、真神に来てからはずっと一緒で、今では一番の友達なの」
「あ〜あ〜、顔真っ赤にしてカワイイねぇ」
今度こそ葵との会話をしようと思っていた龍麻だったが、再び妨げられてしまった。
小蒔が去った方向から、今度は少し軽そうな声と共に男が現れたのだ。
龍麻よりも指三本ほど低い頭は、先ほどの桜井小蒔よりも明るい茶色に彩られている。
涼しげな目許には先ほどの小蒔に似た勝気な表情が浮かんでいるが、
瞳には更に剛性の輝きが宿っていて、不用意に見る者をたじろがせてしまうだろう。
短く詰めてある制服のボタンを全て外し、不良ではないが、それに近い印象を与える。
何故か右手には木刀を担いでいて、あまりそうは見えないが剣道を修めているのだろうか。
とにかく、話しかけてくれるのだから無下にも出来ず、
龍麻は少しがっかりしながらも彼を出迎えた。
「よォ、転校生」
自分は既に名乗っているのにわざと転校生と呼ぶ辺り、底意地の悪さを感じずにはいられない。
その言い方もどこか馬鹿にしているような響きがあり、
龍麻は、小蒔とは違った意味で、慎重にこの男と接した方がいい、と思った。
すると男は口端を軽く吊り上げ、声を低めて告げた。
「お前は顔に出すぎるな。少し気をつけた方がいいぜ」
そんなに顔に出てしまっていただろうか。
意外な指摘に驚きながら、今度は意識して表情を消すと、また男が笑った。
「ヘヘッ。そう怒るなって。俺は蓬莱寺京一。ま、よろしくな」
「緋勇龍麻だ」
「知ってるぜ、さっき聞いたからな」
人を食った返事にますます目を細める龍麻だったが、京一にはどこ吹く風だった。
ここでようやくからかわれている事に気づいた龍麻は、
軽蔑の三歩ほど手前、と言った彼への評価を態度に出す。
「だからそんな顔すんなって。なら、俺からひとつ忠告してやるよ」
表情を改めた京一は、いきなり龍麻の顔を引き寄せた。
さっきの小蒔とほぼ同じ格好だが、まだ小蒔の方が良かった、
と思ってしまうのは男の龍麻なら仕方ないだろう。
「あんま、目だったマネはしないほうがいいぜ。美里を狙おうってんなら特にな」
「俺は──」
思わず声を高めようとした龍麻の首に回された腕が、力強くそれを遮る。
「顔は動かすなよ。お前の右後ろに、頭に血が上りやすい奴らがいる。
そういう奴らに気をつけろってこった」
言われた通りに目だけを向けると、確かにあまり良くない、
言ってしまえば粗雑な雰囲気を全身から放つ男が数人、脅すようにこちらを見ていた。
「ま、そういうこった。高校生活を楽しみてェなら、色々気配りも必要なんだよ。
──もっとも、お前はそういうのも嫌いじゃなさそうだがな」
そう話を締めくくった京一は、軽く龍麻の肩を押す。
不意をつかれた龍麻は、そのままバランスを取れずに自分の椅子に腰を落としてしまった。
「へへッ。じゃあな」
何が起こったのか判らず呆然とする葵を置いて、悠々と京一は立ち去る。
龍麻もその後姿を見送っていたが、脳裏では京一の残した言葉の意味を考えていた。
──あの人に真神に行けと言われ、何も考えずに来てしまったが、
一体何が起こる──いや、その前に起こるのかどうかさえ──
彼らが、その契機となるのだろうか──
思考の谷間に落ちかけた龍麻は、頭を振って考えるのを止めた。
こちらから喧嘩を売ろうとは思わないが、向こうから売って来ると決まった訳でもない。
何しろ転校初日の一時間ほどが過ぎただけで、好きも嫌いもまだまだこれからなのだ。
それにしても、京一はわずかなやり取りの間に自分が武術を学んでいることを見抜いたようで、
態度ほどには軽い人間ではなさそうだった。
ま、のんびり行くさ──
そう結論づけたところで、龍麻の真神学園最初の休み時間は終わりを告げた。
さすがに高校三年生ともなれば始業式の日から授業があり、
特に転校生の龍麻はそれぞれの教師の授業の進め方を把握するだけで精一杯だった。
そうこうしているうちにあっという間に昼休みになり、
四限終了の鐘が鳴ると、緊張もあってやや疲労を感じ、思わず机に突っ伏してしまっていた。
終業の礼をすると同時に何人かの男子生徒が教室を飛びだしていったのは、
恐らく昼食を買いに向かったのだろう。
女生徒達も負けてはおらず、あっという間にいくつかのグループに別れて弁当を広げ始めている。
皆には言っていないが一人暮らしの龍麻に弁当は無く、購買も場所が判らない。
まぁ、後から行っても何かひとつくらい残ってるだろ。
そう考えて購買を探すべく席を立った龍麻に、ノートを片づけ終えた葵が話しかけてきた。
「緋勇君はお昼、どうするの?」
「えっと……購買の場所、教えてもらえるかな」
「ええ、もちろん。一階の向こう側の一番端よ。ここからだと遠いから、皆急いで行くみたいね」
「……そうみたいだね」
龍麻は血相を変えて走っていった生徒の何人かを思い出し、苦笑いする。
微笑未満の表情で頷いた葵が、思い出したようにつけ加えた。
「今日は生徒会があるから無理だけれど、明日にでも、学校のこととか色々教えてあげる」
「あ……ありがとう」
「それじゃ」
葵は弁当組なのか、そのまま友達の方へ行ってしまう。
一瞬だけ葵が一緒に購買に行ってくれるのではないか、と期待した龍麻だったが、
がっかりするよりも先に腹の虫が鳴り、とりあえず食べ物を手に入れないことには、と思い、
葵が教えてくれた購買へ向かおうと歩き出した。
「オイ」
ところが、教室を出ようとしたところでいきなり肩を掴まれ、後ろを向かされる。
見れば、先ほど京一が教えてくれた、「頭に血が上りやすい奴ら」の中にいた一人が立っていた。
その中でも真ん中に陣取っていた人物で、恐らくボス格なのだろう。
背の丈は龍麻より拳一つ分ほど低いが、横幅は上回っている。
それも龍麻の見たところ脂肪でなく筋肉の方が多く、まるっきりチンピラ、と言う訳でもないらしかった。
「ケッ……」
男は呼びとめておいて何も言わず、唾を吐く寸前の表情で龍麻を睨(む。
この手の輩はどうにでも因縁をつけて自分の気に入らない者を脅しつけようとする。
いちいちそんな手合いに構っていられない──今は特に、早く購買へ行かなくては──
龍麻だったが、突っぱねたところで相手は逆上するだけなのも知っており、
さてどうしたものか、と面倒くさいながらも考える。
そこに瓢々(とした空気を肩に乗せて現れたのは、蓬莱寺京一だった。
「よォ」
「……ケッ」
邪魔が入った男──名を、佐久間( 猪三(という──は忌々しげに好まざる闖入者を睨みつけ、
わざとらしく龍麻に肩をぶつけ歩き去って行った。
荒々しく音を立てて教室を出て行く佐久間に、京一は軽く肩をすくめる。
「ヘッ、早速目をつけられたようだな。ま、転校初日から気の毒なこったが、せいぜい頑張れよ」
励ましはしてくれるが、助ける気はないらしい。
いいさ、それなら別に。
この程度の障害を乗り越えられなければ、あの人に笑われる──
龍麻は自信と、ほんのわずかな自惚れの芽を覗かせて京一に無言で頷いてみせた。
その、荒事を望んでいるようにもみえる態度に、
京一は微妙に眉を動かしたが、口にしたのは全く別の話題だった。
「ところでどうだ、真神は。──ッて、お前はまだ来て数時間だろうけどよ」
あまりに突拍子もない、また、つい今しがたあのような出来事があったばかりでの問いに、
かえって何か裏があるのではと思い、龍麻は慎重に言葉を選ぶ。
「悪くない、と思うな」
「悪くない、か。無難な答えだな」
まさしく無難に答えるつもりでそう言ったのだが、
何か馬鹿にされた気がして、龍麻はつい口を尖らせた。
「蓬莱寺はどうなんだよ」
「蓬莱寺なんて呼ぶの面倒くせェだろ。京一でいいぜ。……で、質問だけどよ」
京一は眉間にしわを寄せ、ひどく深刻な表情を作る。
あまり似合わないその顔に、龍麻も身を乗り出して続きを待った。
「なんだかんだ言って結構気にいってるぜ」
「……」
「そりゃまあ、テストはうっとうしいし、補習は厳しいけどよ、
もっと物事ポジティブに考えねェとな。……どうした?」
「なんでもない」
「……ま、いいか。ところでお前、昼飯どうすんだ?」
「そうだ、忘れてた──早く購買行かないと」
「案外間が抜けてんだな。でもちょうどいいぜ、昼飯がてら学校案内してやるよ」
何のきまぐれか、京一は一緒に昼食を食べる気らしい。
龍麻はこの、何故か自分を気にいったらしい男への接し方を未だ決めかねていたが、
もちろん一人で食べるよりはずっとマシだったから、申し出はありがたく受けることにした。
「……それじゃ、頼むよ」
「カレーパン一個でどうだ?」
そう来たか。
龍麻は抜け目無い京一に呆れ、かつ感心した。
もっとも基本的には善意で接してくれるようだし、
例えば葵などでは知らない学園の裏の事情にも通じているらしい京一の話を、
カレーパン一個で聞けるのなら安いものだ。
頷いて交渉を成立させた龍麻は、さっさと歩き始めた
──恐らく、最初に案内されるのは購買部だろう──京一の後を追った。
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