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 話し終えた醍醐は、声も無い小蒔と葵に向かって、もう一度事件の最も重要な部分を告げた。
「辺りに犯人らしき姿は無かった。その部員に特に外傷は無かったんだが、
ただ……そいつの右腕が、石になっていた」
「石……? どういうこと?」
「そのままさ。そいつの腕は石……硬い、灰色の塊に変わっていた」
 それでも小蒔は狐につままれているようだった。
小蒔でなくともこれが普通の反応というもので、
こんな事は自分で体験しなければ到底信じることなど出来ないだろう。
 しかし、ある程度自分で情報を集めていた杏子は、この異常な結論にもさしたる驚きは見せなかった。
「なるほど……ね。院長先生はなんて?」
「原子や細胞の組替えがどうとか言ってたぜ。
詳しいことはサッパリ解らねぇけどよ、徐々に石化が進行していくらしい」
 京一のさりげない口調は、それがあまりにさりげなかった為に、かえって葵の不審を誘ってしまった。
「徐々に……って、京一君」
「あぁ……心臓まで石になっちまった時、そいつの命は終わる」
 昨日既にその話を聞いていた醍醐と龍麻以外は、皆一斉に息を呑んだ。
この東京の街で、人が石になって、あまつさえ死ぬなどと、あまりに非現実的だった。
「今は点滴と抗生物質で何とか石化の進行を遅らせてくれてはいるが、
完全に止めることは出来ないらしい」
「助ける方法は──ないの?」
「あるさ。美里の時と同じ……原因を突き止めて、止めさせれば・・・・・・いい」
「原因に、心当たりはあるの?」
 小蒔の問いに答えたのは杏子だった。
「大会を控えた有力選手ばかりが狙われたってことは、
やっぱりそれに関係ある……ウチの空手部を潰したい奴らの仕業かしらね」
「そんなッ……そんな勝ち方して嬉しいの? そんなやり方、許せない」
 憤る小蒔に、醍醐と京一が頷く。
種類は違えど勝負を行う者として、
闇討ちなどというものは最も唾棄すべき行為だという心情は共通なのだ。
「いずれにせよ、俺達はその犯人を捜すしかない」
「まッ、そういうこった」
 醍醐と京一がそう言うと、手帳に何事か書きこんでいた杏子がページをめくって言った。
「そう……じゃ、イイ事教えてあげるから、アンタ達が犯人見つけたら呼んでよね」
「わかったわかった。で、なんだよイイ事って」
「なんか適当ね……ま、いいわ。これよ」
 杏子が差し出したのは、一枚の写真だった。
五人は一斉に視線を注いだが、そこに写っていたのは、ほとんど一面真っ暗なものでしかなかった。
「なんだこりゃ?」
「昨日の夜に撮った犯行現場の写真なんだけど、ここ見て。何か写ってるでしょ」
「おい緋勇、見えるか?」
 龍麻は目を凝らしてみたが、夜間の撮影であるために画像は粗く、
そして写っているらしきものは小さい。
それが何であるかは、とても判らなかった。
「いや……ちょっと小さすぎるな」
「じゃ、これはどう?」
 その反応を予想していたのか、杏子はもう一枚写真を突き出す。
そちらには、杏子が写っていると言ったものの正体がはっきりと写っていた。
「これは……ッ」
電脳研究会MITに持っていって画像処理してもらったの」
 龍麻は初めて聞く部活だったが、その名に小蒔が驚いた顔をした。
「よく電研が協力してくれたね。あそこ、すっごく閉鎖的な部だよね」
「まぁね、あそこの部長の秘密の写真持ってるから。あたしの頼みなら二つ返事よ」
 自慢気に言う杏子に、京一が声を潜める。
(お前も気をつけろよ、緋勇)
「なんか言った?」
「い、言ってませんですッ」
 直立不動で答える京一に、龍麻はすぐ頷かなくて良かったと思っていた。
 まるで緊張感の無い二人をよそに、じっと写真を見ていた葵が考えを口にする。
「なにかのボタンかしら」
「うん、金色の……そうだ、これって学生服のボタンだよね。
て事は、どこの学校かわからないかな。えっと、よろい、おうぎ……」
 一文字ずつ読む小蒔に、既に分析を終えていたのだろう、杏子が正しい読み方を教えた。
鎧扇寺がいせんじ
 しかし、その名前に劇的な反応を示したのは、小蒔ではなく醍醐だった。
「鎧扇寺だと!?」」
「調べたところ、都内でその名前のつく高校はひとつしかないわ」
「目黒区……鎧扇寺学園」
「ええ」
「しかし……鎧扇寺が」
 醍醐はそう呟いたきり黙りこくってしまう。
同じ武の道を歩む者として、鎧扇寺学園がこのような卑劣な手段に出たと考えたくないのだ。
「まぁ、手がかりは今の所これしかねぇんだ、調べてみる必要はあんだろ。どうする? 早速行くか?」
 京一は彼らしく、悩むより動くことを提案する。
考え込むように顎に手を当てた醍醐だったが、長い時間のことではなかった。
「あぁ、一刻も早い方がいいだろう。お前達も来てくれるか」
「当たり前だろうが。今更何言ってやがる」
「事が事だからな、醍醐一人じゃ手に負えないかもしれないだろ」
「あぁ……助かるよ、そう言ってもらえると」
 もし、鎧扇寺学園の人間が本当に犯人だとすると、
空手に加えて人を石に変える『力』を同時に相手にしなければならないのだ。
人手は多いに越したことはなかった。
それに、顔も名前も知らない生徒とは言え、同じ学園の後輩が事件に巻き込まれ、
そしてそれを発見した縁もある。
龍麻と京一が同行するのは必然とさえ言えた。
しかし、話を聞いたとはいえ、もちろん必然ではない葵までもが、
決然とした表情を浮かべて同行を告げた。
「あの……私も一緒に行ってもいい?」
「美里も?」
「この前は、皆が私の為に行ってくれたんだもの、今度は私の番だわ」
「ボクも行くよッ」
「お前達……今日は様子を見るだけだぞ?」
 葵に続き、元気良く宣言する小蒔に、醍醐は複雑な表情を見せた。
どうも京一と小蒔は、喧嘩沙汰になることを期待している……
と言うよりも最初っからそのつもりであるように思われるのだ。
そしてそんな醍醐の悩みを裏切らない京一の言葉が続く。
「向こうはそうじゃねぇかもしれねぇだろ。手ぐすね引いて待ち構えてるかもしれねぇ」
 何か言いかけた醍醐が、そのまま口を閉じるのを龍麻は見ていた。
小さく失笑すると、醍醐がこちらを見る。
その取り越し苦労をなだめるように、友人の大きな背中をひとつ叩いた龍麻だった。

「あたしもこうしちゃいられないわッ。桜ヶ丘に行って症状をこの目で見なくちゃ。
鎧扇寺から戻ったら情報よろしくね、緋勇君」
「うん」
「気をつけて行って来てね」
 杏子に思いがけず優しい言葉をかけられて、龍麻はしゃっくりを呑みこんだような顔をする。
それを見た京一が、嫌味っぽく呟いた。
「なんだお前、緋勇にはやけに優しいじゃねぇか」
「何言ってんのよ、これが普通なのッ。アンタがアホだから特別なのよ」
「……あァ、そうですかッ。ったく、ウマが合わないってのはこういうこったな」
「アンタなんかと合ってたまるもんですかッ」
「ホント、仲がいいんだか悪いんだか……ほらアン子、行かなくていいの?」
「そうね桜井ちゃん、アホの相手してる場合じゃないわね。それじゃ、行ってくるわ。じゃーね」
 不毛な舌戦を打ち切って駆け足で教室を出ていこうとした杏子は、扉の前で急停止した。
そこから少し時間をかけて振り向き、ためらいがちに告げる。
「あ、そうだ、この事件の事で頭が一杯で忘れてたけど、醍醐君」
「なんだ」
「──佐久間が、退院したそうよ」
「……そうか」
「知らなかったの?」
「あぁ。入院してからは会っていないからな……そうか、退院したか」
 醍醐は消極的ながらも同じ部員の回復を祝うような素振りだったが、
祝われた方はそれを喜びなどしないだろうと杏子が吐き捨てるように言った。
「気をつけてね。どうやら佐久間あのバカ、醍醐君のこと恨んでいるらしいの」
「……」
「ッたく、どうしようもない野郎だな。ま、また来ても返り討ちにしてやるだけだし、
あいつなら醍醐おまえひとりでも大丈夫だろ」
「とりあえず伝えたから。それじゃね」
「あぁ、ありがとう遠野」
 そう、短く答えたきり、醍醐は話題を打ちきった。
これから難事を処理しなければならないのに仲間に余計な心配をかけたくないという配慮からだったが、
後日、醍醐はそれを断腸の思いで振りかえらされることとなる。

 教室を出た龍麻達は、揃って下駄箱へと向かった。
その途中で、小蒔が前方を歩く生徒に気付く。
「あっ……ミサちゃんだ。おーい、ミサちゃーん!」
「馬鹿、なに呼んでんだよ、小蒔ッ」
「もう、京一もいいかげんに慣れなよ。ミサちゃんはこういう不思議な話には詳しいんだからさ」
「そ、そりゃそうだけどよ」
 招きに応じてやって来たミサは、両腕に人形を抱えていた。
別段変哲のない人形に見えるが、いかにも大事そうに抱えていて、何かのいわれを感じさせる。
「うふふふふ〜。何かよう〜?
我が傍らに在りし知恵の支配者キュリオテーテスが、汝のあらゆる求めに応じよう〜」
 あまり事件を広めてしまうのもどうかと思ったが、
ミサの能力は葵が嵯峨野麗司と言う少年の『力』によって夢に囚われた事件の時に証明されている。
今回の事件でも、訊ねてみて損はないだろうと思い、龍麻は思い切って聞いてみることにした。
「あのさ、裏密さん。人を石に変える……って、出来ると思う?」
「い〜し〜? 例えば、ギリシャ神話のメデューサみたいに〜?」
「メデューサって、頭が蛇の? それなら、そんな感じだと思う」
 龍麻はそれほど昔話や神話に詳しい訳ではないが、メデューサくらいは知っている。
 醜く、蛇の髪を持ち、見た者を石に変える力を持つ魔物。
しかし、鏡のように磨かれた盾を持つ勇者ペルセウスに退治され、
その頭はアテナの盾に着けられた……。
 メデューサと今回の事件との類似点に龍麻が頷くと、ミサは彼女の持っている知識を披露し始めた。
「う〜ん……恐らくは〜、邪眼イビルアイの一種だと思うけど〜」
「イビル……アイ?」
「そ〜。邪眼っていうのは〜、妖術、魔術の類の実施にあたって基礎となる重要な概念であって〜、
邪悪なる法を施行する力や〜、視線によって他者に邪悪な力を投射することのできる力を持つ〜、
ということを表すオカルト用語なの〜」
 押し黙る龍麻達と対照的に、ミサは水を得た魚のように喋る。
独特なテンポを持つミサの喋り方とあいまって、龍麻は半ば催眠をかけられているような気持ちになった。
「うふふふ〜、まず、F・T・エルワージーはその著書の中で、
邪眼とは魔術の基盤であり起源であると記しているし〜、
R・C・マクラガンは邪眼とは強欲とねたみを持った目であり〜、
強欲な視線は、巨岩をも二つに割る、と記しているの〜」
「つまり、相手を石にすることももちろん出来るけど〜、
それだけじゃなくて、睨むだけで呪いをかけたり〜、
触っただけで相手を病気にも出来るの〜。うふふふ〜、便利だと思わない〜?
緋勇く〜んは、どう〜? 欲しくない〜?」
 既に半眼で話を聞いていた龍麻は、急に訊ねられて思わず頷いていた。
ぎょっとする小蒔や葵を尻目に、ミサは同志が出来たとばかりに笑顔を浮かべる。
「うふふ〜、欲しいな〜、邪眼〜」
「しッ、心配するな、裏密。お前はもう持ってるからよ」
 はなはだ失礼な京一の言にも、ミサはこたえた様子もなく邪眼についての解説を続けた。
「うふふふ〜、邪眼を持つ代表的な存在は、さっき言ったメデューサね〜。
邪眼とは、もともと強い羨望や妬みが基礎になってるの〜。
メデューサはもともと、とても美しい地方神だったんだけど〜、
その美しさに嫉妬した中央の女神アテナによって、醜い魔物に変えられたの〜。
そしてそのことによって、メデューサは邪眼を手に入れたの〜。
美しい娘や女神たちへの、羨望、妬み、恨み……
それら全てを、無機質な石へと変える能力を手に入れたの〜。
全ては、邪眼の持ち主の意思次第ってことね〜」
「なるほど……ってことは、この事件の犯人も、何かを羨んだり、妬んだりしてるってコトなのかな」
「多分ね〜」
 小蒔の洞察に頷いたミサは、京一などから見たら邪悪、としか形容出来ない笑みを浮かべた。
「緋勇く〜んたちといると、本当にオカルティックわたしごのみなことばかり起こるわ〜。
これからは、わたしも緋勇くんたちについていこうかな〜」
 止めておけ、と京一がしきりに眼で訴える。
それには邪眼に匹敵するほどの強い意思が宿っていたが、龍麻はきっぱりと首を縦に振った。
「よろしく、裏密さん」
「うふふふ〜、やっぱり、わたしと緋勇く〜んは〜、
運命の王ファタエーによって結ばれることが決められてるのね〜」
 難解な言い回しで、どうやら喜んでいるらしいミサを横目に、
京一は額に手を当てて友人の社交性を嘆いた。
「緋勇、お前……裏密なんかと一緒に行動したら、遭わなくてもいい事故に遭うぞ」
「いいだろ、別に。裏密さん色々知ってるし」
「そうね、ミサちゃんが一緒なら、心強いわね」
 龍麻だけならまだしも、葵にまでそう言われてはどうしようもなかった。
葵の言葉に大げさに頭を振る龍麻に敵意めいたものを抱きつつ、京一は妥協策を提示した。
「う……そッ、それじゃ、今度なんかあったら連れてってやるよ。それでいいだろ」
「楽しみにしてるからね〜。嘘ついたら呪っちゃうぞ〜」
 物騒なことを平然と言ってのけたミサは、龍麻には打って変わって優しい言葉をかける。
打って変わって優しい、と言うのはミサの主観であって、そう思ったのは彼女以外には京一だけだったが。
「あ〜、そうだ〜、これ、『月刊黒ミサ通信』の通販で買ったんだけど〜、
お守りになるかもしれないから緋勇く〜んにあげる〜」
「お前、こんなん通販で買うのか……」
 京一がそう言ったのも無理はない。
ミサが取り出したのは、見るからに怪しい仮面だったのだ。
能面などもある種の不気味さを持っているが、
これはそれを遥かに上回る禍々しい印象を見る者に与える。
何がどうなればこれがお守りになるのか、龍麻はさっぱり解らなかったが、
断ると呪われそうなので黙って受け取ることにした。
「うふふふ〜、それじゃ〜ね〜」
「じゃ、じゃあ俺達も行くとするか」
 仮面を鞄に押し込むのに手間取った龍麻は、ミサに軽く手を上げて別れの挨拶をすると、
さっさと行ってしまった仲間達に慌ててついていった。



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