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表への移動は、醍醐の戦意をいささかも減じさせることは出来なかった。
それどころか一歩毎に膨れ上がる怒りの氣は肉眼でも見えるほどで、
龍麻は危惧を抱かずにはいられなかった。
しかし、彼が抱く怒りは全く正当なもので、それを止めるなど出来ようはずもない。
龍麻自身でさえもが、身を委ねよと甘美に囁く怒りの氣の誘惑に必死で抗っている有様なのだ。
怒り、哀しみに発する氣は陰氣となり、使い手の心身を蝕んでいく。
決して陰氣に呑みこまれることなかれ、いかなる時にも心を穏やかに、
陰陽共生を理とせよ──師から固く戒められていることであった。
ともすれば勝手に暴れそうになる陰氣を、必死に練り上げようとする龍麻の前で、
醍醐が急に立ち止まった。
「凶津……そこまで堕ちたかッ」
見ればいつのまにか、先ほど紗夜に絡んでいた連中と同じ制服を着た人間が、
全部で十人ほども周りを囲んでいた。
それぞれが鉄パイプやチェーンやら、何か武器を持っていて、
じりじりと包囲の輪をせばめつつある。
「いいかおめぇら、そこの女はくれてやる。好きにしな」
凶津に応じて下劣な口笛が吹き荒れ、葵の一身に下卑た視線が集中する。
葵を襲う悪意から身を以って庇った龍麻は、
過去三年間でその術を学んだ醍醐と異なり、自分の怒りを把握することが出来ない。
それが故に、今この瞬間、醍醐以上に危険な存在と化してしまっていた。
爆発的に基底から天頂(のチャクラを循環した怒りの氣を、
御しようともせず、暴力と色の欲望に憑かれて近寄ってきた餓鬼に叩きつける。
圧倒的なエネルギーの塊の直撃を受けた凶津の手下は、悲鳴を上げる間さえなく壁に叩きつけられた。
この時既に、龍麻は二人目の顎に掌底を撃ちこみ、
愚かな男が一生固い物を食べずに済むようにしてやっている。
「行け、醍醐。道は緋勇(が作ってくれる」
右に左に、次々と凶津の手下を打ち倒していく龍麻を、
呆れたように眺めていた京一は、醍醐の背中を押した。
「ああ。美里を頼む」
力強く頷いた醍醐は、かつて友と呼んだ、今は紛れもない敵に向かって行った。
ほとんど一直線に向かってくる醍醐に、凶津が構える。
個別に対しては全く歯が立たないということに遅まきながら気づいた不良達は、
龍麻一人に矛先を向けることにしたようだった。
今の龍麻は例え敵が百人いようと構わず突っ込んで行ったろうが、
不良達も一人を取り囲んで奮う暴力には慣れていた。
巧みに龍麻の背後に回りこんだ不良の一人が、渾身の力を込めて鉄パイプを振り下ろす。
初めて龍麻に一撃を与えることに成功したその男は、
その報いとして肘打ちをしたたかに頬に叩きこまれ、鼻から血を撒き散らしながら倒れた。
しかしその一撃で、確かに龍麻のスピードは鈍っていた。
捻った背中に二撃目を食らい、その相手も倒したものの、三撃目を食らって流石に膝をつく。
龍麻の姿が、不良達の中に埋没した。
「緋勇くん!」
野郎──ッ。
葵の悲鳴の直前に駆け出していた京一は、木刀を砕かんばかりに握り締め、
相手の頭蓋を叩き割るつもりで振りかぶると同時に跳んだ。
斬撃──そう呼ぶに相応しい必殺の跳躍も、わずかに間に合わない。
勝利を確信した不良が、チェーンを龍麻の頭に振り下ろす。
後頭部を狙って的確に振り下ろされたチェーンは、しかし、永遠に当たることはなかった。
チェーンを持った右手を掲げたまま、男がいきなり吹き飛んだのだ。
目の前で水平移動を始めた男に、着地した京一は驚いて辺りを見渡す。
訳がわからないまま周りの仲間も巻き込んで、
二メートルほども滑空した男の飛んでいった方向の正反対に、一人の少女が立っていた。
腕には人形を抱え、底のぶ厚い眼鏡をかけ、制服は葵と同じ物を着ている。
その少女を、もちろん京一はが知っていた。
「うふふふふ〜」
「うッ、裏密ッ!」
どこから、いつのまに来たのか、そこに居たのは裏密ミサだった。
「なんでこんなとこに……」
「京一くんは〜、緋勇くんを助けてあげて〜」
首だけを京一の方に回してそう言ったミサは、再び不良達の方を向く。
突然の出来事に驚いていた不良達も、女に馬鹿にされたとあって、
頭に血を上らせてミサに向かっていった。
「えい〜」
それを臆する色も無く待ちうけたミサは、何かをポケットから取り出して掌に乗せ、
軽く息を吹きかける。
「うおッ、何だこりゃ……目が、目が見えねぇッ!」
「うわっ、助けてくれぇッ!」
突然視力を奪われ、狼狽する不良達に、ミサはまた別の何かを取り出し、
今度は相撲取りが塩を撒くような仕種をした。
京一の目には何も見えなかったが、不良達はパントマイムでも行っているかのように
再び吹き飛んでいき、ひどい音を立てて鉄骨に激突した。
「……」
指一本触れることなく不良達を殲滅したミサに京一は言葉もない。
恐るべき、ミサの黒魔術だった。
呆然とその場に立つ京一の傍らを、葵がすり抜ける。
まだ暴力の気配が周りに満ちているのにも構わず、龍麻を救う為に意識を集中させる。
呼吸が乱れ、氣を失いかけていた龍麻は、暖かな光が自分を照らすのを感じた。
さっきまで自分を支配していた陰氣ではない、春の陽射しにも似た陽の氣。
それは砂が水を吸うように身体に満ちていった。
半ば意識を失っていた龍麻は、不覚を取った不良達に反撃しようと立ちあがる。
しかし辺りにはもう、立っている不良はいなかった。
あっけに取られて周りを見渡すと、ミサが真っ直ぐ腕を突き出して二本指を立て(ていた。
「あれ……裏密……さん?」
「うふふ〜、こんにちは、緋勇くん〜」
学校の廊下で出会った時と変わらぬ挨拶をするミサに、龍麻は混乱してしまっていた。
その混乱に加えて、まだ不良達にやられたダメージが回復しきっていないものだから、
再びふらふらとへたりこんでしまう。
すると、もう一度暖かな光が左側から照らした。
「緋勇くん……大丈夫?」
「あ、うん……ありがとう」
「無茶はしないでって言ったのに」
「ご……ごめん」
「でも……ありがとう」
格好がつかなかった龍麻は恥ずかしそうに笑うしかない。
葵はそれを、優しく包み込む笑みで応えてくれた。
「おいご両人、そういうのは全部終わってからにしてくれよ」
全く場違いな雰囲気を築き始めた二人に、苦笑混じりに京一が腕を差し伸べる。
京一に肩を借りて立ち上がった龍麻は、醍醐と凶津の闘いの行く末を見守ることにした。
醍醐と凶津の殴り合いは、凄惨なものだった。
龍麻と紫暮が行った試合のように、洗練された技のぶつかりあいなどではない、
ただ足を止めての拳の打ちあいだった。
お互いに相手の拳をよけようともせず、ひたすら相手より一撃でも多く殴ろうと拳を奮う。
さすがに中学でつるんでいただけあって、凶津の実力は醍醐にひけをとらないものだった。
いや、むしろ、体つきが一回りは違うのに互角に殴り合えるというのは、
凶津の方が実力は高いのかもしれない。
凶津のフックが醍醐の頬を捉え、巨体が揺らぐ。
倒れるのを堪えた醍醐は、返す刀で凶津の顎を上から撃ち下ろした。
顔が歪み、身体が折れ、血しぶきが飛び散っても、
二人は見えているのかさえ判らない瞳でお互いを見据え、闘い続けた。
声も無く見守る龍麻の袖を、葵が掴む。
それは二人の愚劣な闘いに抗議するように震えていたが、龍麻はそうは思わなかった。
醍醐も凶津も、紛れもなく全力を尽くして闘っている。
相手を殺しても、それは単なる結果でしかない、と言うほどの、
急所を狙い、息の根を止めようとする二人の拳は、どちらがより危険なものか、
容易には判断がつかない。
にも関わらず龍麻は、醍醐も、そして凶津も、
この闘いを心の片隅で楽しんでいるという気がしてならなかった。
その一つの証拠には、凶津が忌まわしい石化の力を
これまで使っていないことがあげられるかも知れない。
使いたくても使えない、というだけかも知れなかったが、
とにかく、凶津は真っ向から醍醐とぶつかりあっているのだ。
多くの女性を、そして小蒔を石と変えた凶津を許すことなど絶対に出来はしないが、
自分の心境に、ある種の成分が加わったことを龍麻は感じていた。
もう五分ほども闘い続けていただろうか、龍麻達が見守る中行われていた醍醐と凶津の勝負は、
不意に終わりを告げた。
醍醐の拳が凶津の腹にめり込んだ時、凶津の動きが止まったのだ。
「……終わったな」
京一が呟く。
醍醐の重い拳が、凶津の肋骨を数本へし折ったのだ。
京一の言った通り、凶津はなお動こうとしたが、遂に力尽き、膝を着いた。
倒された男を、倒した男が睨みつける。
倒された男は、やがてその眼光に屈するように気を失った。
凶津が気を失っても、醍醐は仁王立ちで微動だにしなかったが、
葵が癒しの力を使おうとすると、腕を上げてそれを制した。
「俺はいい。それより、桜井が」
「でも」
「行こう、美里さん」
龍麻に促され、釈然としない足取りで建物へと入っていく葵達の最後から、醍醐もついていく。
ひどく打たれた骨が軋んで悲鳴を上げたが、醍醐は歯を食いしばって耐えた。
骨が折れようと、肉が削げようと、この痛みは消す訳になどいかない、
魂に刻みつけるべき痛みだった。
龍麻達が部屋に入っても、小蒔は石像のままだった。
不安に駆られた龍麻は、最も詳しい人間に助けを求める。
「裏密さん……解る?」
「術者が倒れたんだから〜、術は解けるはずなんだけど〜」
「んなこと言ったってよ」
目の前の小蒔は元に戻んねぇじゃねぇか、そう言おうとする京一の目の前で、
小蒔に変化が訪れた。
灰色の表面が、少しずつ薄くなっていく。
ある時を境に、急速に勢いを増し始めたそれは、あっと言う間に全身に及び、
皆が知っている、白い真神の制服に身を包んだ、
健康的な肌色と、やや赤みを帯びた髪を持つ桜井小蒔が戻ってきた。
完全に元に戻っても、しばらくの間小蒔は動かなかったが、やがて、
生気に溢れた目がぱちくりとしばたいた。
「う……痛たた……あれ……葵に、緋勇クンに、醍醐クン……
それに、京一も……ミサちゃんまで……ここ、どこ?」
「小蒔……良かった」
喜びも露に、葵は親友に抱きつく。
まだ石化から戻ったばかりの小蒔は、支えきれずよろけてしまっていた。
「何とかセーフだったみてぇだな。よし、ちょいと俺は事情を説明しに行ってくるぜ」
小蒔の無事を確認すると、京一はさっさと石像と化した女性達が居た部屋へと戻る。
それまでの心配ぶりからすると照れ隠しなのは間違いなかったが、
誰か説明する人間が必要なのは確かなので、龍麻は止めなかった。
「皆……助けに来てくれたんだね。ありがと」
ようやく事情を理解した小蒔は、まだ感覚が戻っていないのか、
顔を触りながらはにかんでみせる。
その笑顔はいつもと変わらぬもので、龍麻達は小蒔が無事元に戻ったことに、心から安堵していた。
「えへへ、ちょっとお腹空いたけど」
まったく小蒔らしい台詞に、皆笑う。
ひとしきり笑った小蒔は、笑えることが心から嬉しい、と再び笑った。
「でも、ホントはね、少し怖かったんだ。きっと皆が来てくれるって信じてたから、我慢出来たけど」
「こっちはこれで、一件落着か」
まだ小蒔に抱きついている葵に好意的な視線を向けた龍麻は、
その表情を一変させて醍醐の方を向いた。
頷いた醍醐は、そろそろ意識を回復しているであろう凶津の許へ、龍麻と共に戻ることにした。
凶津は意識を回復してはいるようだったが、立ちあがることは出来ないようだった。
龍麻達が近づくのにも全く関心を払わず、虚ろに地面を見つめている。
その前に醍醐が立つと、ひび割れた呪詛の声が聞こえてきた。
「……あの日とまるっきり同じじゃねぇか」
「凶津」
「近寄るんじゃねぇ! そんな目で俺を見るなッ!!」
肋骨が折れているのだから、息をするのでさえ相当の苦痛だったはずだが、凶津は絶叫していた。
その叫びを聞きつけ、建物の中にいた葵達もやって来る。
「俺は鬼になれるはずだった。おめぇを怨み、憎むことで、鬼の力を手に入れられるはずだった」
「鬼の……力?」
「そうさ。俺のこの邪手(の力と奴らの持つ鬼の力、
その二つがあればもう怖いものはねェと思っていたのによ。だが……俺は鬼になれなかった」
凶津の話に聞き逃せないものを感じた龍麻は、醍醐に尋ねてくれるよう目で促す。
頷いた醍醐は、三年前とは異なる口調で友に問い掛けた。
「奴らとは……一体?」
「いいだろう、教えてやるぜ」
凶津の話は、異様極まるものだった。
「この東京(は、もうすぐ鬼の支配する国になる。
俺達『力』を持つ者と、鬼達の支配する国に。
鬼達(の名は──鬼道衆。この東京(は、間もなく狂気と戦乱の波に包まれるだろうよ」
声も無い龍麻達に、顔を上げた凶津は歪んだ笑いを向ける。
その口の端から、血の筋が滴(った。
「そして奴らはいずれ醍醐、おめぇの前にも現れる」
自分達の『力』が無ければ、そして邪手(の『力』を持つ凶津の言葉でなければ
たわ言としか聞こえない話に、更に醍醐が訊ねようとすると、京一がそれを遮った。
「おい醍醐、お巡りが来てるぜ。ちっとばかし派手にやり過ぎちまったみてぇだ」
「行けよ、醍醐。俺は塀の中からのんびり見物させてもらうぜ。
この東京が地獄に変わり、その中でお前らが逃げ惑う様をな」
「行くぜ、醍醐」
足早に立ち去っていく仲間達を見送った醍醐は、最後にもう一度だけ凶津を見た。
凶津の瞳は、笑っていた。
その瞳は邪(に満ちてはいたが、どこか、過去の輝きをも取り戻しているようだった。
何か言いかけた醍醐は、結局何も言わず、仲間の後を追いかける。
醍醐が立ち去るのを見届けた凶津は、ゆっくりとその場に倒れ伏した。
気を失った凶津の前に、人影が現れる。
「ふん……所詮はヒトか」
突然に現れたその人影は、凶津を見下ろし、つまらなそうにそう呟いた。
次の瞬間、一陣の風が吹き抜け、止んだ時には人影は影も形も無く消え去っていた
もし凶津にまだ意識があったなら、その人影を見て叫んだかも知れない。
鬼道衆、と──
帰路は随分と賑やかなものだった。
小蒔が無事助かったのだから当然といえば当然なのだが、
その異常ともいえるテンションに付き合いきれなくなった龍麻は、
馬鹿騒ぎをしている小蒔達から少し歩をずらし、一人静かに歩いているミサに声をかけた。
「さっきは本当にありがとう、助かったよ」
「うふふふふ〜、新しい黒魔術が試せたからミサちゃんも楽しかった〜」
後で京一からその話を聞いた龍麻は、
やはり貰った不気味な仮面を絶対に捨ててはいけないと肝に銘じたのだった。
それはそれとして、どうしても気になっていたことがあった。
「でも裏密さん……どうして俺達があそこにいるって解ったの?」
「真神(で緋勇くん達が走っていくから〜、何かあったんだと思って〜、
居場所を探したの〜」
その居場所をどうやって探したのかを龍麻は知りたかったのだが、
ミサはそこまで教えてくれる気はなさそうだった。
そして、急に龍麻の顔を真正面から見たミサは、おどろおどろしい口調で厳かに告げる。
「それより〜、緋勇く〜ん、約束破った〜」
「約束……って、待った、呼ばなかったのはわざとじゃないし、それに、約束したのは京一だろ」
名を呼ばれた京一は、血相を変えて否定した。
「ばッ、馬鹿野郎、俺じゃねぇって、リーダーはお前だろうが」
「んなモンいつ決めたんだよ」
「この間言ったじゃねぇか、俺は忘れてねぇぞ、とにかくそういうこったからなッ」
「うッ、うむ、そうだな。俺もそう思う」
神かけて龍麻はそんな話を聞いた憶えは無いのだが、京一は言うが早いか、脱兎の如く逃げ出していた。
見れば醍醐も、あからさまに距離を置いている。
「なっ、お前らッ」
「約束は約束〜、契約の天使(の名に置いて〜、呪っちゃうぞ〜」
神も悪魔もいっしょくたにしたミサの物騒な宣告に、龍麻はかつてない恐怖を抱いていた。
「うふふふふ〜、どんな呪いを試そうかな〜」
楽しそうに笑うミサに、背筋の毛が一斉に逆立つ。
周りでは鳥が飛び立ち、黒猫が逃げて行く。
助けを求めて仲間を見れば、葵と小蒔までもが距離を置いていた。
「じゃあ、緋勇くん、また明日」
「バイバーイ」
「ちょ……」
「えい〜」
夕暮れの街に、声の無い悲鳴が木霊(した。
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