<<話選択へ
<<友 5へ 友 7へ>>
本当なら二人で敵の居場所へ向かっても良いくらいだったが、
龍麻と醍醐は中央公園で京一と葵を待つことにした。
敵が一人なのか、それとも複数なのか判らなかったし、
二人を置いて行くと後で何を言われるか解ったものではないからだ。
「京一と美里はまだ……か」
苛立ちを隠そうともせず、醍醐は掌を打ち鳴らす。
龍麻が敵の正体について訊ねていないのは、全員が揃った所で聞いた方が良いと思ったからだった。
醍醐のように態度にこそ出さないものの、龍麻もしきりに時計を見る。
葵が一緒なら時間に遅れることなどないだろうが、今は一分一秒が貴重なのだ。
体内を駆け巡る激情は立っているだけで苦痛をもたらし、
龍麻は行儀悪くつま先で地面を叩くことで少しでも和らげようとする。
そこに突然、そんな龍麻達の苛立ちを逆撫でするような悲鳴が、公園の奥のほうから聞こえてきた。
「やっ、やめてください。人を呼びますよ。誰かッ!」
若い女性の声。
一瞬顔を見合わせた龍麻と醍醐は、時同じくして鋭い舌打ちの音を立てた。
助けに行く手間を惜しんだのではない。
くだらない輩に関わって、怒りのエネルギーを損ねてしまうのが嫌だったのだ。
「止むを得んな。行くぞ、緋勇ッ!」
しかしもちろん見過ごせるはずもなく、二人は声の方向に駆け出した。
木々に囲まれた公園の中を走った先で龍麻が見たものは、全く予想通りの光景だった。
一人の女性が、柄の悪い男二人に手首を掴まれている。
何をどう見たところで誤解しようのない、下衆の行いだった。
ただし、予想外のことがひとつだけあった。
どうしようもない連中に絡まれている女性は、龍麻の知った顔だったのだ。
「人を呼びますよ、だってさ。カワイイねぇ」
「いいからさぁ、遊ぼうよ。俺達の車でいいトコ行こうよ。な?」
「離して、離してくださいッ!」
「比良坂さんッ!」
激しい怒りを含んだ叫びに、男達が気付く。
圧倒的な眼光で睨みつける龍麻に、男達はわずかに怯んだものの、
下衆らしく紗夜の手を離そうとはせず、汚い歯を剥き出しにして威嚇してきた。
「なんだてめぇはッ!」
「緋勇さんっ」
龍麻に気付いた紗夜が、安堵の表情を見せる。
それは猛り狂った龍麻をわずかになだめたものの、
目の前の男達に対する不快感はそれを圧して余りあり、
余りに膨大だった為に、いつも紗夜の顔を見ると己の心を捕らえる感情が、
今は全くないことに気付かないほどだった。
「その手を離せ」
「うるせぇな、俺達はこの娘と遊びに行くんだからよ、
お前らみてぇなムサ苦しいのと付き合ってる暇はねぇんだよ」
龍麻がすぐに殴りかからなかったのは、紗夜が手首を掴まれていたからだ。
万が一にも彼女に被害が及んではいけない──束の間龍麻がためらっていると、
新たな人影が男達の背後から現れた。
その人影は完全に無防備な男の頭を、手にした袋で思いきりはたく。
「何が遊びに行く、だ、この馬鹿野郎。どう見たって嫌がってんじゃねぇか」
「京一」
最も良いタイミングを計っていたのではないか。
龍麻がついそう思ってしまうほど、小憎らしいまでの登場の仕方だった。
京一の後ろには葵もいて、これで集合場所は少しずれたものの、全員が揃ったことになる。
ニ対ニでは怯むことの無かった男達も、二対三となってしまっては勝ち目がないと悟ったのか、
渋々紗夜の手を放した。
男の束縛から解かれた紗夜が、走り寄ってくる。
それを後ろ手に庇った龍麻は、男共に灸を据えるために向き直った。
紗夜を囲んでいい気になっていた男達は、龍麻達に囲まれ、ふてくされている。
「ヘヘッ、お前ら、俺達に手を出したりしたら、凶津(さんが黙っちゃいねぇぜ」
自分達の力が通用しないとなると、上位者に頼る。
どこまでも伝統に則った三流の台詞だったが、その凶津とやら言う人物を、
京一も龍麻も知らなかったので、何の効果も与えることが出来なかった。
ただし、それは二人に対してのみで、凶津の名を聞いた途端、醍醐が暴風の如く男の胸倉を掴む。
それはあまりに疾く、龍麻も京一も止める間がないほどだった。
哀れに掴まれた男の背が、醍醐に並ぶ。
そのつま先は、かろうじて地面に触れているだけだった。
「ひとつだけ答えろ。お前ら──杉並の者か?」
「ヘッ、そうよ。俺達ゃ杉並の弦城(高校の──」
そこまで言った男は、自分の胸倉を掴んでいるのが誰か思い当たったようだった。
身体は半ば宙に浮き、喘ぎながらも嘲笑めいた視線をひらめかせる。
「てめぇ……杉並桐生中(の醍醐か……?」
「そうだと言ったら」
「ヘッ、なら丁度いい。俺達ゃお前も探してたんだよ。凶津さんが、お前を待ってるぜ」
男が再び凶津と言う名を口にすると、醍醐の手から胸倉が滑り落ちた。
「やはり……出所(てきてたのか」
自由を回復した不良学生は、わざとらしく襟を直す。
凶津と言う名ひとつで、この場の雰囲気は一変してしまっていた。
油断無く逃げられないようにしながら、龍麻は事の成り行きを見守る。
「あァ。女も預かってる。早く来ねぇとヤバイかもなァ」
「場所は」
「さァね。自分で探しなよ。醍醐ならわかるはずだって凶津さん(が言ってたからな」
「くくくッ、今のあの人は何するかわかんねぇからよ、早くした方がいいぜ」
「お前の女も、今ごろはもう──」
そこまで言いさした男は、醍醐の形相にそれ以上喋れなくなる。
凶津はここにはおらず、自分達が虎の尾を踏んでいることに今更気付いたのだ。
「よせ、醍醐! こんな奴ら殴ったって時間の無駄だ」
親友の危険を看てとった京一が、虫を追い払うように手を振る。
「さっさと行け。今の醍醐(は何するか判んねぇぞ」
男達は随分と不本意そうであったが、二対三では勝ち目もなく、
何より醍醐の気迫に脅えたのだろう、足早に去って行った。
端下の不良学生のことなど、誰も気に留めようともしない。
龍麻達の重さを伴った視線は、醍醐一人に注がれていた。
「あの……ありがとうございました、緋勇さん。こんな風ですけど、また会えて嬉しいです。
神様の偶然って、あるんですね。また……こんな風に……」
救っておきながら、龍麻は既に紗夜にさえ関心がなかった。
紗夜もそれを察したのか、昨日と同じように深々と頭を下げ、
不良達とは反対の方向へと歩き出す。
「わたし、その時を楽しみにしてます。それじゃ、本当にありがとうございました」
「……」
儀礼的に頷き返した龍麻は、それでも彼女の姿が見えなくなるまでは見送った。
神様、などというものが本当にいるのだろうかと思いつつ。
「あの人……比良坂さんって」
「どうかしたのか?」
「う、ううん、なんでもないの」
龍麻と同じ方を見ていた葵は、半ば無意識に呟いた言葉を、
京一に耳ざとく反応されてしまい、慌てて首を振った。
少し大げさに振ってしまったのか、龍麻が怪訝そうな顔でこちらを見ている。
葵は自分から視線を外し、彼と反対側にある空間へと顔を向けた。
つっけんどんにも見える素振りに、龍麻は驚いているようだが、知られる訳にはいかなかった。
何の根拠もなく、彼女を──心良く思っていない自分を。
自分が聖人君子だなどと自惚れるつもりはないが、
それにしても、わずか二度会っただけなのに、
こうも人を嫌いになったのは初めてで、葵は自己嫌悪してしまう。
しかし、彼女と話をしてみようなどという気にもならないのも確かで、
そして、彼女も同じ気持ちを抱いているであろうということを、間違い無く確信できる葵だった。
「よし、それじゃ杉並に行くか。道案内は出来んだろ、醍醐」
紗夜が去った後も、皆それぞれにあらぬ方を見やっている仲間達を、
興味を込めて観察していた京一は、あえて簡潔に、しなければならないことだけを告げた。
「ああ。……行こう、杉並へ」
頷いた醍醐は歩き出した。
過去へと続く、苦い記憶の路を。
「俺が奴に、凶津( 煉児(に会ったのは、中学一年の頃だった。
凶津と俺は五年前、杉並にある同じ中学に入った。
その頃の俺は、ただ自分がどれだけ強いのかを試したい、餓鬼そのものだった。
二年、三年、他校生、相手も選ばず、喧嘩だけをしていた。
そして気がついてみれば──凶津(がいた。
あいつの瞳(は今も良く憶えてる。決して満たされぬ飢えと、
決して手に入らぬ何かへの渇望に満ちたその瞳は、ただ、相手を、そして自分自身を
傷つけることしか知らないかのようだった。
──だからかもしれない。俺が、奴とつるむようになったのは」
「月日は流れ、三度目の春が来て──
その頃は俺も、手加減や節度ってもんを覚えていた。
自分の中の狂気を、どんな時に、何の為に使うべきなのかということを、
少しずつ解り始めていた。
だが……凶津はそうじゃなかった。あいつの裡で燃える黒い焔は、
まるで衰えることを知らなかった。奴のは既に喧嘩ではなく、只の──暴力だった」
「奴はいつのまにかチンピラの大将になっていた。
日々繰り返される傷害、窃盗、婦女暴行。
定職に就いていない酒乱の父親との生活が、それに拍車をかけた。
俺は……そんな奴を、止められなかった」
「やがて中学最後の冬が訪れようとしていた頃、
俺は奴に逮捕状が出たことを知った。罪状は──殺人未遂だった。
しかも、実の父親に対する」
「新聞にも記事が載った。父親は意識不明の重体。容疑者の少年は依然逃走中」
「そして、二人の城だった廃屋の隅で、俺は奴を見つけた」
「血塗れた手と、泣き過ぎて腫れた目。そこに居たのは、かつて友だった男の変わり果てた姿だった。
『醍醐……助けてくれ』奴はそう言った。
一体奴は、何から助けて欲しかったのか。警察の追っ手からか、荒んだ環境からか、
それとも──自分自身からか……今も俺には解らない」
「俺に出来たのは、俺と奴にとって一番ましだと思える選択を示してやることだけだった。
しかしそれは、奴の最も嫌う、誰かに、何かに──逃げる選択だった。
少なくとも奴はそう感じた」
閉ざしていた扉は錆付いていて、開かれることを主にさえ渋ったが、醍醐は強引にこじ開ける。
時の干渉を許さない、魂の奥底で眠っていた過去の破片は、
二年の時を経ていても、少しも色あせることなく蘇った。
(凶津……自首しよう。お前は、自分のしたことの罪を償わなければならん。
俺も一緒に行ってやる。だから、凶津)
(変わっちまったな。俺とつるんでた頃のおめぇは、もっとギラギラした瞳をしていた)
(違う、変わったのはお前の方だ、凶津)
(うるせぇッ!! ……もう、俺達は友と呼べる関係じゃねぇってことか)
(凶津……)
(──どうしても、やるってのか)
(……あぁ。俺には、これしか思いつかない)
(なんでだよッ!! おめぇだけは解ってくれると思ってたのによッ!)
「その時の俺にはもう一度──奴と勝負することしか思いつかなかった。
そうする事で、あの頃に──出会った頃に時間を戻したかったのかもしれない。
熱く、正直な気持ちで拳を合わせたあの頃を、奴に思い出させたかったのかもしれない」
「勝負には、俺が勝った。決着がつく頃には、警察が周りを取り囲んでいた。
……警察に連れていかれる間、やつは一度も俺を見なかった。
まるで……魂が去った後の、抜け殻のような瞳をしていた。
当然だろう、助けを求めたのに裏切られたんだ。唯一の……友だった男に」
「あれからもう二年が経つ。俺は、今もあの日を、あの時の凶津の背中を忘れられずにいる。
緋勇、お前は……お前は、こんな俺を軽蔑するか?」
誰にも口を挟ませずに己の過去を語った醍醐は、沈黙を続ける龍麻に問いかけた。
何故、尋ねる相手に京一では無く龍麻を選んだのか──それは、醍醐自身にも判らない。
ただ、知り合ってわずか二ヶ月程度しか経っていないこの男が、
決して適当な答えを返すことは無い、と言うことだけは確信出来た。
「……どんなに、その人の事を考えて言ったことでも、拒絶される事がある。
どんなに、その人の為になると思ってしたことでも、
受け入れてもらえない時がある。でもそれは、した方もされた方も悪いんじゃなくて、
ただ──ただ、何て言ったらいいか……」
一語ごとにじっくりと考えながらの返事は、結局そこで止まってしまった。
そこから先が上手く言い表せなくなった龍麻は、困ったように醍醐を見る。
しかし、自分の為に真剣に考えている龍麻の姿こそが、醍醐の求めていた答えだった。
「そう……だな。人は、その時に出来ることをするしか無い。
例えそれが間違っていたとしても、前に進むしか……無い」
己に言い聞かせるように醍醐は呟く。
いくら昔の友を自分が救ってやれなかったのが原因だとしても、
今の友を蔑(ろにして良い理由になどなるはずがなかった。
「……で、これからどうすんだよ」
「話した廃屋……多分、凶津はそこにいる」
醍醐が案内した場所は、一目でそれと判る廃屋だった。
窓は割れ、コンクリートは剥がれ落ちている、寒々とした光景が龍麻達を出迎える。
周りはフェンスで囲まれているものの、どうやら作業が途中で中断されてしまっているようだった。
人目を避けて中に入った一行は、奥へと進む。
残っている壁には得体の知れない落書きが所狭しと書きつけられており、
そのいかがわしさに葵が眉をしかめた。
「ここは……一体何があった場所なの」
「俺達がまだ中学生だった頃、ここには取り壊し予定の雑居ビルがあったんだ。
ここは俺達の溜まり場で、そして、最後に奴と拳を合わせた場所だ」
「なるほどな。もうほとんど壊されちまってるが、向こうに少しだけ部屋が残ってるな」
京一が指差した先に、扉のついた部屋が二、三見える。
そこだけはあまり薄汚れておらず、ごく最近、あるいは今もなお人が使っていることが推測できた。
片っ端から調べるつもりで龍麻が踏み出すと、その肩を醍醐に掴まれる。
「皆。すまんが、ここからは一人で行かせてくれないか。
これは全て俺が蒔いた種だ。お前達を巻き添えにする訳には」
醍醐の言葉に振り返った龍麻は、前髪の奥で眼光の刃を閃かせた。
それは悲壮な、しかしどこか自己陶酔めいた覚悟を固めていた醍醐をたじろがせるほどの鋭さで、
ある種の危険な輝きを同居させていた。
「いいか醍醐。お前の過去の話は聞いたけどよ、今そんな事はどうでもいい。
俺は桜井さんを助けに来たんだ」
眼光に続き、言葉の白刃に肺腑を抉られ、醍醐の顔からは血の気が全く失せていた。
そして既に瀕死の醍醐に、京一までもが追い討ちをかける。
「緋勇の言うとおりだぜ。醍醐、お前なんか勘違いしてねぇか?
お前、ここに何しに来たんだよ。大昔の感傷に浸りにか?
それとも、自分(の過去にケリをつけるためにか?
そうじゃねェだろ。小蒔を助けるためだろうがよ」
「……すまん。俺は」
「わかりゃいいさ。……行こうぜ」
口の端をにやりと歪めた京一は、先頭に立って歩き出す。
なお立ちすくんでいた醍醐も、龍麻に肩を叩かれると、それに遅れじと歩き出した。
小蒔を、救う為に。
一つ目の部屋には、
部屋中に散らばったアルコールの壜と鼻を塞ぎたくなるような異臭があるのみだった。
窓から射し込む陽の光に埃が透け、半ば霧のようになっている。
小蒔も、敵も居ないことを一目で確かめた龍麻は、呼吸を抑え、すぐに次の部屋へと向かった。
次の部屋は、最初の部屋とは全く雰囲気が異なっていた。
陽が当たっていないだけでなく、空気もひんやりとしている。
何かの倉庫として使われていたらしく、龍麻の身長よりも高い棚が部屋中に置かれていた。
相当に広い為に、龍麻達は分かれて棚で区切られた通路を進む。
部屋の真ん中辺りまで来たところで、一番端を歩いていた葵から悲鳴が上がった。
「──ッ!」
「美里さんっ!」
葵が指差した先に、石像があった。
女性を模(った石像。
女性ばかり十数体もの石像が、無造作に置かれていた。
それが意味するおぞましさに、龍麻達は等しく吐き気を催さずにはいられなかった。
「人……なのか?」
「こんなにたくさん……女の人ばかり」
「多分、時間をかけて石にされちまったんだろうよ。
でなきゃ、こんなに恐怖に歪んだ顔になんかなりゃしねぇ」
「なんて……ひどいことを」
度胸と大胆さでは前後に落ちない龍麻も、足が釘で打ち付けられたように動かない。
それでも、どうしてもしなければならないことが、一つだけあった。
全身の力を足に回してなんとか動かし、倒してしまわないように注意しながら、石像の間を歩いて行く。
まだ小学生くらいの子供から、龍麻よりも年上と思われる女性まで、
全ての女性に共通しているのは、表情だった。
京一の言った通り時間をかけて自らが石にされていく所を味あわされたのだろう、
その顔には発狂寸前の恐怖がありありと浮かんでいた。
彼女達がまだ間に合うのか、それとも──もう手遅れになってしまっているのか解らないが、
これ以上の被害者を出す訳には絶対にいかない。
全ての女性を確かめた龍麻は、新たな決意を秘めて仲間達の所に戻った。
「桜井さんは──いなかった」
それは苦痛を先延ばししたに過ぎない、何の気休めにもならない報告だったが、
石像と化した小蒔の姿など見たくない京一達は、揃って肩の力を抜いた。
龍麻もそれに倣い、知らず額に浮かんでいた汗を拭う。
その時、微かな音が聞こえた。
一瞬で緊張を取り戻した龍麻達は、音の聞こえた部屋の奥を目指す。
奥にあった扉を蹴破り、一気に飛びこんだ。
その部屋は更に暗く、前の部屋からの光がわずかな灯りとなっているだけで、
ほとんど何も見えないくらいだった。
罠の存在を警戒した龍麻だったが、その必要はなかった。
仄(い、陰惨な氣を隠そうともしない男が、部屋の真ん中に立っていたからだ。
「良く来たな」
「凶津か」
男に向かって醍醐が呼びかける。
闇に目が慣れ、浮かび上がった男の姿は、異様なものだった。
頭髪の全く無い頭の至る所に、血のような赤で何かの模様が施されている。
己を鼓舞し、より強大な存在でありたいという願いを込めた、
未開の部族のフェイスペインティングを思わせるものだった。
全身黒尽くめの服に、スパイクのついたベルトを何本も通しているのも、
恐らく同じ理由だろう。
かつて友だった男の面影は、もはやどこにもなかった。
「随分変わったな、凶津」
「俺は変わっちゃいねぇよ。俺が変わったとすれば、それはお前に裏切られたあの時からだ」
凶津の声は、果てしない闇の底から醍醐を罵った。
いくら龍麻達に諭され、覚悟が出来ていたとしても、足を掴もうとする亡者の手を払いのける為に、
醍醐は並々ならぬ精神力を必要とした。
「桜井をどうした」
長い沈黙の後、ようやくそれだけを口にした醍醐に、
凶津は失望と嘲り、憤怒と憐憫をないまぜにした顔で嗤った。
「本当はよ、殺っちまおうかと思ったんだけどよ、それじゃあまりにも芸がねぇだろ?
なにしろ、今の俺には特別な『力』があるからなぁ。見せてやるよ」
部屋の隅に向かった凶津が、部屋の灯りを点ける。
そこにあったのは、一同が最も見たくないものだった。
「小蒔──ッ!」
葵の悲鳴は、龍麻達全員の悲鳴であった。
生気に満ちた瞳も、歯切れの良い言葉を次々と紡ぐ唇も、健康的な肌も、全てを失い、
石と成り果てた小蒔の姿が、そこにあった。
「どうだ、なかなかの出来だろ? まァ、強いて言えば表情(が気にいらねぇなぁ。
こいつ、泣きも喚きもしねぇでよ。俺は泣き叫んで許しを請う女のツラを見ねぇとイけねぇってのによ」
凶津は厭らしく舌を伸ばし、手を小蒔の身体に巻きつかせる。
龍麻達の反応を愉しむように凶津が石像と化した小蒔の頬を舐め上げた時、醍醐が一歩進み出た。
鬼神も道を譲り、天魔もひれ伏すであろう、修羅がそこにいた。
それを見た凶津の顔が、狂気の悦びめいたものに満たされる。
「凶津……貴様……」
「その顔だ、醍醐、その顔が見たかったんだよ。表へ出な、二年前の決着をつけようぜ」
<<話選択へ
<<友 5へ 友 7へ>>