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「うう……今年に入ってもう三回も来ちまった。こりゃ本格的に厄落とししねぇとな。
な、緋勇、そん時ゃ付き合えよ」
 京一の厄落としとやらはどんなものなのか、大体の想像はつく龍麻だった。
もちろん反対はしない──が、ここでその内容について語られても、
まして自分が乗り気であると知られても困るので、愛想無く頷くに留めた。
 相変わらず人の気配の無い病院の前で、小蒔が至極当然のことを口にする。
「たか子センセーいるかな?」
「その名前を俺の前で口にするんじゃねぇッ!」
「ふーん、そういうコトいうんだ。たか子センセーに京一が来たって教えてあげないと」
「や、止めろッ!」
 いくら閑古鳥が鳴いているとは言え、病院の前で騒ぐ二人に
恥ずかしくなった龍麻と葵は揃って中に入ろうとする。
するとその横合いから、龍麻を呼びとめる声があった。
「あ……緋勇さん……」
 都会の音に紛れてたちまち消えてしまいそうな小さな声が、
見えない拘束具となって龍麻の足を縛りつける。
龍麻は声さえも封じられ、救いを求めて仲間を仰ぎ見た。
 友人が窮地に陥っているなど気付きもしない京一は、
薄暗がりの中から現れた少女に親しげに声をかける。
「おっ、確か……紗夜ちゃんだよな」
「あッ、はい、この間はどうもです」
「またこの病院に用なのか?」
「えっ、ええ……ちょっと、友達が」
「ふーん……」
「あの、こちらの方はお友達ですか?」
 紗夜が何気ない京一との会話から逃れようとしているように聞こえたのは、気のせいなのだろうか。
そうは思っても、龍麻はどうしようも出来なかった。
心臓が、彼女の支配下に置かれたかのように言うことを聞かなかったからだ。
「あぁ、デカいのが醍醐。こっちが美里で、そっちの美少年が桜井だ」
「誰が少年だッ!」
 いつも通りの掛け合い。
いつもなら笑わずにはいられないそれにも、笑うことが出来ない。
「ごめんね、比良坂さん。京一アホがアホなコト言って」
「いえ、そんな……皆さん、仲がいいんですね」
「まぁ、こいつらの場合は仲がいいと言うか……醍醐だ、よろしくな」
「はじめまして、よろしくお願いします」
 京一達に向かって順番に、礼儀正しく頭を下げた紗夜は、
しかしすぐに龍麻に視線を戻し、そこで固定する。
まるで龍麻以外の何者をも映していないかのような一途な視線は、
見られる側に息苦しささえ覚えさせるものだった。
 邪眼──瞳で相手に何がしかの影響を与える力をそう呼んで良いのなら、
紗夜の瞳は紛れもなく邪眼だった。
心を無造作に掴みとり、己が物にしてしまう瞳。
持ち主は自らの持つ力に気づいていないのか、親しげな笑顔を龍麻に向ける。
どこか、顔そのものに愁いを含んでいるような紗夜が笑うと、
相反する二者が混じり合ったその表情は、息を呑むほどの美しさとなった。
「緋勇さん……こんにちは」
「あ……うん、こんにちは」
 それが本当に自分の声なのか、龍麻は確信が持てなかった。
ただ彼女の望む答えを口にしているだけなのではないか──
親しさを増す彼女の笑顔を見ていると、そんな考えが脳裏を掠める。
そんなはずなどないというのに。
しかし、彼女につられて笑顔を作る自分に気付き、甘い情念の海に溺れようとしていることに慄然とする。
底の見えない蒼海の、なんと暖かく、心地よいことか。
 笑顔で応える龍麻に、紗夜が何か言おうとする。
それを遮ったのは、無邪気な小蒔の声だった。
「へー、緋勇クン、比良坂サンのコト知ってるんだ」
「以前、ここでお会いしたことがあるんです」
「あ、もしかして、葵を連れて来た時に──」
 葵の名が出た時、紗夜が微妙に身体を強張らせたことに気付いたのは、龍麻達の中にはいなかった。
そして、葵がわずかに身をすくませたことに気付いたのも。
小さく、声には出さずに頷いた紗夜は、急に声色を変え、時計を見る。
「あ、すいません、わたし、行かなきゃ」
「そっか、ゴメンね。引きとめて」
「いえ……それじゃ」
「じゃーねッ」
 再び頭を下げて去っていく紗夜を、龍麻は見ていなかった。
その龍麻を、葵はじっと見つめていた。


 相変わらず人の気配というものが全く無い病院のロビーに、龍麻達はいた。
患者はおろか、受付の看護婦さえ姿が見当たらない。
病院内で大声を出すのは非常識だと知りつつも、そうせざるを得ない龍麻達だった。
「高見沢サン、いないのかな? 高見沢サーン」
「は〜い、今行きま〜す」
「あ、いた」
 何もそこまで、と言うくらい元気のある声で小蒔が呼んだのは、
院長以外に唯一の知り合いである高見沢舞子だった。
いきなり院長を呼ばなかったのは皆、特に京一にとって大いなる救いだったが、
返ってきた声は舞子のものとは違うようだった。
彼女特有の丸みを帯びた、どこかペースを狂わせる声ではなく、
もっと尖った、どちらかと言うと金属質な声で、
良く響く病院内でははっきりとは判らないが、どうも聞き覚えのある声だった。
「いらっしゃいませ〜ッ、ご用はなんですか〜ッ?」
「……」
 現れた看護婦を前に、一同は声が出なかった。
京一や小蒔はもちろん、葵でさえもが目を大きく見開いて驚いている。
眼鏡は無く、髪型も変わっているが、細く、鋭い目は彼らの良く知っているものだった。
「お前、何してんだ……」
「えェ〜? 何のことですか〜? わたしィ〜、見習い看護婦でェ〜」
「何やってんだこのバカアン──ごふッ!」
 この期に及んでなおとぼける看護婦に、自失から我に返った京一が怒声を張り上げる。
その頬に、電光石火の平手打ちが飛び、
哀れな京一は最後まで言いきることも出来ず、大きくよろめいた。
「しッ!! 黙らっしゃいッ! あたしの仕事を妨害する気?」
「妨害って、お前……うッ」
「声がデカいのよ!」
 再び掌が翻り、京一の身体が今度は反対方向に大きくよろめく。
 真神随一の剣の達人をこうも鮮やかに手玉に取ったのは、
武道家などではなく、新聞記者だった。
桜ヶ丘中央病院ここに行ってみる、と言っていた杏子がどこから調達したのか、
看護婦の制服まで着こんで潜入していたのだ。
「今、例の事件について調査中なのよ。何か判ったら明日報告するから」
「俺達は、見舞いに来たんだが」
「残念ね、今、面会謝絶よ。だからわたしもどういう状況か判らないの。
ま、今晩にでも病室に潜入していろいろ調べるから、今は大人しく帰って」
「……」
 喘ぐように呟いた醍醐を軽くあしらった杏子は、龍麻の背を押して病院から追い出す。
その堂々とした潜入っぷりに、一体彼女の適性は何なのだろうか、
そう思わずにはいられない龍麻だった。
「それじゃ〜、まいどありがとうございました〜。
またのお越しをお待ちしておりま〜す」
 ひらひらと手を振って見送る杏子にすっかり毒気を抜かれた龍麻達は、
そのまま帰途に就いたのだった。


 翌日、龍麻が教室に入ると、待ち構えていたように醍醐が近寄ってきた。
「来る途中桜ヶ丘に寄って来たんだがな、
院長先生のおかげで空手部員れんちゅうの容態はかなり良かったよ。
……ただし、石化だけは依然として進行が止まらない」
「やっぱり犯人を捜さないと駄目……か」
「あぁ。なんとかしないとな」
 とは言っても、今のところ手がかりらしいものも紫暮の後輩が見たというスキンヘッドの男だけで、
紫暮からの連絡を受けないと動きようが無い。
龍麻達だけでは、残念ながら手詰まりと言って良かった。
 早朝の教室で首を捻る二人の許に、京一がやって来る。
この男にしては、上出来の登校時間だった。
「なんだお前ら、早いじゃねぇか。テニス部の早朝練習でも見にいってたのか?」
まるで自分がそうして来たかのような予想をする京一に、醍醐は乗ってこなかった。
「いや……桜ヶ丘の連中の話をな」
「朝っぱらから景気の悪ィ話すんなよ。
敵の狙いは失敗したんだ、向こうからまた何か仕掛けてくんだろ」
「その前に、彼らが石になってしまうかもしれん」
 それこそが龍麻達が深刻にならざるを得ない理由だった。
 保って、一両日中。
氣の力で霊的治療を行うたか子の導いたタイムリミットは、あまりに短いものだった。
それを指摘されると、京一も言葉が続かない。
小難しい顔をして考え込むしか無い三人の所に、葵が姿を見せた。
ただし葵は手に鞄を持っておらず、一度学校に来て、どこかに行っていたようだった。
「おはよう、みんな」
「おはよう、美里さん」
「よォ、美里。ん? 小蒔は一緒じゃねぇのか?」
 いつもは元気の良い小蒔にまず答え、次いで葵に挨拶するのが習慣だったから、
京一も少し奇妙な表情をしている。
「ええ、私、今日は生徒会の用事で早く来たから。でも、もう来るんじゃないしら」
「どうだかな。美里と一緒じゃねぇもんだから、案外まだ寝てるんじゃねえのか」
 京一は自分がたまに早く来たものだから、ここぞとばかりにあげつらう。
それに葵は答えず、ただ静かに笑うだけだった。
その葵を見ている龍麻の目に、新たにこちらにやって来る人影が映った。
「あ、いたいた。おっはよーッ」
「遠野さん」
 威勢も良く挨拶した杏子はまだ手に鞄を持っていて、
どうやら自分の教室にも寄らずに直接来たらしかった。
時間も惜しいとばかりに、輪の中に入るなり口を開く。
「そういえば昨日桜井ちゃんから電話で聞いたんだけど、犯人は鎧扇寺じゃなかったんだってね」
「うん」
「なんだ、せっかく犯人が見つかったと思ったのに」
 まるで鎧扇寺が犯人じゃないのはアンタ達のせいだ──と言われたように思ったのか、
それとも杏子とは磁石のように常に反発する宿命なのか、京一が声を荒げた。
「それよかお前こそどうだったんだ。潜入は出来たのかよ」
「うッ……それは……」
 途端に杏子の勢いが止まる。
「だろうと思ったぜ」
「何よ、笑い事じゃないわよッ。あの後すぐバレちゃって、窓から放り出されたんだからッ。
おかげでまだお尻が痛いんだから。酷い仕打ちよね、緋勇君」
 確かにあの院長たか子なら、杏子くらい片手で窓から投げ捨てるくらい簡単にやってのけるだろう。
その光景を想像して、龍麻はうっかり笑うところだった。
反動で、勢い良く何度も首を振る。
「でしょう? まったく、大っきな痣が出来ちゃったわよ。
ルポライターへの道は、か弱い乙女には過酷なのね」
「か弱い乙女、だって?」
 皮肉を存分に効かせた京一の物言いに、杏子は鼻息も荒く反論した。
「フンッ。でも収穫が無かった訳じゃないわ。
今回の事件に関係するかは判らないけど、看護婦同士が話してたのを聞いたのよ」
「何をだよ。勿体ぶらずに言えよ」
「今言うわよ。最近、都内の病院で、死んだ患者の遺体が消えるらしいの」
「消える?」
 思わず口を挟んだ龍麻に頷き、再び語り始めた杏子は、
京一以外と話をしたことで落ち着きを取り戻したらしく、
やや口調がゆっくりとしたものになっていた。
「えぇ。桜ヶ丘では起こってないらしんだけど、新宿近辺の病院は結構被害にあってるみたいね。
目撃者は今のところいなくて、警察もまだ介入していないわ」
「なんでだよ、病院も届けてはいるんだろ」
「無理よ。遺体が盗まれた、なんて信用に関わるでしょ。
なんとか揉み消そうとしてるんでしょうね」
 京一が訊ねるとせっかく取り戻した落ち着きもたちまち手放してしまった杏子だったが、
もたらされた情報の気味悪さに、誰も口を差し挟もうとはしなかった。
朝から死んだだの遺体だの、縁起でも無い言葉を羅列され、気が滅入りかけているのだ。
そんな龍麻達の雰囲気を察したのか、杏子は自ら振った話題を強引に打ち切った。
「いずれにせよ、病院の周りをうろつく奴がいたら、注意した方がいいかもね。
あたしの方でも調査してみるけど」
「お前、まだやるつもりかよ」
「あったりまえでしょッ。昔のことわざでもペンは剣よりも強しって言うでしょッ。
いくらあの院長だって、急所を狙えば……」
「剣を使ってどうすんだよ」
 龍麻はお尻に新しい痣が出来るだけではないかと思ったが、忠告はしない。
朝から実に滑らかに舌を動かす京一と杏子に、割って入るのは無理だと諦めていたからだ。
「ごちゃごちゃうるさいわね。これだからデリカシーの無い男は嫌いなのよ」
「嫌いで結構、俺も口うるさい女なんぞ好みタイプじゃねぇからな」
 口を尖らせる二人の表情が、似通って見えるのは龍麻の気のせいなのだろうか。
「ま、取材は諦めた方がいいかもな」
「何よ、醍醐君まで。別にあたしは興味本位だけで取材してるんじゃないわ。
現実に起こりつつある怪奇事件の真実を克明に伝えることにより、
平和に溺没できぼつしきった社会に警鐘を鳴らすことが、あたしの使命なんだから。
逃げ惑う民間人の中を、命を省みず報道のために進んでいく。
安心して。悪の秘密結社に捕まったとしても、皆の事は喋らないから」
 自己陶酔する杏子を、止める者はいない。
そして、真剣に耳を傾ける者も。
「あァ……これぞジャーナリストの鑑ッ。ジャーナリズムのあるべき姿だわッ」
「まぁ、そういう説得はあの院長バケモノの前でやってくれ」
 涙さえ滲ませる杏子に、京一の冷静な声が飛ぶ。
この場合、事実を語るだけで充分に効果があるのだから、どんな虚飾も必要ないのだった。
「うッ……い、いいわよ、やってやろうじゃない。今日こそ取材してみせるんだからッ。
それより、そっちこそしっかりしてよねッ」
「言われなくても判ってんだよ。急がなきゃならねぇしな」
 そこまで言ったところで、朝のホームルームの開始を告げる予鈴が鳴った。
気がつけば教室もほとんどが埋まっている。
「っと、もう戻らないと。じゃ、また後でねッ」
 自分が鞄を持ったままなのに気付いた杏子は、勢い良く出口へ向かって駆け出した。
入れ替わるようにマリアが入ってきて、 結局何一つ実りのないまま、
放課後まで待たねばならない龍麻達だった。


 この日最後の授業が終わると同時に、醍醐がやって来た。
その表情の理由に心当たりがある龍麻は、彼よりも先に口を開く。
「来なかったな……桜井さん」
「あぁ……体調でも崩したんだろうか」
「だから心配のし過ぎだってんだよ。仮に体調壊したとしたって、大方食いすぎとかそんなんだろ。
今美里が家に電話しに行ってるから、すぐに判るだろ」
 小蒔のこととなると親のように心配する大男に、呆れ半分でそう言った京一の予想は全く外れた。
電話をかけて戻ってきた葵は、顔を青ざめさせていたのだ。
「小蒔……いつもと同じように、朝、家を出たって」
「──!?」
「小蒔が学校に来ていないって話したら、お母さん、びっくりされていたわ」
 理由もなく、そして誰にも言わずに小蒔が学校をサボったりする訳がない。
彼女の望まない理由で、学校に来られなくなったと考えるのが自然だった。
腕を組んだ京一が、苦々しげに呟く。
「……ちッ、そっちに来るとはな。迂闊うかつだったぜ」
 友人が、襲われた──確かにそれは、同じ学校の生徒とはいえ、
それまで全く知らなかった後輩が襲われるよりも、格段に衝撃を与えるものだった。
龍麻は体温が急激に下がるのを自覚したが、すぐにそれを上回る怒りの奔流が身体をく。
「誰か目撃者がいないか当たってみよう。それから、桜井さんが行きそうなところをしらみつぶしに」
 鋭く、明確な意思を持った龍麻の指示は、
まだ友人の拉致に衝撃を受けている仲間達の理性を回復させた。
「あァ、向こうの出方がわからねェが、ここでじっとしてるよりはマシだ」
「そうね、行きましょう」
「とりあえず、二手に分かれよう。京一と美里は桜井の通学路の方を。緋勇は俺と一緒に来てくれ」
 なんとなく、京一と醍醐、自分と葵の組み合わせを考えていた龍麻は肩透かしを食った気分だったが、
もちろん反対はしなかった。
「よし、行こう、緋勇。一刻も早く桜井の無事を確認しなくては」
「んじゃ、後で中央公園ででも落ち合おうぜ。行くか、美里」
「ええ」
 龍麻達は、一時間後に中央公園で落ち合うことを約束して二手に分かれ、
小蒔の捜索に出発したのだった。

 しかし、どれほど龍麻と醍醐に熱意があったとしても、
歩き回っているだけで一人の人間を見つけられるほど、東京の街は甘くはなかった。
ましてや、小蒔は何者かに連れ去られた可能性が高いのだ。
どこか建物に監禁されていては、発見のしようがなかった。
 結局何一つ手がかりを得られないまま、京一達との待ち合わせの時間が近づき、
龍麻達は空しく中央公園に向かわざるを得ない。
その道すがら、二手に分かれてからほとんど口を聞かなかった醍醐がおもむろに口を開いた。
「なぁ、緋勇。……お前には、友と呼べる存在はいるか?」
「友? ……あぁ、多分」
 いきなりの、しかも今はあまり関係の無さそうな質問に龍麻は面食らっていた。
お前は友達じゃないのか──そう皮肉っぽく言ってやりたいのをこらえる。
醍醐の顔に冗談を受け入れる気配は浮かんでいなかったからだ。
短く答えた龍麻に、醍醐は更に問い掛けてくる。
「そうか。──友というのは、己の財産のひとつだ。かけがえのない、な。
では、友を──裏切ってしまったことはあるか?」
「……いや」
「そうか……余計なことを聞いて、済まなかったな」
 その身体に見合った、大きな吐息を吐き出した醍醐は、龍麻の方を見ないままに話を続けた。
「緋勇。どんなに喧嘩が強くても、いくら頭が良くても、人は──大切な存在を前にして、
時に、どうしようもない自分の無力さを思い知らされる。
俺は、あの日──あの時、どうすべきだったのか──
今はまだ言えないが、いつかお前にも話す時が来るかもしれん。
その時は……俺の話を聞いてくれるか? 緋勇」
 龍麻は小さく頷いただけだったが、醍醐はそれで充分、と言うように頷き返した。
「無駄話をしてしまったな。今は……桜井を探すことに専念しよう。
全ては俺の思い違いかもしれないしな」
 醍醐は、何かを知っている──昨日といい今といい、ここまで思わせぶりな態度を取られては、
いくら龍麻でも気付くというものだった。
恐らく、空手部員を襲い、小蒔をさらった人物に、心当たりが──
あるいは、知り合いかも知れなかった。
未だ証拠が無いから醍醐もはっきりとは言わないのだろうが、
既に事態はそれで済まされるものではなくなっている。
せめてもう少し何かを聞き出そうと言葉を選ぶ龍麻の耳に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あ〜ッ! 緋勇くんと醍醐くん、見ィ〜っけ〜!」
「高見沢さん。どうしたの、こんな所で」
「院長先生が、皆はこの辺にいるはずだから行ってこい〜って。緋勇くん、元気ィ〜?」
 独特のテンポの声は、桜ヶ丘中央病院の看護婦見習い、高見沢舞子のものだった。
ピンク色の看護婦服を着ている舞子は、柔らかそうな巻毛を風に揺らしている。
龍麻達がいるのは新宿区内で、桜ヶ丘中央病院も新宿区だから、
いてもおかしくはないのだが、看護婦姿でここまで来たらしい舞子は、
やはり周りからは随分と浮いて見えた。
「ねぇねぇ、今度どっかに遊びに連れてってよ〜ッ。わたし、遊園地に行きた〜いッ」
 龍麻の手を両手で掴み、親しげに振った舞子は、遂には腕を絡めてくる。
全く場をわきまえない舞子に、少し苛立ちを覚えた龍麻だったが、
院長が自分達を探す為によこしたという意味に気付いた醍醐が真剣な面持ちで尋ねた。
「高見沢、それより四人の容態はどうなんだ? まさか」
「ううん、反対〜ッ。さっきね、ひとりの意識が戻ったの〜ッ」
「そうか! しかし、何故急に」
「うん、石化はすこうしずつ進んでるんだけどね、前よりゆっくりになったの。
院長先生が言うにはね、一度に多人数を石化させるには、ある程度の限界があるんじゃないかって」
 舞子の言葉を噛み締めた龍麻は、その苦さに胸が悪くなった。
隣を見れば醍醐も同じ、あるいはもっと不味そうな顔をしている。
口にするのも嫌な現実だったが、確かめない訳にはいかなかった。
「……つまり、新しく石にされつつある人がいる、ってこと?」
「うん、たぶんそうだってェ〜」
 小蒔が石にされつつある。
あえてはっきりと、龍麻は頭の中でおぞましい事実を文字にした。
口に出さなかったのは、怒りを心に溜める為だ。
もう龍麻は、相手に情けをかける良心のひとかけらも持ち合わせていなかった。
醍醐もようやく自分が今何をすべきか悟ったのか、
掴みかからんばかりの勢いで舞子に詰め寄っている。
「それで、何か犯人の特徴は? 意識が戻った奴は何か言ってなかったか?」
「落ち着いて〜、醍醐くん。あのねェ〜、確かァ〜、
飾りが一杯ついた黒い服のつるつるのお兄さんでェ〜、あっ、そうそう、
左の腕に大きなイレズミがあったってェ〜」
「刺青……そうか……。緋勇、中央公園へ行こう」
 龍麻の方を向いた醍醐の目には、龍麻を満足させるだけの怒りが満ちていた。
この期に及んで言葉を濁すようなら、殴ってやろうかと龍麻は思っていたのだ。
そんな二人の殺気に怯えたのか、舞子は龍麻の腕を離し、距離を置く。
「忙しそうね〜。じゃ、わたしも帰るね。院長先生が待ってるし〜。今度は遊んでね〜」
「うん、ありがとう、高見沢さん」
 お礼は今度改めてするから。
内心でそう謝った龍麻は、彼女が路地を曲がったのを確かめると、
醍醐と共に中央公園へと早足で向かった。



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