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 公園内はまだ喧騒に満ちていたが、微妙にその質が変わっていた。
それは龍麻達が進むにつれはっきりとしていき、やがて指向性を持ったざわめきの中心にたどり着く。
輪となっている人垣の外周まで来た京一は、漂う臭いを敏感に嗅ぎとっていた。
「……こりゃあ」
「あぁ。……血の匂いだ」
「ねッ、ねぇ。あの人……刀……」
 頷いた龍麻の袖を小蒔が引っ張る。
 人の隙間から見える場景は、さながら芝居だった。
桜色のスーツを着た女性が尻餅をついている。
片方のヒールは脱げ、必死に後ずさりしようとしているが、まるで動作になっていない。
そこから一メートルほど離れた場所に、くたびれたスーツを着た男が立っていた。
歳の頃は三十前後だろうか、身体つきはあまり活力があるようには見えないのに、
何か異様な力が漲っている。
そして男の右手には、小蒔の言う通り日本刀が握られていた。
 龍麻の脳裏に、数時間前にミサと杏子に聞いた話が甦る。
あれが盗まれた刀だ、というのは容易に連想がついた。
ただそれにしては、室町時代に鍛えられたという刀は、新品以上の輝きを放っていた。
古武術の修行をした時の道場にも同じような刀が飾ってあり、龍麻も刀身を見たことがあったが、
それとはまるで格の違う、魅きつけられるような輝きだ。
その切っ先はどろりとした濃赤に塗れていて、既にどこかで人斬を行なってきたらしかった。
 男は刀に操られているような、全身の筋肉を伴わない、ただ腕だけを振り上げる動きで狙いを定める。
女性は後ずさりも忘れ、自分を切り刻もうとする刀をただ見上げているだけだ。
 ここはともかく、まずあの女性を助けなければならない。
しかし、そう考えた龍麻が飛び出すより早く京一が大声を張り上げた。
「おいおっさんッ!」
「京一!」
 龍麻だけでなく、この場にいる全員の関心を一身に集めた京一は、
牽制するように木刀をかざして歩み出る。
まず顔だけを、次いで身体ごと京一の方を向けた男が、奇声でそれを迎え撃った。
「くくくく……ッ」
「手前ェ……イカレてんのか?」
「ケケ……ッ」
 挑発にもたがが外れた笑いで返した男に、京一は舌打ちをして覚悟を決める。
しかし、彼自身が龍麻に先んじたのと同様、今度は彼に先んじる人影があった。
「ちょ、先生ッ! 危ねぇ、下がっててくださいよッ!」
「生徒を危険から護るのも、教師の義務よ」
「けどよ、先生」
 京一とマリアが言いあっている間に、龍麻は素早く作戦を立てる。
いくら自分には『力』があるとしても、触れなければ放つことはできず、
日本刀を前に渡り合えるとは到底思えない。
そこまで考えた時、龍麻の頭にひらめくものがあった。
「美里さん」
「は、はい」
 急に呼びかけられた葵は、いささか慌てているようだった。
笑いそうになった龍麻は、そんな場合ではないことを思い出して真顔を作る。
「この間の……力を、もう一度使ってくれないかな」
「!! ……はい」
 傍らにいる葵は驚き、ためらいを見せたが、わずかな間のことだった。
すぐに目を閉じ、集中をはじめると、龍麻の身体が短い時間、輝きに包まれる。
同時に以前味わった、氣が膨れあがる感覚が身体の内側からやってきた。
「何をするつもりだ?」
「ちょっと、作戦がある」
「よし、わかった」
 眼光は相手から逸らさないまま尋ねてくる京一に龍麻が答えると、
作戦がどんなものかも聞かずに京一は妖刀の前に歩み出てしまった。
「おい、相手は真剣だぞ……!」
「ヘッ、お前だって無手じゃねぇか。それよか作戦があんだろ?
タイミングを作ってやるからドジんなよ」
 刀が届く間合いまで入ってきた侵入者に、男は緩慢な動作で腕を振り上げる。
京一で無くても楽にかわせただろうその動きを、何故か彼は全くよけようとしなかった。
それどころか唯一の対抗手段である右手の得物さえ動かそうとせず、その身を妖刀の前に晒している。
あまりにも無謀な、そして異様な光景に、誰もがただ息を呑む中、
振り上げた速度からは想像もつかない、正に電光石火の疾さで刀が獲物を狙った。
 周りにいた誰もが思わず目を閉じる。
眼前に繰り広げられるであろう血の惨劇を想像して呻き声と悲鳴が合唱を奏でたが、
龍麻と醍醐だけは眼を逸らさなかった。
 澄んだ音が響きわたる。
その中心にあったのは、京一を真っ二つにしようとしている妖刀と、それを受け止めている木刀だった。
どんなに硬いとしても所詮は木刀であり、日本刀の前には溶けた飴でしかないはずだ。
それが、まるで真剣よりも硬いかのように刀を弾いている。
いや、良く見れば、実は妖刀は京一の木刀に紙一重のところで届いていなかった。
更に眼を凝らせば、木刀の一辺に白く、薄い光が宿っていたことに龍麻達なら気付けただろう。
「今だ緋勇、やれッ!!」
「醍醐ッ、とどめは頼む」
「わかったッ!」
 京一の叫びが消える寸前、龍麻は醍醐の肩を叩いて飛び出した。
間合いまで三歩。
その間に葵の『力』によって増幅された氣を纏め、身体の一点にたわめる。
二歩目で跳躍するように地面を蹴り、
そのエネルギーを三歩目で大地に叩きつけ、同時に掌を突き出した。
男達から一メートル以上も離れた場所から常人には見えない氣の塊が迸る。
ほぼ龍麻の腕と同じ太さのそれは見事男の手首に命中し、男はたまらず刀を取り落とした。
 龍麻が醍醐の方を向くと、まさしく間髪入れずに醍醐が飛び出したところだった。
黒い学生服に包まれた巨大な肉の塊が、青白い輝きを放っている。
それは、あの旧校舎で体験した光と同じ色だった。
体重の乗った蹴りが、哀れな男の身体を数メートルも吹き飛ばす。
くの字に空中を飛んだ男が桜の木に激突して、不幸な桜がいちどきに花を散らせてしまい、
緊迫した場面に全く不似合いな桜吹雪が吹き荒れた。
「ふう……」
 男が動かないことを確認した龍麻は、大きく息を吐き出す。
尻餅をついていた女性はマリアによって助け起こされ、一時的に断線していた感情が戻ってきたのか、
今頃になって悲鳴をあげていた。
それは全員が耳を塞がずにはいられないほどだったが、おかげで龍麻達の注目も逸らしてくれた。
「ふぇー、凄いね」
「ふふん、ま、俺の実力ならこんなもんよ」
 目を丸くしている小蒔に、汗ひとつ掻いていない京一が鼻高々に得意がる。
それを横目で見ながら、龍麻は心配そうに手を握り合わせている葵の許に立った。
「ありがとう、美里さん。美里さんのおかげで上手くいった」
「そんな……緋勇くんこそ、大丈夫?」
「あぁ、京一も醍醐も、もちろん俺もかすり傷ひとつ無いよ」
「良かった……」
 葵の表情は全員無事という以上に明るかった。
『力』に対する畏れを取り除いてやろうという、龍麻の心遣いを感じとっていたのだ。
 何の前触れも無く授かった人知を超えた力は、使い道さえ解らず、ただ葵を締めつけていた。
そしてそれと同時に目醒めた、魂の内側から呼びかけてくるような想いに、
心を引き裂かれてしまいそうな位に苦しめられていたのだ。
その不安はいくら言葉を尽くされても取り除けるものではなく、
公園の入り口で龍麻に受けた励ましは、支えにはなったもののトンネルを抜けるまでには至らなかった。
それが今、実際に龍麻に必要とされたことで、わずかながらも光明を見出すことが出来たのだ。
その感謝の想いは、息を呑ませるほどの笑顔となって龍麻に向けられる。
それは、龍麻にとって何よりの報酬だった。

「警察が来たぞ」
 どこからともなくそんな声があがる。
事態の収拾を図れる組織の登場で、辺りには急速に日常的な空気が立ち込めていった。
中には駆け足で仲間達のところに戻り、早速興奮気味に事件を報告している者もいる。
そうでない者達も花見の余興は終わったとばかりに輪を解き、
入れ替わるように制服の男達が数名、無造作に現場へと入ってきた。
「……やべェな。ご両人、お話中のところ悪ィが、ここはずらかるとしようぜ」
 龍麻達がやったことは正当防衛とも言えるくらいであったが、
マリアの立場もあるし、『力』のことなど説明できようはずもないから、京一の提案に誰も反対しなかった。
 急ぎ足で立ち去った七人は、人気の少ない所まできてようやく歩みを緩める。
「あんた達……さっきのは……」
 後ろを振り返って誰もいないことを確かめた杏子は、もう待ちきれない、というように口火を切った。
「どういうことなの?」
 マリアも怒ってはいないが険しい眼差しを向けており、誤魔化すことは出来そうにない。
お互いに肘を突つき合った結果、真ん中に立っていた龍麻が説明させられる羽目になった。
「あの……何て説明したらいいか、僕達にも解らないんですけど、
旧校舎に行ってから、さっき先生が見た『力』が、急に使えるようになったんです」
 そんないいかげんな説明でマリアを納得させることなど出来るはずがない。
龍麻自身がそう思っていたのだから、しばしの沈黙の後マリアが頷いた時には驚かずにいられなかった。
「そう……信じられないけれど、実際に見てしまったら信じざるを得ないわね」
 物分りが良い、と言うには少し過ぎる、まるで、何かを知っている(・・・・・・・・)ようなマリアの態度だった。
その違和感は引っかかりという形で龍麻の心に生じたが、
それに龍麻が気付く前にトーンの高い声が鼓膜を打ち鳴らした。
「『力』って……あんた達、何よそれ。なんであたしにはないのよ」
「ちょうど……遠野さんが先生を呼びに行ってる時のことなんだ」
「んじゃ、桜井ちゃんもさっきみたいなの使えるの?」
「さぁ……ボクはまだ試してないけど、あの時は……一緒に光ったよ」
「どういうことよッ! なんでそんな凄い出来事教えてくれないのよッ!」
「だ、だって聞かれなかったし」
 杏子の質問攻めを小蒔に押しつけた龍麻は、今度は自分が質問する側に回った。
「ところで、あれ、氣だろ? 醍醐達もいつのまに使えるようになったんだ?」
「あぁ……あれからやはり気になってな、自分でいくらか試していたんだ。
おかげでお前ほどとはいかんが、俺もある程度氣というものを操れるようになったらしい」
「そうか……」
 醍醐が刀を持った男に放った蹴りは、以前自分が受けたものよりも数段威力が上がっていた。
それが氣によるものだとすれば、「ある程度」どころでは無い使いこなしと言えるだろう。
あの日からわずかの間に、どれほどの修練を積んだのかは想像に難く無い。
そして、それは醍醐だけではなかった。
「へッ、やっぱりお前もやってやがったか」
「て事は……京一もか」
「あァ。それがどんなものにせよ、使い方は把握しておかねェと、いざって時に役にたたねェからな。
まだ完全に思い通りには操れねぇけどよ」
「お前は……そんな危険な状態であんな芸当をしたのか」
「ま、実戦に勝る訓練無しってよ」
 一歩間違えれば大変なことになっていたかもしれないのに、涼しい顔の京一に醍醐が呆れる。
二人の会話を脳の片隅に押しやりながら、龍麻は考えずにはいられない。
自分達の『力』──自分は別の形で身につけていたが、
それとて素質の無い人間には一生かかっても修得は無理だと言われている──が、
何の為に与えられたのかを。
今回の妖刀の件が全くの偶然であるとは、「鬼」を見たことのある龍麻には思えなかった。
これが、あの人の言っていた『宿命』なのだろうか。
これからこのようなことが続けて起こっていくのだろうか。
事件を解決していくことで、何が見えてくるのだろうか。
そして、その先にあるものは──
 龍麻が一人考えている間も、京一達は言い争いを続けていた。
「ところでアン子、俺達のことだけどよ、まさか記事にはしねぇよなぁ」
「な、何よ、いいじゃない別に。表現の自由は憲法で保障されているんですからねッ!」
「遠野、俺からも頼む。今回のことは伏せてくれんか」
「遠野さん」
「アン子ちゃん、お願い」
 杏子が返事をしないのは、あまりに非現実的で魅力的な『力』のことを考えれば無理もない。
これを記事に出来たなら、新聞の完売は間違いないところだし、部員だって増やせるかもしれないのだ。
それでも全員に頼まれてしまっては、さすがの杏子もここは折れざるを得なかった。
「なッ、何よ、まるであたしが悪者みたいじゃない。
……わかったわよ、あんた達のことを記事にはしないわよ。そのかわり貸しにしておくからねッ」
「ちッ、しっかりしてやがる」
あんた達、と殊更断りを入れる杏子に、小蒔が疑問を投げかける。
「あんた達……って、全部書かないんじゃないの?」
「いっ! 桜井ちゃん、鋭いわね……いいでしょ、
こんな大事件滅多に遭遇出来ないんだし、写真だってバッチリ撮れたんだから」
 転んでもただでは起きない杏子は、刀の事件の方はきっちりと記事にするつもりらしい。
確かに『力』のことを書かなくても、普通の新聞の三面記事は飾れそうなネタではある。
「で、でも遠野サン、校内新聞としては少し──」
「先生ッ!!」
「は、ハイッ」
 難色を示したものの強い調子でただされ、思わず返事をしてしまうマリアに、
杏子はここぞとばかりに日頃の自分の信念を披露した。
「読者は常に刺激を求めているんですッ!
我々記者はペン一本でその期待に応えねばならないんですよ。
たとえこの身が戦火に晒されようとも──」
「せんせー」
 年下の少女とは思えない迫力で演説を行う杏子にすっかり固まってしまっているマリアの袖を、
小蒔が引っ張る。
「こうなると長いから、ほっといて行きましょう」
「え、ええ……でも……」
「いいからいいから。ね」
 既に京一達は杏子を見捨てて数メートル先を歩いていた。
ためらいつつも、引っ張られるようにしてマリアも立ち去る。
「そこに事件のある限り、我々は行かねばならないのですッ!
そしてその先にある真実に読者は涙し、私は名誉と、出来れば目に見える形で褒賞が欲しいですけど
──って、アンタ達何置いてってるのよッ! 待ちなさいッ!!」
 ようやく一人きりで喋っていることに気付いた杏子は、
けたたましい声を上げて薄情な友人達の後を追いかけていった。



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