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いつから、こんな気持ちを抱くようになってしまったんだろう。
妹の許に駆け寄っていく龍麻の背中を、雪乃は憎しみさえ込めた視線で見つめていた。
本当なら、あそこにいるのは自分のはずなのに。
乱れた息を身体が整えるに任せ、しゃがみ込んで何か話している二人からは決して目を離さない。
戦いが終わったばかりだというのに笑みさえ浮かべている妹と、
くだらないことでも言っているのだろう、手ぶりを交えて話す龍麻に、
針で刺したような痛みを覚える。
龍麻を見る度に感じるそれは、多分怒り。
しかし、何に対するものなのかは解らないまま、
胸の内でただ静かに、少しずつ勢いを強めてくすぶっていた。
ずっと見続けていたからか、それともよほど苛烈な視線だったのか、龍麻が気付いた。
雛乃の手をとって立ち上がらせると、自分に向かって軽く手を上げる。
何気ない仕種だったが、雪乃の頭の中で小さな音を立ててスイッチが入ってしまった。
大股で歩み寄り、龍麻の前に仁王立ちで立ちはだかる。
雛乃との会話の残滓を顔に残していた龍麻も、只ならぬ雪乃の様子に表情を改めた。
「……あンまり雛乃に馴れ馴れしくするなよ」
「……何言ってんだ?」
「雛乃に近づくなって言ってンだよッ!」
困惑しきった龍麻の問いは当然のものだったが、雪乃はますます語気を荒げ、
遂には自分の肩よりも高い位置にある胸倉を掴んだ。
「な、なんだよ」
「姉様……?」
龍麻や他の仲間だけでなく、雛乃までが不審な目つきで自分を見ている。
それは雪乃にとって、世界の全てが敵に回ったのと同じ意味を持っていて、
自分をそんな状況に追いこんだ龍麻に新たな怒りが焚きつけられた。
「チャラチャラしやがって、真剣にやれよ!」
本心でそう思っている訳ではない。
むしろ龍麻の瓢瓢とした、そのくせ気配りを忘れない人柄は、疲労を忘れさせ、
終わりの知れない戦いにも恐怖を抱かせることなく皆を導いていることを認めてさえいた。
しかし今の雪乃は、自分でも止められないほど好戦的になっていた。
龍麻を挑発するように睨みつけ、襟を絞り上げる。
さすがにムッとしたのか、胸倉を掴んでいる腕を振り払おうとした龍麻の顔が、突然険しさを増した。
それを自分に対する怒りだと感じた雪乃の心を後悔が殴打したが、
ここで怯む訳にはいかず、どうしたらよいか判らないまま怒りだけに意識を集中させる。
機先を制しようと口を開いた時、頬を一陣の風が叩いた。
それは地球にあるどの風にも当てはまらない、
怒りに身を任せていた雪乃にさえ原初的な恐怖を抱かせる邪風だった。
無意識に腕の力が緩む。
次の瞬間黒い塊が目の前にあって、身体が吹っ飛ばされた。
強烈なタックルに受身も取れず、全身が悲鳴をあげる。
「手前ェ、何しやがンだッ!」
かろうじて頭だけを起こすと、状況を把握する前に、怒気をそのまま声にして吐き出す。
しかし、威勢よく発せられた声も、目的の場所に辿りつく寸前で突然消えてしまった。
雪乃が抱いた、まるで、声が物理的に消失しているような感覚は間違いではなかった。
声が届くはずの場所にいる龍麻の像がぼやけ、足が宙に浮きはじめる。
異常な光景に動くことさえ出来ない皆の前で、突然頭が消失した。
「な、なんだよコレ……」
呆然と呟く雪乃に構わず、龍麻の身体は更に持ちあがり、一メートルほども浮いてしまう。
周りの風景が歪み、その中に、わずかに異形の姿が映った。
「龍麻ッ!」
「ひーちゃんッ!」
事態を悟った仲間達が、血相を変えて龍麻の周りに集まる。
京一が剣撃を与え、小蒔と雛乃の弓が空気を切り裂く。
皆が龍麻を助ける為に力を奮っても、雪乃は動くことさえできなかった。
怖かった。
あの化け物と闘うのは、自分の過ちを認めることだったから。
ただ、仲間達が一刻も早く龍麻を助けてくれるよう祈るだけだった。
どれほどの時間が過ぎたのだろう。
もしかしたら数分も過ぎていないかもしれない。
苦痛に満ちた時間が終わり、更に痛みを増した時の砂が零れはじめる。
音の無い咆哮が空気を震わし、化け物の姿はかき消すように消え、龍麻の身体が音を立てて落ちた。
どさり、という、物体が落ちる音に呪縛を解かれた雪乃は、弾かれたように龍麻の元に駆け寄る。
龍麻の身体は、一目見ただけで尋常な状態で無いことが見て取れ、
呼吸だけはかろうじてしているものの、その顔は蝋人形さながらだった。
たった今まで喧嘩腰とはいえ会話をしていた人間が、死の縁にいる。
雪乃は自分が座りこんでしまったことにも気付かないほどの恐怖に囚われていた。
「……良く無いわね〜」
いつの間に隣にいたのか、ミサがいつもと同じ口調で不吉なことを言ってのける。
その表情の窺い知れない眼鏡を割ってやりたい衝動に駆られつつ、雪乃は龍麻の身体を揺さぶった。
「待て。あまり動かすのは良くないかもしれんぞ」
止めに入る醍醐を睨みつけたが、筋が通っていることは認めざるを得ず、渋々龍麻から離れる。
そこにすかさず葵が雪乃を押し退け、隙間をこじ開けるように割り込んできて、
一顧だにくれることなく精神を集中させはじめた。
淡い光が龍麻の胸の中心に灯り、全身を包む。
しかし、輝きが消え去っても、顔色に変化は全く無い。
もう一度、今度はより集中し、更に大きな輝きを灯したが、結果は同じだった。
「力が、効かない……」
葵の呆然とした呟きが、雪乃の鼓膜を痛打する。
効くまでやってくれよッ!
そう叫びそうになるのを寸前で堪えた雪乃だったが、
葵も同じ気持ちなのか、三度癒しの力を使おうとした。
それを、不気味な声が押し留める。
「盲目のものは私たちと違う次元の存在だから〜、葵ちゃんの力も効かないのかも〜」
「じゃあどうすんだよッ!」
あくまでも冷静に状況を分析するミサに、雪乃は怒りを爆発させる。
葵よりも、ミサよりも、醍醐よりも無力な自分への怒り。
活火山と化した雪乃の負のエネルギーをまともに受けたミサは怒っても良いはずだったが、
どこまでも冷静に言霊を紡いだ。
「……私達では、どうしようもないわ〜」
「たか子先生のところに、行きましょう」
「……それしかなさそうだな。醍醐、龍麻を担いでくれ。
小蒔は先頭を行け。美里と裏密はその後ろだ。俺はケツを守る」
葵が悲痛な面持ちで告げ、京一が指示を出す。
自分には何も言われなかったことが暗に責任を問われているような気がして、
詰寄ろうとすると肩にそっと手が乗せられた。
「姉様、わたくし達も小蒔様をお助け致しましょう」
それに対して雪乃は頷いたかどうか覚えていない。
ただ、心臓が異様な音を立て、自分を責めているのだけが、意識の全てだった。
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